第5章:無限螺旋と物語の交差点
夏の夕暮れ時、夢想堂書店の窓から差し込む柔らかな光が、智子の手元を照らしていた。彼女はペンを走らせ、自分の物語を紡ぎ出していた。
「智子さん、また新しい小説?」
佐藤が覗き込むように声をかけた。智子は少し照れくさそうに微笑んだ。
「はい。でも今度は、出版社に送ってみようと思うんです」
「そうですか! それは素晴らしい!」
佐藤の言葉に、智子は勇気づけられた。あの不思議な体験から3ヶ月。彼女は少しずつ、しかし確実に変わっていった。
「ところで、智子さん。この本、どうしましょう?」
佐藤が手にしていたのは、あの謎の本だった。智子は静かにそれを受け取った。
「不思議ですね。今開いても、何も特別なことは起きません」
「そうなんだ。でも、智子さんを変えたのは、この本なんじゃないかな」
智子は黙ってうなずいた。そして、ふと思いついたように言った。
「佐藤さん、この本を読んでみませんか?」
佐藤は驚いた様子で本を受け取った。彼がページをめくると、そこには新しい文章が現れた。
『読者よ、あなたの物語はこれから始まる』
佐藤の目が輝いた。
「なんだか、新しい冒険が始まりそうな気がするよ」
智子は微笑んだ。彼女には分かっていた。この本は、読む人それぞれの物語を引き出す、不思議な力を持っているのだと。
その夜、店を閉める時、智子は最後にもう一度その本を手に取った。
「ありがとう」
そっと呟いて本を棚に戻すと、不思議なことに、その本はゆっくりと消えていった。まるで、その役目を終えたかのように。
智子は深呼吸をした。窓の外では、東京の夜景が輝いている。そこには無数の物語が、まだ語られずに眠っているのだろう。
彼女は自分のノートを開き、新しいページに向かった。
『物語は、現実と幻想が交差する場所に生まれる』
そう書き始めた時、店内の古時計が12時を告げた。その音は、新たな一日の始まりを告げるようで、どこか希望に満ちていた。
智子は微笑んだ。彼女の新しい物語は、ここから始まるのだ。
そして、彼女が気づかないうちに、書店の片隅に置かれた鏡の中で、もう一人の智子がペンを走らせ始めていた。物語は、終わりのない螺旋を描き続ける。