四 : 大津城攻防戦 - (3) 精一杯の抗い
兵力や将兵の質の差などはありながら、大津城は二日・三日と落ちなかった。近々起きるであろう家康率いる東軍との決戦に間に合わせるべく寄せ手は猛攻を仕掛けるも、城内への侵入を許してないのは秀吉が近江の要衝として縄張りに力を入れたのもあるが、京極勢の踏ん張りが一番の要因だろう。また、琵琶湖の船の大半は京極勢が押さえていた為、寄せ手は陸側から攻められず、守り手も陸側に戦力を集中投入出来た事も挙げられる。
ただ、善戦しているが日を追う毎に京極勢は死傷者を増やしており、減った分を補うべく奮闘する将兵達の顔には疲れが滲んでいた。
そして、敵もまた闇雲に攻め立てている訳ではなかった。
「殿、あちらをご覧下さい」
九月十一日、朝。赤尾“伊豆守”から促され櫓に上った高次は、思わず眉を顰めた。
赤尾“伊豆守”、永禄二年〈一五五九年〉生まれで四十二歳。元は浅井家に仕えていたが天正元年に浅井家が滅亡すると父・清綱の武勇に免じて信長から命を助けられた。その後に人を斬り隠遁生活を送った後に京極家へ仕官し、文人肌の多い家中にあって希少な武人として重きを成していた。
「……弱ったな」
高次達が見ている浜町口の方向に、ジグザグしながら城へ近付く一本の溝がある。人が立って進める程の深さに掘られ、掘り出した土は城の方に積まれ土塁のようになっている。困った事に、日一日と距離は縮まっていた。
一筋縄で落とせないと判断した立花勢が、塹壕を掘り進めていたのだ。城に近付かれると敵の鉄砲が当たりやすくなったり塀へ迫られる可能性が高まるので京極勢としては是が非でも作業を阻止したいが、数的優位を活かして四方向から攻め立てる敵勢の対処で手一杯な状況で、塹壕妨害に手が回らなかった。
水濠があるのでその手前までになるものの、それでも城の近くまで安全に移動されるのは脅威でしかない。戦力や将兵の質で上回っていても驕らず最善手を追求する姿勢は流石親成といったところか。
だが、感心していられない。守る側の高次からすれば堪ったものではなく、早急に対応が迫られた。
「何か、策はないのか」
頭を抱えたくなる心境で高次が訊ねると、赤尾伊豆守はやや躊躇いがちに申し出た。
「はっ……夜襲を、仕掛けたく……」
赤尾伊豆守の言葉に、その手があったかと思う高次。
門扉を固く閉ざしているだけでは数で劣る京極勢はいつか決壊してしまう。敵もそう考えているだろうから、意表を突いてこちらから攻撃すれば、寄せ手の攻めも鈍るのではないか。希望的観測が含まれていたとしても、悪くない策だと高次は捉えた。
気になるのは、提案してきた赤尾伊豆守の歯切れが悪いのだが……。
「して、どれくらいの兵が欲しいのだ?」
「申し上げにくいのですが……四百、いえ、五百程……」
言い辛そうに明かした数字に、高次も思わず唸った。赤尾伊豆守の態度からそうだと思っていたが、なかなかな難題である。
京極勢の兵数は約三千、赤尾伊豆守はその六分の一を欲しいと言うのだ。しかも、三日間の戦闘で死傷した者の数はこの中に含まれておらず、実際はもっと割合は高くなる。城の外へ奇襲すればその分だけ城の守りは手薄になるので、あまり多くを割けない。かと言って、立花勢に仕掛けるには相応の人数が必要だ。攻守の按配を加味した上で赤尾伊豆守は五百と弾き出したのだろう。
万全を期すべく百の上積みをしたが、それで成功するとは限らない。攻撃の許可、兵の数、全ては最終決定者の高次に委ねられた。
皆が息を殺して決断を待つ中、暫し塹壕の方を見つめていた高次はボソッと呟いた。
「……座視して落城を待つより、落ちない為に足掻いた方がいいな」
失敗すれば兵を損じ今後の戦いにも影響が出る。しかし、塹壕が完成すればより激しい攻撃が予想され、死傷者がさらに出るだろう。どちらが後悔するか天秤に掛ければ、間違いなく後者だ。高次は乾坤一擲の勝負に出る事を決めた。
「兵の差配は任せる。……頼んだぞ」
「はっ。必ずや成し遂げてみせます」
高次の許可を受け、神妙な面持ちで応じる赤尾伊豆守。城に籠もる全ての人々の命が懸かっているだけに、その責任の重さで身が引き締まる思いだろう。
夜襲が成功して塹壕の作事を止めるか運良く破壊したとしても、戦況を劇的に引っ繰り返せる訳ではない。落城する日にちが多少延びるくらいで、大軍を撤退させるのは神懸かり的な事態でも起きない限り難しい。逆に失敗すれば、貴重な将兵を失うだけでなく即日落城の可能性だってある。正直なところ、成功の可能性は低い上に失敗した時の損が大き過ぎるのでやりたくないが、立花勢の塹壕が完成すれば落城必死な以上は、せめて抵抗した爪痕を残したい。そうした判断から高次は出撃を認めたのだ。
決行は、今夜。既に家中から勇士を募っており、多くの者が既に名乗り出ていると赤尾伊豆守から説明があり、皆の忠義心に高次は思わず胸が熱くなった。
京極家、そして大津城に避難してきた者達の命運を左右する作戦に向け、秘かに動き出した……。
生き延びる為に夜襲を決めた京極勢だが、夜に備えて日中休んだり仮眠を取ったり……という訳にもいかない。敵は京極家内部の動きなど知らないので十一日も日中に火の出る勢いで攻め寄せ、将兵達もその対応に追われた。日没と共に城攻めが中断し、ようやく休息や準備に取り掛かった。
城内で粛々と出撃に向けた準備が進められる中、高次も甲冑姿で本丸に居た。
本当は当主自ら武器を手に先陣を切りたかったが、武術に秀でてない高次が居ては足手纏いになるのは明らかで、もし敵方に捕縛されたり討死するような事になればその時点で京極勢は敗北になってしまう。城で結果を待つ選択を下したものの、気持ちだけでも皆と共に戦っていたくて甲冑に身を包んでいた。
床几にどっかりと座って将兵達の吉報を待つ、それが総大将の取るべき姿なのか……小心者の高次は気が気でない様子で、床几から立ってウロウロしたり、腰を下ろしたかと思えばソワソワしたりと、理想とは程遠かった。
「殿。賽は投げられたのですから、落ち着かれませ」
平服姿で側に控える翁がやんわり窘める。
「分かっておる。分かっておるが……」
そう言い、床几に座る高次。腰が据わらない大将の姿を他の者に見られれば味方の士気低下を招く事は高次も自覚しており、口をモゴモゴとしながら従う。幸い小姓の他に誰も居らず、その小姓も高次の気性をよく分かっており、味方に悪影響が伝播する心配はない。
「……皆が命懸けで戦いに行く中、安全な所で報告を待つのは何だか申し訳なくて」
「お気持ちは分かります。然れど、殿には出撃中に攻められた時の采配を振るって頂かなければなりません。それぞれがそれぞれの立場があり、それを全うする事こそ肝要です」
翁は高次の心境に共感しながらも、あくまで原則論を説く。泰然自若に構え、将兵達を信じろ。頭では理解しているが、高次にはなかなか出来そうにない。
自分は石だ。石のように動くな。自分が自分に命じる高次。何度も何度も繰り返し言い聞かせていく内に頭の中が空っぽになり、焦燥や不安が消えて微動だにしなくなった。
やがて、遠くから喊声が僅かに聞こえてきた。方角は浜町口、夜襲が始まった模様だ。
「始まったみたいですね」
「……あぁ」
音の方をチラリと見た高次は、すぐに視線を前に戻す。勝ってくれと念じたところで戦況が変わる訳でもあるまい。ならばせめて、総大将らしい振る舞いを続けて味方を鼓舞するまでだ。
戦いは日付を跨いで十二日夜明けまで続いた。粘り強く戦闘を続行したのは、将兵達が何としても苦境から挽回したい強い想いの表れだった。高次は一睡もする事なく、床几に座り吉報を待ち続けた。
九月十二日。日の出から暫くが経ち、赤尾伊豆守が高次の前に現れた。その表情から何となく結果を察する。
重い足取りで進み出た赤尾伊豆守は、どっかと座ると床へ額を付けんばかりに勢いよく頭を下げてから口を開いた。
「――申し訳ございません!!」
開口一番に詫びた赤尾伊豆守は、順を追って説明する。
夜陰に紛れて城から出た京極勢は二手に分かれ、別動隊百五十名は浜町口の筑紫陣へ夜襲を掛けた。筑紫勢も念のために見張りを立てていたが、城方の奇襲は頭に入っていなかったみたいで対応は後手に回った。
筑紫陣の騒ぎで他の軍勢の目がそちらへ向けられる隙を突き、本隊三百吾十名が立花陣を襲撃したのだが……立花勢は京極勢の動きを予見していたらしく、手薬煉を引いて待ち構えていたのだ。不意を突いた筈が逆に迎え撃たれた京極勢は傷口が広がる前に撤退を決断。立花勢に軽微の損害を与えただけで、塹壕の破壊どころか京極勢の一部の将が生け捕りにされるなど損失の方が大きい結果となってしまった。
出撃した手勢が全滅する最悪の事態は免れたものの、当初の目的は達せられず作戦は失敗に終わった。筑紫・立花勢でも死傷者を出したので実際は痛み分けだが、兵の総数が少ない京極勢の方が痛みは大きかった。
失敗の責任を痛感していた赤尾伊豆守は報告を追えるとその場で腹を切りかねない勢いで、場は重苦しい雰囲気に包まれた。
全てを聞き終えた高次は、優しい声で赤尾伊豆守に語り掛けた。
「……ご苦労だった。其方が生きて帰ってきてくれて、本当に良かった」
気持ちの込められた言葉に、思わず顔を上げる赤尾伊豆守。さらに高次は続ける。
「策は実らなかったが、まだ負けた訳ではない。引き続き、頼むぞ」
責任を追及しないばかりか労いの言葉を掛ける高次に、赤尾伊豆守の顔から深刻さが幾分か和らぐ。この場に居合わせる面々も主君の懐の大きさに見直す心地だった。
高次の言う通り、戦はまだ続いている。生きている限り挽回の機会は幾らでも巡ってくる。最後の最後まで、諦めずに頑張ろう。主従の絆はより深まった。
しかしながら、京極勢打開の一手が失敗した事実は変えられない。この日よりさらに厳しい戦いを強いられるのだった――。
九月十二日。戦前から覚悟していたが、想定を遥かに超えて烈しい攻めだった。
塹壕を完成させた立花勢は被弾を防ぐべく竹束を並べ、その隙間から鉄砲を撃ち掛けてきた。開戦当初から大きく前進したのに加えて安全に撃てる環境が整い、京極勢は立花勢の持ち場である浜町口方面で鉄砲による被弾者が前日と比べて格段に増えた。
そもそも、鉄砲(火縄銃)の有効射程距離は一般的に五十五間〈約百メートル〉から百十間〈約二百メートル〉とされる。但し、球体の弾丸や鎧など防具の関係から、実際の有効射程はもう少し短かった。鉄砲は野戦・攻城戦・籠城戦の何れにも有用な武器だが、城砦を巡る戦闘では塀や高所など敵の弾が届かない条件がある守り手は射程範囲内に入った敵を撃てるのに対し、寄せ手は竹束や楯などを持ち運ぶか窪みや木で身を隠しながら接近せざるを得ず圧倒的に不利だった。今回の大津城攻防戦でも押し寄せて来る大勢の敵に銃口を向けて引き金を引くだけで誰かしらに当たる京極勢と、弾幕の中を前進し僅かな隙間を正確に狙撃する必要のある寄せ手では、京極勢の方が段違いに命中精度が高かった。
ところが、最前線に安全の確保された壕が設けられた事で、事態は一変。攻め寄せる敵を撃とうと狭間に近付いたり、塀の上から可燃性の高い竹で出来た竹束へ火矢を放とうとしたりする兵が相次いで狙い撃ちされた。京極勢も何とか反撃せんと試みるも、精度も間隔も上回る立花勢に対抗どころか餌食にされる有様。あまりに損害が大きいが故に、本来なら迎撃に不可欠な狭間を閉じるしかなかった。
飛び道具の圧力が弱まった事で立花勢や浜町口を担当する他の軍勢が塀を登り城内へ侵入されそうになるも、城内の他の箇所から人員を回したり熱湯を浴びせ掛けたりと懸命に応戦し、何とか阻んでこの日の日没を迎えた。
その日の夜、救護所を見舞った高次は目を疑う光景に衝撃を受けた。
初日の比にならないくらいの数の怪我人で、救護所は溢れ返っていた。あまりの多さに部屋だけでは収まりきらず、廊下や別の部屋にも患者が寝かされていたり壁や柱に凭れ掛かっていた。医者や薬師・助手、手伝いの女中達は息つく間もなく手当や看護に追われた。
「伊予」
「はっ」
高次の呼び掛けに応じる、初老の男性。
黒田“伊予守”。高次の父・高吉の代から仕える臣で、京極家の重臣を務める。落ち着いた性格で家中の者達からも信頼が厚い人物だ。
「今日だけでどれくらいの損害が出た?」
「詳しい数までは分かりかねますが……二百は下らないかと」
明かされた数字の多さに、高次は眩暈が起きそうだった。想像していた以上に深刻だ。
開戦当初は凡そ三千だった京極勢は、連日の猛攻や先日の夜襲で日を重ねる毎に数を減らし、二千五百前後になっている。しかも、この中には負傷して戦線を離脱している者も含まれ、実数はもっと少ない。そうした状況でさらに二百名の死傷者が出たのは、京極家にとってかなりの痛手だ。
「率直に申し上げて、敵の侵入を許さなかったのは奇蹟としか言えません。ただ、それもいつまで保つか……」
黒田伊予守の言葉に、高次も沈痛な面持ちで頷く。
将兵の頑張りもあってどうにか持ち堪えているが、大軍の中で孤立する状況で戦い続けてきて限界が近付きつつある。弾薬も兵糧も潤沢、城内の各所に井戸があるので兵站の心配は要らないが、それは戦う将兵が居る前提の話だ。層が薄くなれば、いつか破られる。元々数の少ない京極勢にとって、将兵の減少はジワジワと効いていた。
「将兵達の士気はどうだ」
高次が気懸かりなのは、戦っている者達の気持ちだ。先の見えない苦しい戦いの連続で心が折れていないか、酷使され続ける状況に不平不満が溜まっていないか。上層部への鬱憤が積もり積もって内応に繋がったり戦況へ悪影響を及ぼすだけに、高次は本気で危惧していた。
「その点につきましては、問題ありません」
険しい表情の高次とは裏腹に、はっきりと言い切る黒田伊予守。さらに続ける。
「将兵達は家族や避難してきた民を守る使命に燃えております。それから、『誇りを取り戻す』とする大義も皆を奮い立たせる力になっております」
自らが開墾した土地を武装して守り、都から地方へ赴任した貴族から領有を認められた者が武士の始まりの一種とされる。受け継がれた父祖伝来の土地に根差し後世に託す事に主眼を置く者も少なくなく、俗に“土豪”や“国人”と呼ばれた。戦国乱世の時代が進むにつれ武士は土地に縛られず主君の命令で治める土地を移るようになるが、先に述べた者達の中には転居を拒み武士を辞めて土地に残る者も居た。こうした“一所懸命”の考え方は、天下統一が果たされた後も残っていた。
京極家の家臣は譜代の者や他家に仕えながらも訳あって牢人し召し抱えられた者など別の土地から移ってきた者も多いが、大津周辺に昔から住んでいてその土地を離れたくないから新たに赴任してきた京極家に仕官してきた者も一定数存在した。仕える主は変わったものの、戦況が苦しくなったとしても逃げたり叛逆したりすれば汚名は直ぐに故郷へ伝わるので裏切る心配は少なかった(但し、しがらみや郷土に残した家族を人質に取られるなど諸事情で已む無く寝返る例もある)。
太閤秀吉の容態悪化や政情不安等で大坂・伏見に詰める事の多かった高次に代わり国許を預かっていた黒田伊予守の言葉に、少しだけ気持ちが軽くなる。本当に、自分は周りの人に恵まれていると高次はつくづく実感する。
「……皆が私を信じて付いてきてくれるのに、真っ先に投げ出す訳にもいかないな」
ポツリと呟いた高次は、吹っ切れた表情で黒田伊予守の方に顔を向ける。
「二ノ丸や三ノ丸の曲輪を守る兵の一部を、浜町口へ回す。これで凌げないか」
「……畏まりました」
高次の決定に、黒田伊予守は複雑な表情で従う。
曲輪は外壁を突破した敵を城の中枢部である本丸へ近付けさせない為の防衛拠点だ。もし敵の手に渡れば攻略の足懸かりに利用される恐れがあるので兵はある程度詰めておく必要があるのだが、兵の絶対数が足りない京極勢は重要拠点の守りを削ってでも前線に兵を補充しようとした。落城を早める危険性は重々承知しているが、他に手はない。高次の苦しい胸中を分かっていたからこそ、黒田伊予守は何も言わなかった。
あと何日耐えられるか分からないが、最後の最後まで諦めない。高次はフウと息を一つ吐いてから、その場を後にした。戦闘は一時中断したが、当主の高次に足を止めている暇はない。どの曲輪からどれくらいの数を割くか、翁へ意見を伺おうと歩き出した。




