エピローグ:無限の本棚
夢想堂書店は、いつもと変わらない静けさに包まれていた。しかし、その空気の中には、かすかに異なる何かが漂っていた。智子は、棚の整理をしながら、時折窓の外を見やっては微笑んでいた。
「智子さん、おめでとう!」
佐藤が、興奮した様子で店に飛び込んできた。手には一冊の本が握られていた。
「えっ?」
智子は首を傾げた。佐藤は自慢げにその本を掲げた。
「君の小説が出版されたじゃないか。今、大型書店で平積みになっていたよ」
智子の目が大きく見開かれた。確かにそれは、彼女が書いた小説だった。しかし……
「でも、まだ原稿を送ったばかりで……」
彼女の言葉は途中で途切れた。本の奥付を見ると、出版日は来年の日付になっていた。
「佐藤さん、この本……」
智子が言いかけたとき、店内の空気が微かに揺らいだ。二人は息を呑んで見つめ合った。
「また始まったのかな」
佐藤がそっと呟いた。
智子は静かにうなずいた。彼女は本棚に目をやった。そこには、まだ書かれていない無数の物語が、本という形で並んでいるように見えた。
「佐藤さん、私たちの物語は、まだ終わっていないみたいです」
智子の言葉に、佐藤は柔らかな笑みを浮かべた。
「そうだね。でも、それってとてもワクワクすることじゃないかな」
二人の会話を、誰かが聞いていたかのように、店内の古時計が鳴り響いた。しかし今回は、12回ではなく、13回鳴った。
智子は深呼吸をして、ペンを手に取った。新しい物語が、彼女を呼んでいる。そして、その物語は彼女だけのものではなく、この世界のすべての人々のものでもあるのだ。
夢想堂書店の扉が開く。新しい客が入ってくる。その瞬間、智子の書いた本が、ふわりと宙に浮かび、客の手の中へと収まった。
物語は続く。それは終わりのない迷宮であり、同時に無限の可能性を秘めた宇宙でもある。
智子は微笑んだ。彼女の冒険は、まだ始まったばかりなのだから。
(了)