ep.2 覚えているのは、君だけだった。
転校生・一ノ瀬ハルカは、やはり俺の名前を知っていた。
それだけじゃない。――俺が忘れてしまった“何か”も、彼女だけは覚えているらしい。
「君がすべての始まりだった」
その言葉が、胸の奥をざわつかせる。
けれど、何を思い出そうとしても、霧がかかったように見えない。
彼女が語る“過去”。
そして、俺が見た奇妙な夢――泣いていた、誰かの姿。
「思い出したら、世界が変わる」
それが希望なのか、絶望なのかは、まだ分からない。
次の日の朝。
教室に入ると、昨日と同じように一ノ瀬ハルカは席についていた。
ユウトから二列離れた、廊下側の席。
彼女は窓の外を静かに眺めていて、誰とも話していなかった。
放課後になっても、それは変わらない。
誰かが話しかける様子もない。
まるで、周囲から“存在していない”ような、そんな静けさがあった。
ユウトはその不自然さに、どうしても目を逸らせなかった。
***
下校途中。
靴を履き替えて昇降口を出ると、正門の近くで彼女の姿があった。
「……待ってたの?」
思わず口にすると、ハルカは振り返り、軽く笑った。
「ううん、たまたま。君が来るの、なんとなく分かっただけ」
「それ、だいぶ怖いよ……」
「でも、当たったでしょ?」
「……まぁ」
ユウトは、隣に並ぶ彼女の歩幅に合わせて歩き出す。
夕方の風が少しだけ冷たくて、会話が自然とゆっくりになった。
「昨日のことだけど――君、本当に俺のことを覚えてるのか?」
「うん。覚えてる。全部じゃないけど、大事なことは」
「でも……俺は、君のことを思い出せない」
「それは、そうなるようにされてるから」
「……誰に?」
ハルカは答えなかった。
その代わり、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。
「君が思い出したら、世界は変わってしまうから」
「……は?」
ユウトは立ち止まる。
「それ、どういう意味?」
「……ごめん。まだ言えない」
「なんで……? そんなに俺は関係あるのか?」
「あるよ。君がすべての始まりだった」
その言葉はまるで、何かの記憶を呼び起こす鍵のように響いた。
けれど、ユウトの頭の中には靄がかかったように、何も映らない。
「でも、私は諦めないよ。君に思い出してもらうまでは」
「……思い出して、どうなるんだ?」
ハルカは少しだけ、悲しそうな目をした。
「君が私を忘れた理由。それが、すべての答えだから」
***
その夜。
ユウトは夢を見た。
校舎の屋上。
赤く染まった夕焼けの空の下で、誰かが泣いている。
誰かの名前を、何度も呼びながら――。
その名前は、まるで喉まで出かかっていた。
でも、どうしても思い出せなかった。