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第1話 追放と鍵、そして静かな在庫

 王都の鐘が七度鳴った。

 判決の数だと教わった回数より、一つ多い。


 広すぎる謁見の間は、音をよく跳ね返す。宰相ヴァルツは金の刺繍がぎらつく袖で手帳を叩き、涼しい声で言った。


「聖遺物管理人リオ。倉庫の不具合は数多、記録の遅滞、上申書の不備。よって――追放」


 僕は口を閉じた。反論を用意していなかったわけではない。ただ、ここでは数字も記録も、彼らが読みたい形にしか読まれない。

 代わりに、隣に立つ監査官の硬い靴音を数える。三歩で間合いに入れる。四歩で背に警吏が回る。五歩で、僕の人生が終わる。


「……失礼ですが、倉庫の不具合というのは具体的に」


「昨秋の“口閉じの秤”の失調、冬季の“逆潮の杭”の暴走、春分の“帳簿喰いの灯”の消灯――原因は管理人の怠慢だ」


 どれも、僕が記録した通りではない。秤は封緘が破られていたし、杭は許容量を超えた使い方がされていた。灯は、宰相派の宴で一晩中照らすために無理をさせられた。

 でも、僕が名前を挙げられるほどこの国の空気は軽くない。


 机の天板をなぞるように、古びた鉄の鍵が滑った。歯がいくつも欠けていて、先端は煤けている。


「退職金だ。古倉庫の合い鍵だと聞く。どうせもう使われていない。無能でも持ち歩けるだろう?」


 笑いがいくつか生まれた。僕は鍵を拾い上げた。指先に、ひやりと……いや、冷たさではない。薄い膜が皮膚の内側にすっと入り込んで、体温のどこかが整列する。

 音が、変わった。世界の奥で、紙が一枚、剥がれたみたいに。


 ――カチリ。


 小さな音の割に、やけに重たい。耳の内側では、別の音が続く。木箱が動く擦過音。金具の鳴り。麻縄のきしみ。

 まるで遠い倉庫の中で、誰かが整頓を始めたみたいに。


「ありがとう、ございます」


 頭を下げ、僕は背を向けた。背後で宰相が言う。「在庫はすべて王に帰す。持ち出せば横領だぞ」。

 大丈夫。僕は何も持ち出さない。倉庫のほうが、僕に付いてくる。


 宮城を出る頃には、昼が落ちかけていた。王都アルクレアの大通りには、祭りの名残りの布飾りが揺れている。風が変わる。首都の匂い――油、香、汗、鉄――それらが、薄くなる。

 城下のはずれに出たところで、僕は人気のない路地に入り、鍵を胸元で握った。


「……聞こえる?」


 返事の代わりに、豊穣の倉庫でいつも嗅いでいた乾いた匂いが鼻をくすぐった。干草、オイル、古紙。

 僕の背後に、影が立つ。振り向けば、そこには何もない。けれど、靴底は確かに、別の床を踏んでいる感覚を拾った。

 鍵の歯が、掌の鼓動と同じリズムで震えている。


「入れるのか」


 鍵を、見えない錠に差し込むように胸の前で回した。

 世界の、紙がまた一枚剥がれる。


 ――その向こうに、倉庫があった。



 倉庫と呼ぶには静かすぎる。音は、すべて肌で感じるものになった。棚が並び、天井の梁に古い札がぶら下がる。無数の木箱と布包み。

 壁に刻まれた符は、僕がこの目で書き写してきた記号と同じだ。いや、少し違う。どの文字も、僕の手癖に似ている。

 ここは世界の外側にある、倉庫の影――僕に紐づいた封印庫のコピー、なのか。いや、コピーなんて軽い言葉では片づけられない。


 暗がりに、ふ、と灯りがともる。

 木製の三脚に乗った真鍮製のランプ――帳簿喰いの灯。照らした対象の収支の“歪み”を浮かび上がらせる、古い監査用の遺物だ。

 ランプは僕を照らし、僕の影に文字を投げかけた。


《在庫:管理人リオ。状態:接続。未登録遺物:0。生成スロット:本日0/1》


「……生成、スロット?」


 胸が鳴る。日ごとに、未登録の遺物が一つ、生える――そう言われたら、笑い飛ばすだろうか。

 けれど、灯が嘘をつくことはない。僕は三脚の足を撫で、感謝の意を示した。灯はかすかに明滅し、文字が一行増える。


《持ち出し制限:記録の対価。説明責任を果たした物のみ、外界に出力可》


「説明責任……そうだね。君たちはいつだって、手順を欲しがる」


 棚の一番手前の箱の封が、自然とゆるんだ。麻縄がほどけ、蓋が静かに開く。

 内から現れたのは、小さな風鈴。透明なガラスに、極細の銀糸で符が編み込まれている。短冊は白木で、角がすり減っていた。名は……札の裏に、墨の擦れた字が読めた。


 種唄の風鈴。


 音で害獣を惑わせ、畑を守る。郊外の村で使われ、長年どこにも戻ってこなかった遺物。――いや、戻ってこられなかったのかもしれない。

 僕は短冊を握る。ふっと、倉庫の空気が温かくなる。

 今日の生成枠は、もう使えない。けれど、僕には十分だ。最初の夜を越えるために必要なのは、光と音と、少しの寝床。


「……行こう」


 倉庫の扉を、胸の中で閉める。

 世界の紙が音もなく重なり、路地の暗がりが戻ってくる。腕の中には、真鍮の灯と、布に包んだ風鈴、それから薄い毛布と乾いた干し肉が一つ。

 僕は王都の北門に向かい、旅人の列に紛れた。



 城壁を出ると、匂いが変わる。土の匂い。日陰の苔の匂い。遠くで雨が降っている。

 辺境に向かう街道は、最初のうちは舗装が行き届いていたが、半日も歩くと石畳は土に飲まれ、やがて轍だけが残る。

 夕暮れが落ちる頃、丘の上に、崩れかけた砦が見えた。壁は半分ほど崩れ、櫓は傾いている。

 風が吹くと、砦の石に開いた亀裂から、笛のような低い音が出る。あまりに空っぽで、あまりに静かだ。僕にはふさわしい。


 砦の内側には、誰かが最近まで火を使っていた跡があった。灰はまだ湿り、炭の芯は黒いまま。人の気配はない。

 僕は瓦礫の上の平らな石を選んで灯を置き、芯に火を移した。黄金の光が周囲を満たすと、空気が整った。

 帳簿喰いの灯は、地面と壁をすべるように見た。

 そして――


《収支の歪み:水路の塞がり/風下の臭気/見張りの欠如》


 灯は、砦の外の闇に小さく矢印を投げた。北の斜面。そこには、壊れた水路の澱みがあった。腐敗した藻の匂い。夜風に乗って、獣の鼻を引き寄せる。

 僕は荷から風鈴を取り出す。種唄の風鈴。短冊を支え、口を近づける。音の高さを、ほんのすこし下げるように息を通す。


 チリン。


 澄んだ一音が落ち、砦の中庭の影がすっと薄くなった。

 もう一度、今度は少し高い音を重ねる。

 夜草を食みに来ていた兎が二匹、揃って耳を立て、反対方向へ跳ねていった。遠くで何かが足を止める音。

 風鈴の音は、獣の古い記憶の糸を撫でる。危険の形をすり替え、彼らの足を別の道へ向ける。


「よし」


 砦の内壁の隅に、毛布を広げる。背中に石の固さを感じるが、悪くはない。

 灯を落とし、芯を低くして、僕は瞼を閉じた。

 眠る前に、鍵を取り出す。歯の欠け具合を、蛍のように明滅する灯の明かりで確かめる。

 数えてみると、どう考えても歯が足りない。古い鍵の設計図を知っている僕にはわかる。

 ――鍵は、もともともっと複雑だった。

 欠けた歯は、失われたのではない。まだ成形されていないのだ。僕が何かを説明し、倉庫に新しい手順を刻むたび、歯は一本ずつ、増えるのかもしれない。


「説明責任、ね」


 小さく笑う。

 誰も僕の話を聞こうとしなかった王都の間で、僕は沈黙するしかなかった。けれど、倉庫は違う。

 正しく説明すれば、ちゃんと動く。正しく保てば、次の日も、同じように動く。


 夜更け、風鈴がかすかに鳴った。音の層が砦の外へ薄く広がる。

 僕はその音を数えながら眠りに落ちた。



 朝。

 東の空が白み、砦の影が短くなる。冷たい空気が肺を満たす。

 灯を消す前に、最後の確認をする。ランプの鏡面に、薄い文字が浮かんだ。


《在庫:生成スロット 本日1/1 未登録遺物:1》


 胸が少しだけ熱くなる。

 僕は鍵を握り、深く息を吸って――回した。


 木箱の気配が一つ、近づいてくる。

 布の包みが足元に落ちた。縛り紐を解く。

 現れたのは、掌ほどの木札と、針のない古い金属盤。盤の縁には目盛り。木札には、見慣れない符でこうある。


 等価札とうかさつ――物と労の一時保全票


 額の奥がじんとした。

 これがあれば、今日の労働を、明日のパンに繋げられる。村に市場が生まれる。

 種は、すでに僕の手の中にある。


 砦の外では、遠くの畑から子どもの声がした。

 僕は布包みを抱え、砦の門へ向かう。

 在庫と、説明と、少しの勇気。

 それだけで、最初の一日を動かすには充分だ。


 王都は遠い。宰相の笑いも遠い。

 けれど、在庫はここにいる。僕の背中に、静かに並んでいる。


「はじめよう」


 僕は言った。

 倉庫の灯は、小さく揺れて、答えた。


――――

読んでくれてありがとう!面白かったら**ブクマ&☆☆**で在庫に応援をください。次回「畑を守る風鈴──音で害獣を封じよ」へ。

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