第3章:作家という名の幽霊
智子は混乱した頭を抱えながら、異変の続く書店内を歩き回っていた。棚に並ぶ本のタイトルは、彼女の知らない言語で書かれているようで、どれも読めない。窓の外の景色も、東京のどこかというよりは、まるで異世界のようだった。
「私、どうしちゃったんだろう……」
そう呟いた瞬間、智子の目に見慣れた本が飛び込んできた。あの謎の本だ。手に取ると、今度は表紙にタイトルが浮かび上がっていた。
『迷える読者への手引き』
著者名はない。智子は震える手でページをめくった。
『あなたは今、物語の迷宮に迷い込んでいます。出口を見つけるには、自分自身の物語を書き換える必要があります。著者を見つけてください。著者はあなたです』
「私が……著者?」
智子は首を振った。しかし、その瞬間、智子は店内の鏡に映った自分の姿を見た。ペンを持っている。鏡の中の智子は、彼女の知らない本を執筆しているようだった。
「まさか……」
智子は鏡に近づいた。鏡の中の自分と目が合う。そして突然、鏡の表面が水面のように揺らぎ、智子は鏡の中に吸い込まれていった。
「えっ!?」
目を開けると、智子は見知らぬ書斎にいた。机の上には、彼女が夢想堂書店で見つけた本と同じものが置かれている。そして、机に向かって座っているのは……
「私?」
鏡の中で見た、もう一人の自分だった。その智子は、彼女を見ても驚かない様子で、ただペンを走らせ続けている。
「あの、すいません……」
智子が声をかけようとした瞬間、もう一人の智子が顔を上げた。
「ようやく来たわね。待ちくたびれたわ」
その声は、まるで遠い記憶の中から響いてくるかのようだった。
「私が……著者……?」
智子の問いかけに、もう一人の智子はにっこりと笑った。
「そうよ。私たちは同じ人間の、別の可能性なのよ」
「別の可能性?」
「そう。あなたが選ばなかった道を歩んだ私。そして、あなたが作家になっていたら……という可能性の私」
智子は言葉を失った。目の前で起こっていることが、現実とは思えない。しかし同時に、どこか懐かしさも感じていた。
「でも、どうして私はここに?」
もう一人の智子は立ち上がり、窓の外を指さした。
「あなたの物語が、始まりと終わりを求めているからよ」
窓の外には、無数の光の糸が織りなす不思議な風景が広がっていた。それは、まるで物語の可能性そのものを視覚化したかのようだった。
「私の……物語?」
智子の問いかけに、部屋全体が揺らぎ始めた。そして、彼女の意識も、ゆっくりと霞んでいった。