表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

【アップ】2025年7月6日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=qZt9tH3Xiqk


(ブログ)

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12916363911.html

こちらから聖書や讃美歌なども閲覧できます^^


聖書

『使徒行伝』(第二一章三七〜第二二章五節)

『詩篇』(第三篇一〜九節)


讃美歌〜♫


賛美歌188

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=fPpFXJHG_b4&pp=ygUM6K6D576O5q2MMTg4


讃美歌259

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=Wh9dDUP97S0&pp=ygUM6K6D576O5q2MMjU5



2025年7月6日 礼拝説教 聖書箇所


「そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」

使徒言行録22章3節


多くの者がわたしに言います 「彼に神の救いなどあるものか」と。主と、それでも あなたはわたしの盾、わたしの栄え わたしの頭を高くあげてくださる方。

詩編3編3節


はじめに


キリストの内にある信仰告白は、教育的土台と祈りの方向を規定することを学ぶ。

1

「パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき」とは、エルサレム神殿の境内で、パウロに殺意を抱く、アジア州から来たユダヤ人たちの企てによって扇動された群衆たちの騒ぎの中、ローマの千人隊長たちの手によって逮捕され命を守られたときのこと。パウロは自ら「ひと言お話してもよいでしょうか」と千人隊長に許可を求めた。千人隊長は「あなたはギリシャ語が話せるのですか」、「それならあなたは、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者(密かに殺人を企てる者)を(再びエルサレムに押し入るために)荒れ野へ引き連れて行った、あのエジプト人ではないのか」と尋ねた。千人隊長は騒ぎを見て、当初、パウロがエジプト系ユダヤ人であると思い、パウロがギリシャ語に堪能であるのを知って、最近起こった反乱の首謀者ではないか、と疑った。パウロは「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州の良く知られた都市、タルソスの市民(市民権を持つ者)です。お願いですが、これらの人々に向かって話をさせてください」とパウロは答えた。

「千人隊長が許可した」。多分、パウロがローマ反逆を企てる政治的犯罪者ではないことを認めながら、ユダヤ人たちの騒ぎを鎮める意味でパウロに弁明の機会を与えた。「パウロは階段の上に立ち、人々に手で合図をした。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語(土地の方言であるアラム語の大雑把な表現)で話し始めた。」一連の事態の中で、神の守りと備えを見る。事実、「御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」(ローマ8章28節)。使徒ペトロも、「しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい」(ペトロ一3章15,16節)と教え、命じる。パウロの態度から学ぶことは、誠実な弁明。

「兄弟たちならびに父たち、今こそ、あなたがたへのわたしの弁明を聞いてください」。パウロはステファノ(7章2節)同様、ユダヤ人たちに礼を尽くして語り出す。「パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになるや、語り出した。」「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで父祖たちの律法について厳密な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に属する熱心を自負する者でした。わたしはこの道を迫害し死に至らせ、男女を問わず縛り上げて獄に投じました。このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしに証明を与えるものです。この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙をもらい、その地にいる者たちを(同志とともに)縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」使徒パウロは、後に、「律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」といい、「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失を見なすようになった」(フィリピ3章6,7節)と証しした。パウロの弁明は、過去の自分を誠実に物語りながら、キリストにある回心を証することに向かう。

おわりに

世のただ中にあるキリストの教会は、絶えず、内外の脅かしにさらされている。しかし、主こそ、確かな防御、唯一の誉れ、真の希望。キリストの内にのみ真の証を求めたい。



(Mynote)


二〇二五年七月六日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。今日は自宅礼拝を守らせて頂いた。

※昨晩は殆ど眠れず、アルプラゾラムを飲んでやっと眠りにつけた。それが朝の十時前だったので、教会にて礼拝を守る事が出来ず、夕方まで爆睡し、それからの礼拝である。神様は俺の祈りをお聞き届け下さった。快適な心身の状態で、礼拝を守る事が出来る様に…とのこの祈り。神様に感謝である。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「イエス・キリストは、天において私達の為に何をして居られますか。」

「キリストは、私達の為に場所を用意し、執り成して居られます。」

イエス様は我ら全ての罪人の為に、十字架に付けられ、その罪を贖って(清めて救われる様にして)下さった。

「あなた方の心を騒がせない様にしなさい。私は天に上り、あなた方が住める場所を沢山用意します。そうなれる様に祈り、信仰に生かされなさい。」

パウロはこの様にローマの人々に手紙を書き送った。我々人間は、救われない為に生かされたのか?この地上に誕生させられたのか?そうではない。皆、神様に、信仰に依り救われる為に誕生させられ生かされた。「喜びなさい」と教えたイエス様のこの御言葉は嘘に無く、全ての罪人に平等に与えられた唯一救いの御言葉に在る。この事をただ信じる事のみに尽きる。信仰とは、知る程に神様(イエス様)の言われた事・教えた事を信じる事のみに尽きるのである。真剣に(本気で)信じ、その信仰のみちに生かされたなら、その人は神様とイエス様を見る。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第二一章三七〜第二二章五節)

『詩篇』(第三篇一〜九節)

この『使徒行伝』の箇所は、先週からの学びの続きであり、パウロが兵営の中に連れて行かれ、千卒長の前に立たされる時のエピソード。その兵営に連れて行かれる時、パウロは千卒長に、

「ひと言あなたにお話ししてもよろしいですか」

と尋ねると、千卒長は、

「お前はギリシャ語が話せるのか。では、もしかお前は、先ごろ反乱を起した後、四千人の刺客を引き連れて荒野へ逃げて行ったあのエジプト人ではないのか」

と問うた。それにパウロは答えた、

「私はタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。

これを千卒長は許し、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。すると、一同がすっかり静粛になったので、パウロはヘブル語で話し出した。

「兄弟達、父達よ、いま申し上げる私の弁明を聞いて頂きたい」

この様にヘブル語で話し出したパウロを見、その言葉を聞いて、人々は益々静粛になった。

ここから話したパウロの言葉は、それまでのパウロの言動(サウロ時代にキリスト教徒を迫害し、死に至らしめた行動、熱心な信仰を以て居たがそれが邪教崇拝に在った事等)に就いて先ず語った。

これはパウロの弁明の場面である。

教会は聖書により教育する。教理問答により教育する。土台はイエス様の教え、即ち神様の教えである。

そしてクリスチャンには、この神様の教えに対する応答責任がある。即ち、信仰の実践である。

教会の教理とは、礼拝に於ける神様への心の在り方に尽きる。神様の愛と恵みに応答する事。これが信仰の大事に在る。イエス様を信じて居る事の弁明をする。世間に向けてそれを実践する事。これが大事に在る。牧師や預言者、神様とイエス様に付き従う者達が今して居る事。福音である。

多くの人には、他の日常の事に釣られて、その信仰の実践を疎かにする事がある。どの立場に立って居るか、条件に在るか、この事は教会の中でも全てのクリスチャンに問われる事である。信じては居るが、その信仰の実践が伴わない。これは俺もそうだ。

自分で自分を鼓舞して信仰に生きようとするが、地力ではどうでも心許ない。自分を頼ると必ず上手く行かない。自力で信仰の実践は無理である。

パウロはこの様に、民衆(特にユダヤ人達)に捕まった。殺される可能性も充分に有った。千卒長に引き連れられて行くこの間でも、普通ならその不安・恐怖・苦しみに苛まれ続けて居たであろう。その不安・恐怖・苦しみの連続に在ったと言っても、普通の人の感覚から見て当然になる。

パウロにもサウロ時代の過去がある。千卒長がこのとき問うたのも、その辺りの事だったか。そしてパウロはその自分の過去について民衆に弁明をした…。多くの人の内には、パウロを暗殺しようと狙ってる者も多く居た?だからその過去を知る者達にとってパウロの存在は、信仰に於いて、半信半疑に在る者達も多かったろう。

「エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬ事をも覚悟して居るのだ」(『使徒行伝』第二一章一三節)

この時のパウロの言葉にも、自分の過去を以てそうなると、一つの覚悟があったのであろう。

しかし神様の導きによりダマスコの途上でパウロは変えられ、百八十度、真逆の信仰の途に歩む様になった。この事の隅々までの真実(神様とイエス様とパウロの間に起きた真実)を多くの人達は知らない。これは人知や人の間の常識、人間繋がりでそうなるのであり、人と人の間に初めから在る壁の為す業に在ろう。疑いや否定もその壁(他人の内を知る事の出来ない人間の限界)から生まれる。ただ多くの人はその人間の目と感覚を以て、パウロの内側にある真実を知りたい…と言う正直はあったのか。だからこのとき静粛になり、パウロの話す言葉を聴いた?

パウロはこのエルサレムに、神様に依り充分な準備をされて来て居る。この弁明も、その準備の内に在った事。そう信じる。そしてパウロは明確に、神様から与えられ教えられたキリストの真実を民衆に話す。この「話す」と言うのが弁明。又このとき千卒長が「弁明の機会をパウロに与えた事」も常識から見て不思議に在る。これだけの騒ぎの中で、このとき弁明の機会が与えられる事の不思議。そしてパウロは「どの様に神様を信じたのか、イエス様を信じて居るのか?」その変えられた自分の正しい信仰に就いて民衆に話す事が出来た。それを民衆はただ静粛に聴いたのである。

ステファノの時もこのパウロと同じ様に在ったが、ステファノはその弁明と共に民衆から石で打ち殺された。信仰の正義は人の言う生死の幸不幸を超えたもの。この点を先ず踏まえる上で、ステファノにはステファノの、パウロにはパウロの信仰の途が神様から与えられて居た。これも神様がなさった事に依り、そう知る程に信じるのである。

『詩篇』のこの箇所には、この時のパウロを支えた心の声・信仰の叫びの真髄が在る様に思える。これはステファノの時も同じであろう。

しゅよ、私に敵する者のいかに多い事でしょう。私に逆らって立つ者が多く、『彼には神の助けが無い』と、私について言う者が多いのです。しかし主よ、あなたは私を囲む盾、我が栄え、私の頭を、もたげて下さる方です。私が声を上げて主に呼ばわると、主は聖なる山から私に答えられる。私は伏して眠り、また目を覚ます。主が私を支えられるからだ。私を囲んで立ち構えるちよろずの民をも私は恐れない。主よ、お立ち下さい。我が神よ、私をお救い下さい。あなたは私の全ての敵の頬を打ち、悪しき者の歯を折られるのです。救いは主のものです。どうかあなたの祝福があなたの民の上にあります様に」(『詩篇』第三篇一〜八節)。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?v=q0lc_w0zV-I&t=1s


「わたしはよみがえりです。いのちです。」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=7bqAl-LCXzQ


イエス・キリストの生涯をたどる旅 II (1)

https://www.youtube.com/watch?v=vPB9SBXalPA


星のカケラ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)


少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ