その後の話1
千晃の仕事は村の各戸の財務の手伝いである。
この村の作物は規格に則ったものが作りにくいため、それぞれがレストランや料亭と契約して作物を卸している。道の駅に並ぶのは余剰だ。自給自足とまではいかないが、村の中で融通しあって農作物が消費されている。それで十分に稼げているし、食べていけるのだが、帳簿は少しばかり複雑だった。元システム部として、正規化して最適化した帳簿テンプレートを作って喜ばれたのは余談である。
そういった仕事のとっかかりは、雑談の中から出やすい。そのため、慎宅でのおやつ会に顔を出すことがある。なお、紅鬼はほぼ毎日顔を出している。そして、『聞いてよ、千晃ちゃん』となるわけだが、今回相談を持ち込んだのは千晃の方だった。
「俺の両親がもうすこしで定年なんだ。その親より先に隠居ってどういうことなんだって、今度ここに来ることになった。えー、その際には皆様にご協力いただきたくお願いに参りました」
「あらー、勘当されたら、うちの子になる?」
「勘当されねえし、されるような予定もねえよ。もう四十過ぎてんだから、今更切り捨てられても問題ない。それに、紅鬼のことはもう伝えてある。人じゃないとは言ってねえけどな」
「まぁ。お父さんとお母さん、何も言わなかったの?」
「“昭和生まれなのに令和ね”だと」
「なんとなく僕の経験なんだけど、千晃さんのお母さんって、ここの人たちと気が合いそうだったりしない?」
「……ノーコメントだ」
なぜバレるのか。
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普段は使っていないのでしまっているのだが、今回は引っ張り出してきた。食卓用の椅子は、今日は四脚並んでいる。千晃のむかいには、父と母。となりに紅鬼。
「言ってた実質嫁の紅鬼だ」
「はじめまして、紅鬼です! お義父さん、お義母さん」
にぱーと無邪気に紅鬼は笑って見せる。
『お前におとうさんなどと呼ばれる筋合いはない』など言うタイプの父ではない。古式ゆかしい姑面をするような母でもない。反応は未知数だ。移住の際に、男の嫁をもらったことと田舎に引っ越すことは伝えたが、文字情報でしかない。伝えた直後に電話がかかってきた。母の反応は、『あら、まあ、へえ』だった。それ以上は追求しなかった。追求されなかった。そのまま触れず、今である。
口を開いたのは母だった。
「……息子が田舎暮らしを始めたと思ったら美少年を嫁にしていた件について」
「近年のラノベみたいに言うんじゃねえ! ちょっと間が空いたのは、考えてたな! 考えたわりに安直だな!」
なぜか慎に見抜かれたのだが、千晃の母はこの村のお姉様方とノリが似ていた。
「かわいい息子が増えるのは、お母さんとしてはうれしいけど大丈夫? さすがに息子は信じるけど、犯罪者ともなるとちょっとねえ」
「ちょっとは訳ありだけど、法は犯してねえよ」
そもそも人ではない紅鬼に引っかかる法がないのだが、わざわざ言う必要はない。
「名護家は私も含めてみんな面食いなのね」
無口な父はうんうんうなずいているが、父も母も、ついでに妹の夫も、顔は十人並みである。言わずもがな、千晃も(※自称)。つまりは、ただのノロケである。
「だから千晃もかっこいいんだ。ありがとう、お義父さん、お義母さん」
乗っかると収集がつかなくなるのでやめてほしかった。
口数は少ないが顔に出やすい父は、誇らしく嬉しそうに笑んでいた。何故か千晃がアウェーだった。
父が胸ポケットに手をやったので、灰皿を出してやる。
「お前も吸うようになったのか?」
「いや。村の集会場から借りてきた。俺と母さんはわかってるからいいけど、紅鬼に断って吸えよ」
「……コウキくん、タバコ吸っていい?」
「いいよー」
カチ、とライターに火が灯る。チリリと先端に火が移った。
母は千晃を昭和の男と言ったが、ギリギリ昭和生まれというだけで、その時代の記憶はない。肩身を狭くしながらも、吸えるところであればどこでもタバコを吸おうとする父のほうがよっぽど昭和の男だ。父も、昭和後半生まれだが。千晃は久しぶりの父のにおいに思った。
「千晃もお父さんに似てかっこいいんだから、もっとモテてもいいと思うんだけどねえ」
「えー。千晃はオレの旦那さんだから、オレ以外にモテなくてもいい」
「それもそうね。お父さんは私にだけモテたらいいわ」
「お父さんもそう思う」
「うるせえ!」
その場のにいる誰もが千晃を感傷にひたらせないのだった。
「なんで四十にもなってこんな授業参観みたいなことになってんだよ」
「そりゃ、厄年を一人で過ごしそうな息子が、長年勤めた会社辞めて、男の嫁ができて田舎に移住するなんていいだしたら、何事かと思うだろう」
「親子仲は悪くないんだから、一回くらい見にくるわよ」
「はいはい、そのとおりですよ。いきなり予想外に道外れてすみませんでしたね」
今度は連れ立って慎宅に向かっている。おやつ会の真っ最中で、つまりは千晃の顧客が集まっているのだ。
今日は天気がいいので、縁側まで開放されているだろう。裏に回る。
「おばあちゃん、来たよー」
「いらっしゃい。千晃ちゃん勘当された? うちの子になる?」
「されてねえよ! される前提で話すんじゃねえ! 父です母です、こちら顧客の皆さん!」
紹介は最低限で済ませる。話を通しておいたゆかいなお姉様方だ。あとは勝手にやってくれるだろう。
「どうも、こんにちは。千晃の母です。かつ、コウキくんの姑です」
母はひと目でお姉様方を見抜いていた。
「まあ! あたしたちが欲しい物を、何もせずにのうのうと!」
「息子を育てたという大業を成していますー」
「それもそうね」
「千晃ちゃん、いい子よね。真面目で責任感あって、よく気がつく子だわ」
「ふふっ、いくつになっても子どもが褒められるのは嬉しいものですね」
「ホント、あたしたち助かってるから。うちにもらえません? 紅鬼ちゃんごと」
「お断りします」
姦しさに頭が痛くなってきた。しかし、これで両親も安心してくれよう。
お姉様方と母との騒がしさはそのままに、いたってマイペースな父は千晃のとなりに腰を下ろした。
「元気で楽しそうにしてるようで、何よりだ」
「……騒がしいのと楽しいのは、イコールではないと思う」
「心配しとらんよ。もうここまできたら、真っ当に生きて、親より先に死ななかったら十分だ」
訳ありの同性を嫁にしてことも“真っ当”の範囲らしい。
携帯灰皿を片手に、父はタバコに火をつけた。
「キャッチボールでもやっとくか?」
「それは三十年前にすませておいてくれ」
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両親は、村の人々から千晃の評判を聞いたらしい。後日、ちゃんと褒めておいたと言われた程度に。危うく集会場で宴会が開かれかけたが、ボロを出さないためにもどうにか断った。
満足したのか、千晃には推し量れないが、両親は一泊だけして帰っていった。『またくる』とは言っていたが。
翌日、千晃は自主休暇とした。
「俺も親を接待するようになったか……」
起き出しているが、ソファでぐんにょりしていた。
「オレは楽しかったよ。お義父さんもお義母さんもいい人。千晃そっくりで、それだけでおいしい」
「食うなよ」
「ちぇー」
ソファに座る足元に、犬猫のようにペタリはりついてくる。紅鬼の定位置である。千晃はそこにある頭をわしゃわしゃしておいた。
「自主的に賽の河原で石を積む予定はねえよ。顔合わせられてよかった。思ってたより鷹揚だったな。腹の底まではわかんねえけどな」
「次は妹家族?」
「名護家を制覇しようとすんな。……妹には言ってない気がするな」
「じゃあ、今すぐ知らせよ!」
にょきりと千晃の膝の上に乗ってきた。いつの間にか、紅鬼の手には千晃のスマートフォンが握られている。何をするのかと思えば、千晃とのツーショットの自撮りである。千晃は背景に徹した。
「女子高生みたいなポーズするんだな」
「渚の特訓を受けたから」
「現役女子高生か……」
渚とはイオンモールでよく会う。時々紅鬼とプリクラを撮っているので、そのときにでも教えられたのだろう。
LINEを確認すると、妹の千鶴とのやりとりの最終履歴は一年以上前だった。妹家族の二児は年子で、受験が二年続くのだ。必要なければ連絡はそうそうしてこない。
簡潔なメッセージを作っていく。
「千晃の妹、千鶴っていうんだ」
メッセージを作る手元をのぞかれた。
「千鶴って、おめでたい名前。千晃と“千”がおそろい」
「予定より早めに生まれてきてヒヤヒヤしたんだと。それで、縁起のいい名前にしたって言ってた。“千”は、父さんが千にサンズイの治めるで千治だからっていうのもある」
「お義母さんの名前は?」
「それも言いそびれてたな。美弦だ。美しい、ツルは鳥の方じゃなく、はりつめた弓のふるえる方」
「へえ。名護家、名前も少しずつ引き継がれてるんだ」
「父さんが“ちはる”だから、“ちあき”っていう男でも女でもありそうな名前つけるのに抵抗なかったんだろうな」
「字は違うけど、“はる”と“あき”だ」
「そうだな。妹が結婚して姓が変わって、小さく高いってかいて小高になって、画数が減って喜んでた。鳥の“鷹”だったら結婚してなかったって公言してる」
その場合は義弟が名護を名乗ることもやぶさかではないと言っていたことを思い出した。
「名護の“護”」
「そう、名護の“護”」
入力したメッセージに写真を添えて送る。時間としては勤務中のはずだ。直ぐに返事はこない──。
『どゆこと?』
すぐに返事がきた。
『そのままの意味だ。相手は男だが、未成年じゃないぞ』
『そこは心配してない。けど、どゆこと? あとで詳しく』
おそらく妹が一番気になっていることは、些細なことだろう。(センスの治安は悪いが)そう簡単に見つけられない美少年を嫁にして、それはどうでもいいと言っているくらいなのだから。気にしろというわけではないが、気にされなさすぎるのも、落ち着かない。
「妹も、どんな田舎か見に来るかもしれねえな」
「えー、楽しみー!」
「楽観的だな。こわーい小姑だったらどうするんだ?」
「お義父さんもお義母さんも大丈夫だったから、千晃の妹なら大丈夫」
「まあ、製造元も同じだからな。義弟も甥たちも、普通に善良な一般市民だ」
「千晃と似てるなら、おいしそうかな?」
「やめろやめろ」
まだ膝の上に乗ったままの紅鬼の腰に腕を回す。指先でつつくように腹をなぞった。
「終いをここに仕舞うのは、俺だけにしとけ」
「うん! ふへへっ」
ふにゃりと溶けるように紅鬼は千晃にはりついたのだった。
『米と野菜中心でいいなら、村の連中が食わせたがってるから、食事は気にしなくていいぞ。村の集会場も使っていいって確認した』
『ちょっとした合宿かな? DK・DCの食欲はそう簡単にへこたれない!』
『俺がそうだったから、心当たりはある。鶏くらいしめてくれそうだな』
『今更情操教育?』
『しめるところから参加させるのかよ』
ある日の兄妹のLINEより。