第4話 盗賊、無血の撤退──眠らぬ街路灯
雨上がりの空気は甘い。石の目が洗われて、砦の壁は一夜で顔つきを変えた。
朝一番、僕は鍵を握り、胸の前で静かに回す。世界の紙が音もなく剥がれ、倉庫の気配が肩口からすべり入る。
《在庫:生成スロット 本日1/1 候補:眠らぬ街路灯(巡回補助・士気維持・事故減少)/口閉じの秤(簡易判決用)》
今は灯だ。
棚の奥から木箱が前に出る。蓋を外すと、掌から脛ほどの背丈の街路灯が四本、折り畳み式の三脚とともに並んでいた。灯身は黒鉄、乳白色の笠に、蜂の巣みたいな微細孔。根元に小さな舌が付いている。
箱の内側には簡潔な図と、短い説明――眠らぬ街路灯:夜間視界の均し、巡回者の疲労緩和、侵入者の足取り可視化。副作用:長時間直視による軽い目の疲れ。
「名前からして頼もしいな」
背後から声。マーグだ。リロとタイトも覗き込む。
「四本。砦の門、北の斜面の入り、畑の主動線、長屋の角。人の流れを繋ぐ位置に置く」
「盗賊は光を嫌う、ってのは本当か?」
「光そのものより、『見られている』感覚を嫌う。これはその感覚を作る灯だよ」
昼のうちに設置と説明を終える。
根元の舌を半角起こすと、灯は弱い昼光を吐き、周囲の影を薄く均した。影が消えるのではなく、浅くなる。足元の小石の出っ張り、畝の微妙な起伏、踏み跡の新旧が、墨の濃淡みたいにわかる。
僕は公開帳簿に記す。
在庫ログ#0004:眠らぬ街路灯・四基配備
目的:夜間事故の減少/巡回効率20%向上/侵入者の足跡可視化
手順:根元舌1/3起こし→二刻後自動沈静→人の目線より上へ設置
副作用:目の疲れ(長時間直視・連続二刻以上)
責任者:リオ/共同責任者:マーグ
当番表も更新する。等価札は「巡回一枠=豆一掴み+塩ひとつまみ」「合図番=パン四分の一」。リロが「今日は四分の一から?」と笑って、札盤を磨いた。
◇
薄暮。
谷の四隅に灯が点る。――眩しくはない。けれど、目は勝手にそこへ寄っていく。灯の縁から、細い線のような光の縫い目が地面をつたう。細布を軽く引き伸ばすみたいに、影の濃さが均される。
タイトが棒を肩にかけ、口笛を吹く。「夜が見える夜って、変な感じだ」
リロは灯笠からこぼれた薄光を手の甲に受けて「暖かくないんだね」と言った。
「熱はほとんど出さないのが利点。虫を寄せない」
最初の巡回は静かに進む。角という角に死角がなく、小走りに動く猫でさえ、毛並みの流れで見分けられる。
灯の根元の金具には、細い刻印――“心拍の縫い”。巡回者の呼吸と歩調が少しだけ揃う仕掛けらしい。歩くのが楽になるのはそのせいだ。
公開帳簿の端に、僕は小さく追記する。
《士気:+(巡回者5名の自己申告)》《事故:0(暗がりでの転倒)》
夜半に差しかかる。
風鈴が、いつもより短く鳴った。北の斜面。合図だ。
僕は反射板を点滅させ、砦の門と長屋の角の見張りと同期する。三つの光が合う。
地面に、新しい濃淡が現れた。泥の色が、細い蛇みたいに濃くなり、長屋の裏手へ続く。足跡。灯は湿り気の違いを拾って、踏まれたばかりの土をわずかに暗く染める。
「来たな」
マーグの声が、棒の先で固くなる。
「刃は抜かない。棒と声で済ませる」
「わかってる」
足跡は三つ。南の墓地側へ流れ、そこから二手に分かれる。囮と本命。
僕は長屋の角の灯の舌をもう一目盛り起こし、光の縫い目を太くする。逃げ道の選択肢を削ってやれば、勢いは鈍る。
足跡の先、影が膨らんで、ひとりが飛び出した。フードの縁に絞った布、泥除けの革。
こちらの灯に入った瞬間、彼の歩幅が合わない。灯は巡回者の歩調に寄り添う一方、侵入者には居心地の悪いリズムを押し付ける。
タイトの棒が先に出る。コン。手首。コン。膝。
刃は落ち、布は濡れた土に沈む。
もう一人は畑の主動線へ逃げ、三人目が墓地のほうへ引く。
僕は砦の門の灯の舌を戻し、畑側の舌を少し上げる。光の縫い目が畝に沿って深くなり、逃げる足が躓く。
その上で――風鈴。
チリン。チ……リン。
合図。
マーグが低く叫ぶ。「止まれ! 赤縄の内側へ入るな!」
逃げ足は縄に絡みそうになって止まり、反射的に後ろを見る。その顔に、灯の乳白が乗った。人相が、はっきり見える。
ここで刃を振るわせたくない。在庫にならないから。
僕は革袋から帳簿喰いの灯を少しだけ覗かせ、鏡面で彼らの影を舐める。
《収支の歪み:借金/雇い主の虚偽/食糧の不足》
《収支の歪み:家族の治療費/偽の前金》
《収支の歪み:なし(見学/年少)》
年少――子が混じっている。
僕は街路灯の根元の小さな鐘舌を指で弾いた。灯笠の微細孔が一度、澄んだ音を返す。
それは「話す」合図。棒を下げ、距離を保つ。
「ここは在庫で守る。刃でなく、棒で。……君らに必要なのはパンか、前金か」
正面の男が肩で息をし、悔しげに唇を噛む。「前金は、嘘だった」
「知ってる。倉庫も、灯も、見てる」
僕は等価札を二枚、地面に置いた。札盤から外した、労の空欄の札だ。
「水路の石を戻し、畝を踏まないで帰るなら、一枚。年少の子の分にもう一枚。パンは四分の一ずつだ。ここで刃を振ったらなし。代わりに棒だ」
男たちは顔を見合わせ、年少の影が先に頷く。
マーグが鼻を鳴らし、棒で畝の端を指し示す。「畝は越えるな。土は借金を覚えてる」
撤退は、短かった。
灯が影を薄く見せる道を選ばせ、風鈴が背を押す。
誰も血を流さなかった。泥は付いた。悔しさは残った。だが、借金は作らなかった。
年少の子だけが、僕の足元の札を拾わず、こちらを見た。
「どうしてくれるんだよ、腹」
僕はパンの端をちぎって渡し、彼にだけ半分を多くした。
「約束はここにある。明日があるなら、市へ来い。札に刻んで働けば、パンはパンの形で返ってくる」
子は黙って頷き、灯の縫い目の外へ消えた。
◇
夜が更けるほど、灯の恩恵ははっきり出た。
長屋の裏で転ぶ者はおらず、井戸端で桶をひっくり返す音もなかった。巡回は楽だと皆が言い、棒は一度しか振られなかった。
僕は帳簿に数を書く。《巡回効率:+21%(自己申告と巡回距離の平均)》《事故:0》《敵対接触:1(未損耗)》
等価札の盤には、巡回札がぽんぽんと戻ってくる。そのたびに、豆が一掴み、塩がひとつまみ、パンが四分の一ずつ、席を移す。
笑い声は小さい。でも、消えない。
タイトが灯笠を見上げて言う。「こいつがいるだけで、俺らがいるって感じがするな」
「在庫がそばにいる、って感じです」
リロがうなずき、短冊を指で弾くまねをした。「音がなくても、見張りしてるんだね」
◇
夜明け前、林の向こう、街道の向こう側に小さな火点が走った。隊商の狼煙だ。雨で遅れた貨物隊が、谷の灯を見て速度を上げる。
灯は、遠目には灯台に見えるらしい。
日の出。
生成スロットは終わり、灯は自動で一段沈静した。
僕は鏡面を覗く。
《在庫ログ#0004:終了。巡回効率:+22%。事故:0。敵対接触:1(未損耗・撤退)。可視化足跡:3ルート。補正案:門前灯の角度+3°、長屋角の高さ+一握り》
マーグが伸びをしながら言った。「名が広がるぞ。灯は遠くからも見える」
「広がる前に市を――最初の市をやろう。等価札を外の目に晒して、約束を形にする」
タイトが腹を押さえる。「パンは半斤出るか?」
「半斤。次いで、屋台の湯気だ」
門の外から、昨日の密偵が顔を出した。革鎧は脱ぎ、肩の力は抜け、目は遠くの火点を見ている。
「隊商に伝えた。『谷は在庫で守る』と。あいつら、税は?」
「等価札の裏付けが揃ったら、通行は軽くする。数字は公開だ」
彼は笑った。「宰相の顔が見たいもんだな」
「帳簿を持ってきてくれれば、見せるよ」
彼はうなずき、街道へ戻っていった。背中に、灯の縫い目が薄く寄り添う。
僕は鍵を握り、倉庫の歯を指先で確かめる。欠けていた歯に、またひとつ、小さな角が生まれていた。
説明は歯になる。歯は、次を噛み合わせる。
――次は、市だ。等価を温度に変える。湯気と塩の匂いで、約束を飲み込める形にする。
風鈴が、小さく鳴った。
谷の朝が、静かに始まる。
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