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鬼婿さんの話Ⅱ

 田舎に引っ込んでいる慎だが、たまには都市部へ赴かねばならぬこともある。田舎から出るには一日がかりだ。前日からホテルまで取っている。

「じゃあ、行ってきます。留守番よろしく」

「うむ。気をつけて行ってこい」

 むぎゅうと身体が浮きそうなほど抱きしめられた。ほんの数日だというのに、大げさだ。──と、今は思っていない。鬼羅のそばにいることが嫁の一番大事な役目なのだ。こうやって十分に摂取しておく必要がある。慎も鬼羅を摂取しておく。

「できるだけ早く帰ってくるよ。それでも、お土産を買う余裕くらいは見逃して」


 都会に出たので、少しは特別なこともする。大型書店で資料になりそうなものを買い漁ったり、デジタルデバイスの新商品を店頭で触ってみたり、アニメグッズを扱う店で関わった仕事の成果を見たり、同業の友人と食事をしたり。

 久しぶりにあった友人は、八屋湊(はちや みなと)という。それを親しさの基準にしていいのかはわからないが、ペンネームだけでなく本名も知っている。めったに出てこないので会おうと思うくらいには親しい。

「あれ? お前、そんなに飲まないやつだっけ?」

 最初にビールは干したものの、以降はウーロン茶を飲んでいた。飲めないわけではない。むしろアルコール耐性は強いほうだ。

「うちの田舎のお酒がおいしすぎて、肝臓働かせるならそっちで働かせたい」

 食事は急に決まったため店を探すこともできず、適当なチェーンの居酒屋である。おいしいにこしたことはないが、及第点を超えていれば十分なのだ。平日週の真ん中の居酒屋は少し賑やかさにかけていたが、二人でも掘りごたつ席に案内されたので、その点はありがたかった。

「なんだそれ、うらやましい。お酒、何ってやつ? 飲んでみたい」

「やめておいた方がいい。他飲めなくなるから」

 脅しつつも、一応教えておいた。入手困難な酒だ。慎宅には供物として届けられるが。

 酒の名前は村の名前をそのまま使っている。八屋はスマートフォンにメモを取り、テーブルに置いて、ふと慎の手のなにかに気づいた。

「お前、指のそれなんだ?」

「指?」

 指摘された左手を広げて見る。薬指に歯型のアザができていた。

「あいつ……っ!」

 そういえば昨夜は妙に噛まれた。噛まれたというより、やたらと舐められた。しばし離れるならば、存分に(文字通り)味わっておきたいなどとのたまって。舌を這わされ、時々弱く、強く噛まれた。それはもうすみずみまで。見えている部分は手くらいのものだが、別のところにも噛み跡が残っている可能性が高い。

「……ワァ……」

「どうした、ちいかわ」

「小さくもかわいくもないよ。ただの思い出し羞恥」

 引きこもり癖のために年相応かと言われると胸を張って肯定しきれないが、それでも年の功は重ねてきたつもりだ。まだ自分の中に“うぶ”なところがあるらしい。あの手この手を出してくる鬼羅の所為でもあるのだが。

「左手の薬指って、そういうこと? あとをつけるとか、病んでない? 大丈夫?」

「それは大丈夫。……田舎に帰った理由はそれなんだ」

「はあ!? えっ、えっ?」

 八屋はしばらくかたまっていた。思考が追いついてこなかったようだ。

「何、結婚した!?」

「うん、そういうこと」

「言えよ! 式はしたのか?」

「してない」

「まずはおめでとうだな。おめでとう!」

 一人だけの拍手が響く。

「でも、お前のところに安元洋貴ボイスの居候がいるんじゃなかったのか?」

「げ、なんで知ってるんだよ」

「この前ミネロマプロジェクトのスタッフと話すことあって、シン先生の話をしたんだ」

 ミネロマプロジェクトの中では、慎の家にcv.安元洋貴の居候がいることが広まっていると以前に聞いたことがある。

「……この話はここまでにしておいてくれよ」

 少し声をひそめる。

 言い訳はいくらでもできた。結婚相手の兄弟だとか。ただ、言わないのはいいが、八屋に嘘はつきたくなかった。

「僕が嫁なんだ。その安元洋貴ボイスが旦那さん」

 八屋がまたフリーズした。

「もうアラフォーのおっさんの話はここまでにしておいてくれ。大丈夫だ、問題ない」

「それ問題あるやつの台詞。えっ、碓井の田舎って因習村だっけ?」

「お前も数え歌に数えるぞ。やんわり爽やか因習村なのは否定しないけど」

「否定しとけよ。田舎のほうがうるさそうなのに、そういうの」

「そろそろバ美肉したいからママにならないかって、実母に言われた話する?」

「あっ、把握」

 現代のちょっと俗っぽいコンピューターおばあちゃんが伝わったようでなによりだ。

「はい、この話はここで終わり。村の外ではこのことマジで誰にも話してないから、漏れたらお前のせいにしてお前を供物にするぞ。それに関して、おもしろい話はもうないよ」

「そっかそっか。うん、おめでとう。今度挨拶させてくれよ、その旦那さんに」

「やだ」

 即答する。

「……」

「……」

 枝豆をぷちぷちつまむ。

「俺も野生の安元洋貴をみーたーいー! 俺たち親友だろ!?」

「ちーがーいーまーすー! ただの同業者ですー!」

 案の定、興味が強かったようだ。

「声だけでも!」

「その辺のアニメイトでCD買え! ここなら! ホントにその辺にアニメイトあるだろ!」

 自宅から最寄りのアニメイトまで何時間だろう。慎は思ったのだった。


******


 数日の短期出張はあっという間だった。駅までは母の加代が迎えに来てくれた。

「買い物していく?」

「キラサマがお待ちだから、寄り道はできないわ」

 安全運転で碓井家まで。車を止めたとたん、玄関が開いた。さすがに飛び出してはこなかったが、車を降りたとたん、待ち構えていた鬼羅に抱きしめられた。

「無事に帰って何よりだ」

「はいはい、ただいま」

「おかえり」

 そのぬくもりに、帰ってきたのだとホッとする。なお、鬼羅のスキンシップ癖は村内で知れ渡っており、もう誰も気にしなくなった(慎含む)。慣らされたという自覚はあるものの、慎も嫌いではないのだ。

「世話になったな、加代」

「姑ですから、息子の旦那さんの世話くらいしますよ」

「それもあるが、我が嫁を迎えに行ってくれただろう」

「ふふっ、たまにはあたしも運転しておかないと忘れちゃいますからね。いつでも言ってください。キラサマは免許の取得難しそうですもんね。……婿入りしたら、籍ごまかせないかしら」

「やめて」

 田舎のジジババと侮ることなかれ。母を含め、この村の住人はなかなかどうして愉快なのであった。


 実家に上がることなく、そのまま帰路につく。鬼羅の手は、荷物と慎の手で埋まっている。

「僕がいない間、なにか面白いことはあった?」

「いつもと変わらぬ良き日々だ。慎がおらぬのが難点だが。あぁ、二つ、報告がある。腰を落ち着けてからのほうがいい。帰ってから聞いてほしい」

「うん、わかった」

「慎は何かあったか?」

「仕事のためだからね。予定通りで、たいしたことはなかったよ。あぁ、久しぶりに会った友達とご飯食べてね。嫁いだって、初めて言ったんだ。嬉しいものだね、自慢したかったみたい。あっ! 変なところに歯型つけてただろ!」

「マーキングというのだろう?」

「言いたいことはわかるけど……」

 ちょうどキラの右手は慎の左手を握っていた。すり、と薬指をなでられた。

「その友達、会いたがっていたよ」

「嫁の友人ならば、挨拶の一つでもしておかんと」

「ダメだよ、この村以外では。その友達が村の住人になるなら別だけど」

「……慎」

「ん?」

「フラグが立つぞ」

「うわあ、ホントだ」

 クスクス笑っているうちに、慎宅へとたどり着いた。

「ただいま」

 細かい片付けはあるものの、洗濯物を洗濯機に放り込み、仕事道具と買い込んだ資料を仕事部屋に積んだ。お土産を鬼羅に渡して、荷物を開いたことにしておいた。

「それで、報告二つあるんだっけ」

 お土産は早速開けられた。クリームの挟まったクッキーを、慎もサクサク食べる。

「うむ。左手を出せ」

「うん」

 手のひらを上に向けて“ちょうだい”の手を差し出すと、ひっくり返された。

 するりと、薬指に指輪がつけられた。

「…………え!?」

「加代から譲り受けた」

「……えっ!?」

 一瞬、脳が処理落ちした。

「結婚指輪だよな? って、娘息子に引き継ぐもの?」

「浄化のために奉納されたものだ」

「おそなえ物じゃん!」

「我の酒を飲んでおるだろう。それと変わらん」

「字面は同じかもしれないけど、やっぱりちがわない!? あー、うーん、母さんの意思なんだね?」

 おそらくきっかけは弔い上げだ。三十三回忌で、母はしっかり夫についてのろけていた。一緒にいない期間のほうがずいぶん長くなってしまったと当人が言っていたにも関わらず、夫婦愛は健在だった。弔い上げを執り行ったとして、以降も大事に持っていても誰も文句は言わないだろう。譲るという意思がなければ、奉納などする必要はない。

「あぁ。我は人ではないから、人の法は適用できん。慎は我の嫁とはいっても、届けを出すでもなく、ただ宣言して一緒に暮らしておるだけだ。何か形のあるものがあったほうがいいと、加代は思ったそうだ。姑の言うことにはあまり逆らわんほうがいい。──結婚指輪は対のものだろう。もう一つは我のサイズにしておる」

 絵に描いたようなリングケースが慎の前に置かれた。横長のリングケース。開けると、もう一つのリングが中央からズレてささっている。二つのリングを収めるためのペアリング用ケースらしい。

「僕も知らないのに、指輪のサイズなんていつの間に測ったんだ」

 リングケースからリングを抜き出し、鬼羅の手を要求する。

「測る機会などいくらでもあろう」

 薬指にするりと銀色が収まった。

「もう、びっくりしたなあ」

「サプライズは嫌いか?」

「あんまり好きじゃないかな。でも、今は、なんだろうこれ。うれしい、気がする」

 手を広げて薬指に収まった指を眺める。模様が彫り込まれているが、それだけのシンプルなものだ。

「まだまだ素面でいられないことが多すぎる」

「毎日慎への愛しさを更新しておるからな」

「僕蕩しめ」

「たかが死が二人を分かつまでだ。いくらでもたぶらかす。その点、加代は()()()でも見つけられるか心配しておったくらいだ。我は、そこへは行けんからな」

 鬼羅は、キラサマは、ずっとここ(この村)に“ある”。向こう側でこちらをのぞいていることもあるが、ずっと“あり続ける”。物質でないのだ、朽ちることはない。

「期限切ってくれた方がいいよ。僕の死で二人が分かつまで、よろしくね」

「あぁ」

 鬼羅の指輪をなでる。長身に見合った大きな手は、中肉中背であった父よりずっと大きいはずだが、父の手のようだと思った。

「そういえば、もう一つ報告があるんだっけ?」

「うむ。今年のミネロマのエイプリルフールで八犬伝をしたであろう?」

「そうだけど、それがどうしたって?」


「えー、打ち合わせ前に、大変に私事ですが……」

『犬ですか』

『犬ですね』

『ワンチャン……』

 慎の膝の上には赤茶の体毛の犬が乗っていた。鋭い金の目を持ち、前回の自称白狼よりも凛々しい顔をしている。鬼羅である。毎年恒例のエイプリルフールにて、ミネロマは今年、主要キャラ八人を擬犬化したイベントを行った。例によってゲーム内キャラの雲英と同一視されている鬼羅にも、犬の姿が付加されたのだ。

 『これならば我を膝において仕事ができるであろう』ということで、今は慎の膝に前足を置いてカメラに一緒に映っているところだ。

「僕にべったりなので、すみません。大人しくさせてますけど、カメラに映ったり鳴いたりすることもあると思うので、先に言っておこうかと。見るのも嫌なほど犬がダメな人はいませんか?」

『猫派ですけど、大丈夫です』

『犬派なので大歓迎です』

『きのこ派です』

『タケノコ派です』

『よし、表に出ろ。君が泣くまで殴るのをやめない』

「勝手に戦争始めないでください」

 何故、人は争うのか。もとい、茶番を止める。

『ワンチャンのお名前は何ですか?』

「えっと、雲母(きらら)です」

 今決めた。わふ、と鬼羅(犬)は控えめに鳴いた。自称白狼実質柴犬(白)を経験しただけあって、犬の姿もお手の物だ。

『なんだか犬なのに、声に安元洋貴さんを感じません?』

『わかる。シンさんのおうち、野生の安元さんが集まるようになってるんですか?』

「本物の安元さんに失礼なのでやめてください、本人の預かり知らぬところで……。ともかく、僕の家族です。よろしくお願いします」

 言われてみれば、犬の鳴き声にも鬼羅がいる気がする。

『あれ? シンさん、指輪……あっ、家族ってそういう。いきなり成犬は増えませんよね』

 目ざとく薬指の指輪の存在に気づかれた。相手が連れてきた犬だろうと思われたようだ。

「実は僕、既婚者なんです。はい、私事は以上です。ここからはお仕事の時間です!」

 ふわっとそのままにしておいた。


******


『なあ、碓井。俺、そっち行っていい?』

「は?」

『うっ、もっと優しく反応して……』

 八屋からの電話に出ると、挨拶もそこそこにそう切り出された。

「ちょっと遊びにくるくらいならいいけど、そういう話ではなさそうだな、その雰囲気」

『あぁ、それがな……』

 向こうから盛大なため息が聞こえた。

 と。鬼羅(犬)が膝をツンツンしてきた。“かまえ”の催促である。

「ごめんの、ちょっと手を空けたいからスピーカーにする」

 スマートフォンをスタンドに置いて、スピーカーモードに切り替える。空いた手で鬼羅(犬)を撫でまわす。

『碓井が結婚したって聞いたから、俺も!って思ってプロポーズしたんだ』

 はあ、とまたため息。幸せが逃げまくっている。

『フラれた』

「そう。残念だったね」

 どう反応していいものか、非常に困る。

「それがどうしてこっちにくる話になるんだ?」

『いやー、それなりにショックでさ。でも、締切は迫ってくるし、一人だと手は動かないし、ちょっと無理やりにでも作業の環境作りたくて、原稿合宿させてくれ。碓井の旦那さんとやらにも会ってみたい』

「最後のやつ比重大きくないか? 僕が協力してやりたいのはやまやまだけど」

 チラリ目を落とす。問題は鬼羅である。

「我はかまわぬぞ」

「うわっ、急にしゃべるなよ」

 犬の口からいい声である。

『えっ、今のが旦那さん? 本当に安元洋貴が服着たような声してる!』

「本物が服着てないみたいに言うな謝れ安元さんに。うーん、わかった。会わせるかはともかくとして、手伝いくらいならデジアシできる。不便な場所でよければカンヅメにきていいよ。移動で一日かかるけど」

『助かる! ありがとう!! 明日動くから、ルートとか送って。あっ、ご挨拶遅れてすみません。碓井から聞いてます、旦那さん。早ければ明日にでもうかがいますので、そのときにちゃんと挨拶させてください。お世話になります』

「こちらこそ、我が嫁が世話になっておる」

「ちょっと! 黙ってて。生活に必要なものは揃えられるけど、仕事に必要なものは、ちょっと買いに行くってできないから、それだけは気をつけて忘れ物の無いように持ってきて。ネット回線は強めだから、よっぽどでなければ大丈夫。住所とルートはすぐに送るよ」

『マジ助かる!』

「駅には迎えに行くから」

『おっけ! 早速準備する! じゃ!』

 緊張感のある通話だった。

「まったく、もー」

 鬼羅(犬)の顔をわしゃわしゃする。

「慎」

「ん?」

「フラグが回収されたな」

 めちゃくちゃわしゃわしゃした。

「まあ、会わせるけど。村民じゃないから、ツノ隠してカラコンだからな!」


「直接会うのは初めてだな。電話の邪魔をして悪かった。我が嫁が世話になっておる」

「アッハイ、八屋湊と申します、お邪魔します」

 翌日、八屋は本当にやってきた。最寄りの駅(遠い)まで送迎した慎とともに、八屋を迎え入れたのは、カラーコンタクトを入れて目の色を誤魔化し、ヘアバンドでツノを隠した鬼羅である。

「野生のcv.安元洋貴じゃなく、野生の雲英様じゃん!」

 見た目は、雲英と目の色が違う程度にしか見えないだろう。

「そうだよー、キラサマだよー。案の一つとして出したら通っちゃったんだよ。決定のタイミングでちょうど引っ越し忙しくて、いつの間にか決まってたんだよー」

 嘘は言っていない。

「玄関で立ち話も何だ。上がれ。加代たちも待っておるぞ」

「おやつの時間終わってない? 言い忘れてたけど、三食とおやつがあるよ。おやつは村のお姉様集会だけど」

「村のお姉様の集会!?」

 八屋は期待に目を輝かせているが、一瞬でその光は消えた。

「あら、いらっしゃい。息子がお世話になってます。慎の母です」

「加代さんだよー」

 八屋は後に『年齢が思ってた倍くらい違った』と言ったとか。

「慎くんも、お客さんも、おやつ食べていきなさいね。あったかいお茶でいいかしら?」

「若いんだから、いっぱい食べなさいな」

 おばさま方は世話を焼きたがるものなのである。なお、八屋は慎より年下だが、それほど年は離れていない。村内では若者になるが、そこまで若者でもなかった。

「伝えておいたよね。僕の友達の八屋。しばらくうちにいるから」

「聞いてるわよ~。おかず多めに入れておいたからね」

「うちの煮物、おいしいわよ」

「若い子だから、奮発していい牛肉使ったわ」

「ちょっと! 最近またおかず増えてきたけど、僕そんなに食べられないから! 減らして!」

 なんだかんだで、八屋はおばさま方の接待にまんざらでもなかったのだった。


「えっ、マジなにこれうますぎる」

 ご飯を一口、八屋は目を輝かせ、箸をせっせと動かした。一通り出したおかず(おばさま方の自信作)を味わい、しみじみと目を細める。

「俺、ここの子になる」

「ここは我と慎の愛の巣ぞ! 貴様の入る隙はない!」

「鬼羅、言い方」

「間違ってはおらんだろう」

「そうだけど」

「野生の雲英様どころか、原型だったんだな」

「あそこまでそのまま通ると思ってなかったんだって」

 おばさま方は鬼羅のことをキラサマと呼んだ。字は異なるが、キラなのだと紹介せざるを得なかった。

「ガンパレードマーチでもキャラクタにモデルがいるっていうのは有名だけどな」

「あんまりバレてほしいことじゃないから、内密にね。最悪、お前を数え歌にするからな」


「おかあさん、ごはんなにー?」

「おかあさんじゃありません」

 目が開ききっていない八屋だが、しっかり朝からボケてくる。

「ご飯と味噌汁と目玉焼き。あと、お姉様方のタッパから適当に」

「朝ごはんだあ!」

「当たり前だ。初回はサービスでついでやる」

 フライパンに卵を落とし、焼いている間に茶碗と汁椀につぐ。夏野菜の焼きびたしがあったので、皿に移した目玉焼きのとなりに添えた。食卓に並ぶのは二人分の朝食だ。

「あれ? キラサマは?」

「しばらく雲母だよ」

 わふ、と鬼羅(犬)が鳴いて存在を主張する。

「聞いてなかったけど、犬は大丈夫?」

「大丈夫。へえ、お前、キララっていうのか。キラサマのかわりに碓井の旦那か」

 八屋はわしゃわしゃなでまわしていた。

「僕は午前中農作業の手伝いしてくる。昼からなら手伝えるよ」

「助かる! じゃあ、午前中のうちに頼めることまとめとく。そっちの仕事は?」

「ないわけじゃないけど、急いでないよ。手伝えるように調整しておいた。合間にでも進める」

「え、ほとんど昨日の今日なのになにそれ有能、結婚して」

「僕はもう既婚者だよ」

 左手の薬指を見せるようにひらひらふる。

「いてっ、いてっ。キララちゃんどついてくるんだけど」

「既婚者に結婚なんか持ちかけるからだよ」

「……勢いできて手伝ってもらうことになったけど、時間給でいい?」

「事務処理めんどうだから、僕が八屋をこき使える時間チケットちょうだい。肩たたき券みたいな。稲刈りの時期にまた合宿に来てよ。手伝ってもらうから」

「農作業に耐えうる体力がないんだけど」

「体力なくても手伝えることはあるよ。手はあればあるだけいい」

「ひえっ、こわっ」




「イオンモールってこんなに楽しいもんなんだな。一〇〇円ショップすら新鮮だ……」

「まだ三日だ。お前は田舎暮らしに向いてないな」

「えーん、ちょっと移住考えてたのにー」

 例によってイオンモールである。八屋は邪魔も誘惑もなく黙々と原稿を進めたおかげで、余裕が出てきた。慎は八屋こき使い券を着実に貯めつつある。

 息抜きと買いたいものがあるということで、余裕をコストにイオンモールにやってきたのだ。今日の鬼羅は人間の方だ。

「買い忘れはない?」

「映画見たい」

「イオンシネマに置いていっていい? 帰ってこれるでしょ、いい大人なんだから」

「アッハイ、ちゃんと二人と帰ります」

 余裕ができたと言っても、まだ原稿作業は残っている。息抜きは終わりだ。

「トイレだけ行ってくる。……待っててね!」

 八屋は二人に荷物を預けてトイレに行ってしまった。

「置いていくか?」

「いかないよ」

 ベンチに腰を下ろす。男のトイレだ。すぐにすむだろう。

 と。どさっと重々しくとなりに女の子が座った。女の子が重々しい訳ではない。倒れるように、落ちるように、ギリギリ座る形で落ち着いたようだった。真っ青な顔をしている。

「どうしたの? 気分悪い?」

「あ……いえ……」

 声のか細さは生来のものではなさそうだ。

「慎、スマホを貸せ」

「うん、はい」

 渡すと、すぐそこにあった自動販売機を『ワオン』と鳴かせた。

「水だ。飲めるか?」

 鬼羅はふたをあけて少女にわたす。

「ありがとう、ございます……」

 少しこぼしたが、二口ほど飲んでくれた。

「あ、そこの、」

 ちょうど出てきた女性に声をかける。

「すみません。この子、気分がわるいみたいで」

「人を呼びますか?」

「いえ、ちょっと待ってください。誰ときたのかな? 友達? 一人?」

 近くにある学校の制服を着た少女は、吐息で『お母さん、トイレ』と答えた。

「女子トイレは混んでましたか?」

「いえ、待ちはなかったです」

「じゃあ、すぐに出てくると思うので、すみません、こっちは男ばっかりで、そこにいるだけでいいですから一緒に待ってもらえませんか?」

「あぁ、はい。大丈夫ですよ」

 仕方ないと思うも、一般人男性として悲しい保身である。

「吐き気はある?」

「ないです。お水飲んで、ちょっと楽になりました」

「もう少し飲む? ゆっくり、ね」

「はい……」

 そこにいてくれるだけでいいと言ったが、女性も青ざめた少女を見ているだけではいられないようだ。背をなでながら声をかけてくれた。

 とんとんと肩をつつかれた。

「胸……いや、肺に悪いものがたまっておる。清めた水で少しはマシになるが、全ては除ききれん。村まで連れていけば治せるが……」

 鬼羅が耳打ちする。水にはそんな理由があったようだ。

「どうにかしてあげたいけど、赤の他人の女子高生だからなぁ」

 保身で女性に声をかけたくらいだ。このまま村まで連れていけば、普通に誘拐である。

「悪い! 待たせた。そこで──」

 八屋がペシペシ叩かれながら出てきた。

「あれ、なぎちゃ「どうしたの!?」

 八屋をペシペシしていた女性が、くったりしている少女に声を上げた。

「お母さん?」

「はい」

「人手は足りたみたいですね」

「助けてくださってありがとうございます。もう大丈夫です」

「気をつけてね。お大事に」

 呼び止めた女性に慎もお礼を言って別れた。

 鬼羅が清めた水を飲んだ少女は、だいぶ生気を取り戻していた。

「八屋、知り合い?」

「姉と姪」

 慎にとって赤の他人であることにかわりはないが、縁はあったようだ。

「愚弟がお世話になっています」

「こちらこそお世話になっています」

 まとめると、こうである。

 八屋の姉である九鬼夏美は、その娘である九鬼渚を待たせてトイレに行っていた。そこで渚が具合を悪くして、八屋を待つ慎と鬼羅のいるベンチに倒れ込むように座った。あとは通りすがりの女性を巻き込んでてんやわんやである。

「お水飲んで休んだらよくなったよ。もう大丈夫」

 渚はそう言っているが、鬼羅いわく、まだよくない物は残っているらしい。

「じゃあ、もう少し休んでからね。それで、湊はなんでこんなところにいるのかな? 近くに来てるなら顔見せにきなさいよ。あんた、お盆も年末年始も帰ってこないんだから」

 夏美は八屋に詰め寄っていた。言わないが、慎は知っていた。お盆と年末に八屋がビッグサイトにいることを。今回の原稿合宿も、夏のそれのためである。

「ここまで車で小一時間かかってるから、近くってわけでも」

「得体のしれない職なんだから、生存確認くらいさせなさいよ。SNSのアカウントで十分なのに」

「……無理」

 慎は八屋のアカウントを知っていた。ほんのりではなく、がっつり露骨に露出度の高いイラストも載せられている。夏美に理解があればまだいいが、渚には見せたくないだろう。

「今からでもインスタに(健全)仕事アカウントでも作れば?」

「くっそ! 自分の垢は健全ぶりやがって! いろいろ描いてるだろ、お前も!」

 渚がいるため、“いろいろ”というオブラートに包まれていた。実際、際どい、あるいはそれ以上のものは壁打ち鍵アカウントにあげている。

「みーなーとー。私はあんたの話をしてるの。詰められたくなかったら、たまには仕事の成果を見せなさいよ」

「見せたらアカウントバレるだろ!」

「武士の情けよ! そこは探さないであげるわ! あんたが自白しない限りね!」

 弟との生存を心配しているのだろうが、兄弟ゆえか、出てくる言葉に容赦がない。慎にも兄と姉はいるが、おだやかで喧嘩もしたことがない。

「えっと、いつもあんな感じ? 止めなくて大丈夫?」

「あんな感じ」

「そっか、いいのか」

 少なくとも渚の目にはあれであっているらしい。一般的かは断言できないが。

「あの、もしかして……「エーン、うすいー、たすけてー」

「なんだそののび太みたいな助けの求め方は」

 八屋はめそめそ泣き真似をしつつ、慎の後ろに隠れた。鬼羅にすぐ引き剥がされたが。

「お姉さんに見に来てもらったら?」

「おーまーえー!」

「今描いてるの、ヘキはあるけど、まだ一般向けだろ。八屋のお姉さん、八屋がここにいるのは、作家のホテルの缶詰みたいなもので、原稿合宿してるんです。お買い物の中に生ものがなければ、車で小一時間かかりますけど。貴純村っていうところで、僕が住んでいるんです」

「貴純……」

 夏美の目がギラッと光った。

「私、湊おじさんが漫画描いてるの、見てみたい」

 渚もスチャっと手を挙げる。こちらはこちらで目を輝かせている。

「どうする? 八屋。こういうのは、最低限のダメージで抑えられるうちに片付けたほうがいいよ」

「くっそー、勝手に外堀埋めやがって。武士の情け、忘れんなよ!」

 そういうことになった。

「ところで、湊のお友達は……」

「どうも、得体のしれない同業の友人です。僕のアカウントから八屋探せますけど、武士の情けは忘れないでくださいね」

 名刺を渡しておいた。


 九鬼親子は夏美の運転する車でイオンモールにきていた。正確に言えば、渚が放課後、学校からイオンモールに移動して、夏美と合流して帰宅の予定だった。

 八屋と九鬼親子、慎と鬼羅でそれぞれ分乗するのは自然なことだった。スピーカーモードで通話を維持したスマートフォンは助手席の鬼羅が持っている。

『ねえ! ねえ! 二人のことめちゃくちゃ聞いてくるんだけど、話していい!?』

 向こうでは質問攻めにあっているらしい八屋の泣き声が届く。

「ダメ。自分で話すから、ネタバレ禁止。先に聞くけど、八屋のお姉さんと姪っ子さんには話して大丈夫?」

『うーん、身内贔屓の加味があるけど、大丈夫。普通の善良な市民だよ』

『あの! 名刺、やっぱりシン先生ですよね! 私、ミネロマやってます!』

 むこうもスピーカーモードで通話しているらしく、渚が割り込んできた。

「リアルユーザーだ。何言ったらいいんだろ。どうも、ミネロマのキャラデザに関わっているシンです。やっぱりって、何かな?」

『エイプリルフールの農業ゲームのCM風動画の声の人だって思ったんです。もう一人、安元素人演技だと思ってたんですけど、本物なんですよね!』

「ふぶっ」

 思わず吹き出した。

「んふふふっ。うちの方にも連絡するから、一旦切るね。コンビニとかガソスタ、大丈夫?」

『……大丈夫だって』

「必要になったら早めに言って。しばらく道なりだから大丈夫だと思う。ウィンカーは早めに出すから。じゃ、切って」

「あぁ」

 横目に通話が切れたことを確認した。

「んひっ、ぶひゃひゃ! 本物の素人安元!!」

 ひとしきり笑ってから、『ごめんなさい、本物の安元さん』と謝っておいた。

「母さんに電話して。スピーカーで」

「わかった」

 鬼羅はするするスマートフォンを操作する。慎は都度教えているが、それ以外にも村の皆に教えてもらったとかで、モバイルデバイスの操作もお手の物である。

『はい、もしもし』

「我だ」

「こら、オレオレ詐欺みたいな言い方するな。母さん、慎だよ。今、帰ってるところ。八屋の知り合いを連れていきたいんだ。僕の方の家はちょっと差し障りあるから、母さんの方に連れて行っていい?」

『いいわよ。なにか用意しておく? あとどれくらいでつくかしら?』

「母さん、判断が早い」

「村の水を飲ませたい。水分の多い作物はないか? 米でもいい」

『甘酒はどうでしょう? 冷蔵庫にあるから、すぐに出せます。お野菜がいいなら、ぬか漬け。ちょっと待ってくださいね。ハナさん、スイカないかしら? ……小さく切って冷やせばいいかしら。用意しておきます』

 時間的にお姉様方のおやつ集会中のようだ。

「ホントに判断が早い。鬼羅、それでよさそう?」

「あぁ」

「ありがとう、母さん。よろしく。理由なんだけど、八屋の知り合い……お姉さんとその娘さんにイオンで会って。娘さんのほうが、よくないものを身体に溜め込んでて、それをきれいにしたいんだ。鬼羅が村でなら少しはどうにかできるって」

「すぐに死にはせんが、生活には差し障る。今回で清めてやったとして、一時しのぎにしかならんのだが。数日村におれば、耐性はつけられるが」

「うーん、袖が振り合っちゃったから、なんとかしてあげたいけど、多生の縁でしかないんだよな。あと三十分くらいかかると思う」

『うちはいくらでも部屋を余らせてるから、いつでも言いなさいね。お母さん、協力するから。ないならいいけど、アレルギーとかも確認しておきなさい」

「加代はよく気が利く」

『勝手に育っただけですけど、三児の母ですから』

「母さん、強い」

 加代への連絡はすんだ。

「あとは八屋にかまってあげてて。ついでに好き嫌いとアレルギー聞いて」

「うむ」

 バックミラーごしに後ろについてきていることを確認する。

『キラえもーん、たーすけてー』

 のび太化が進んでいた。よっぽど二人に詰められているのだろう。

「お前は庇護対象ではない」

 鬼羅は真面目に答えているのだが、ボケにノったと思われていそうだ。

『えー? どうやったら庇護対象になる?』

「村の住人になることだな」

『……いーれーてーって言ったら、住んでいい?』

「お試しからなら。八屋、免許持ってたっけ? 普通免許があれば小型特殊動かせる」

『小型特殊?』

「コンバインとかトラクターとか、小さめのやつなら動かせる」

『持ってまーす!』

 農業の忙しい時期に駆り出されると言っているのだが、気づいているのだろうか。

『湊、農業するの!? 貴純村で!?』

 意外にも食いついたのは夏美だった。

「“貴純村”に反応しておったな」

『このあたりでは有名なんですよ! 貴純村の野菜……だけじゃなく、作物全般! ほとんど幻のようなものですから! 素材の味で星がつけられるとか、デトックス効果が高いとか。直接買えませんか? 道の駅でたまに出てるって聞きますけど、卸すタイミングだけでも教えてもらえたら!』

 夏美がうずうずしていた理由はそこにあったようだ。

「すみません、売れないし、教えられないことになってるんです」

 村の中で融通しあうのはいいが、直接売ることはできない。道の駅に卸すタイミングは不定期。そう聞いていたが、理由は夏美の早口で理解した。

「以前は問題なかったみたいですけど、それ目当ての人が増えてやめたみたいです。話盛ってると思ってたけど、本当だったんだ……」

『くっ、先人め……!』

 外部の人間から村の評価を初めて聞いた。なるほど、鬼羅の能力が村の外で発揮されるのは、たしかに出荷した農作物くらいだろう。

「あー、レストランかカフェもあったけど、人さばききれなくてやめたって聞いたのも、それか」

『くっ、先人め……!』

『碓井んとこの村、そんなにすごかったんだな』

「てっきり村の人が盛ってるのかと」

 高校は村の外の学校に通っていたが、調理後の食べ物ならともかく、その産地が話題になることなどなかった。田舎を出る時は一気に東京へ飛んだ。夏美が言うようなことを聞く機会が本当になかったのだ。

「お米とお水がめちゃくちゃおいしいのは知ってたけど、そっか、村のみんなが愉快なのに、閉鎖的でなくてもあんまり開放的でもなかったのはそういうことか」

 座って半畳寝て一畳、までは言わないが、ほどほどを保つためにそうならざるを得なかったのだろう。

『あの村すごいんだな、碓井。たしかに、朝に水飲むだけで身体の中が洗われるみたいだもんなー。おば……お姉様方の出してくれるもの、なんでもおいしいし』

『あらー、うらやましいわー、みなとくーん』

『ひぃ!』

 電話の向こうの姉弟はずいぶんと仲がいいようだ。


 碓井家の駐車スペースは二台停められる広さを確保していた。もともと碓井家には二台の車があったのだ。一方は事故で廃車になってしまい、スペースはずっと余っていた。九鬼家の車を置いてもらうにはちょうどよかった。

「ただいま、母さん。言ってたとおり、お客さん連れてきたよ」

「おかえり。いらっしゃい、どうぞ上がってください」

 急な他人の田舎の家は緊張するのか、渚はおっかなびっくり靴を脱いでいる。

「ただいまー、加代さん」

「あら、八屋くんいつの間にうちの子になったのかしら。あたしも子どもたちも薬指は埋まってるから、養子にしかできないわよ」

「それもいいかもって、ちょっと思い始めてる」

「こーらー、判断するにはまだ数日だろ」

 風通しがよく涼しい庭側の部屋へ案内した。村は少しだけ標高が高い。その分冬も冷えるが、雪はそれほど降らない。網戸を引いて扇風機だけでうだるような暑さからは逃れられる。

「暑かったらクーラー入れますからね」

「いえ、大丈夫です。全然、涼しいです」

 渚はキョロキョロしながら『おばあちゃんのうちみたい』とつぶやいていた。

 座卓には甘酒と一口大に切り分けられたスイカ、細かくちぎった海苔をまぶした小さなおにぎり、きゅうり・セロリ・人参の漬物が並べられた。

「温かいものがいいなら、お茶を淹れますからね」

 グラスと麦茶のポットを置く。

「いえ、おかまいなく」

 言いつつ、夏美は座卓に並ぶものに釘付けになっている。

「イオンからだとちょっとした距離でしょう。まずは落ち着いて、どうぞ、召し上がってください」

「い、いただきます」

 渚は乳白色の甘酒に口をつけた。

「っ! おいしい!」

 その甘酒は村の酒蔵で作られたものだ。スッキリさらりとした飲み心地で、冷たくても温かくても飲みやすい。鬼羅いわく、米も浄化の力を持っているらしい。この村で作られた素材が原料だ。おいしくないわけがない。浄化作用も申し分ない。

「ん? 少し動くな」

 鬼羅が渚の背中から何かをつまみあげる。網戸を開けて外へ放つ。

「虫がついておった」

「えっ!? ありがとうございます!」

 まだついていないかと、ごそごそしている。八屋が背を見て確認してあげている。夏美はうっとりしながらスイカを食べていた。

「はがせた。一時的だが、よくなる」

 鬼羅にそっと耳打ちをされた。

「ありがとう。よかった」

 とりあえずは顔色がよくなった渚にほっとする。

「じゃあ、一息つけたし、本題の八屋のお仕事見学会だね」

「げっ……はーい」

 八屋は、漫画を描くにはどこでもできるようにと、タブレット端末に全機能を集約させていた。フリースタイルと言いながら、あちこちうろうろしながら描いていたくらいだ。今もタブレット端末はカバンの中にある。

「碓井も何か描けよ」

「僕の仕事道具は全部うちだよ」

 じとーっと恨みがましく見つめられた。

「わかった。何か描くもの持ってくる」

 慎は元自室(現物置)に文具を取りに行ったのだった。


「おじさん、本当に漫画描くんだ。すご、うまっ」

「プロだからな」

 八屋の作業は成果がわかりやすいペン入れの段階だった。

「シン先生の絵だ……」

「本人だからね」

 渚はミネロマのユーザーだけあって、漫画やイラストに目を輝かせている。

「あの、私もシン先生の名刺もらっていいですか?」

「うん、いいよ」

 シン名義のイラストが入った名刺だ。渚は両手でいただき、感嘆のため息をついた。しばらくながめて、スマートフォンを取り出し──。

「渚、やめろ。それはお前のじゃなく、碓井の個人情報だ」

 八屋はレンズと名刺の間に手を差し込んだ。

「写真撮るだけじゃん」

「写真を撮るだけっていうのは、SNSにもどこにも載せない、誰にも見せない、せいぜい自分で見るだけの写真を撮ることを言うんだ。本当に写真を撮る“だけ”か?」

 渚はぷくっとむくれた。

「まだ言ってなくてよかった。碓井、やっぱり話すのやめとけ。当人は大丈夫でも、どこに漏れるともわかんねえ」

 渚に渡した名刺は八屋が取り上げてしまい、慎の手に戻ってきた。

「デジタルネイティブ世代だから大丈夫かと思ったけど、そうでもなかった。悪い」

「目に見えるものでもないし、推し量るのは難しいことだよ」

 今の“口コミ”はネット上で広まる。個人間のやり取りであっても、意識せずオープンな場所で行い、誰でも見ることができてしまうこともよくあることだ。人の口に戸は立てられない。ネット上は言うまでもなく。

「我は先にもどっておるぞ」

 伏せたままのことにおおいに関わる鬼羅は腰を上げた。秘匿すべき存在となったために、いないほうがいいだろうと。

「あの!」

 だが、渚は呼び止める。

「雲英様ですよね?」

 ミネロマユーザーの目には明らかだった。

 鬼羅はちらり慎を見やる。

「……案の一つで出して、ほとんどそのまま名前と声まで通ると思ってなかったって、言い訳させて」

「グラブルみたいに公式コスプレイヤーしないんですか!?」

「しないよ。いろいろ協力してもらったけど、これ以上の露出は無理だよ」

「……もったいない」

「見る側が馬鹿なこと言うな。多くの人に知られるっていうのは、リスクも大きいんだ。何もしてないのに炎上だってするんだからな! ……あのときマジ辛かった」

 八屋は以前に難癖つけられて炎上したことがあった。よくある構図・よくあるポーズがトレパクだと。トレパク元のクリエイターが(オブラート)繊細(オブラート)だったために、燃えてしまったのである。

 炎上はそれほど長引きはしなかったが、八屋の心に傷が刻まれるには十分であった。

「その時心の支えとなってくれたのが、こちらのシン先生」

「あぁ、大変だったね、あの時は」

「心折れるかと思った」

「僕はたいしたことしてないけど、友人のためならできることはするよ」

「うわぁん、好き、結婚して」

「僕は既婚者だって言ってるじゃないか」

 立ち上がりかけて出るに出れない鬼羅を見る。

「ね?」

 同意を求める。口元が勝手にニヤついた。SSRキラサマを引き当てて(空白期間はあるものの)丸三年はたっているが、鬼羅に抱く愛情はまだ増すばかりだ。

「そうだな」

 鬼羅は慎のとなりに腰を下ろした。

「我と慎の間に入る余地はないと言ったであろう」

 慎の腰に手がまわった。

 さすが姉弟と親子だ。虚を突かれた顔が同じだ。

「紹介しそびれてたけど、僕の旦那さんの鬼羅です」

「あっ、お前言うなって!」

「八屋が大丈夫って思ったのは、話が通じて、嫌悪も持っていないだろうって、そういうことだろ? じゃあ、話せば大丈夫だよ」

「もう言っちゃってるし、碓井がそういうならいいけど」

「八屋、百合に挟まる男は嫌われるぞ」

「「百合じゃない」」

 八屋と慎は期せずして声を合わせていた。

「鬼羅が僕の旦那さんっていう以外は別に言うことはないよ。村の外でそのことを知ってるのは八屋しかいない。わざわざ言ってまわることでもないからね。めんどうなことになるから、言いふらさないでね」

 渚はコクコクうなずく。どうも興味のほうが(まさ)っている目をしている。

 夏美も驚いているが、それ以上はないようだ。

「お前、ツッコミ反射神経はいいわりに、最終的に人がいいよな」

「ツッコミ反射神経、関係あった?」

「ツッコミはスキマを突いてくるレイピアなんだよ」

「なるほど、わからん」

 何故か“やれやれ”みたいな顔をされた。

「渚、このことが変に拡散されたら炎上になることはわかるな?」

 八屋の真剣な声に、渚は少し青ざめつつうなずいている。

「それを話していいってシン先生が思ったのは、俺の言葉を信用したからだ。たった数時間でお前を信用できると思うか? 俺の信用まで傷つけてくれるなよ」

「……うん、わかった」

 渚からはすっかり浮かれた様子は消えていた。

「……俺にしか言ってないって、じわじわきてるんだけど」

「田舎に引きこもって外の人と会わないっていうのもあるけど、八屋くらいしか言える人いないからね」

「……結婚して」

「既婚者です」

「何度も言うが、慎は我が嫁だ」

「アッハイ、スミマセン」


 小一時間かけて帰ることになるため、八屋の仕事見学もそこそこに九鬼親子は帰ることになった。

「缶詰原稿合宿でいつまでいるの? まだいるなら、様子見に来るんだけど」

「長くて七月いっぱいのつもりだけど、第二のふるさとにしたい感がギュンギュンしてきた」

「高齢化が進んでるから、若者の移住は歓迎だよ。村の一員として。アミューズメントなものはなにもないけど、水と空気はおいしいから、お姉さんと渚ちゃんもいつでも……深呼吸しにきてください」

 鬼羅のことをあまり深く知られるのは困るが、また悪いものが溜まってしまうだろうと言われた彼女を放っておくのも心苦しい。慎には、またいつでもきていいと言うことで精一杯だった。




 八屋をこき使える券で扇げるようになった甲斐あって、八屋は夏コミの原稿を余裕で入稿することができた。合宿終了予定を数日残して。ただ、イオンモールをありがたがって、鬼羅に向いていないと言われたが、本気で移住を考えており、村人と相談しているところである。コンバインやトラクターを動かしたいという意気込みがよく効いていた。

「碓井のおかげもあったけど、捗ったし、ここにきてからめちゃくちゃ調子いいもん。身体は食べたもので作られるって、実感してる」

 この村の水は八屋に合っていたようだ。

「それで、頼み事があって」

「突発本はやめておけよ」

「そうしたいけど、それは関係ない。この前の姪の渚が、泊まりにきたいって」

「いいけど、何しにくる?」

「先に夏休みの宿題終わらせて、八月にぱーっと遊ぶんだと。宿題合宿」

「血は争えないな」

「あと、漫研なんだって。それで、漫画のこと教えてほしいって」

「ますます血は争えないなぁ」

「村でほんの少し過ごしただけで元気になったって。どこにでもいるJKだけど、ちょっと病弱なところあって。深呼吸したいってさ」

「うん、無事にフラグ回収だ」

「なんかフラグ立ってたか?」

「まあね」

 数日あれば、一時しのぎでなく、悪いものを根本的になくすことができるらしい。完治に付き合うほどのいわれはないが、他生の縁である。治せるならば、それにこしたことはない。

「おやつ会でお姉様方に聞いてみよっか。僕のところは男所帯だから」

 結果、加代が『我が家を第二第三のおばあちゃんの家にするわ』ということになった。


「一週間、よろしくお願いします」

「娘がお世話になります」

 早速九鬼親子はやってきた。夏美は送迎のみで滞在はしない。

「いらっしゃい。第二第三のおばあちゃんのうちへようこそ!」

「母さん、それはいいって」

 母のフリーダムを止める。午前中はいつも通り農作業。早めに切り上げて、碓井家に集合だ。そこへ九鬼親子の到着。

「今からそうめんゆでるところです。すぐできますから、待っててください」

 村ではそうめんまでは作っていないが、ふんだんに村の水が使われる。鬼羅いわく、村のものを摂取し続け、悪いものが溜まりやすい身体の中の淀みを根絶すればいい、とのことだ。食物だけでなく、大気や目に映る光景、環境音もそれらに含まれる。あのカエルの騒音すら。

 村外に売る作物は、契約しているレストランか不定期に道の駅に卸すだけ。酒もわずかに通販しているくらい。以前はあったカフェは、村外の者をさばききれずに閉業。閉鎖的に見えるこの貴純村だが、人はそれにそぐわないと慎は思っている。キラサマの存在を思えば、それくらいひっそりしているくらいでいいのかもしれない。味噌汁をすすりつつ思う。

「碓井のところって、そうめんに味噌汁つくんだな」

「え? つかない?」

 そうめんの時は、生姜の入った味噌汁がいつも出されていた。特に疑問に思ったことはない。

「冷たいものばかりだと身体が冷えるからね」

「これ、うち独自のやつだったの!?」


 昼食後、夏美は『よろしくお願いします』と言いおいて帰ってしまった。

「弟が住み着いてるからって、なかなかの信頼だなぁ。ちょっと喧嘩をするくらい仲がいい姉弟? 僕も上に二人いるけど、二人とものんびりタイプで喧嘩がそもそもなかったから、よくわからない」

「多少言い合いくらいはするけど、まあ、仲がいいからだって言えるかな。遠慮のないところとか。なんて言ったらいいのかわかんないけど、この村はなんか悪いことしちゃいけない気持ちになる。あとは、男と結婚してるなら、女には興味ないって思われたんじゃないかな?」

「うーん、最後のはちょっと心外だなあ。そういう分類で言うなら、バイのほうが近い気はするけど、簡単に分類できるほど単純なものじゃないのに。僕はただ、鬼羅のことが好きなだけだよ。ねー」

 鬼羅(犬)をもふもふ抱きしめる。

「先に伝えておいたけど、この子が雲母(きらら)。大丈夫?」

 あまりボロが出ないように、犬の姿で過ごしてもらうことになったのだ。

「わんちゃん……大丈夫です。触ってもいいですか?」

「うん、優しくね」

 渚は少しだけ鬼羅(犬)をもっふりした。

「あー、僕のそういうことは、渚ちゃんに聞かせることじゃなかったね」

「いえ! “好き”って、自分自身のものですから。何が好きか嫌いかは、その人の勝手です」

「好きは勝手か。そうだね。自分でもままならないくらいなのに、他人にとやかく言われるようなものでもないね」

 親子ほどの差がある年下に鼓舞され、苦笑するしかなかった。

「碓井、名刺サイズっていくつだっけ?」

「え? ベーシックなのは91かけ55じゃなかったかな。何するの?」

「ラジオ体操しよう。朝一の用事を作って早起き!」

「宵っ張りの八屋がそれを言う」

「エーン」

 極端に夜型ではないものの、八屋の起床は早くない。できるだけ朝ごはんは一緒に食べるように(片付けがめんどうで、慎が午前中は農作業の手伝いに出てしまうため)とお願いしたのだが、ずるずると起床時間は遅くなりつつある。これをきっかけに早寝早起きになってくれると、慎としてもありがたいが。

「ともかく! だから、ラジオ体操スタンプカード作ろうと思って。強引に朝の開始時間きめて、それに沿ってスケジュール組む。しっかりめの紙とカラープリンタある?」

「使わなくなった原稿用紙とか? 名刺サイズ以上の紙の見本もあるよ。インクジェットでいいなら、カラープリンタもある」

 供給側にいるオタクのだいたいは、紙の種類とサイズには敏感なのである。

「会場限定のノベルティにもしよう。碓井も描こう」

「えっ?」

「なぎちゃん、何描いてほしい?」

「えっと、雲英様と翡翠」

 雲英は言わずもがな、翡翠もミネロマのキャラクタである。

「ミネロマかー。資料はここにいるから、いっか。碓井、こういうの描いてもいいやつ?」

「勝手に次のイベント衣装出したり、資料集作るとかじゃなければ。いちおう確認するよ。ダメだったら、僕の下書きで八屋が描いて」

「うん、それで。雲英様は碓井が描いて」

「えー、僕、人の描いた雲英を見たいなー」

 渚も同意のようで、こくこくうなずいている。

「雲英と翡翠の二人を出したってことは、カプ?」

「はい、きらひsヴァあ!」

 渚はにごった悲鳴を上げた。

「牽制するわけじゃないけどね、知ってるよ」

「乙女ゲーでもBLするんだな」

 供給できるオタクは理解が早かった。

「プレーヤー主人公が絡むのがほとんどだけど、顔のいい男がいっぱいいると、そうなるよ。ソシャゲは、もちろん課金してくれる人が金銭的には支えているけど、ポジティブなファン活動も盛り上がっているって目に見えるから、モチベーションを支えてくれてる。大切なことだよ。八屋も、漫画のファンアートとか感想探すだろ?」

「めっちゃする。リプまでくれたら反応返すけど、それ以外には反応はしないようにしてるけどな。非公開リストにはめっちゃ入れてる」

「僕が雲英ひいきって言われてるのも知ってるし、キラシン・シンキラがあることも知ってる」

「シンって……あぁ、お前か」

「僕だよー。エイプリルフールのCM風動画、ウケたからね。いやあ、その発想はなかったって思うよ」

「誰もリアルにそうとは思ってないだろうけどな」

 リアルには、鬼羅×慎なのである。

 あけすけに言い過ぎてしまったのか、渚は神妙な顔をしていた。脅すつもりはないのだが、少し効きすぎてしまったらしい。

「どういう形であれ、ポジティブな反応は嬉しいことだよ。絵だって漫画だって小説だって、作って満足するなら、そのまま公開する必要はないんだから。見て見てってなるのは当然の欲求だ。できるなら、わかってほめてくれる人にだけ見てほしいけど、それは難しい。誰の目にもとまる可能性があるっていう覚悟が必要だねってことで。えーっと、作業しようか。僕は描いていいかの確認と、描く物もってくる。八屋はテンプレートとか準備。渚ちゃんはスケジュールを引いて、少しでも宿題を進めようね」

 そういうことになった。


「スケジュール立てるのが一番面倒なやつだよな」

 スケッチブックを慎と八屋の間に広げ、デザインを練っている。

「フリーでやってるんだから、きっちりスケジュール管理してなんぼだろ。八屋は計画が崩れたから、ここにきたんだけど」

「やめて傷えぐらないで、エーン」

「リカバリできるうちに手を打てたのはよかったんじゃないか? 最終的には余裕で入稿できたんだし」

「よし、ほめられた!」

 八屋は現金だった。

「科目ごとにはまとまってますけど、全体量はわかりにくいですね。書き出してます」

 ほめられてドヤ顔の八屋はスルーされた。渚はスマートフォンを操作している。

「ネット上にあるの?」

「はい。学校のデータサーバーに」

「うわ、最近のだ。ハイテクだ」

「碓井が学生のころって、いつだよ」

「……二十年くらい前? 八屋もそんなに変わらないだろ!」

 慎はアラフォーであった。

「ネットからダウンロードが必要なこともあるかな? この家のWiFiのパスワードは……これでつながるから、よかったら使って」

 慎はスマートフォンの中のメモを引っ張り出す。

「ありがとうございます」

「サーバーに宿題提出なんてこともあるの?」

「はい」

「デジタルネイティブだなあ」

 渚は計画表をせっせと書き出している。一ヶ月以上の休みのためのものだ。全科目分を並べると、慎にその詳細な内容はわからないが、なかなかの量になっていた。

「夏コミの原稿は終わったけど、本業に戻るから、いっしょに作業していい? お互いに監視しあって進めよう」

「湊おじさんの本業って?」

「漫画家」

「夏コミって何描いてたの?」

「漫画」

「夏コミは本業じゃないの?」

「趣味」

 不可解な顔をしていた。


 各々、何をするのか宣言したあとは黙々と作業をする。ラジオ体操カード作成はデザインについてやいのやいのと言い合っていたので、文字通りの“黙々”ではないが。村のお姉様集会のおやつの差し入れをはさみつつ、あっという間に夕食の時間となっていた。

「こっちはまだ描き込み足りないけど、明日に使えるくらいにはなった。あとで印刷だ」

「プリンタは僕の家だから、そっちで。明日に渡すね」

「楽しみです! ラジオ体操もがんばります」

「ところでラジオ体操って聞けるのか? ラジオある?」

「NHKだからネット上からでも聞けるんじゃないかな。探せば音源も数百円で買えるだろ。渚ちゃんの方の進捗は?」

「スケジュール組めました。課題も進められました」

「うん、進捗大丈夫でよかった」

 夕食も、加代の腕が振るわれた。

「全部おいしい……。全部食べちゃう……」

 男子高生ほどではないにせよ、女子高生の吸引力もなかなかだった。八屋は渚に『病弱なところがある』と言っていた。食欲旺盛はいいことだろう。

「じゃあ、僕はうちに戻るよ。八屋置いていく?」

「いらないです」

「なぎちゃん言い方!」

 『エーン』と声に出して不満を訴えるが、あからさま過ぎて誰も気にしていなかった。

「母さん、よろしく」

「えぇ、お預かりしているお嬢さんなんだから、丁重におもてなしするわ。女子だけでお話するんですから、早く帰りなさい」

「ほどほどにね。明日は、ラジオ体操始められるように、ここに集合!」


******


 ラジオ体操とスタンプカードの話はあっという間に広がり、加代宅の庭で行われていたラジオ体操は、二日目には空き地へ移動して村のジジババも参加することになっていた。

「あらー、この絵知ってるわ。八屋くん、時々慎くんとSNSで絡んでる蜂先生だったのね」

 有識者のお姉様に一発で見抜かれていた。必然的にそれを聞いていた渚にもバレる。

「えーっと、年頃の女の子に見せたくないものも載せてるから、探してもいいけど、あんまり見ないでSNSは。漫画は全年齢向けのだからいいけど」

 渚は即行で調べていた。

「ほんとだ、おじさんの絵だ」

 尊敬の眼差しで、バレてよかったのか悪かったのか、八屋は微妙な表情で受け止めていた。

 朝食後は、おじいさんは山へしば刈りに、もとい、慎は農作業に、渚は夏休みの宿題に、八屋は本来の漫画作業に着手したのだった。

 昼食は加代宅で。

「二人とも、進捗どうですか?」

「なぎちゃんの監視、すごいはかどる」

「おじさん、すぐにソシャゲ立ち上げようとする!」

「八屋?」

「……はい、ログボだけで我慢します」

 渚もしっかり進められたとのことだ。

 慎の作業環境は慎宅から簡単に動かせないため、慎宅で行う。お姉様集会でまた集まりつつ、それぞれ作業をこなした。

 一週間はあっという間だった。


******


「一週間お世話になりました」

 迎えにきた夏美が深々と頭を下げる。懸念していた渚の悪いものは十分に減少したとのことだ(鬼羅いわく)。代わりに、『少し太ったかも』らしいが。加代を含め、村のお姉様方は若者に食べさせたい気持ちで溢れている。おかげで(?)渚の第三のおばあちゃんがたくさん増えた。

「またいつでもいらっしゃい。あそこのイオンはあたしもたまにいくから、いつでも迎えに行くわよ」

「ありがとうございます! また絶対来ます! おじさんもいるし!」

 八屋の移住はほぼ確定している。移住後はまた遊びに来てくれるだろう。元から絶ったとはいえ、一度は悪いものを溜め込んでいた渚だ。また悪いものを溜め込まないともかぎらない。他生の縁である。少しは安心だ。

「シン先生も、いろいろありがとうございました。あと、ご迷惑を……リテラシー……考えなしで、すみませんでした」

「いいよいいよ。小さく失敗して身にしみるっていう経験も必要だと思うから。今はネット上だと小火(ぼや)が火災になるから、気をつけてね」

「はい、身にしみました。教えてもらったこと、しっかり身につけます!」

 漫研所属の渚は、漫画が本業の八屋にも教わっていたが、慎にも絵の書き方について教えを請うた。慎が教えたのは基本的なことだが、よく聞いてくれた。

「うん。渚ちゃんの作品、楽しみにしてるよ」


 イレギュラーは終わり、いつもの日々に戻る。渚のために用意されたものは片付けられた。

「渚ちゃんに関する心配事は一段落かな」

 ベッドの中、やっと落ち着いて鬼羅と話せた。

「よく立ち回ってくれたな」

「鬼羅も助けてくれてありがとう」

(けが)れを(きよ)めるのは我の仕事だ」

「贔屓していいの?」

「愛しいと思う人間の一人だ。慎に縁のある者であれば、なおのこと。慎の憂慮も消えよう」

「最終的に僕を(たら)してくるなあ」

「当然だ」

 笑うと、抱きしめられた。疲労がじんわりと溶けて消えていくようだ。

「今日は、少しだけ」

「そう言ってフルコースになるのだろう?」

「もー、そういう事言うなよ」

 夜の吐息は甘やかだった。


「フラグ回収して、八屋はこっちに移住確定だけど、いつ鬼羅のことをちゃんと話す?」

「一年くらい様子を見てからだな」

「じゃあ、次の結婚記念日くらいかな」


******


 村は少し標高が高い場所にある。夏にいくらか涼しい分、冬は冷え込む。分厚く雪が積もることはないが、相応に寒い。

 まだ一年も立っていないため、八屋は鬼羅がまだ何なのか知らないが、すっかり村にも馴染んでいた。鬼羅のネタバレ禁止期間は短くなるかもしれない。

 今日も今日とて、慎は平和にお仕事中である。ありがたいことに、ミネロマはまだ堅実に続いている。動画サイトでミニアニメを作る計画が進んでいるところだ。

『ところで、シンさん。メカとかロボとか得意な方いませんか?』

 聞かれて、カレンダーを見やる。

「エイプリルフールですか?」

『はい。今年はメカです。まだ一つの案ですけど。シンさんはどうですか?』

「メカ系はそれほど得意ではないですね。時間いただけるなら、がんばりますけど。漫画もイラストもやってる蜂エイトってご存知ですか? 僕の友達です。メカ系も得意だったはずです。前にミネロマのスタッフと話をしたって聞きましたよ。仕事で関わったんじゃないですか?」

『あぁ、蜂エイトさん。別プロジェクトですけど、お世話になりました』

「呼んできますか? 起きてたら、すぐにきます。おとなりですから。急がないとスープが冷めそうな距離ですけど」

『おとなり?』

「原稿合宿のためにうちの村まできて、気に入って移住してきたんです。もうすぐおやつの時間なんで、多分起きてますよ」

『そうですね、こういうのはノリです! 呼んでいただけるなら、ぜひ』

「わかりました。ちょっと待ってください」

 いったん打ち合わせ画面はミュートにして、八屋に電話をかける。

 呼び出し音はしばらく続く。その間に見られて困る資料が出ていないか確認する。

「ロボキラかぁ。語呂がいいな」

 エイプリルフールに行われた八犬伝パロディで、鬼羅は犬の姿を得た。次のエイプリルフールがメカ・ロボになるかはまだわからないが──。

『……もしもし』

「おはやくないけど、おはよう八屋。おやつ時間には少し早いけど、お仕事の話をしたいんだ」

 ロボキラも、あるいは、などと慎は思うのだった。


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