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三 : 取るに足らない小者の戦い方 - (5) 瑣末な武家の悲しき性

 伏見城を巡る攻防は城方の激しい抵抗や士気が低調で損失を抑えたい寄せ手など複数の要素が重なり、開戦から三日が過ぎても落城の兆しは見られなかった。二十二日には副将格の宇喜多秀家に中枢を担う大谷吉継、翌二十三日には一万五千の大軍を擁する小早川秀秋が合流したが、犠牲覚悟で押し寄せるのではなく遠くから矢弾を撃ち掛けるなど消極的な攻めが続いた。

 高次の居る大津城にも、風に乗って伏見城の攻防で発せられたと思われる爆発音や喊声かんせいが聞こえてきた。伏見城の次は自分達の番なので高次は伏見方面へ多くの物見を放っていたが、今のところ大丈夫そうだ。

 攻城戦の動向に気を揉んでいる高次へ、二十三日に訪ね間て来た人物が居た。

「殿、朽木くつき河内守かわちのかみ”様が面会を求めてこられましたが……如何いかが致しましょうか?」

 取次が明かした名に、思わず身を硬くする高次。先日の氏家行広と違い、多少の面識がある。それどころか、同じ近江国に所縁ゆかりがあり、大津ともそれなりに近い土地の領主だ。

 朽木“河内守”元綱もとつな、天文十八年〈一五四九年〉生まれの五十二歳。京極家や六角家と同じ宇多うだ源氏・佐々木氏の流れを汲み、天文二十二年には京の都を追われた将軍・足利義輝を一時的にかくまうなど、足利将軍家と近しい関係にあった。高島郡朽木谷(くつきだに)周辺を地盤とする小さな国人だった朽木家は細々と暮らしていたが、ある日脚光を浴びる出来事が起きる。元亀元年四月、越前へ侵攻していた織田信長は同盟を結ぶ浅井家の離反で窮地に陥り、京へ戻る途上で朽木谷に宿泊を求めてきたのだ。現公方・足利義昭と信長の関係が冷え込んでいたのは元綱も知っていたし、北近江東部を治める浅井家との関係も悪くなかった。ここで信長を始末すれば歴史が変わる――その転換点に、信長と共に退却していた松永久秀が敵か味方か判別が付かない状態で危険を顧みず単身で朽木谷に乗り込み、元綱を説得したのである。朽木谷で一泊した信長一行は四月三十日に京へ無事に戻った。言わば“命の恩人”の元綱だが、これ以降は知行に多少の増減がありながらも朽木谷周辺を治める国人の立ち位置を堅持していた。

「何か言っていたか?」

 高次が警戒心をあらわにしながら訊ねると、取次の者は困惑しながら答える。

「それが……『宰相殿に是非とも賢明な判断をしてもらいたく、馳せ参じた』と……」

 何かを匂わせる発言に、全てを察した高次。溜め息を一つ吐いてから応える。

「……分かった。会おう」

 ここで断れば元綱の口から『京極家に不穏な動きあり』と通報されかねない。まだ戦の準備が整っておらず、伏見城を攻めている大軍が押し寄せてくれば犬死必至だ。それだけは何が何でも避けるべく、元綱をうまく騙す必要に迫られていた。

 行広の時と同じように翁へこちらへ向かうよう伝えると、元綱の待つ広間へ向かう。

 広間に入ると、灰色に染まった髪の元綱が軽く頭を下げて待っていた。

「大津宰相様にかれましては、ご多忙にも関わらず面会をお許し頂き、真にありがとうございます」

 頭を上げる元綱。日焼けした顔には齢相応にしわが刻まれているが、一癖も二癖もありそうな人相にんそうをしている。

 感謝を述べた元綱だが、高次には皮肉を言われたようにしか聞こえない。高次はくらいこそ高いが役に就いておらず忙しい訳がないので、しくは戦支度を進めている事を突いているのか。いずれにしても、い気はしない。

 明らかに警戒している高次へ、にこやかな笑みを浮かべながら元綱は切り出す。

「お忙しい身かと思いますので、単刀直入に申し上げます。悪い事は言いません、内府追討の軍に加わりませ」

 ズバッと切り込んできた元綱に、高次はどう答えるべきか一瞬迷った。

「……私はどちらかも縁者が居る身ですので、どちらかに与すると角が立ちま――」

 暫時ざんじ考えた高次は行広と同じ口上こうじょうを述べるも、「いやいや」と否定する元綱。

「名目上はそうかも知れませんが、太閤殿下が逝去せいきょされてからの宰相様の動向を見ていれば、どちらへ味方するかは火を見るよりも明らかでしょう」

 高次が逃げようとするのを“そうはさせない”と元綱が迫る。その指摘から、高次が東軍に属している事を元綱は知ってるみたいだ。

 反論しないのを肯定と受け止めた元綱はさらに続ける。

「回りくどい話はめましょう。大老(がた)や奉行(がた)は宰相様が味方でない事を掴んでおりません。ですので、今なら“情勢を見極めていた”と釈明すればまだ間に合います」

 内情を明かした上で説得を試みる元綱に、口を真一文字に結んで黙り込む高次。畳み掛けるように元綱は言葉を継ぐ。

「今は伏見城を落とすのに躍起になっておりますが、それが片付けば次に標的となるのは進退明らかでない大津城です。実際、わし上役うわやくである刑部ぎょうぶ殿は宰相様を怪しんでおられる。まごまごしていては有無を言わさず攻められますぞ」

 大谷吉継の名が出て、やや表情を強張らせる高次。昨年に伏見と大坂で緊張が高まった折、吉継は家康の元に駆け付けている。らい病におかされるも太閤殿下から『百万の兵を預けてみたい』と評された軍略の才を持つ吉継は、敵か味方か分からない高次を疑っていると元綱は言う。戦で気がたかぶっている荒くれ者の武将達からすれば、どっち付かずの輩は勢いのままに攻め潰そうと考えてもおかしくない。

 脅しを含んだ勧告に、高次も言葉に詰まる。あれこれ理由を付けて引き延ばしを画策かくさくしていた高次が危惧してるのは、事前の交渉をすっ飛ばして攻撃される事だ。最悪の展開を示唆しさされ、高次も痛い所を突かれた恰好である。

 すると、元綱はやや表情を緩め語り掛ける。

「内府様への義理もあるでしょうが、武家が最も優先すべきは家の存続かと。滅んで死んでしまっては恩賞も受け取れません。我等取るに足らない家は生き残るだけで褒められる世界。本意でなくとも生き永らえてこそ、返り咲ける可能性があるのです」

 先述した“朽木越え”で信長に大きな恩を売った元綱であるものの、その後に織田家中で厚遇された形跡はない。本領こそ安堵されたが高島郡へ転封となった浅井家旧臣・磯野員昌(かずまさ)、員昌追放後は旧領を受け継いだ津田信澄(のぶずみ)の寄騎格に甘んじた。復権したのは秀吉が天下人の地位を確立してからで、それまでは陽の目を浴びる事はなかった。

 いも甘いも知る元綱の言葉に、高次も決意を揺さられる。しくも、弟・高知が先に言っていた事と重なってたのも大きかった。

「……どうして」

 黙り込んでいた高次が、不意に口をひらく。

「どうして、河内守様はそこまで親身になって下さるのですか。当家が滅んでも関係はないでしょう」

 せないとばかりに言葉を絞り出す高次。京極家と朽木家は祖を同じにする遠縁とおえんの間柄ではあるが、それだけで助ける理由にはならない。高次が滅ぼうが生きようが元綱に何の得にもならないのだ。吉継から命じられたとしても通り一遍いっぺんの勧告で済ませても咎められないのに、である。

「戦をせずに解決するなら、それに越した事はありません。例え小なりとも戦になれば悲しむ者が出ますから。それに……」

 直後、元綱はふと遠い目をしながら言った。

「……力ある者の思惑に翻弄ほんろうされるのも、いささか疲れ申した」

 しみじみとこぼした元綱の言葉に、胸をかれる高次。今の言葉こそ元綱の偽らざる本心なのだろう。

 今回の戦も詰まる所は家康と三成の覇権争いで、一部の野心家を除いた大多数はそれに巻き込まれた恰好だ。特に高次や元綱のような吹けば飛ぶような弱小勢力は望まない形で強制的に参加させられ、負ければ改易・勝っても見返りは少ない。御家存亡を賭けても全く割に合わないのだ。大国たいこく同士の権力闘争に飽き飽きする元綱の気持ちはよく分かる。

「……分かりました」

 そう言い、居住まいを正す高次。一つ呼吸を挟んでから、厳かに言葉を発する。

「御家の未来が大きく左右される決断を、重臣にもはかろうと思います。明日、改めて回答という形でもよろしいでしょうか?」

 苦悩が滲む顔で告げる高次。その申し出に対し「承知しました」と元綱は受諾した。最終的な決定は当主が行うが、重臣に意見を求める事自体は珍しい事ではない。元綱も高次の苦しい胸中を察したみたいだ。

 また明日再訪すると言い残し、元綱は退室していった。その姿が見えなくなっても、高次は葛藤で思い悩む表情のまま暫く立ち上がる事が出来なかった。


 重い足取りで奥へ下がった高次は、小姓を遠ざけて翁の待つ部屋へ入った。その表情や疲れ具合から元綱との会談がとても難しいものだったと翁は察した様子だ。

 前回と同じように高次の口から会談の内容を簡潔に伝えたが、翁の顔も険しくなる。

「……弱りましたな」

 全てを聞き終えた翁はポツリと漏らす。

「殿はよく回答を引き延ばせたと思います。れど、これが限界でしょう」

 翁の返答を聞いて、自分の考えと一致していた高次は無言で頷く。

 家康から時を稼ぐよう求められた高次はのらりくらりとかわす方針だったが、敵方から疑われている以上この手は使えなくなった。敵は日を追うごとに戦力を増しており、今戦えば間違いなく負ける。伏見城の鳥居元忠みたいに滅亡してまで忠義を尽くす気は更々(さらさら)ない。ここら辺が潮時と解釈するのが自然だ。

「しかし、まだ終わった訳ではない」

 項垂うなだれる翁が反射的に顔を上げると、前を見据える高次の姿が目に飛び込んできた。

「私に、策がある。聞いてくれるか」

 そう言い、高次は翁に腹案ふくあんを披露する。それを聞いた翁の目は大きく見開みひらかれた。

「――それは、御自身で考えられたのですか?」

「あぁ。色々な人と接する内、漠然ばくぜんとではあるが頭に浮かんだ。どう思う?」

「大変よろしいかと。これなら、内府様の求めも果たせますな」

 翁から太鼓判を押され、ホッと安堵の溜め息を漏らす高次。自信はあったもののそれが正しいか分からなかっただけに、翁の反応で手応えを得たみたいだ。

「殿の策を実行するには、時機が肝要かんようになりましょう。見誤ればこれまで積み上げてきたものが水泡すいほうす恐れが極めて高いですから」

 この策は、降伏し鞍替えするよりずっと危険を伴う選択だ。それこそ、普通に戦って負けるよりも凄惨せいさんな結末を迎えるかも知れない。それでも踏み切る決断をしたのは、冒険しないと手に入らない“矜持”の為だった。

「今回は、不本意ながら勧告を受ける。ただ、これはあくまで一時的な対応だ。雌伏しふくの時を経て、時機が訪れ次第勝負に打って出る」

 はっきりとした口調で宣言する高次。気持ちが折れてないのは、爛々(らんらん)と輝く目を見れば明らかだった。

 高次の決意に、翁は黙ってこうべを垂れて応じた。望まない形で敵方にくだる選択をしながらもその先を見据える高次の姿に、頼もしさを覚えた翁だった。


 七月二十四日。約束通りに再訪した元綱に、高次は内府追討の軍に加わる旨を伝えた。

 昨日は渋っていたのに受諾へ転じた事に“何か裏があるのでは?”と疑われないか高次は内心ビクビクしていたが、伝えた際の元綱にそうした反応は見られなかった。

「そうですか。それは良かった」

 高次から返答を聞いた元綱は表情を緩めて安堵の息を漏らした。肩の力が抜けた元綱は嬉しそうに続ける。

「疎遠とは言え、我等朽木家と京極家は佐々木氏を祖とする間柄、勝ち目の薄い戦に臨んで滅ぶのは心が痛みますから。賢明な判断をされ、私も役目を果たせて、お互いに良い報告が出来ましょうな」

 口が滑らかになった元綱は「あぁ」と何かを思い出した。

「失念しておりました。刑部殿から一つ頼まれていたのを忘れておりました。『恭順きょうじゅんを示したならば、しちを預かるように』と」

「質……」

 何気なにげない風に伝えられた内容に、身を硬くする高次。完全に不意を突かれた。

 大名家は豊臣家へ歯向かう意思を持ってない事を示す為に、奥方や嫡子を大坂に住まわせる決まりがあった。京極家では正室の初が該当するが、上杉征伐に際して家康の差配で大津に戻っていた。吉継は高次の不備を指摘した上で、改めて人質を差し出せと迫った。

 流石は切れ者で知られる吉継、ただで手打ちにしてくれないか。高次は少し考え、答える。

「畏まりました。熊麿くままろを出しましょう」

 高次の出た名に、元綱は驚いた。熊麿、文禄二年生まれで当年八歳。高次の嫡子だ。

 初に気兼ねしていた高次はふとした時に侍女の於崎おさきねやを共にし、懐妊かいにん。京極家待望の跡継ぎを授かり、高次も家中も歓喜に沸くかと思いきや……正室である初の勘気かんきが母子に及ぶのを恐れた高次は家臣を浪人させた上でそちらへ避難させた。高次が熊麿と対面をしたのは誕生から二年後の文禄四年とされる。

 元綱は以前と同じく正室の初を差し出すと思っていたみたいで、目を丸くしていた。熊麿の後に男子は生まれておらず、一粒種の嫡子を処刑されてしまえば仮に家康が勝ったとしても嗣子しし不在で断絶する恐れがあるからだ。

「……うけたまわりました」

 責任の重さを感じた元綱は神妙に応じる。

 唯一の嫡子を人質にすると言った途端に形勢が逆転した事に、高次は内心“ったり”の気分だった。熊麿を人質に取られるのは痛いが、戦乱や初の目から逃れると思えば悪くない選択だと思う。それに……万一熊麿が処刑されたとしても、高次はまだ三十八歳、初も三十一歳と子を成せない年齢ではない。今後初との間に男子が産まれた場合、側室の長子ちょうしと正室の次男という厄介な事になる可能性がある。将来の禍根の芽をむと思えば割り切れる。

 高次からすればむしろ『初を差し出せ』と言われた時の方が痛手だった。淀の方の妹・初が大津城に居れば、その身に危険が及ぶのを恐れて攻撃を躊躇ためらう材料になるからだ。そして、万一負けた時には初の名を出して交渉を有利に運ぶ事だって出来る。守り神として高次はとことん頼る腹積もりだった。

 証左しょうさを求められたのは想定外だったが、それでもまずまずの対応が出来たように高次は思う。今回は心ならずも降伏・鞍替えを余儀なくされたが、まだ全てを諦める段階ではない。あの三成も失脚させられながら息を潜めて佐和山で大人しくしていた結果、今回復権しているではないか。今は臣従を装い、機会を窺う考えの高次だった。



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