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三 : 取るに足らない小者の戦い方 - (1) 助言と勧め

 慶長五年六月十八日。伏見城を出発した家康は東海道を西に進み、途中高次の居る大津城へ立ち寄った。陣触れが発せられてから高次は大津へ戻り、色々と準備に奔走していた。

「お待ちしておりました、内府様」

 城の大手門に立ち出迎える高次に、家康も乗っていた輿こしから降りて応対する。

「大津宰相殿こそ丁重なお出迎え、かたじけない」

 にこやかな笑みを浮かべながら鷹揚おうように応じる家康。肌のハリや血色が良いように映るのは決戦に向けて気力が充実している証か。

 行軍途中の休憩を兼ねていたので、ゆっくり腰を落ち着けての会談とはいかない。家康は正信と井伊直政を伴い、高次も翁と重臣の黒田“伊予守いよのかみ”を伴い屋敷の客間で対面するという簡素な形式となった。

「此度は京極家から多くの兵を出せず、真に申し訳ありません」

 冒頭、家康に詫びる高次。

 秀吉の死後に家康へ接近した高次は今回の上杉征伐に加わりたかったが、兵站の重要拠点である大津城の守りを手薄にする事は出来ず従軍する事を断念した。一応京極家からは重臣の山田“大炊おおい”と百名程度の将兵を出したが、六万石の身ではこれが精一杯だった。

「いえいえ。宰相殿には要衝たる大津の地を守る大事なお役目がございます。お気持ちだけありがたく頂戴致します」

 軽く謝意を述べた上で頭を下げる家康。もっとも、徳川家単独で六万を超す兵を動員出来る上に挑戦のえきを経験した武将も多く参戦している事から、高次の兵に頼らなくても大勢たいせいに影響は出ないのだが。

 代わりに、弟の高知は領国が信濃である事から、上杉征伐に参加している。高次が出した兵も高知の指揮下に入る手筈となっていた。

「時に、宰相殿。忠義を見せるのは何も戦う事だけではございませんぞ」

 ふと、傍らに控えていた正信が声を掛けてきた。家康の懐刀であり謀臣たる正信の発言に、高次も思わず聞く姿勢になる。

「『孫子そんし』に“兵は詭道きどうなり”とあるように、敵をだまあざむいて時を稼ぐのも立派な戦術にございます。兵や物資は補充がきますが時は一度失えば取り返しがつきません。真正面から抵抗して一日で落とされるよりも、十日粘って降伏した方が価値のある事もあります。その点、是非頭に留めておいて下され」

 ニコニコと笑みをたたえながら助言する正信。その言葉を受けた高次は「成る程な」と頷く。

 三成が兵を挙げて大津へ攻め寄せて来たら、城の門を固く閉ざして籠城し最期は敵中へ斬り込む事を基本と考えていた高次だったが、正信の助言を受けて別のやり方もある事に気付かされた。例えば、降伏するフリをして引き渡しをばすとか、それらしい理由を述べて旗幟きし曖昧あいまいにするとか、時間を稼ぐ方法は幾つか考えられる。これが並の大名なら有無を言わさず強攻されて御終おしまいだが、高次には太閤秀吉から愛された竜子に妻で淀の方の妹・初も居るので迂闊に攻め滅ぼせない。高次にしか出来ない戦い方があると目が覚める思いだった。

「これこれ。ろく戦場いくさばへ立った事のない者がもっともらしく講釈こうしゃくを垂れてはならんぞ」

 それを聞いていた家康がたしなめると、正信も首をすくめて「おっと、失礼しました」と詫びる。見れば、正信の側に座る直政は苦り切った顔を浮かべていた。槍働きで出世してきた者達から徳川家中で蛇蝎だかつごとく嫌われているのが直政の反応を見ればよく分かり、豊臣家中の三成と立ち位置が似ている事を高次も感じられた。

「では、先を急ぎますのでこれにて」

 そう述べた家康は高次に感謝を伝えて立ち上がる。出発していく家康一行を家臣達と共に高次は大手門で見送った。

 一仕事終えた高次はホッと一息つく前に、奥で翁と二人きりで会う。どうしても確かめておきたい事があったからだ。

「……佐渡守(正信の官名)殿が申した事、あれは内府様の御考えと解釈していいのだな?」

 高次がただすと、翁も「はい」と肯定する。

「幾ら内府様の信が厚いとは言え、佐渡守殿があそこまで差し出がましい発言をされるとは思えません。恐らくは佐渡守殿を介して内府様の希望をお伝えしたものかと」

「それに対して、翁はどう感じた?」

 意見を求められた翁は一瞬躊躇(ためら)いを見せたが、意を決したように口をひらく。

「……私も同感と思っておりました。正直なところ、我等の兵力では相手になりません。利用可能なものは目一杯使う、そうした弱者の戦い方で奮闘するのが最善の手と存じます」

 翁の率直な言葉に、高次は黙って一度二度と頷く。

 上杉征伐を掲げて東国へ向かう家康が最も避けたいのは、西の三成と東の上杉の挟み撃ちに遭う事だ。三成が挙兵したならば直ちに西へ引き返して決戦に臨むのが理想だが、何分なにぶん距離がある為に移動へ費やす時間が欲しい。そう考えれば、高次に求められるのは“忠義にじゅんじて潔く散る”よりも“あの手この手で時間を浪費させる”ことだろう。ある意味では捨て石になるより難しい役回りだが、高次は出来なくもないと感じていた。

 フウ、と息を一つ吐いた高次は、吹っ切れた表情で言った。

「……やるしか、ないな」

 誰に言うでもなく漏らした言葉は、自分を奮い立たせる為に言ったのかも知れない。家康が向かった方向へ顔を向けながら、決意を新たにしていた。

 大津城を出た家康は長束正家が治める領地の石部いしべで宿泊する予定だったが、『暗殺の計画がある』との情報を掴み急遽きゅうきょ女輿おんなごしに乗り、念の為に正家の居城・水口みなくち城を通らない経路で夜通し駆けたとされる。天下獲りに向けて万に一つの可能性を排除しない限り、戦国乱世を生き抜いてきた家康の性格を象徴する逸話だと思う。


 翌、六月十九日。弟の京極高知が高次を訪ねて来た。上杉征伐に参加する高知は中山道なかせんどう経由で一旦領国の飯田へ戻り、軍勢を率いて江戸で家康率いる本隊と合流する手筈だ。

 他の諸将より遅れているので間に合わせる為にも急ぐべきなのだが、高知が大津城に立ち寄ったのは理由があった。

 他の将兵達は城下に残し僅かな供廻りだけ連れて現れた高知は、兄と顔を合わせるなり人払いを申し出た。何かあると察した高次は小姓達に退室するよう促し、人気ひとけがなくなったのを確かめてから高知はおもむろに切り出した。

「兄貴。内府様はもう参られたのか?」

「あぁ。昨日立ち寄られて、既にたれた」

 そう答えると、高知は何かを警戒しているのか周りをキョロキョロと見回し、それを確かめると膝を詰めて耳打ちした。

「……もし治部殿が兵を挙げられたならば、鞍替えなされませ」

 思いがけない発言に、ギョッとする高次。声を上げそうになる兄より先に高知は続ける。

「理由は二つあります。内府様が畿内に残された兵は少なく、逆に敵の方が圧倒的に多いのがまず一つ」

 畿内における家康方の拠点は大坂城西ノ丸と伏見城の二箇所のみ。その内、西ノ丸は元々豊臣秀頼のもので軍勢など入れられず、攻防戦になった場合『秀頼様に刃を向けた!』と捉えられる恐れがあるので抵抗など出来ない。残る伏見城は家康が幼い頃に今川家への人質として駿府へ送られた際も同行した股肱ここうの臣・鳥居元忠が守将として入っているものの、その数は僅か二千足らず。万を超す大軍が押し寄せれば到底持ちこたえられない。

 一方、西国には上杉征伐に参加していない者やこれから参加する者ばかりだ。五大老の毛利輝元・宇喜多秀家、反家康の旗振り役である石田三成、さらに大身の長曾我部盛親や島津義弘なども居る。家康方に属する加藤清正や長岡幽斎・黒田如水など国許に残る者も居るが少数派で、三成が挙兵すれば数万に膨れ上がる可能性が極めて高い。

「もう一つ、この大津城は水城みずじろで多少守りは固いですが、堅牢けんろうとは言いがたい」

 琵琶湖のほとりに建つ大津城は湖から水を引いており、本丸・二ノ丸・三ノ丸の間に水濠みずぼりもうけられている。有事の際は濠に架かる橋を焼くなり落とすなりすれば外敵の侵入を防げる仕組みになっていた。しかし、平城ひらじろに分類される大津城は太平の世に築かれた“統治”に重きを置かれた城で、多少工夫はされているが城自体は堅守とは言えない。外敵の侵攻、それも“西”からの敵は想定されてなかった。

 高次が一万の兵を抱えていればまだ戦いようがあるのだが、六万石の身では二千程度がやっと。城の機能を最大限に活かせるだけの人数すら足りていない。軍師の翁が加わり多少底上げされたものの、将来予想される万を超す大軍が相手では勝ち目などない。

「内府様への体裁ていさいを気にされるようでしたら、軍勢が現れてから降伏されればいいでしょう。抵抗する形さえ示せば内府様も責められますまい」

「……それでは私が節操せっそうなしに映るのでは?」

 かなり早い段階から家康へ接近したにも関わらず敵が迫って来て戦わずくだれば、“腰の定まらない小者こもの”と受け取られる可能性がある。三成としても面白くないだろうし、時間稼ぎを期待していた家康も裏切る。どちらも心象しんしょうが悪くなるのは必至だ。

 ただ、高知は首を振る。

「御家が滅んでしまっては恩賞どころではありません。吹けば飛ぶような取るに足らない些末さまつな家は生き残ってこそ価値があるのです。短期間にコロコロ移り変わるのは見苦しいですが、勝てる筈がない大軍勢を前に降伏して何が悪いのですか」

 胸を張って力説する高知。その姿は高次がいだいている後ろめたさや引け目は皆無だ。

 少し、卑屈になっていたのかも知れない。色々と縛るものや捉われるものに目を向け過ぎるあまり、忘れていた何かを思い出した気がした。武家の本質は次代へ繋ぐ事を第一で、批難されようがわらわれようが家を残せばそれだけで勝者なのだ。

「……分かった。なれど、やれる所まではやるつもりだ。私も武家の者、小なりとも一分いちぶんはあるからな」

 すっきりとした表情で答えた高次に、高知は満足したように一つ二つと頷いた。

「承知致しました。くれぐれも無理だけはなさいませんように。……ご武運を」

 兄の決意に手応えを感じた高知は、そのまま城を出て東に向かった。小さくなっていく弟の背中を見送りながら、高次はきたるべき時は恥じない戦いをすると胸に固く誓った。



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