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鬼嫁さんの話Ⅱ

 プロポーズを断られ、求婚癖というよくわからないヘキがついていた八屋だが──。

「結婚って、数撃ちゃ当たるようなもんだったか?」

「婚活は数撃って当てていくらしいから、広い意味ではあってるかも」

 八屋が結婚した。

 もちろん数撃って当たったからではない。経緯はある。揶揄される程度には数を撃ちすぎていただけだ。

 何故、慎と千晃がそんな話をしているかというと、その婚姻する二人と関係者一人が、キラの社の前でキラのありがたい言葉を聞いているからだ。

 慎いわく、ここは“ゆるふわ爽やか因習村”らしいが、キラの社の前で誓うような風習はない。結婚式の代わりに何かそれっぽいことをしようということで、キラの前で宣誓することになったのだ。

 八屋は初婚だが、相手の英子は二回目だ。詳しいことを聞けるほど踏み込める立場ではないのだが、英子の元夫は典型的な釣った魚に餌をやらないタイプであったらしい。子が生まれ、だから何が変わったわけでもなく、離婚に至った。『我慢するんじゃなかった』とのこと。それくらいの表面的なことは、結婚その他に関するお金の相談がしたいと持ちかけられて聞く羽目になったのだ。千晃はもうすっかり村のお金の相談窓口となっていた。

 息子の雄太は、八屋が抱っこしている。肩越しに、慎と千晃はじっと見られていた。慎はにこにこ笑いながら手を振っている。

「──では、末永く仲良く過ごすように。紅鬼」

「はーい」

 千晃が参列(?)する必要はなかったのだが、紅鬼が手伝わされているので仕方なく見にきていた。何をするのかと言えば、リングボーイである(ボーイではない)。

 雄太は一時キラが預かり、指輪交換が行われた。

「これは何式の結婚式なんだ?」

「さあ? キラ式かな?」

「初耳だ」

「僕も」

 当人たちがそれでいいなら、誰も口を出すべきではないことだ。

「指輪、してるんだな。お前らも」

「うん。母さんがくれた。キラがつけてるのも、そろそろ三十五年経つかな、それくらい前に死んだ父さんの指輪」

「宝石を継ぐっていうのは聞くけど、結婚指輪って継ぐものか?」

「さあ? キラが、姑の言うことは聞いておいた方がいいだって」

「案外、俗っぽいな」

「ロイズの生チョコの新味楽しみにするくらいには。きのう何食べた?っていうゲイカップルの日常マンガがあるんだけど、たしかペアリングを新宿の伊勢丹で買ってたよ」

「……何でそれを今言った」

「そういう流れかな、って」

「でっかいお世話だ」


******


 時々、(村内で相対的に)若手の運転免許証持ちは、ドライバーとして駆り出される。千晃がドライバーの場合、みんなの孫の紅鬼もついてくる。

「俺、仕事あるんだけど!?」

 お姉様方との買い物は楽しいらしく、紅鬼は喜んでついてくるのだが、当のドライバーは不満を口にしがちだった。と、言っても、車中および喫茶店で相談は受けているので、相談料を受け取ることもある。仕事といえば仕事なのである。下手なことは答えられないので、知識の補充には余念がない。『そういう真面目な千晃ちゃんだから、頼れるのよね』とは、お姉様方の言葉だ。

 本日も、イオンモールへ出向く用事は、村のお姉様方の送迎である。お姉様方も運転はできるのだが、

『最近、反射神経の衰えがねえ。バイオハザードでもプレイして鍛えようかしら』

『集中力もちょっと。STGがいいかしら』

『みんなで乗り合わせたほうがお得よ。経営系のゲームでも言うべき?』

 とのことである。何故かゲーム縛りで。慎には、ガソリン代がかかると言われていたが、自分の車(移住時に購入した)の出番は想定していたよりずっと少ない。なお、村内のほぼ全車の保険に関しては把握済みである。

 ありがたく相談料と間接的にガソリン代をもらってのイオンモールで、千晃は特に目的もなくぷらぷらしていた。完全にのけものにされた父親である。

 と。つんつんと腕をつつかれた。

「千晃おーじさーん」

 目をやると、八屋の姪である渚がいた。

 渚はイオンモールの近くにある学校に通っており、渚に限らずその高校の学生はよく放課後に遊びにきているらしい。

 千晃が移住してから、八屋に会いに何度か遊びに来ている渚を紹介された。漫研に所属しているそうで、八屋と慎は師匠だと言い張っている。他人事なので、大変に微笑ましい話である。

「学校帰りか?」

「はい! おじさんが所在なさげにしてるってことは、紅鬼くんと第三のおばあちゃんがいるんだ」

「あってるけど、言い方」

 女子高生に怖いものはないらしい。

「第三のおばあちゃんたち、孫が増えたら喜ぶ。呼ぶか? 合流までまだ時間あるぞ」

「今日は一人できてるから、時間あります。おじさんにアイス奢ってもらってからで」

「お前なぁ……。フードコートのサーティーワンか?」

「ゴディバ県内初出店」

「はいはい、おっさんそれくらい出しますよ」

「やった!」

 女子高生は強い。思いながら、軽やかに先を行く渚についていく。

 いかにも健康そうな渚だが、つい最近まで病弱であったらしい。千晃の腰痛と同様に、身体に溜まっていた悪いものをキラに取り除いてもらい、メキメキ健康体になった。そのため、親も貴純村に住む親戚の八屋に会いに行くことを悪く思っていないらしい。千晃とちがって治療は秘密裏に進められたが、明らかに村で過ごし、村の食物を食べることで改善したために。それを聞いて親近感を持っていたのだが、なかなか気の抜けない相手でもあった。

「あっ、ちょっと寄り道します」

 渚が吸い込まれていったのはパワーストーンを扱う店だった。

 宝石というほどキラキラしていないが、色とりどりの石が並べられている。値がはるものもあるが、だいたいは数百円程度のものばかりだ。ファンシーなディスプレイを見るに、客層は若い女性が中心なのだろう。実際、他の客も渚と同年代の女の子が多かった。

「リアルガシャ、柘榴石追加!」

 ちら、と見られた。

「ガシャは自分のお金で責任と重みを感じて回しなさい」

「はーい」

 硬貨を入れて回すとカプセルが出てくるカプセルトイとかガチャガチャとか言われるものである。直接ミネロマの名前は書いていないが、入っている石はミネロマのキャラクタの名前のものばかりだ。店内の客のカバンにもミネロマの缶バッチやキーホルダーがついているものがチラホラいる。まず間違いなく狙っている。

 石の種類も加工も、出てくるまでわからない。しかし、『全部当たり、推しが出たら大当たり』らしい。何が出ても当たりならお得なのだろうが、特定のものを確実に手に入れたい場合の期待値を思うと、千晃は手を出せない。多少割高でも確実に買いたいと思うのだ。と、慎に話したことがあるのだが、『そうなんですよね、ガシャは悪い文明』と言っていた。その界隈では鉄板のビジネスモデルだが、問題も多いらしい。

「はい、おじさん」

 差し出されたものを反射的に受け取る。一センチほどの深紅のビー玉のようなものと、それを入れる小さな巾着が乗せられていた。

「なんだ?」

「二回で翡翠きたから、そっちはあげます。柘榴石」

「いや、別に……」

 おっさんにそんな物を持たせてどうするつもりだ。思ったが、柘榴石は紅鬼を連想させた。『ミネロマに関しては、パワーストーンは非公式キャラグッズ』と言っていた慎の言葉を、急に理解した。連想できるもの──今回は同じ名前の石だが、キャラクタに割り振られた色などでも、慎の言うところの“非公式グッズ”となり得るということを聞いている。今、柘榴というキャラクタが紅鬼と結びついているからだろう。その柘榴石(ガーネット)に、紅鬼との類似性を覚えてしまったのだ。

 巾着に石をしまい、ポケットに突っ込んでおいた。


 ゴディバにて、渚にアイスをおごり、千晃はホットチョコレートを飲んでいた。

「千晃ーっ!」

 連絡を入れておいた紅鬼と、二人の自称紅鬼のおばあちゃんが合流した。

「あら、渚ちゃん、久しぶり。元気にしてる?」

「はい! おばあちゃんたちが、お野菜送ってくれるの食べてますから! 元気です!」

「まあ、うれしいわ。さすが私達の孫ね」

「私達の自慢の孫よ」

 渚もすっかり村の孫になってしまっているのだ。

「紅鬼も何か食べるか?」

「サーティーワンの新フレーバー食べたい。あと、それ」

 スラリとした紅鬼の指が千晃の手元を指す。この場合、同じものと言う意味ではなく、飲みかけのそれのことである。

「はいはい。孫交代していくぞ。渚は奢った分、孫として働け」

 飲みかけのカップを紅鬼にわたす。店のイートインスペースを利用しているが、カップは使い捨てのものだ。フードコートで捨てても問題はない。

「渚ちゃん、おばあちゃんに付き合ってくれる?」

「いいですよ」

「女同士できゃっきゃしましょうね」

「パワーストーンのリアルガシャ、中身更新して柘榴石が追加されてましたよ。私は翡翠を自引きしました」

「あら、運試しと触媒用に回しに行こうかしら」

「前に買えなかった瑪瑙を買ってコンプリートしたいわ」

 ミネロマ仲間でもあるため、文字通り女三人で(かしま)しく盛り上がっていた。

 孫役はリプレイスしたので、フードコートへ向かう。紙コップからちびちびホットチョコレートを飲む紅鬼が先にエスカレーターに乗る。ちょうど紅鬼の髪が目に映った。

 赤い髪。それだけであれば、キラも同じなのだが、同じ赤でも二人の髪色は異なっていた。キラは炎を思わせるオレンジがかった赤。紅鬼は深く鮮やかな赤。ルビーやガーネットを思わせる、深紅のつややかな赤。

 赤は明るい中でしか鮮やかさを見せられない。光が陰ると、とたん闇色に身を落とす。だが、千晃は目に焼き付いて離れないでいる。明かりがあったとは言っても夜の屋外だ。そこであまりにも鮮やかに、その(あか)はあった。スポットライトでも当たっていたように、惹きつけられたあの瞬間を、今でも不思議に思う。

「アイス♪ アイス♪ フードコート♪」

 謎の音程をつけてかわいく歌っているが、紅鬼の服装はやや治安が悪い。シンプルな服でも十分に似合うのだが、シンプルさが邪魔をしないために顔面を引き立たせてしまうのだ。少しくらい治安を悪くしておいたほうがいい。

「紅鬼はフードコートとかコンビニ好きだな」

「うん。なんかごちゃごちゃしてるから、楽しい」

「あぁ、そういうことか」

 紅鬼が好むのは情報量の多さや複雑さだ。食べ物の好みと思っていたが、食べ物にかぎった話でもないらしい。

 新フレーバーを含む三つのアイスの球に紅鬼は喜々としてかじりつく。千晃はホットチョコレートが思いの外重かったので、水だけ飲んでいた。すみの方の席で隠れるようにしているが、店員の目が届きにくいところは極力作らないようになっている開けたフードコートだ。機嫌よくアイスを食べる紅鬼に目を惹きつけられる者は少なからずいた。今日は、今のところまだいないが、千晃が一緒であっても声をかけてくる者も時々いる。毎回煩わしいので、田舎に引っ込むというのはその点において正解だったと思っている。村の住人は、紅鬼を美人だとちやほやしているが、かわいがっているだけで品のない目は向けてこない。煩わしくないのだ。

 日々が“日常”に馴染んできたばかりで、まだ田舎暮らしを始めてよかったのか悪かったのか判断できるほどではない。ただ、移住の一番の理由にしてしまった紅鬼は村のお姉様方にかわいがられて楽しそうにしている。

 千晃の主観しかない自己満足は、ひとまず満たされているのだった。

「期間限定ラーメン……」

「はいはい、また今度」


******


 勉強のため、私用のため。村の外に出る理由は様々ある。千晃の外出は珍しいことではなかった。

「おかえりー」

 玄関まで迎えてくれる紅鬼は、今回は留守番だ。

「ただいま」

「お土産は?」

 冗談めかして聞いてくるが、だいたいはテイクアウトできるものを買ってくる。毎回違うものを選ぶようにしていると、期間限定スイーツとはこのためにあるのだと思える。今日のお土産は食べ物ではないのだが。

「今日の土産だ」

 文庫本数冊くらいしか入りそうにない小さな紙袋。しっかり丈夫な紙でできており、(慎がそういう点に食いつくので憶えた)箔押しでブランド名が刻まれている。中には、袋の大きさに相応の小さな箱。紅鬼に渡して、千晃は洗面台へ。人と話すことが仕事の一部であるため、衛生面には気をつけているのだ。

 うがい手洗いを済ませて居間にいくと、紅鬼は袋の中の箱を手に取り、ためつすがめつ眺めていた。

「開けていい?」

「あげたんだから、それは紅鬼のだ。好きにしろ」

 鬼のようなものだが天邪鬼ではない紅鬼は、素直に箱を開けた。

 中には箱が。マトリョーシカのように入ってるわけではない。中に入っているのはジュエリーケースといったほうが正確だろう。ジュエリーケースの中に入っているのは、金具に小さな石がついただけのシンプルなピアス。深い紅を閉じ込めた石は、ガーネット(柘榴石)

「……なんで?」

「“お前”以外の理由がいるか?」

「くひっ、その理由で十分。おいしそう」

「食うなよ!」

 紅鬼は“快”をおいしいと表現する。わかっているが、諭吉が飛んだそれに対して言われると、さすがにヒヤリとする。耳が重く見えるほどの耳のシルバーは、何故かなでただけで消えてしまった。そこにつけられる柘榴。ずいぶん治安がよくなった。

「ふひひっ」

 予想通り、抱きつかれる。いつものことである。

「、っと」

 軽く力をかけられ、ソファに座らされた。のしりと膝の上に乗られる。

 耳をなでられた。耳たぶをふにふにとつままれた。もう片手には、いつの間にか安全ピンが。

「何っ!?」

「千晃の言うオレの治安の悪い服の部品」

「出処じゃなくて何のために、って、待て待てやめろまて! そのピアスが二つなのは、右と左でつけるためで、分け合うためじゃねえよ!」

「これはもうオレのだから、オレが好きなようにするんだもん」

「俺を好きにするな! そんな根性だめしみたいな開け方やめ……いっ!!!!」



「──というわけで、雑菌入ってない? 変な汁とか出てこない? 神経が出てプチンなんていうのは都市伝説って知ってるけど、不安しかない」

「我を店頭の消毒液とでも思っておるのか、千晃は」

 言いつつも、キラは見てくれた。指先で軽くなでられただけだが、キラの特性を考えればそれで十分なのだろう。

「しばらくは問題ない。また次に会ったときに見てやろう。腰も少し溜まっておるな」

 ポンポンと軽く叩かれた。まとわりついていた重みのようなものが消えた。

「ありがとうございます、キラ様様です」

「それを餌に釣ったところもあるからな。果たしたまで。そちらも仲がいいようで何よりだ」

 腰の不調が昨夜の行為によるものだとバレた気がした。

「プリントアウトできたよ。これで大丈夫?」

「おう、ありがとな」

「うちには箱であるから、コピー用紙ひと束つけておくね」

「助かる」

「どういたしまして」

 千晃は慎の家に来ていた。遊びに来ていたわけではない。仕事である。コピー用紙を切らしてしまい、訪問ついでに必要資料の印刷を頼んだのだ。あくまで資料の印刷で、よその財政事情は出していない。タブレットPCで表示して見せることも可能だが、書き込みのしやすさは紙が手軽でいい。拡大できるのでタブレットPCも併用するが。

「なかなか壮絶なピアスになったねー」

「若気の至りみたいな開け方されるとは思わなかった。日和らないで、ペアリングまで踏み込んでおくべきだったか……」

「僕たちに言わないで、紅鬼くんに言ってあげてよ。言って、指輪買って。まだピアスホールできたてだから、外しておけば塞がるでしょ」

「いや、これはもうこれでいい」

「…………へぇ」

「…………ふっ」

 鼻で笑われた。

「…………うっせえ自覚はある! おっさん素直になれないの!」

「それは千晃さん個人の資質ですー、僕もおっさんだけど巻き込まないでくださいー。言葉にするか、そうでないなら態度・行動に出すしかないでしょ。言うのが一番コストがかからない。誤解のないように、あまり飾り立てずにできるだけシンプルな言葉で。よりコストがかからないね。村のお金の相談窓口の千晃さんなら、コストの比較くらい朝飯前だよねー」

「コストって、そういう問題か?」

「そういう問題だよ」

「日々確認しておかねば、次こそは首を掻き切りかねんからな」

 慎とキラは笑っているが、笑いを添えるにはあまりにも物騒な言葉が混ざっていた。慎とキラの間にもすったもんだはあったらしい。自分たちはそれほどではない。あるいは、まだ過程なのだろうか。

「俺は、たいして能動的に動いてこなかったから、行動に移すにもまず腰が重いんだよ」

「能動的でない人が、人生の舵を切って田舎暮らし始めたりしない」

「腰なら軽くなっておるだろう。我が見ておるのだから」

「ボケにツッコんでやる優しさはないからな。──もしかして、そんなにあからさまだったか?」

「何が? 千晃さんが紅鬼くんのこと溺愛してること?」

 穴という穴から色々噴き出しそうになった。


「溺愛ってなんだよ、溺愛って」

 いったんそのことは追いやって、本日分の訪問・相談・請負雑用手伝い等、つまり仕事をこなした。そして、自宅に戻ってからも数字の整理をするので、まだ仕事は終わっていないが、帰宅中である。脳に余裕が出たため、追いやっておいたものが戻ってきた。

 気持ちとしては、“しかたなく”ばかりだ。紅鬼は自称専業主夫の働きをこなしている。代償に、というほどではないが、甲斐性として多少のわがままや欲求は受け入れている。それくらいだ。突っぱねるべきものは突っぱね──突っぱねきれなかった憶えしかなかった。(直近の例:力技ピアスホール貫通)

 いや、しかし。千晃は思う。わがままを聞くばかりが溺愛でもないだろう。千晃から能動的に動くことはほとんどなく、いつも押し通されるばかりだ。思わず手元のスマートフォンで溺愛の意味を調べる。

 ──自ら積極的に行動に移すかは、明記されておらず、わがままをすべて受け入れることでも溺愛と言えなくもない。

「……ただいま」

 己の認識よりずっと紅鬼を甘やかしているのかもしれない。そんな気付きに愕然としながら自宅にたどり着いた。

「おかえりー。おやつ食べる?」

「何か作ったのか?」

「芳恵と小豆煮てきた。団子作って、アイスもらって、クリーム白玉ぜんざいが作れる」

 言うまでもなく、芳恵も村に何人もいる自称紅鬼のおばあちゃんの一人である。

「なかなかご家庭で気軽に楽しめるものじゃねえもん作ってきたな。昼メシ多めに食わされてきたから、ミニサイズでくれ」

「ご注文うけたまわり!」

 ドライバー役を引き受けるとガソリン代が浮くように、訪問先で昼食時間がかぶると『ついでに食べていって』と昼食代が浮く。ただ、村のお姉様方は(村内で相対的に)若い者にあれこれ食わせたいらしく、気を抜けばわんこそば状態になりかねないのがネックだ。小回りの利く原付きで村内をまわっていたが、その昼食のおかげで、最近は天気が悪くないかぎり自転車を使っている。スキあらば前かごに野菜が積まれるのは余談である。

「お待たせしました。クリーム白玉ぜんざいミニサイズ!」

 コメダ珈琲形式のミニサイズではなく、真っ当にミニサイズである。

「サンキュ。あんこがあるなら、明日の朝は小倉トーストにするか」

「名古屋のモーニングだ! ゆで卵作っておこう」


 買い取った家は、最大四人で住んでいたため、二人でも十分な広さと部屋数があった。一つを仕事用の部屋としても余裕がある。しばらくこもって持ち帰った数字の整理や資料の調査・まとめをしているうちにいい時間になったので切り上げることにした。就業時間が決められていないというのも案外厄介なものだ。ギチギチの規則正しい生活は息が詰まるが、自由すぎても拠り所がなくて困る。

「お仕事お疲れ様。あと、炒めちゃうから、ちょっと待ってて」

 ピピっと鳴る電子音はIHクッキングヒーターのものだ。以前に住んでいた夫婦が、火を忘れそうになることが増えてきたからと買い替えたと言っていた。ありがたくそのまま使わせてもらっている。

 この村の住人は、ど田舎のご老人にもかかわらず、電子機器に強い。妙にインターネットにこなれており、こちらとしてもやりやすいくはある。なんでも、慎の仕事の成果を見るならばネットから情報を得るのが早く、SNSによる日々の活動も把握しやすいからと、それらの環境が整ったらしい。つまり、村一丸となって慎を応援しているのである。その枠に八屋も入りつつあるらしい。微笑ましい話だ。文字の大きさだけがネックだが、画面の大きさでカバーしていた。デバイスが大きさに見合った重さになるが、農業に関わる村の人々は、千晃の想像するよりずっと体力も筋力もあるのだ。

「できたよー」

「あぁ。ありがとな」

「にひひっ。めしあがれ」

 本日の食卓は玉ねぎにまみれていた。昨日に、自転車の前かごに詰められていたものである。玉ねぎは比較的日持ちしやすい野菜だが、次々くるため、もらったものはどんどん食べていかなければならないのだ。玉ねぎの割合が多い豚の生姜焼きも、白い山がこんもりしているオニオンスライス主体のサラダも、玉ねぎだらけだと言って文句はない。なんせ、この村の野菜はどうやってもおいしいのだから。

「俺の作ったメシなら何でもおいしいって言ってたのに、せっせとメシ作ってくれるんだな」

「おばあちゃんたち、いろいろ教えてくれるから楽しいよ。千晃、お弁当作らなくなったのに、朝ごはん作ってくれる。アーリーモーニングティーみたいだ」

「なんだって?」

 耳慣れない言葉を聞き返したが、紅鬼は笑うばかりだった。


 食後、紅鬼の言っていたことが何なのか調べた。アーリーモーニングティーは、寝起きの妻のために夫が紅茶を淹れるという習慣のことだ。

 “溺愛”の言葉が目の前にちらつく。

 そんなつもりはない。朝食を作らなければならないという義務感をわざと作り出し、朝から動く理由を作っているだけだ。千晃の寝起きは、よくも悪くもない。ただ、朝起きて活動を始めるまでは普通に億劫だ。だから、義務感によって身体を動かす。アーリーモーニングティーのような意図はない。千晃が朝食を作る習慣をどう受けとろうと、紅鬼の勝手ではあるのだけど。

 と、そこまで考えて、それがただの言いわけだと気づく。

 食事が必須ではない紅鬼(オカルト)とわざわざ朝食をとる理由は、ほだされ、情がわき、愛着を持ってしまったからだ。

 何を見るでもなくつけたままのテレビがニュースを流し始める。ソファに沈み込み、雨の影響で不作となっている野菜の値段の問題を聞いていた。この村の作物の不作・豊作はキラサマにより、良い・すごく良いしかないのだそうだ。その場合、“良い”が標準になりそうなものだが、基準値があるのか、あくまで“良い”とのこと。嫁と仲睦まじく過ごしているため、ここ数年ずっと“すごく良い”らしい。

 キラサマにそれだけの影響力があるならば、紅鬼にも何か生活に大きく影響を及ぼす力がありそうなものだが、発揮していないのだろうか。それとも、千晃が独占してしまっているのだろうか。神がかりレベルの能力を発揮している憶えはないが、日々の快適さは紅鬼に由来するところは少なからずある。そんな紅鬼に、千晃は何をできているのだろうか?

「なあ、紅鬼」

「なに?」

「……抱きしめてもいいか?」

「いいよ、いくらでも」

 紅鬼は躊躇なく千晃の膝に乗った。千晃は逡巡しつつも、紅鬼の腰に腕を回した。キラはよく慎をそうして引き寄せているが、あれは才能か訓練の賜物にちがいないと思う。己の挙動は、あまりにもぎこちない。

 紅鬼は、一枚剥げば人智の及ばない得体のしれないものが詰まっている。一枚“ガワ”をまとっているから、こうして触れて、まるで人間のような身体を感じることができる。心音もない。血流もない。人間のマネでしかないその身体は、オカルトだ。情というものは、冷静さを溶かしてしまう。危険だとわかっているのに、それを愛しいと思ってしまう。

「……俺は愛情表現に疎い。どうしていいのか全然わかんねえ」

 行動に、態度には出せない。言葉にするしかない。

 自分は愛されなかったから、などというつもりはない。情緒が育まれるには十分に愛されていただろう。深い仲に至った者もいた。しかし、踏み込みきれなかったのだ。

「わからないなら、そのままでいいよ。オレに触って。わかるから。千晃は、気持ちよくておいしい。それが、ずっと強くなってる。ずっと、右肩上がり」

「黙秘したはずなんだが」

「わかっちゃうんだもん。感じるんだもん」

 黙秘はしたが、行動はあからさまだったと言わざるを得なかった。それを感じられる紅鬼だ。しかたのないことなのかもしれない。

「オレにしかわからないよ。それは、オレのものなんだから、いいだろ?」

 千晃は答えず、腕に力を込める。紅鬼に強く触れるために。

「もっとオレじゃなきゃダメになって。オレのために、おいしく気持ちよくなって。それを、オレが千晃の“愛”だって解釈するから。ちがってもいいよ。オレの勝手な解釈だから。ずっと、オレにそう思わせて」

「コントロールできねえよ。勝手に漏れてるようなもんだろ」

 少し力を緩め、顔をあげる。耳まで熱くなってきた。

 手を伸ばして触れる。何度見ても飽きない、すべてを許してしまう顔に。

 指先を滑らせ、唇に触れる。

「もっと触って。中まで、深くまで」

 囁きが間近まで下りてきた。


******


 スイーツビュッフェは大変甘やかな香りにあふれていた。テーブルに並ぶスイーツと若い女性という客層のために。

 千晃は甘いものが嫌いなわけではないが、場の空気とたっぷりのクリームに早いうちから諦め、フルーツを突きつつ茶を飲むくらいになっていた。女子高生と人間のマネをしている者は飽かず使用済みの皿をつんでいく。言うまでもなく、イオンモールで遭遇して、たかられたのである。

「あっ、二人で思い出した。学校で聞いた話で、正体に気づいた噂話があって」

「枯れ尾花だったのか?」

「いえ、キラさんと紅鬼くんです」

「なんでそこで二人の名前が出てくるんだよ」

 正体を知らずとも、噂になりそうな見た目はしているが。

「一つが、時々このイオンでミネロマのガシャを回すと、めちゃくちゃ雲英が出やすいことがあって、その時にリアルに雲英を見たっていう話もあるんですよ」

「あぁ、それは確かにキラだな」

「でしょ? ガシャの排出率は、この前聞いてこれだって思ったんです。確証バイアス!」

 確証バイアスとは、結果ありきの思い込みのために、思い込みから外れた事象は軽んじ、無視してしまうことだ。例えば、雨男を自称する人物が、雨が降ったときに強く主張して、雨がふらなかった場合に何も言わなかった場合、雨と雨男が結びつきやすく、正しく頻度の認識ができないようなものだ。『龍神とリンクしてる人がいるから、たまーに本物の雨男雨女はいるけど』らしいが。……たとえが悪かった。

 渚はガシャの排出率は確証バイアスだと思っているようだが、本当に影響しているらしい。キラが画面をタップすると、ほぼ確定状態になるそうだ。タップせずとも、近くにいれば排出率はバグるだろう。さすがオカルト的存在は思わぬところにも働きかける。渚はキラの正体を知らない。確証バイアスということにしておこう。

「一つが、ってことは、まだあるのか?」

 キラのことが語られたのであれば、次は紅鬼のことだろう。

「もう一つは、治安の悪い美少年とイケオジがセットで出没することがあって、どこかの組の御曹司とおつきの人じゃないかっていう噂です」

「……ヤが付く感じの組?」

「ヤが付く感じですね」

「“イケ”かどうかは審議だけど、おっさん俺か?」

「どう考えても千晃おじさんと紅鬼くんでしょ」

 シルバーで重そうだった耳はスッキリしたものの、紅鬼は今日も今日とて治安の悪い服を着ている。ガラの悪さがヤクザの御曹司に結び付けられたのだろう。

「正体知ってるから、もうすごい笑いそうになっちゃって。キラさんは明らかに雲英で、あんまりバラさない方がいいだろうし、組長の息子はおもしろそうなのでそのままにしておきました」

「タネ明かしをしたとして、何があるわけでもねえんだろうけど」

「あと、千晃おじさんは背が高くてかっこいいイケオジですよ」

「それはどうでもいい」

「えー? 大事なことですよ、イケオジ」

「そうだそうだー、オレの自慢の旦那なんだから、イケてるにきまってるだろー」

 『ねー』とうなずきあい、渚はケーキにもどり、ふと手を止めた。

「え?」

 紅鬼と千晃を交互に見る。

 紅鬼はすっと左手をかかげた。薬指には治安に悪さに反した細身のプラチナのリングが柔らかくきらめいていた。なお、教えてもらったが、新宿の伊勢丹には行っていない。

「渚は慎くんとキラの関係を知ってるんだよな?」

「あぁ、はい。あー、はいはい。あっ、ピアスもおそろいだ」

 前例は説明を省かせてくれた。

「いろいろ面倒だから、他言無用だ」

「あっはい、わかりました。え、けっこう年の差ないですか?」

「紅鬼は年を取らない妖怪みたいなもんだ」

 嘘は言っていない。

「えっ、私、紅鬼くんなんて呼んじゃってるんですけど。せいぜい五~六歳くらい上かなって」

「別にいいよー。村のみんなもわかってオレのこと孫扱いするし。最近は嫁扱いもあるかも。料理教えてもらったりするから」

「そうなると俺が息子ってことになるからやめろ。紅鬼の年は、どっちかというとキラに近いな。あっちとこっちの年の差は、そんなに変わらん」

 嘘は言っていない。桁を思えば、数年の差など誤差だ。

「へぇ~~~~。紅鬼くん、千晃おじさんのどこが好き?」

「おい」

「千晃はね、小さい頃からかわいい。今もかわいい」

「かわ……? 小さい頃? 紅鬼くん、マジで何歳なの?」

「秘密」

「千晃おじさんは何歳?」

「おっさんは厄年」

 女子高生に厄年はピンとこないのか、一瞬スマートフォンで調べていた。

「それより、上?」

「秘密ー」

「言っただろ、だいたい妖怪みたいなもんだって」

 “妖怪”をなにかの比喩と思っているだろうが、そもそも間違ってもいない。慎いわく、妖怪は(一見不可解な)現象に名前がついたものなのだそうだ。千晃はキラや紅鬼が何であるかを正確に理解しているとは思っていない。わからないこともあるなりに、人智を超えた現象、あるいは、この世界のシステムの一片ということはわかっている。慎の言う妖怪と、当たらずとも遠からずだろう。

「千晃おじさんは紅鬼くんのどこが好きなんですか?」

「顔」

 めんどうなのでそういうことにしている。

「……最低」

 まだすれていない女子高生として真っ当な反応である。

「あんなこと言ってるよ?」

「千晃はツンデレだから」

「それにしたって、もっとあると思うんだけどな。そもそもツンデレって、ツンでデレを覆い隠してしまうことじゃなくて、外ではツンツン二人きりだとデレデレっていうことなんだけど(※諸説あり)」

 何やら細かいこだわりがあるらしい。

「合ってる。ツンデレ」

「……へぇ、そうなんだ。ごめんなさい、私が口を挟むことじゃなかったです」

 口先は殊勝に、だが口元はニヤつかせていた。

「ごちそうさまです」

 言いながら、しばらく手が止まっていた皿をむしゃむしゃ片付けにかかった。食べているものに対するごちそうさまではないのである。

「おっさん恥ずかしいの。やめて。紅鬼、やめろ」

 からかっているつもりなら簡単にやめてくれそうにないが。

「恥ずかしいから、うちでしかデレデレしない感じ?」

「たぶんそう」

「キラさんとシン先生、人前でデレデレなのにね」

「ねー」

「おいこら、聞こえてるぞ」

 口元を隠すようにして、ないしょばなしのていを取っているが、目の前でやられてしまえばないしょも何もない。

「じゃあ、リセットにしょっぱいもの取ってこよっかな」

「オレも行ってくる」

「まだ食うのかよ」

「そこにスイーツがあるんだから、しかたないんです」

「登山家みたいに言うな。はいはい、いってこい。ついでに俺に冷たいもの取ってきてくれ」

「はーい」

「さっき新しく出てた明太マヨチーズピザおいしかった」

「背徳の塊じゃん! 最高!」

 ぬるくなった茶をすすり、見送る。

 健やかであってほしいと思うものが、己の願うように健やかであれば幸せだ。キラの愛はそういうものらしい。楽しそうにあれこれ選んでいる紅鬼を見ていると、キラの言葉がじんわりと染みてくる。

 キラは上から目線と言っていたが、一方的だとか独りよがりという方が正確だと思う。紅鬼は人のマネをしているため、感覚も人に寄っていると言っているが、どうあがいても人ではない。一枚剥げば、そこにあるのは未知なるもの(オカルト)だ。楽しそうに見えるのは、あくまで千晃の主観であって、紅鬼がどう感じているのかは紅鬼にしかわからない。

 そんな勝手でいいのであれば、ずっと信じさせてほしい。千晃が健やかであってほしいと願うのは、紅鬼だ。千晃がいるから、健やかでいられるのだと、そう思えるままでいさせてほしい。そのためならば、せめて“おいしい”を維持できるくらいは努めるから。

 そもそも気まぐれというものがあるのかすらわからないオカルト的な存在の気まぐれが、千晃の命が尽きるまで継続するように、千晃は願うのだった。

「はい、冷たいやつ、かき氷」

「かき氷なんて、ほとんど水でしょ。ゼロカロリー」

「デコデコ盛り盛りじゃなかったらな!」

(やっぱりこいつ、楽しんでるっぽいとかじゃなく、現世を謳歌してやがるな)




「ソフトクリーム盛りすぎだろ。作った責任もって食え」

「あー」

 千晃の手から紅鬼の口にソフトクリームが詰め込まれていく。

 渚は紅鬼と連絡先を交換してから、半ば仕組んで千晃にたかっているため、二人と何かを食べる機会は案外多い。そういう時、とても自然に千晃は食物を紅鬼の口元に運んでやるのだ。今のところ指摘してはいないが、渚の目には千晃はほとんど無意識にそれをしているように見えた。今もまた。恥ずかしいと言いながら、デレが隠しきれていない。

 『仲良しだなあ』と、ソフトクリームを盛った元凶である渚は思うのだった。


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