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鬼婿さんの話Ⅰ

 碓井慎(うすい まこと)は思った。SSR演出だ、と。

 ゲーム会社勤務を経て今はフリーのイラストレーターをしている慎は、因習村の出身だ。少し盛った。慎が小さいことにやたらと鬼が鬼がと脅された程度の田舎である。車必須だが、ネット回線はつながっている。夏にその鬼のための祭りがあるくらいのただの農村だ。

 さて。ネット回線さえあれば仕事の大半はどうにかなる慎は、自宅に引きこもりが過ぎて人としてダメなのではないかと思い、突発的に帰省した。仕事も持ち込んだので暇ではないのだが、草刈り当番だからと朝食後に放り出された。

 暦の上でも体感もすっかり夏だ。気温は上がりつつあるが、まだ午前中の空気は静謐である。

 鬼の(やしろ)の草刈り当番である。社がおどろおどろしければ、因習村感が醸し出されるところだが、数年前に修繕されたばかりだ。年季などない。木々を抜けてくる風は爽やかですらある。

 社の扉を開けて、酒を置いて拝んでから草むしりをする。そういうものらしい。渡されたカップ酒を置く。拝んで顔をあげると、一対の金色と目があった。三つ子の魂百まで。さんざん鬼だと言われて育っただけのことはある。“鬼”だと思った。同時に、連想したのは、絶賛行き詰まり中の和物ファンタジー乙女ゲームのイケメン鬼(勝手にcv.安元洋貴と設定)のデザインだった。まだ詳細を詰めているところだ。眼の前が真っ白になった瞬間、明確に見えたのだ、鬼(イケメン)が。

 眼の前がキラキラと眩しかった。SSR確定演出だと思った。

 光が弾けた。

 いた。鬼(イケメン)が。

 浅黒い肌。鎧のような筋肉をまとった長身の体躯。夕日を思わせる赤髪。満月のような金の目。いかにも鬼らしいツノ。和物ファンタジートンチキ和装。

 鬼は口を開く。牙がのぞいてた。

「慎……。なれが我の嫁か?」

「うわ、めっちゃあんげん」

「なんだ?」




 キラサマに悪いものをきれいにしてもらわないといけない。幼少期にはそう言われて怒られた。きれいにすることはいいことではないかと思えるのだが、記憶もきれいにされてしまい、何もできなくなってしまう。身体はそのままに赤ちゃんからやり直しになってしまうのだ。そう言われて、慎は想像してゾッとしたものだ。

 社から出てきたそれがキラサマなのだろう。ビジュアルが慎の考えていた和物ファンタジーの鬼キャラ(cv.安元洋貴)だが。

「あ! 破綻してないトンチキ和装! ちょっと描かせて! 布量とあってない露出! 謎インナー! 謎の紐! ダメージ加工!」

 いつでも描けるように持っているスケッチブックを引っ張り出し、鉛筆を走らせる。

「慎は絵を描くのか?」

「えぇ、はい。……キラサマですよね?」

「うむ、そう呼ばれておる」

「不思議存在、中二病、オカルトの類だと思うんですけど、そこにいるのが違和感ないです。何なんです?」

「我はここにあるものだ。森の中に木があることとかわらん。それぞれ木は異なれど、違和感はないだろう」

「なるほど、わからん」

 “そういう存在”としか言いようがないのだろう。何もわからなかったが、今は目の前のスケッチが優先された。

「布の質感が均一すぎるなあ」

「それは慎の想像力と知識が足りんだけだ」

「何の関係が? ……ん?」

 ふと気づき、スケッチブックを何枚か戻る。鬼キャラの案がいくつか残っているが、それを集約したのが目の前にいるキラサマだ。キラサマの姿と、このラフと、どちらが先なのだろうか? 交互に見やる。

「この姿は慎の想像を核としておる。絵描きなら明確にイメージしたのだろうな、この姿を。前は白狼と言い張っていたが、白い柴犬だった」

「なにそれかわいい。……いや、鬼ですらない? じゃあ、女の子イメージしたら女の子になってた? そもそもキラサマ何??」

「なんだ、聞いておらんのか?」

 かぱ、とキラサマの手元でカップ酒が開けられていた。トンチキ和装にカップ酒は案外合う。安酒を飲む姿すら様になっているから不思議だ。

「慎も飲め」

 カップ酒を押し付けられた。

「いえ、これから仕事ですので。ここに来るのに原付き使ってるので。ノー飲酒運転」

「いいから飲め」

「アルハラやめてください」

「飲め」

「……一口だけですよ」

 慎は酒に強い方だ。残りの酒を干したとして、仕事にも運転にも影響はない。だからといって飲んでいい理由にはならない。唇を濡らす程度になめる。

「ん?」

 カップ酒はコンビニでも売っている有名な酒造会社のものだ。実家でストックされているので、もらって飲んだことがある。神の舌を持った憶えはないが、本来のそれより雑味がまったくなく澄んだ味だった。慎が持ってきて置いた。キラサマは開けて飲んだだけで何かを入れたような動作はなかった。味が変わるようなタイミングはなかった。

 ポコンと湧き上がってきた『ヨモツヘグイ』という言葉。もしかして、と、慎は嫌な汗をかく。自分は柘榴を食べてしまったのではないだろうか。

「もしかして、儀式的な?」

「ふむ、勘がいいな」

 キラサマは、肯定するように、にいっと笑う。

「説明不十分! 無効です! 無効!」

「人と人との間であれば無効かもしれんが、我は人ではないからな」

「えー、ずるーい」

「残念だったな。我は人の決まりごとには縛られん。これで慎は我の嫁だ」

「嫁って、僕、男ですよ」

 オタク関連業種の業か、男の子だよと言いかけてしまった。悪いクセである。

「男が嫁になってもよかろう」

「いや、字義、字義!」

「最近は男女で差別してはいかんのだろう。我も少しは平成を生きたゆえ、知っておるぞ」

「今は令和ですよ」

「また変わったのか!?」

「変わりました。LGBT? SDGs? それはもっと最近か」

 平成も遠くになりにけり。

「男女雇用機会均等法」

「嫁は就業者じゃない!」


 社は田んぼの真ん中にあった。周囲より少し高くなっており、こんもりと手つかずの木々が茂っている。鎮守の森のようで、神社でもありそうな佇まいだが、鳥居はない。ただ社がある。

 数十段の石段をぽてぽて降りていく。キラサマが勝手に草むしりを免除した。それよりも村に顔を出す方が先なのだと主張されたのだ。

「ずいぶんフランクですね。まだ聞けてませんけど、キラサマって何なんです?」

「伝わっておらんのか? おいおい話す。我のことを憶えておる者もまだいるだろう」

「白い柴犬の前回はいつなんですか?」

「三十年前だ」

「近っ! ギリ平成ですけど、最近だと昭和に飲み込まれてるくらいですよ。白い柴犬……あっ、あかねおばあちゃんとこだ!」

 慎は現在三十四歳だ。三十年前は引き算をしたとおり四歳。小学生より以前の記憶の中に、どうにか白い犬を見つけた。近所のあかねという老女にずっと寄り添っていた白い犬を。

「あかねおばあちゃんが前の嫁ですか?」

「あぁ。死んでしまったから、しばらく社にこもっていたが、そろそろかと思って出てきた」

「三十年のスパンて短くないですか?」

「それくらいが人の記憶を引き継げていいのだ」

「伊勢神宮の遷宮かな?」

 数十段の階段はあっという間だった。

「ヤスさん!」

 通りがかりの軽トラに手を振る。村の住人は全員顔見知りである。

「おう、おはよう。どうした?」

 とまった軽トラに駆け寄る。

「どうしたっていうか、ヤスさん、キラサマわかる?」

「キラサマ? あぁ! キラサマ!」

「おぉ、康史か。おっさんはすっかりジジイだな」

 早速キラサマの言う“憶えている者”だ。康史は嬉しそうに軽トラから降りてくる。

「三十年もすればおっさんはジジイになりますよ。今度はずいぶん美人さんですなあ。慎くんが嫁さんってことですか?」

 慎には伝わっていないが、村民には知られていることらしい。そして、嫁(男)に何の疑問も持っていない。

「あぁ、そうなる」

 康史は慎の母と同じくらいの年令だ。三十年前は十分に記憶に残せているのだろう。当たり前のように対応している。

「あのー、キラサマって何なんですか?」

「さあ? たぶん、村の守り神的なやつだ」

「えぇ……。ヤスさん、雑……」

「ちょっと待ってな……、と」

 トトトとスマートフォンを操作した。

「LINEに投げた。今日は仕事は休みだな。集会場にいくぞ。慎くんはここまで何できた?」

「あの原付きで」

「全部乗せていこう」

「なんで集会場?」

「こういうときは宴会するもんだろ」

「なるほど、でもフィクションの話じゃない?」

 原付きごと軽トラでドナドナされ、飲酒運転は免れた。軽トラの助手席に座るキラサマはなかなか似つかわしくなかったのは余談である。


「加代さんは外から来た嫁さんだから、“鬼”のイメージが混ざったんだろうな」

「そういうものじゃなかったの? あかねさんのところにいたときの白い犬のとき、けっこうな牙をもっていなかった? 私、犬はちょっと苦手で。鬼っぽいわーって思ったのだけど」

「鬼はちがうんじゃが、ワシらもようわかっとらんしなあ」

 いろんなものが雑に片付けられた。

 宴会と言っても、外に働きに出ている(この村では比較的若い)者は急に仕事を休むこともできず、集会場にいるのは慎の母である加代を含むそれ以上のお年を召した方々ばかりだ。

 それぞれご家庭の料理が持ち寄られ、秘蔵の酒が振る舞われたくらい。しばらくキラサマは囲まれていたが、そのうち世間話にそれていき、輪の中から抜けていた。すみの方でもそもそおにぎりを食べていた慎のとなりにどかり腰を下ろす。

「いいんですか? キラサマのための宴会でしょう」

「かまわん。我はただここにあるもの。やはり意識せんとすぐに意識から消えるものだな。慎はしばらく外に出ておったと聞いた。だから、我を無意識に意識できるのだろう」

「無意識に意識する……うーん。でも、ただここに“ある”っていうのはわかります。こんなに派手なトンチキ和装でも、そういうものって思えますから」

「それでよい。慎は我を見ていればよい。それが嫁の役割だ」

「なんで?」

「言ったであろう。そこにあることが当たり前の我だ。確実なのは、観測され続けること。我は人ではないゆえ、人の世に存在するには、人に認識され続けなければならん」

「うん? もっと易しく言ってください」

「妖精は『信じない』と否定すると一匹減る」

「あー、はいはい。キラサマ、案外曖昧なんですね」

「人ではないのに、人に迎合してしまったからな。忘れ去られたとしても我自身は消えはせん。しかし、人を愛しく思うようになってしまった」

 お年を召した方々の食事はのんびりと穏やかだ。その様子を、キラサマは目を細めて見つめている。慈愛だ。キラサマの“愛しい”だ。

「なれも愛しく思っておるぞ、慎」

「んなっ!」

 ぐい、と強い力で腰を引き寄せられた。慎の想像力を核にしているということは、つまりその姿は慎の想像の産物であるはずなのだが、力強く温かく、柔らかく硬い。デッサン力が成せた技だと思いたい。

「その声の設定まで僕だけど、直で聞くと効くから待って」

「慣れろ。毎日聞くことになるのだぞ」

「いやホント待ってください直あんげんは脳に効きすぎる!」

 しばらく悶絶しつつ、どうにか慣れた。無理やり慣れた。

「まとめると。キラサマの存在はもともと人と交わらない別のところにあったから、人と交流するためには、人に認識され続けなきゃいけない。そのために嫁とセットになって観測・認識してもらう。ってこですか?」

「そうだ。慎は物わかりがいい」

「ただの中二病解釈……」

 一種の職業病である。

「まあ、それはいいです。問題と疑問点があります。疑問なんですけど、キラサマは“人が愛しい”という理由で僕たちのそばにいようとしているわけですけど、僕たちの方にはなにかメリットはあるんですか? 守り神的なとは言ってましたけど。というのも、僕、突発的に帰省しただけで、別のところに住んでいます。回線も電波もあるから、帰ってこれますけど、いくらかお金も時間もかかります。ひょいひょいUターンとはいかないですよ」

「ふむ。最大限、慎の事情も考慮しよう。まず、メリットについてだが。その握り飯はうまいか?」

「はい、とても」

「もっと当世風に」

「えぇ……? でらうまぁ……あ、ちがうこれ最近見た名古屋系Vtuberだ。どちゃくそうまい、おにうまい、ばかうまい。とか?」

「酒は?」

「同じく超絶ばかうまいですよ。僕はお酒に強いほうですけど、ここのお酒の味を知っているとあまり進まないんですよね。水がいいんでしょう。水もおいしいと思います」

 村の水は澄んでいた。“無”に味はないはずのだが、おいしいのだ。村の外に出てから知ったことだが。

「それは我に起因する」

「えっ。キラサマに嫁ぎます帰ってきます少し時間をください」

「手のひらを返しおったな」

「この米と酒のためなら何でも!」

 慎は食べかけていたおにぎりの残りを大きくかじった。ほどよい塩味はうまみと香りを最大限に引き出す。噛みしめると広がる甘み。すべてが幸せの味で、慎はこれ以上うまい米を食べたことがない。

「この米が一生保証されるなら、もうそれでいいです。童貞ではないけど、なんかもうそれ以上望めそうにないままアラフォーにも足突っ込みそうだし。無理ならこの身を米と酒に捧げてもいい。でも、なんで?」

「ずっと握り飯を食うておったが、そうかそうか、かわいいな」

 頭をわしゃわしゃなでられた。

「慎はわかりがいいから話しておこうか」

 キラサマは酒の注がれたコップを傾ける。

「我はもともと少し向こう側のものだった。ほんの少しだけ、人の世からすれば感じられるがそこにはいないくらいの、そういう向こうにおった。今も社を介してこちらに出てきておるだけで、向こう側の存在ではあるがな」

 手が重ねられた。長身に見合った大きな手だ。

「こちらとあちら、重なるだけでなく交わるところがある。それが社の役目だ」

 少し手が浮いて離れたが、もう片手の指で押さえるようにもう一度触れた。“交わるところ”ということらしい。

「我は我ではなく、現象、あるいは装置だった。(よど)みを(ほど)き、(けが)れを(きよ)めるもの。人はそれに名をつけ、敬った。我は我となった。だから、人が我の名を呼び、敬うことで、我なのだ。人が我を忘れてしまえば、我はまた向こう側で淀みを解き、汚れを清めるものに戻るだけ。人格、感情と言われるものは、人によって作られておる。戻ってしまえば、それもなくなってしまう。我は人に寄り添いたいと思っておるが、戻ってしまえばそれも感じなくなってしまうのだろうな。わかるか?」

「えぇ、はい。幸い、僕の中には中二病回路もありますので。現象に名前が付けば妖怪になる。それを絵に、キャラクタにまで落とし込んだのが、水木しげる先生だって。不思議現象が人の形をとったのが、キラサマなんですね。前は犬の形だったみたいですけど」

 白い柴犬。それほど記憶は多くないが、思い出すだけで口元がゆるむ。もっふりとかわいかったのだ。

「どのような形になるのかは、好みの問題だな」

「好みじゃないです、仕事の問題です」

 今回はたまたま乙女ゲームのキャラクタデザインにうなっているところだった。女の子のキャラクタデザインでうなっていれば、女の子が出てきただろう。鬼キャラがしっくりしすぎて、もうそれ以外は考えられなくなっているが。

「仕事……あぁ、帰ってくるには金がいるんだったな。浄銭だ。使え」

 わさりと、手に紙片が押し付けられた。

「聖徳太子の一万円札!? 昭和ぁ~!」

 急な引っ越しに対応できそうな枚数はあった。古い紙幣とはいっても破損していない限りは使用できる。機械が読み込んでくれるかは怪しいので、銀行で交換してもらう必要はありそうだが。

「いいんですか? これ出どころどこです?」

「淀みを解き、汚れを清めるのが我だ。そういう物も溜まっておる。きれいになったものは世間に戻したいのだが、なかなか出せん。使ってくれたほうが我には都合がいい」

「溜まってるって、それなんていう王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)。じゃあ、ありがたくいただきます」

 銀行行きを流通と言わない気がするが、使いづらい紙幣なのでしかたあるまい。せっかくの資金を回収されないように口をつぐんでおく。

「今から最低限仕事と各種連絡して、明日にでも自宅に戻って手続きいろいろしてきます。すみません、しばらく遠隔(リモート)嫁で。じゃあ、ちょっと戻って、描くもの描いて、出すもの出してきます。キラサマは宴会の主役なんですから、ここでこのままどうぞ!」


 田舎の実家は十分に部屋が余っていた。もともと慎が使っていた部屋は、慎のものをしまっているため実質物置だ。ただの帰省である慎が寝る部屋は別の空き部屋が使用されている。

 調べごと・仕事をどうにか片付け、風呂にも入ってさあ寝るぞとなったその部屋には、慎が使っていたものと追加で布団が一式置かれていた。

「旅館の新婚仕様かな?」

 キラサマと嫁がセットなのは、村民には知れ渡っているようだ。思惑はさておいて、離して敷いた。

 Uターンを決意したのは、正直なところノリである。ただ、突発的に帰って実家で仕事をしてみると、ずっとうっすらどんよりしていた身体の中の(おり)のようなものが薄れた。母の対応に少しお客さん扱いはあったが、それを差し引いても、この空気が身体にあっているのだなと思い始めていた。なお、残っていたうっすらどんよりは、キラサマの出現で全部吹き飛んだ。帰ってきてもいいのではと考えていたところに、キラサマである。ノリと勢いで、引っ越しの手続きを調べ、クライアントに事情を話して出せるものは出しておいた。明日は役所に行ってあれこれ確認して、自宅に戻り、引っ越しRTA開始だ。

 平日の日中に役所に行きやすいのはこの職のメリットだ。やることリストは作ったが、あれもこれもと思い浮かんでしまう。

「脳が疲れる……」

 濡れ縁に出てぼんやりと夜空を見つめる。頭が冷えていくようでここちよかった。そのまままぶたが重くなっていく。

 都会であれば夜になっても夏の空気は引かないが、それがここではいくぶんかマシだった。カエルは合奏通り越して騒音だが。幼い頃に住んでいるだけあって、慎には環境音である。日中のセミも同様だ。

「そんなところで寝ると身体を冷やすぞ」

「ヴぁっ!?」

 抱え上げられ、布団に下ろされた。

「びっくりした。別に運んでもらうほどのことじゃないですよ」

「我がそうしたかっただけだ。慎、軽くないか?」

「こっちに戻ったらすぐに太りますよ。それも対策考えておかないとなあ……」

 部屋はずっと風を通していたのだが、ほこりっぽいような線香臭いような、古臭いにおいがずっとしていた。キラサマの存在が、それをかき消してしまった。淀みを解き、汚れを清めるものなのだと実感する。

「あぁ、そうだ。キラサマって、“キラ”に“様”って敬称つけて、サタン様とかハラミちゃんみたいに一連名前化してるんだと思いますけど、キラってどんな字を書くんですか?」

「サマはたしかに敬称の“様”だが、キラに特に当てている字はない」

「いろいろ雑だなぁ」

「慎はどんな字だと思ったんだ?」

「鬼って聞いていたから、鬼に羅刹の羅、かな」

 枕元で充電中のスマートフォンの画面を灯す。メモアプリで“鬼羅”と入力して見せた。

「でも、鬼じゃないなら、その姿もこの漢字も仰々しいですね」

「そうか? 我は気に入っておるぞ。美人とも言われた」

「乙女ゲームの攻略キャラなら、そりゃイケメンでしょうよ」

 ワイルド系でオラつている。そういう見た目の注文だ。あくまで見た目なので、性格はまた別の話。慎も考慮してデザインをするが、詳細はライターによる。クライアントが想定していたより筋肉を盛ったことは否定しない。まだ決定はしていないのだ。筋肉に問題はない。

「そのようにかしこまらずともよい。慎は我が嫁だ。我は人ではないゆえ、おいそれ対等とも言えんが、慎に近い立場なのだからな」

「……うん」

 キラサマがそういうのであれば、そういうものなのだろう。離して敷いた布団はいつの間にかぴたりとつけられており、伸ばされた手はたやすく慎に触れた。

「前は白い犬だったからな。いや、白狼。あれはあれでよかったが、人に近い姿のほうが、人とふれあいやすい。感情も伝えやすい。いいではないか、“鬼羅”という字も。慎はそう呼ぶといい」

「呼ぶって、読み方は同じじゃないか」

「今は我と慎しか知らぬ。わざわざ教えなければ、我と慎だけのものだ」

 するりと頬を包み込むようになでられた。指先がかすめるように耳をくすぐる。一瞬で頭に血が上り、クラクラした。

「声いいし、顔いいし、(たら)してくるし、なんなんだよもう! はい、おやすみおやすみ! そこまで早起きはしないけど、明日も早い! 戻ってやることはいっぱいあるの! ……おやすみなさい、鬼羅」

 明かりを消して布団に潜り込む。

「もう明日に離れてしまうのか?」

「できるだけ早く戻れるようにします。引き払ってくるだけだから、そんなにかからないと……」

「ならば、今宵のうちに縁を結んでしまわねばならんな」

 せっかくかぶった布団が引き剥がされた。常夜灯が遮られる。のしりとのしかかられた。

「えっ、急なBLルートって、そんなフラグ……」

 “嫁”。

「あったなー! 最初からあからさまなフラグ、まっあっ……あーっ!!」


 碓井慎、三十四歳にて処女を失った。

 いわく、“嫁”というものに対する認識が甘かった、とのことだ。


******


 必要なものは片っ端から箱に詰めて送り出し、そうでないものは、いらない何も捨ててしまおうと盛大に捨て(あるいは譲り)、引っ越し作業は思ったほどもかからなかった。そちらの肉体作業よりも、役所作業や賃貸契約の解除のほうが疲れたくらいだ。

 そんなこんなで田舎でのイラストレーター生活が始まった。鬼羅に抱か「あばばばばっ!」BLルートに入ってしまった慎は、米のためなら嫁ぐといった手前、それら諸々を受け入れることにした(投げやり気味に)。ただ、すでに耳が少し遠くなってしまった母と、部屋は離れているとは言え、同じ屋根の下にいる。そんなところで致すのは落ち着かないと苦言を呈したところ、Uターンが落ち着いたころに社近くの空き家(ネット回線など各種整備済み)が提供された。持ち主には了承済みで、自由に使っていいとのことだ。鬼羅が何をどう説明してその空き家を確保したのかは、怖くて聞けていない。

 あっという間に新婚もとい二人暮らしが整ってしまった。

 村の誰もが協力的だった。今までも、よく聞く閉鎖的な田舎のねちっこさを見たことがなかった。人の出入りの少ない村は、例に漏れず、あれこれ凝りそうなものだが。他人の動向をあげつらったり、一を十にも百にも増幅させて他人の人格をいじったり。慎の母は外から嫁いできた者だが、今はもう完全に村のおばあちゃんになっている。慎が気づいていないという可能性はあるものの、今は根拠がある。長らく村の中心にある鬼羅の社だ。いわく、鬼羅は淀みを解き、汚れを清めるもの。ファンタジー世界観で言うなら、浄化能力。わかりやすく水に現れ、農作物を洗練させた。それが人に作用しているのではないだろうか。慎の妄想だが。

 村での生活に大きな問題はなかった。ネット回線は快適だ。

 鬼羅との生活はどうなるものかと思っていたが、あっという間に日常に溶け込んでしまった。

 キラサマはずっと村にあった。それが少し顕現しただけだ。意識しなければ背景になってしまう存在で、時々意識してそこにいてびっくりする。

「うわ、いたのか」

「おるぞ。慎にそばであれば、どこにでもいたいくらいだ」

 イケメン設定で描かれた鬼羅だが、鬼キャラということもあって案の段階ではキツめの顔立ちをしている。鬼羅にもそれが反映されているのだが、慈愛の笑みが乗ると、とたんカドが取れる。満月を凝縮したような金の目はいつも怪しさを秘めているが、幼子を愛でるように細められると、すべてを包容する温かさが宿る。目は口ほどにものをいうとはよくいったものだ。

 そんなこんなで。

「鬼羅、ここ押して」

「ふむ」

 スマートフォンの画面をタップしてもらった。

 キラキラと特殊演出に入る。

『我を呼んだか?』

 cv.安元洋貴。

「本物はやっぱり最高の触媒だなぁ。リセマラいらずだ」

 慎がキャラクタデザインに関わった和風ファンタジー乙女ゲーが正式に配信となった。鬼(イケメン)キャラのデザインは、もちろんいくらか手直しは入ったが、鬼羅のビジュアルで通ってしまった。勝手に慎が思っていただけの声帯までついた。名前も、字は異なるが、“キラ”だ。そのゲームの主要キャラクタの名前は鉱石からつけられている。その鬼キャラの名前は雲英(きら)。打ち合わせの際に色々口を滑らせてしまった結果である。

「それが我の声か?」

「そっくりだよ。あぁ、でも自分の声を録音して聞くと違って聞こえるっていうし、鬼羅にはわからないか。そっくりそっくり。すごくかっこいい」

「もっとほめていいぞ」

「調子に乗るな」

 言うが、子どものように笑う鬼羅が妙にかわいくて、もう少しほめておいた。

「キラサマ、慎くん。リセマラ付き合ってくれんか」

 玄関から呼ぶ声。田舎によくあるセキュリティガバ環境である。漏洩しては困るものもあると説明しているので、無遠慮に上がってくるまではしてこないが。

「ヤスさんも始めてくれた?」

「そりゃあ、慎くんが関わっとるからな。このゲームも長く続けば、その分慎くんも仕事が長く続くんだろ? 協力は惜しまんよ」

「ありがとうございます? 関わったゲームを楽しんでもらえるならうれしいよ。課金はほどほどにね」

「おやつの時間には、女性陣が一気にくるぞ」

「あはは……」

 村の外には口外しないようにと注意をした上で、慎はイラストレーターということを隠していなかった。おかげで村民分のアクティブユーザーがいるはずだ。

「僕が離れている間に、ここの人たちずいぶんITに強くなったよね。回線も強いから、帰ってこれたんだけど」

 慎が村を出るより以前は、いかにも田舎のおじちゃんおばあちゃんレベルだったはずだ。それが、今やネットスラングまで通じる始末である。それをITに詳しくなったといっていいのかはわからないが。

「そこは加代さんのがんばりだな。ネット回線はみんなで出しあったが。慎くんの活躍を見るには、インターネットに強くないといかんからなあ。ゲーマーも育っておるぞ」

「うん、実家にSwitchとプレステの新しいのあった」

「できるようになれば、便利なもんだ」

「そういえばみんなLINE使ってたね。僕もグループに入れられた」

「最近はDiscordなんだろう?」

「場合によるんじゃないかな?」

「キラサマ、慎くんにママになってもらって、自分をミネロマの雲英だと思いこんでいる一般人Vtuberはやらんのですか?」

「インターネットやめろぉ!!」

 なお、ミネロマとは、慎がキャラクタデザインとして関わっている今日から配信開始の乙女ゲームの略称である。

 康史にはさっさとキラに神引きをさせて帰ってもらった。

「じゃあ、これから仕事、打ち合わせとかもあるから、こもるね。声はかけていいけど、入ってこないように」

「ストリップでもせんと出てこんのか?」

「何回言わせるんだ。仕事部屋は天の岩戸じゃないよ」


 ゲームの配信日、メーカーはおおわらわだろうが、打ち合わせは予定通り行われている。その日は避けたほうがと思うのだが、いわく、『息抜き』。慎も絵を描く合間に息抜きに落書きする。傍目には同じことをしているように見えるが、気合や気の使い方が違うのだ。当人としては別物なのである。

『今のところ大きな問題は起きていませんから、このイベントの素材も予定通り進めてください』

 問題があったとして、その問題をメインで扱うのは画像・動画を扱うチームではない。

「はい、わかりました。順次進捗お伝えしますので、よろしくお願いします」

 打ち合わせは滞りなく終わった。

『そっちでの生活はどうですか? 完全リモートワークもうまくいってるみたいですね』

 雑談モードに入った。おおわらわの現場に戻りたくないのかも知れない。

「おかげさまでどうにかやれてますよ。急なことを言ってすみませんでした」

『いやいや、おうちの事情でやめますにならなくてよかったと思ってたくらいですよ。シンさんは引っ越しでバタバタしてたときも遅延なく進めてくれていましたから、むしろ信頼感マシマシです』

「恐縮です」

 出られない打ち合わせもあったため、“雲英”という名前と、勝手に慎が思っていた声優が、そのまま進んでいるとなかなか知れなかったのだが。

 なお、“シン”は慎のペンネームだ。

 と。ごんごんと強めのノック音がした。

「慎、加代たちがおやつの時間で集まっておるぞ。休めるなら顔を出せ」

「わかった。キリのいいところで行くよ」

 返事をして画面に向き直る。

『……今の誰? 加代って、アタシというものがありながら!』

『そうよそうよ! 今の人、めっちゃいい声!』

『めちゃくちゃ安元洋貴さんだったわ!』

 画面の向こうでアートディレクター他スタッフの小芝居が繰り広げられていた。

「居候です。声があんげんなのは否定しません。加代は母です。すみませんね、子ども部屋おじさんなもので。田舎のジジババはおやつの時間に集まってお茶するものなんですよ。じゃあ、時間もいいころですし、切りますね。そちらは配信当日のお仕事頑張ってください。失礼します」

 通話終了のボタンをかちりクリックした。

 子ども部屋おじさんと言ったものの、慎は空き家を借りて鬼羅と住んでいた。こうやっておやつ時に溜まり場になりがちだ。ただでいいとは言われたが、いくらか払っている。二束三文しか受け取ってもらえないのが現状なのだが。

 台所に通じる勝手口はおやつ時のたまり場のために一時開放されていた。持ち寄られたお茶請けが広げられている。加代が茶を注いでいた。

「あら、お仕事は終わり?」

「休憩。お茶もらったら戻るよ」

「頭使うお仕事なんだから、甘いもの食べていきなさいね」

「うん、ありがと」

 母は慎の仕事をよく理解してくれていた。村のネット回線の整備を主導してくれたらしい。たどり着いたところがちょっと考えものだが、リテラシー教育までしっかりと行われている。

 この村は老若男女問わず(大部分は老だ)、スマートフォンやタブレットを使いこなしているように見えた。もしかすると、母はコンピューターおばあちゃんなのではないだろうか? 慎にとっては母だが、兄と姉も都市部で家族を持っており、加代はおばあちゃんでもある。

「さつきさん、次のお茶係ね」

「はぁい」

 加代は“お茶係”キーホルダーを渡していた。キーホルダーは以前に慎がデザインしたキャラクタグッズである。気づいた時はいたたまれなかったが、母を始めとする村の人達は慎の仕事を応援してくれている。慣れた。慣れなければやってられない。

「みんな雲英様出してもらった?」

 鬼羅は康史の時と同じようにガシャ画面をタップしていた。

「出たわよ~」

「慎ちゃん、いい仕事してるわぁ」

「単発でも出た」

「絵アドが高い」

「インターネットやめ……こほん」

 みな、SSR雲英を引いた画面を見せてくれた。

「ちょっと絵面が面白いから撮らせてもらっていい? そこに集めて並べて、ピースで星作る?」


「また増えてきた……」

 慎は冷蔵庫を開けて一度閉めた。

 おばさま方のお茶会のあと、慎宅の冷蔵庫の中はいつの間にか増えている。もちろんそれらを詰めていくのはおばさま方だ。慎は村に戻ってきて以来、ご飯を炊く・味噌汁を作る以外の料理をほとんどしていない。

 おかずを冷蔵庫に入れていくおばさま方に、胃の容量を訴えて減っていたのだが、また戻りつつある。何をどれだけ食べても腹ペコだった思春期はとうの昔なのだ。

 食事の用意をしなくてはいけないので、もう一度開けた。

「我もたまには慎の料理が食いたいぞ」

「いいけど、鬼羅が作ってくれてもいいよ」

「それもそうだな。加代に聞いておこう」

「うん、そうして。僕の胃の容量を考慮した上で。メインはハンバーグかな。これ食べよう」

 温め直したおかずを器に盛り、ご飯と味噌汁も並べる。食事は鬼羅とともにとるようにしている。鬼羅に食事は必須ではない。人に近い形で存在しているため、各種器官はそろっているので、食べても問題はない。

 『いただきます』をして、今日も米に感謝しつつ米の旨味と甘味を噛みしめる。毎日食べても飽きない。

「ガシャで我を触媒にすると言っておったが、どういう意味だ?」

「本来の意味ではないんだけど、僕が知る元ネタはFateシリーズかな。元ネタの話をすると長くなるから置いておく。いや、本当に長くなるから」

 少し考えて、言葉をまとめる。

「ガシャは完全ランダムで運次第だけど、そのキャラクタが出たっていうことは、そのキャラクタと縁があったっていうことになる。縁があればくる。じゃあ、そのキャラクタに縁のあるものを用意して、その縁で呼び寄せようっていう考え。その縁のあるものっていうのが、触媒。鬼羅は縁があるどころか、ほとんどそのものだね。あそこまで引くとは思ってなかった。物欲センサーキャンセラーもある気がする。本来の触媒は、そのものは変わらず、化学反応を促進する物質のことだ。化学反応は分子がくっついたり離れたりていうことだから、触媒はその橋渡しをしてるのかな。学生ぶりだから曖昧だな」

 稀に思わぬ知識を要求されることもあるが、イラストレーターには必須の知識ではない。

「なるほど」

「そういえば、鬼羅はどうして僕を選んだの? 草むしりは当番制で、かわるがわる誰か来てたわけだろ? 僕の何が縁を結んだんだ?」

「半分はタイミングだな。そろそろ起きようと思っておった」

 慎は急に思い立って帰省した。ズレていただけで選ばれなかった可能性に、少しそわっとする。

「三十年くらいが記憶を継承できるって言ってたやつか。もう半分は?」

「言うておくが、ただのタイミングだけではないぞ。嫁だから愛しいのではない。愛しいと思ったから嫁なのだ。もう半分は、慎の場合はクリエイターだからだろう。そういう者は、得てして少し向こう側を見てしまうものだ」

 出てきた言葉の意外性に手が止まる。

「いや、逆だな。見えないものを見てしまい、それを表現しようとする気概がクリエイター気質につながる。もちろん、すべてがそうというわけではないが、ないものを作ろうとするもの、架空のものを描こうとするものは、向こう側からイマジネーションを得ていることがよくあるのだ。表現方法は日々の研鑽や経験によるが、それだけではどうにもならないわずかなひらめきを、本来であれば見えないものを見て得ている。慎は、社の暗がりに向こう側を“見た”のだ。その時、我は人の世と繋がった。先程の引用をするなら、慎は我と人の世をつなぐ触媒となったのだろう」

「なんだかシャーマンじみた話だなぁ。重箱のすみをつつくなら、触媒はその物質は変わらず、化学反応を促進するものだ。鬼羅を人の世に繋いだ時は一瞬だったけど、今もつなぎとめている存在であるなら、僕は変化してる。変えられたよ。鬼羅のせいで。触媒じゃない。変えたのは鬼羅なんだから、ちゃんと責任取ってもらわないと」

「くふっ、なれは本当に愛しい」

「ふへっ!? いや別に深い意味はないよ、売り言葉に買い言葉みたいな、えーっと、前のあかねおばあちゃんもクリエイターの素質があったの?」

 本当に深い意味はなく、重箱のすみを見つけてしまっただけだった。急に出てきた“愛”に、強引に話を捻じ曲げる。

「あかねは、死の淵を見たものだ。死に触れたことがある者も、向こう側に繋がりやすいほころびを抱えてしまうからな」

「急に重くなった」

 鬼羅はそこにあるもの。多少の違和感は、“そういうものなのだ”と勝手に補正がかかってしまう。自分で決めたことではあるが、こうして二人で暮らしていることは、不自然なくらい自然に思えてしまうものなのだ。慎はまだ鬼羅のことをあまり知らない。あまりに自然にそこにあるため、疑問がなかったのだ。

「あかねの子らが巣立っていったころに、夫の光雄が死んだ。看取った際に、死の淵をのぞいた。向こう側のをのぞいてしまったのだ」

「それで向こう側と通じて繋がって……つなが…………獣姦?」

「しておらん。慎の場合、人の世に馴染むために時間が少し必要だというのに、すぐに離れると言うから早急に進めたというだけだ」

「えっ、じゃあ僕が引っ越し諸々すぐにすませてしまおうって急いだからで、急がなかったら最初のあれは必要なかったってことなの!? 初夜にそんな意味があるとか、聞いてないんだけど!」

 聞けば答えてくれただろうが、聞かなければ答えないのも鬼羅である。説明不足は今に始まったことではなかった。

「あかねはずっと我をそばに置いたからな。それ以前も、我につくことが勤めとして成り立っておった。仕事があるからと我を放っておくなど、不届き千万だぞ! 慎の本業は我の嫁だ」

「嫁は就業者じゃないってば。本業副業って、全国のプロデューサーみたいなことを。同じ家にいるんじゃダメなのか?」

「観測されておらん。我を膝において仕事せんか」

「そんなでかい図体で何言ってんだよ」

「我が座椅子になってもかまわぬぞ」

「僕がかまうよ!」

 少し思い出した。あかねが縁側で膝に白い犬のあごを乗せている光景を。

「そこまでべったりなんだ」

「見て、触れる。わかりやすく観測と認識だ」

「日中離れている反動? 頻度を密度で埋めるのか。今はまだいいけど、年々できなくなっていく気がする。加齢、体力の衰え、うっ頭が……。そもそも、鬼羅はいつまでいるの?」

「慎が死ぬまで」

「……そっか」

 Uターンの一番の理由は鬼羅だ。すぐに消えられてしまっては、拍子抜けというものだ。

「今からでも我を膝において仕事をしてもよいぞ」

「体力の衰えを感じたら、考えるよ」


 その夜の鬼羅は少し優しかった気がした。



閑話


 午前中は農作業をしているため、夕食後も仕事をすることはあるが、スケジュールの進みに問題がなければ仕事は切り上げるようにしている。家事も片付け、何をするのかといえば、落書きなのだが。

「描くなら我か我の化身(雲英)を描かんか」

「ただでさえも贔屓って言われてるのに、これ以上偏らせられないよ」

 SNSに時々上げているが、日の目を見ていない鬼羅も雲英も山のようにある。他のキャラクタよりずっと。

「鬼羅も何か描く?」

「我は絵は描かんぞ」

「じゃあ、字を書こう。やっぱり筆かな」

 新規パレットを開き、ペンの設定をいじる。

「こんな感じかな。カタカナでアゲートって書いてよ。さっきの落書きにそえるから」

 ペンをもたせる。書き心地が慣れないのか、何度か書き直したが、無事に書き上げてくれた。なお、アゲートはミネロマのキャラクタの名前である。

「雰囲気ある。ミネロマのキャラ全員分書いてよ。素材にする」

「慎の頼みならば、しかたあるまい」

 まず真っ先に“雲英”と書いてくれた。褒めそやしてどんどん書いてもらった。少しクセはあるが、力強いタッチだ。

「慎はシンと名乗っておるな」

 タブレットに“慎”の文字が書かれる。

「あぁ、ペンネームのこと」

「慎がシンと読むからか?」

「うん、それもある。ペラペラの方の薄いも、英語でシンなんだ。もうちょっとそれっぽい発音だけどね。って、適当につけたら、そのまま定着しちゃってね。エゴサしにくい」

「……シン・慎。シン・加代」

「仮面ライダーみたいに言うな」


******


 ありがたいことにまだ依頼は積まれているが、〆切や打ち合わせには余裕がある。そして、一つ納品が終わった。そういう時は、ささやかな一人打ち上げである。いつもより少しいい晩酌をするだけなのだが、ついでにいえば、今は一人ではない。

「こういうしみじみとした味は、お酒に合う」

 たけのこをしみじみ噛みしめる。村の竹林で採れた物をおばさま方が煮たのだ。山のように冷蔵庫にあるので、食べすぎない程度に食べなければならない点だけが欠点だが。

 村には酒蔵がある。品評会の類には出品しない、外にはわずかに通販して道の駅に降ろす程度の流通しかなく、知られていない酒だ。言うまでもなく、抜群にうまい。米も水もうまいのだ。うまい酒ができないわけがない。

 そして、供物のように鬼羅の元に届く。もちろん、慎が飲む。

「酒はほどほどにしておけ」

「なに? 勃たなくなるから?」

 酔いをいいわけにそんな事を言ってみる。

 鬼羅の手が慎のグラスに伸びた。

「酒ではなく、我に酔わんか」

 グラスは奪われてしまった。

「相手できなくてごめんって」

 納品直前は余裕を持って進めても何かと忙しいものだ。顔を合わせないというほどではないが、あまりかまってやれなかった。

「鬼羅と面と向かうと、なかなか素面ではいられないのはたしかだけど」

 皿の上を片付けてしまう。『ごちそうさま』をすると、すぐに皿は引き上げられた。洗い物を含む“きれいにする”家事は鬼羅の担当だ。何故か一瞬で終わる。細かいことは気にしないことにしている。

 明日の米を炊飯器に予約セットする。一瞬で片付けを終えた鬼羅の腕が慎の腰にまわった。

「慎」

 ただ、名を呼ばれる。耳元で囁かれる低い声に、ゾクッとする。本家本元と変わらないはずが、それは聞き分けられるくらい“鬼羅の声”になっていた。

「うん、いいよ」

 触れてくる唇に、素面でいられるはずもなく、慎は溶かされていくのであった。


閑話休題


 社はこんもりと枝葉に覆われているため、地に生える雑草には発育条件がよくないのか、草刈りの頻度はあまり高くなくていい。だからといって放置がすぎると、すぐに生え散らかす。定期的な草刈りが必要なのである。マメに行えば、一回あたりの時間は少なくてすむ。

 腕のスマートウォッチが震えた。見ると、『鬼羅が来た』と表示されていた。何の表示か少し考えて、リマインダーに登録しておいたことを思い出した。今まで関わったキャラクタの誕生日やゲームの周年などを年間でリマインダーに登録してあるのだ。その中に、SSRキラサマを引いた日を登録しておいたのだ。

 あの日も気温の上昇を感じつつも、緑を抜けてくる空気が心地よい日だった。

 鬼羅を見やる。ちまちま抜いた雑草をゴミ袋に詰めていた。慎の視線に気づいたのか、ふと顔を上げた。

「なんだ?」

「ん? いつの間にか、鬼羅が来てから一年たったなーって。一年早い。年食ったな、そう感じるなんて」

「我ほどではないだろう」

「そもそも桁がちがうだろ。何歳なんだ言ってみろ」

「どこから数えるかによる」

 鬼羅は、キラサマと呼ばれ、敬われるために、キラサマなのだ。自然発生的であるとは言え、人がキラサマと呼んだときが誕生と言える。しかし、名付けられる以前より、それはあった。人の世からすれば少し向こう側に、きれいにするものとして。それを基準とするならば、果たしてどこまで遡るのだろうか。人の身には想像もつかない。

「それだけ長年生きてるなら、一年なんてちっぽけな一瞬か」

「ちっぽけなものか。慎とともにあるのだから」

「もー、スキあらば蕩してくるー」

「そう思うのは勝手だが、我はいつも本心しかいっておらんぞ」

「知ってるよ。村民DD(誰でも大好き)なのくらい」

「それも間違いではないが、我は慎を愛しいと思っておる」

「……誰でもよかったんじゃないのか? 向こう側と通じることができる何かを持ってたら」

 慎は歴代嫁のうちの一人でしかない。そう思えてしまうのだ。

「偶然だったと思うか、縁があったと思うかは、自由だ。向こう側をのぞけて(石を持っていて)(SSR)を引き当てた。慎は、触媒なく引いたぞ」

 縁、あるいは運。触媒を用意したり、猫の手を借りたり、ガシャで狙ったものをひこうとする“おまじない”は枚挙にいとまがない。だが、結局はただの乱数だ。プログラム方面はよくわからないが、慎もそれくらい知っている。それでも、そのキャラクタを育てていれば、縁だってできる。愛着と言いかえることもできる。縁があってほしいと思うようになるのだ。

「この一年の積み重ねがあるから、我は“慎がいい”と言う。それではダメか?」

「……いいんじゃないかな。僕も人のこと言えないし」

 慎もつまらない“不貞腐れ”を発生させるていどには、鬼羅のことを愛しく思っているのだ。

「くははっ! 慎、愛しておるぞ。何よりも、なれを」

「……そう」

 慣れたと思っていたが、久しぶりにcv.安元洋貴が効いた。いや、それは鬼羅だからだ。そっけなく返したが、制御できていない顔面とは裏腹だ。

「記念日とは休むものだろう。今日の仕事は休め」

「へびゃあ!」

 顔面を冷まそうとして気がそれていた。慎は軽々と担ぎ上げられていた。

「今切羽詰まってるのはないけどぉ!」

 言い訳はいくらでも用意できた。ちゃんと嫌だと言えば、鬼羅も無理強いはしない。慎はこのまま流されてしまうことに、期待してしまっているのだ。

 成人男性一人を担いでいても鬼羅は軽やかに階段を降りていく。

「おぉ、さつき、ちょうどよいところに」

「あら、キラサマ。慎くんも。おはようございます」

「オハヨーゴザイマス」

「おはよう。今日は我と慎の一周年ゆえ、二人でゆっくりするときめた。今日の手伝い先は誰か知らんが、伝えておいてくれんか? 今日は休みだ」

「まぁ、結婚記念日ですね。わかりました。LINEグループに投げておきますね」

「スミマセーン」

「ふふっ。末永く仲良くね」

「アザース」

 期待と諦めマックスの慎だった。


『個人的な一周年でケーキ買ってきた。イオンで。やっぱりイオンモールはなんでも揃う。』

 シンのSNS投稿より。




 慎がキャラクタデザインに関わっているミネロマは、堅実に続いている。時々、非公式絵としてSNSにイラストを上げることもある。反応は堅実なものである。ミネロマは和物ファンタジーだが、スチームパンク要素も少し含まれており、『うちの近所にスチパン要素を求めた結果』と添えて、雲英がコンバインに乗るイラストを上げたときは、ジャンル外からも反応があり、ちょっとしたバズになった。なお、コンバインは秒で特定された。よく出回っているものなので、特定されても問題ないが。のちにコンバインからミネロマに入ったというワードが出るようになるが、それは少し先の話である。

 それも一つのきっかけとなり、鬼羅に変化が起こった。


「慎、少しいいか?」

「ちょっと待って……。うん、入っていいよ」

 念のためプロジェクト外持ち出し禁止情報を閉じてから招き入れる。

「何から話せばいいか……」

「じゃあ、結論から」

「ふむ。結論から言うと、村の外に出られるようになった」

「……村から出られなかったんだ。たしかに、いつも留守番してもらってたか。結論はわかった。次は、“なんで?”かな」

「我は敬われ、名を呼ばれることで人の世で我を成しておる。今までテリトリーは村の中だった。外へ出ようとすると、とたん曖昧になってしまう。だが、最近はその“敬い、名を呼ぶ”が広範囲になった。それによって」

 鬼羅が指したのは、描きかけの雲英だ。

「鬼羅と雲英が同一視されてるってこと? 判定ガバだな。──神話ではよくある話か」

 例えば大黒さんと呼ばれる大黒天は、元をたどればヒンドゥー教のシヴァにも遡れる。仏教に取り込まれて大黒天となり、日本においては“ダイコク”であるため、大国主まで混ぜられる。名前が似ている、司るものが似ている、容姿の特徴が似ている。そんな理由で習合することは枚挙にいとまがない。鬼羅は明らかにそちら(神話)寄りの存在だ。名前は読みが同じで、見た目も似ている。習合したのだと、そういうものだと言われてしまうと、反論のしようもない。

「ただ、どうも慎を経由している所為か。慎が近くにいれば、と限定される。慎がそばにおれば、遠出ができそうだ。我が社から出ておるがゆえ、日本全国津々浦々とはいかんが。出かけてみんか?」

「いくいく! どのくらいの距離が大丈夫なのかな? 近場……とりあえず、イオンモール?」

 田舎でアミューズメント目的に出かける場所はあまりにも限られている。

「我は慎と出かけたいのだ。慎がおればよい」

「もー、急に蕩してくるなあ。出かけるのはいいとして、一つ問題がある」

 慎は引き出しを探し、メジャーを引っ張り出す。小学生の頃の裁縫箱に入っていたもので、大きさの感覚を確認するために手近に置いてあるのだ。

「鬼羅には出かけるための服がない」

「これではいかんのか?」

 鬼羅は普段、出現した際のトンチキ和装から一部SSR用の装飾をのぞいたものか、『うちの爺さんは体格がよかったから』と譲り受けたもの(ただし丈は足りていない)を着ていた。慎もあまり頓着しないので、最低限機能があればと気にしていなかった。鬼羅はそういう存在だと村の中では通っていたからだ。気にしていなかったが、村の外に出るとなると考えなければならなくなる。鬼羅を知らない者の前に出せる格好ではないことは、慎にも理解できた。

「nissenとかdinosでめんどくさくない一式売ってないかな? うわ、改めて測ると身長一九〇ちかくある。胸、厚いなあ。巨乳! 雄っぱい! 胸だけじゃなく全体的に厚いんだけど。肩にちっちゃい重機のせてんのかーい。目とツノ、隠さないといけないよね。僕のほうが嫁なのに、鬼羅の方に角隠しとはこれいかに。……別にそもさんせっぱじゃないから、応えはいい。とりあえずだから、ユニクロかGUかなぁ」

 必要そうなサイズを測り、勢いで服をポチった。

「サイズ大丈夫そうなら、それを着て出かけよう」

「あぁ。……楽しそうだな」

「そうかな? うん、そうだね。楽しみになってきた」

「慎が嬉しいなら、我も嬉しいぞ」

 耳元で囁かれた。不意打ち脳直あんげんに、顔に血が上る。

「はい、終わり! 僕は仕事中なんだよ!」

「もう少し慎を摂取してもいいだろう」

「僕の仕事中の蕩し禁止! はい、お仕事再開するから、出て行って。あとで、いくらでも摂取していいから」




 帽子をかぶせてサングラスを掛けさせる。それに合う格好をさせたが、(やから)である。それはそれで様になっているのだが。

「ニット帽で隠せるレベルのツノでよかった」

 キャラクタデザインの段階で、ツノを隠して人混みを、というイベントが発生しうるという話をした記憶がある。ツノの隠しやすさが、まさかここで発揮されるとは思わなかった。

「帽子は、頭の怪我を隠してるから。サングラスは、目が弱くて眩しいから。とかいって、取らないように。はい、乗って乗って。後ろがいいなら後ろでもいいよ」

 一家に一台どころか、一人に一台ですらある田舎の車事情だ。碓井家は一家に一台だが。

「慎は運転できるのか?」

「できないと、ここでは死活問題だよ。貴重な若手ドライバーはお姉様方の足をして、喫茶店でケーキを奢ってもらうまでがお仕事だ。コメダ珈琲のシロノワールはミニサイズを頼む。知らなかった?」

「外に出ようとせんかったからな」

「今日はイオンモールを目的地にしたけど、逆方向に道の駅もあるから、そのうちそっちも行ってみようか。村の作物も卸してるよ。いつも瞬殺だって」

「あぁ、そうだな」

 村内でも鬼羅は軽トラに乗せられることはあるが、本格的に外に出たことがない。少し鬼羅の常識を疑っておかねばなるまい。

「ちゃんとシートベルト締めてる? 僕の免許から減点されるからね! ゆっくり走っていくから、村から離れすぎておかしいって感じたらすぐに言って。異変が起こってからじゃ、間に合わないかも知れないから」

 運転席から身を乗り出してシートベルトを確認する。

「慎がおれば大丈夫だ」

 シートベルトを確認する手をなでられた。

「もー、そうやってすぐに蕩してくるー。それは関係なく、減点されるからシートベルトはちゃんとして。うん、大丈夫だね。はい、出発」

 各種確認をして車を発進させた。

「……雄っぱい! 巨乳! パイスラ!」

「なんだそれは。罵倒なら、汚い言葉はよくないぞ」

「半分妬み、半分褒め言葉だよ」


「無事に到着したけど、どんな感じ?」

「社から──村から離れているのはわかるが、この距離なら問題はない。それよりも、慎との距離だな。これだけ広いと、端と端まで離れてしまうと消えかねん」

 土地のある田舎のイオンモールは駐車場から広さが違う。店も言わずもがなである。消えるだのと物騒なことを言っているのに、鬼羅はカラカラ笑っている。

「笑い事じゃない! 絶対に迷子にならないでよ」

「手をつなぐか?」

「直近の誕生日で無事にアラフォーに足をかけたおっさんに何をやらせようとしてるのか」

 四捨五入で計算すれば、三十五歳はアラフォーだ。定義がそれであっているのか知らないが。

「とにかく、迷子にならないように」

 ドアのロックを確認する。キーホルダーをしまい込み、店舗へ足を進める。途中で鬼羅の服の腰のあたりを少し掴んで。

「ちゃんと僕に観測され続けろ」

 鬼羅は慎に引っ張られるままについていくのだった。

 イオンモールに来ることが目的であったため、それ以上何をするという目的はなかった。ちょうどいい時間だったので、食事をして、鬼羅の服を買い込んだ。

「よくデフォルト衣装と貰い物だけで一年持ったな」

「慎もTシャツをくれたではないか」

「あぁ、あの販促用の貰い物。ギリギリのピチピチで、イスカンダルだったやつ」

「何故そこで偉人の名が出るのだ?」

「オタクの業。大きいサイズで探すのは難しかったけど、何着てもかっこいいなあ、もう」

「慎のおかげだろう」

「そうだった。生きてるだけで絵アドが高い。生きて……鬼羅の生きるって何?」

「今は、慎とともにあることだ」

「ひえっ、急な蕩し禁止!」

「では予告しようか。たぶらかすぞ、慎」

「ぎゃあ!」


 荷物が増えたので一度車に積んだ。戻ってくると、耳に馴染みのあるメロディが聞こえてきた。

「ミネロマのメインテーマだな」

「うん。あ、ストリートピアノだ。近くの学校の制服着てる。ユーザーかな?」

 ミネロマ爆発的人気とまでは言わないが、堅実に続いていた。ボイスドラマ、コミカライズ、他ゲームとのコラボイベントなどの計画が進んでいる。一周年ももうすぐだ。それ一本にかかりきりというわけではないが、ありがたい安定収入源となっている。

「村のみんながプレイしてくれるのは聞いてるけど、なんだかこそばゆいな」

「慎の日々の研鑽と実力の結果であろう」

「ゲームはたくさんのスタッフが関わっている。僕はそのほんの一部ってだけだよ。その一部の一部に鬼羅の功績も含まれていると思う」

 主に筋肉のスケッチに。

「それは喜ばしいことだ。慎も関わっているなら、お知らせ生放送には出んのか?」

 村民だけでなく、鬼羅もITリテラシーを身に着けつつある。村民と同じ方向なのは少し気になるところだ。

「出ないよ。キャラクターデザイナーとかイラストレーターが出るっていうのは聞かないかな。だいたい声優さん、広報の人、名物プロデューサー・ディレクターくらいだよ。あとマフィア梶田さん。たまにコメント求められることはあるけど、直接の声じゃなくて文字だし。……フラグ立つから、あんまり言わないでほしいな」

「そういう時はすでにフラグが立っておると言っていなかったか?」

「その通りだよ! さて、母さんのお使い済ませて帰ろうか」

「うむ。──今日は楽しかったぞ、慎とのデート」

 鬼羅は時代劇のような言葉遣いをするが、カタカナ語も使う。だが、そんな言葉どこから仕入れたのか? 妙に似つかわしくない。

「デート……そっか、そうだね、うん。今度は道の駅も行こう。何を卸しても瞬殺だけど、特にお米がすぐに売り切れるんだって。たまにおにぎりの販売もしてて、もちろん瞬殺。それも、鬼羅のおかげだ」




 フラグはすぐに回収された。

「えいぷりるふーるきかく?」

 慎は相手の言葉を繰り返した。

『はい。候補の一つなんですよ、雲英のコンバインで、農場ゲーム。よく広告で出るやつです。元ネタがシンさんの落書きとして上げられていたイラストですから、許可をいただこうかと』

「かまいませんよ。むしろ、僕が見てみたいくらいです、それ」

『よかった。じゃあ、念のため文面を残しておきたいので、メールを送りますから、お返事をお願いします。それと、さらに追加要素として、シンさんも出ませんか?』

「え、なんで?」

 画面の向こうでアートディレクターはニコニコしている。

『広告風にするとか、Vtuber風動画にするとか、まだ案の段階ですけど、声の出演を。居候さんといっしょに』

「そっちが目的ですね、さては」

『居候さんの声が安元洋貴さんそっくりというのは、プロジェクト内では有名な話で、自分を雲英だと思いこんでいる一般人をしてもらえないかって言う話が出てるんですよ』

「インターネットやめろ。あっ! もしかして、呼びに来るようになってから打ち合わせがおやつ時にかかりがちなの、狙ってませんか!?」

『全部が全部ではないですけど、ちょっとだけ。おやつ呼びに来てくださるって、かわいいですね』

「午前中は農作業手伝ってるから、時間帯はちょうどいいんですけど」

 “午前中は農作業”とはそのままの意味である。一人の時は最低限で一食くらい抜くこともままあった。今は、毎食+おやつまできっちり食べている。増量必至である。そのため、運動不足解消も兼ねて、村の農作業を手伝っているのだ。村に戻ってくる前は鬼羅に軽いと言われたが、少しは重くたくましくなっている……はずである。鬼羅を比較対象にしてはいけない。

「別に素人使わず、普通に安元洋貴さんを無駄遣い……じゃなくて、贅沢に使ってくださいよ。僕も必要なら、シン(偽)をキャスティングしてください。素人ですよ、素人」

『そこがいいんですよ! シンさんの声も、優しい感じでいいと思いますよ。最近はVtuber化してる漫画家さんもいっぱいいます。ちょろっと! ふりだけ! イラストの依頼も発生しますから、そこに色つけますって! どうかご一考!』


「──ということがあってね。僕はあんまり乗り気ではないんだけど、素人という読めなさはエイプリルフールとは合いそうっていうのもわかる。仕事ももらえるし、悪い話ではないと思うんだけど、どう思う?」

「一番大事なのは慎のやる気だろう。エイプリルフールというイベントは去年に学んだ。話題になるかは、開けてみなければ分からないが、我への畏敬が強くなるな」

「そっか。鬼羅と雲英は習合状態だっけ。畏怖つよつよになったらどうなるの? 今も、村の外に出られるけど、その範囲が広がっても生活にあんまり関わりはないと思うんだけど。もっと遠出したい?」

「話題になったとして、一時的なものだろうが、今年は豊作になる。よっぽど天候が荒れなければ」

「えっ、何そのボーナスタイム。村単位の話になる。みんなに相談しよ」

「そこまで影響範囲があるとして、最終的には慎がやりたいかやりたくないかだろう。村の者たちも、豊作であればいいにこしたことはないが、躍起になって慎に強いたりはせん」

 少し考えてみた。今日もお米はおいしい。

「せめぎ合っているんだけど、村に貢献できるのは強いなあ。米のためにここにいるようなものだし。そりゃ、誰も僕にやれとは言わないってわかってるよ。それでも、僕は報いたい。村にも、鬼羅にも。ふふっ、ちょっと楽しそうに思えてきた。細かく確認させてもらえるようにっていう条件で聞いてみるよ。鬼羅と楽しいことをするなら大歓迎だ」

「ふむ。慎もなかなか蕩してくる」

「意趣返しだよ」

「それで、前に康史が言っておったママにはならんのか?」

「インターネットやめろ。版権的に難しいし、僕がやったら余計に問題だよ」

 なお、好評だったため、エイプリルフールイベントグッズとしてコンバイン雲英のアクリルグッズが発売された。あらゆるところでコンバインを乗り回す雲英がSNSに上げられることになったのだった。

 なお、慎もめちゃくちゃ撮った。上げた。


 実家の慎の部屋だったところが荷物で埋まっているのは、慎が関わった仕事でもらった物を、捨てるにしのびなく実家に送って保管しておいてもらったためだ。使ってもいいと言って送っていたので、実用性のあるものは時々使われているのを見かける。ご近所さんの農作業着の下からひょこり顔を出すこともある。慣れた。慣れなければやっていられなかった。

 そして、同じようにミネロマの一周年記念グッズが送られてきたため、慎は社近くの家ではなく、実家にきていた。

「あら~、雲英様のアクリルスタンド? 飾ろうかしら。雲英様グッズは争奪戦ね」

 この村の世間話の一部はミネロマに関することである。以前に、ミネロマの雲英と同一視されたため、鬼羅にも畏敬が集まったと言っていた。事情を知った上で、村の皆が一番同一視しているのかもしれない。

「雲英のグッズ多めにもらえたらよかったかな」

「あぁ、そうそう。慎がいてよかったわ。ちょうど三十三回忌だから、弔い上げにしようと思ってたの。五十回忌まで生きててもいい計算はしてるけど、耄碌する前にと思ってね。あんまり人を呼ぶつもりもないから。あたしと慎だけでもいいくらいだわ」

「う、うん? 何だっけ?」

「お父さんの法要」

 冷水を浴びせかけられたように全身から血の気が引いた。

 加代は“お父さん”と言ったが、加代の父・慎の祖父のことではない。加代の夫であり、慎の父の話だ。

 父は三十年前に死んだ。今年に三十三回忌をするので、三十年くらい前という方が正しい。

「六月は忙しそう?」

「まだわからないかな。仕事、詰めないようにするよ」

 父は仏間にいる。オカルト的な意味ではなく、仏壇にいるという意味だ。帰れば手を合わせるし、この家には今、母しかいないことはわかっている。よく考えなくても当然のはずなのだが、何故かぽっかり“父の死”というものが抜け落ちていた。


 社近くの慎宅には、無意識にたどり着いていた。からり戸をあけ、『ただいま』というまで無意識のうちだ。

「おかえり、慎。イオンモールでバレンタインフェアをやっておると聞いた。今年は我も遠出ができる。行ってみんか? 平日なら混んでないと言っておったぞ」

「うん、そう……」

 上の空に返しながらコートを脱ぐ。定位置にかけ、何も考えられず、立ち尽くしてしまう。

「どうした?」

「……わからない」

「そうか。──顔色が悪い。身体が冷えている。ずいぶんのんびり歩いてきたようだな」

 頬を包み込むようになでられた。指先が耳に触れる。ジンと痛いくらいに熱い。鬼羅の言う通り、よっぽど身体が冷えてしまっているらしい。

「この身体はいいな。こうやって慎を温められる」

 頬をなでていた手が頭の後ろにまわった。引き寄せられ、抱きしめられる。

 温かくて柔らかい。心地よさに、慎も鬼羅の背に手をまわす。

 慎の想像を核として、今の鬼羅の身体はできている。現れた頃より変化はない。だが、吐息が、鼓動が、熱がある。

 抱きしめられて、凝りが少し解けた気がした。

「犬のときでもあったかそうだね。白狼だっけ」

 少し、思い出した。あかねに常に寄り添っていた白い犬。すっとぼけた顔をしており、凛々しさよりも愛嬌のある犬だった。

 “あの日”はちがった。

 雨が降っていた。あかねは濡れた慎を優しく拭きながら、白い犬に話しかけていた。

『きれいにしてあげられないかしら?』

 犬は答えていた。

『それは不浄ではない』

 慎はぼんやりとそのやりとりを見ていた。

『だが、むこうに持っていってやることはできる。むこうに戻るときに、ではあるが』

『そう。じゃあ、そのときにまだ慎ちゃんが困っていたら、持っていってあげて。私ももう長くないから、もうすぐでしょう』

『すぐに』

『きれいに』

「見るな!」

 引き剥がされた。

 どくどくと心臓が早鐘を打つ。血液は空回りしているようで、指先は冷えていった。

「触れたな?」

 呼吸が乱れる。

「我が持っていたあの」

 眼の前が歪む。

「慎の記憶を」



 鬼羅は、慎が向こう側と通じたのは、クリエイターだからだと言った。それは嘘ではない。ただ、言っていないこともあった。

 慎はクリエイター気質から、向こう側と繋がりやすかった。同時に、死の淵を見たこともあった。

 何十人何百人と死傷者が出た事故など、少し早まって/遅くなって、事故に遭遇しなかった幸運がよく聞かれる。同じように少し早まって/遅くなって事故に遭遇してしまう不運も起こっている。生存バイアスである。死人の口は語らない。

 慎は、後者──不運のがわだった。

 早く出たいと駄々をこね、父の運転する車で予定よりも早くに家を出た。母たちはあとから合流する。二人で乗り込んだ車で、その時は特別に助手席に乗せてもらった。記憶にないほど他愛ない話をしていた。

 ドン、と衝撃、暗転。

 目覚めたとき、父はいなくなっていた。



 鬼羅が見せるのは、傲岸不遜、たまに慈愛の顔だ。

 不安、あるいは焦燥。そんな顔は見たことがなかった。

「変な顔」

 唇がこわばってうまく発音できたか少し怪しい。

 眼の前が真っ暗になった慎を、暖かい部屋まで運び、鬼羅はずっと抱えて温めていた。血の巡りを促すように撫でさすり、熱を分け与えるように手を握り、温かさを確認するように頬を慎の額に当てながら。

「大丈夫だよ、鬼羅。急に思い出してびっくりしただけだ。僕もいい大人なんだから、身近な“死”くらい受け入れられる」

 事故に巻き込まれた一因に自分のわがままがあったとしても。

「今まで僕のために預かっててくれたんだね。ありがとう」

「……すまない」

「謝ることないよ。気持ちいいから、もう少しこのままでいさせて」

「あぁ」

 慎はよりかかり、身を寄せた。

「イオンモールでバレンタインフェアだっけ? もうそんな時期なんだ」

「去年のロイズのやつはうまかったな」

「保冷バッグ持っていかなきゃ。今年は一緒に行こうか。チョコレートはいつも何かしらあるけど、スイーツには流行りがあるよね。何か憶えてる?」

「我も少しは平成を生きた身。ティラミスとタピオカが流行ったことは憶えておるぞ。テレビの中でしか見てなかったが」

「三十年前はまだあのイオンモールなかったもんね。ティラミスはもう一般的になってる。タピオカは、ココナッツミルクに沈んでる白っぽいやつだ。そっちは定着しなかったね。今のタピオカはだいぶ根付いてきた感じだ」

 鬼羅の身体は慎の想像を核としてできている。鬼のツノ、金の目、格ゲーキャラのような筋肉。ちゃんと人間の内臓も備わっており、心臓も動いている。しかし、食べなくても平気、心臓も動いている必要もない。その姿で現れてから何も変わっていない。どこかに人の身体でない物をもっているのだろう。どこかに嘘があったとしても、今はその温かさが染みた。

 やっと身体に血がめぐってきた。ぽかぽかしてくると同時に、甘く眠気が覆いかぶさってくる。

 鬼羅の腕の中で赤子のようにあやされながら、慎は眠りに落ちていった。


 寝たらスッキリした。

 目下の仕事を片付け、

「イオンモール!」

 である。やはりご褒美があると仕事も捗るというものだ。

 要冷蔵のチョコレートを考慮して保冷バッグも用意した。運転席へ乗り込む。

「ロイズ以外も有名店いろいろみたいだね。チョコレートに散財しそう」

「フェアをやっているということは聞いておったが、バレンタインは贈り物の日ではないのか?」

「ちゃんとお姉様方用のも買うよ」

 ドアを閉めると、車内の独特なにおいにつつまれる。シートベルトを締め、エンジンを、ハンドルを──。

「あれ?」

 意識せずとも流れるようにできていた発進の動作が出てこなかった。

 指先が冷たくなる。血の気が引いて、目の前が黒く染まる。

「どうするんだっけ……?」

 息がうまくできなかった。

「慎っ!」

 車内から引きずり出された。抱えられ、運ばれる。

「加代、慎がめまいを起こした。横にさせてもらう」

「あら、脱水? 貧血? とりあえずお水と、お母さんの鉄分のやつ持ってくるわね」

 車は碓井家のもので、慎の実家にとめている。当然、一番近い家は慎の実家なのだ。そのまま居間に寝かされた。

「はい、お水と鉄分の。ゆっくり休みなさいね」

 加代はそっと慎の頭をなでていった。慎は“いい大人”ではあるのだが、加代にとってはいつまでも子どもなのだ。

「車を出すところで、まだ開いておる」

「閉めてきますね。ここは慎の家ですから、キラサマもゆっくりしていってください」

 加代はキーホルダーを受け取った。

「あぁ、ここは嫁の実家だな」

「緊張するかしら?」

「いや、ゆっくりさせてもらおう」

「えぇ、どうぞごゆっくり」

 加代は車を片付けに出ていった。すぐに戻ってくるだろうが。

「水を置いていったが、飲むか?」

「うん、お水もらう」

 まだずしりと頭が重い。鬼羅が起こしてくれたので、寄りかかりつつグラスを傾ける。

 ──口の中に入るより、こぼした量の方が多かった。

「水を飲むのが下手になっておるぞ」

「ステータス値一時爆下がり中だよ」

 もう一口とグラスを口に近づけるが、取り上げられてしまった。

 鬼羅が水を口にふくみ、そのまま唇を押し当てられる。

 ぬるい水が口内に流し込まれる。今度は逃さず飲み下すことができた。

「今日日、少女漫画でもないよ、それ。知らんけど」

「我がやりたかっただけだ」

「なんだそれ」

「こっちはストロー付きだ。飲むか?」

 加代が鉄分と言っておいていったのは、鉄分一日分を謳った小さい紙パック飲料だった。貧血ではないのだが、ありがたくいただいておく。

「ごめんね、イオンのバレンタインフェア」

 ストローをちゅるちゅる吸う。鬼ころしのストローで飲むタイプの紙パックは、手が震えていても飲めるようにだと、酒造メーカーが想定しているのかわからない話を思い出しながら。

「慎の健康のほうが大事だろう。ゆっくり休め」

 小さい紙パックはすぐに飲み切ることができた。

 改めて横になり、目を閉じる。重力を大変によく感じる。

 鬼羅の手があやすようになでてくれた。少し体温が戻ってきた気がした。

 ぽっかりと空いていた父の死の記憶が不意に戻ってきた。慎が思っていたよりもずっとそれは重く、メンタルを圧迫していたようだ。

「せっかく鬼羅と出かけられるようになったのになぁ」

「我は慎がおればそれでよい」

「スキあらば蕩してくるんだから」

 加代が戻ってくる足音を聞きながら、温かい手によって眠りにいざなわれるのであった。


 車に乗ると気分が悪くなる。慎はしばらく遠出もドライバーもできなくなった。

 慎は幼少の頃のあの記憶をそれほど重くは思っていないので、そのうち治るだろうと楽観的だった。村の若手ドライバー(報酬は喫茶店のケーキ)として動けないことは少し心苦しかったが、慎が帰って来る以前に戻っただけだ。うまくやっているらしい。

 なお、バレンタインフェアにいけなくなって残念がっていたため、村のおばさま方からロイズの生チョコを冷蔵庫を圧迫するほどもらったのは余談である。

「毎日一箱食べないと間に合わない……」


「エイプリルフール企画で畏敬ブーストかかったのに、遠出ができなくて残念だな」

 ミネロマのエイプリルフール企画は、無事に(?)コンバイン雲英の農業ゲーム案が通った。イラストとコンバイン資料と声を提供し、好評のうちに終わった。録音スタジオなどにいけはずもなく、録音はリモートで行われた。そのままちょっといいマイクをもらった。

『せっかくなので、こんど生放送にも出ませんか?』

「出ません」

『仮面とか、します? Amazonでペストマスク三千円前後で売ってますよ』

「どこの裏名義声優さんですか」

『ついでに剣持ちましょう。両手に』

「イラストレーター混ぜないでください!」

 画面のむこうのアートディレクターがわざとらしく唇を“へ”の字にしていた。

 慎は鬼羅に『お知らせ生放送に出るのは、声優、広報、名物プロデューサー・ディレクター、マフィア梶田』だと言ったことがあった。キャラ立ちしたイラストレーターも含めてもいいかもしれないと思ってしまった。

「ちょっと今は村から離れられないから無理ですよ」

『あぁ、因習村的な?』

「お前も数え歌に数えてやろうか」

 村に謎の数え歌はないが、キラサマの社や祭りを思うと、因習村もあながち間違ってはいない気がする。鬼羅のおかげか、じっとりねっちりした風土はない。それはそれで爽やか因習村という亜種なのかも知れないが。

「ところで一つ聞いてもいいですか?」

『なんでしょう?』

「僕の見覚えのないイラスト、というか、明らかにリヨさんのコンバイン雲英があるんですけど、あの人エイプリルフールの時期はFGOで忙しいのでは?」

『こんな事もあろうかと、コンバイン雲英が話題になったときに依頼しておきました。すぐに日の目を見ることができてよかったです』

「先見の明……? 僕の許可、その段階で確認すべきだったのでは?」

 ごんごんとノック音。

「加代たちが集まっておるぞ」

「うん、わかった」

 返事だけして画面に向き直る。

「うちはおやつの時間ですから、切りますね。みなさんもおやつしてください。では、お疲れ様でした」

 通話を切って部屋をでる。

「出ないのか? 生放送」

「出ないよ。出られないよ。出られたら、鬼羅の畏敬集められたかな?」

「そんなにたくさんいらん」

「そっか」




 三十三周忌は兄と姉がちょうど忙しいらしく、慎と加代のみで行うことになっていた。久しぶりに腕を通した喪服は、少々ギチっとしていた。たくましくなったのである。太ったのではなく、たくましくなったのだ。大事なことなので二回言った。

 法要は、大掛かりなことはせず、経を上げてもらったくらいだ。慎が村から出られないようなものなので、碓井家で。

 母が手配したちょっといい弁当を食べて終わり。あっさりしたものである。

 法要はただの区切りだ。今回は、弔い上げの宣言をするタイミングだった。加代はすべての手配と手続を終えていた。

「しばらく雨だったけど、晴れてよかったわ」

 六月は雨の季節だ。梅雨明けはまだ先である。ずっと雨が続いていた。今日は朝からカラッと晴れている。

「龍神と話をつけることくらい、詮無いことよ」

 その大きな身体をどこに隠していたのか、法要が終わったあとすぐに鬼羅は出てきた。

「あら、そうなんですか? ありがとうございます、キラサマ」

 本当なのか嘘なのか、怪しいが気にしないことにしておいた。

「母さんは、父さんがいなくてさみしかった?」

 父の死を今さら理解した慎は加代をうかがう。

「さみしくなかったとは言わないわ。でも、結婚してから一緒にいた時間より、一緒にいなかった時間の方が、もうずいぶん長くなってしまったんだもの。そっちのほうが普通になっちゃったわ。お父さんに嫁いでこの村にきたから、あたしの故郷は別のところだけど、戻りたいとは思わなかった。ここは気持ちがいいからね。キラサマのおかげなんですよね?」

「当然だろう。と、言いたいところだが、不浄を取り除いただけで何もかもよくはならん。善くあろうとせねば、善きものにはなれん。根底には善性がある。我はそれを愛しく思うのだ」

「あらっ! なんだか人類を代表して褒められた気分ね」

「そう?」

 そこまでスケールの大きな話だろうか。疑問に思ったが、強く問いただすほどでもなかった。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんは出て行っちゃったけど、慎はキラサマに嫁いでそこにいるんだもの。さみしいことなんてないよ。村の人達も愉快だしね」

「あぁ、うん、愉快だね」

 そこは“優しい”などが選ぶ言葉ではないだろうかと思ったが、“愉快”も否定できないのでそのままにしておいた。

「そろそろバ美肉かしら。慎、ママにならない? キラサマ、ミネロマの雲英だと思いこんでいる一般人はしないの?」

「インターネットやめろ! あと、ミネロマ使うと版権とかあるからね!」

 母及び村人たちのリテラシーの方向性が大変心配になってきた。


 昨日までの雨に洗われ、いつも以上に空気が澄んでいるように思えた。しかし、すでに夏に差し掛かっている陽は容赦ない。ジャケットを脱ぎ、首元を緩める。

 みずみずしい緑が眩しい。畑の真ん中にこんもりと見えるのは、鬼羅の社を抱く森だ。慎宅はその近くなので、社の方へ向かっていることになる。

「これで最後ってわけじゃないけど、ほとんど憶えてなかった父さんのこと、少しでも思い出せていてよかった」

「そうか」

 となりを歩く鬼羅の手の甲が触れた。たどるようになでられたかと思えば、慎の手は鬼羅の手の中に収まっていた。

「慎、不便はないか?」

「田舎暮らしは不便の連続だよ。でも、ここが性に合ってるから、ちょうどいい。鬼羅と遠出ができないのは残念だけど、どうにかやれてるし」

「それは叶えてやれんが……」

「ん?」

「我は慎を何より愛しく思っておるぞ」

「うっわ、急にダイレクトに蕩してくる! なんだよー」

 慣れたかと思えば、すぐに次を投げてくる。倦怠期に入らせるつもりがないのでは、と踏んでいる。

「僕“も”っていうのは癪だけど、僕も愛してるよ、鬼羅」

 半ば騙し討のような儀式を経て嫁になり、米に釣られつつ、強引に身体を開かされはしたけれど、今はもうすっかりほだされている。

「いや令和にふさわしくないBLだな、その始まりは!」

 しかも初夜のそれは回避可能だったらしい。

「なんだ?」

「ごめん、大きな独り言」

 ごまかすように鬼羅の手を握り返す。

「あかねおばあちゃんのときも亡くなるまで、僕も死ぬまでって言ってたけど、今までもそんな感じ?」

「あぁ。天命は読めぬから、長短はあったが、看取っておる」

「やっぱり悲しい?」

「別離の悲しみにはまだ慣れておらん。みな、愛しいからな。だから、またこうして出てきてしまう」

「ふーん。なんだか壮大だなぁ」

 ぶらぶら手を振りながら家路につく。今日の晩ごはんはどうしようか。ぼんやりと日常に戻りながら考えていた。





 鬼羅のものはデカい。身体にあったサイズではあるが、慎と一〇センチ以上の身長差があるのだ。体格に見合っているとはいえ、絶対値でデカい。初夜をどう乗り切ったのかよくわからない。よく憶えていない。何か神通力的なミラクルが起こったのだろう。翌日はヘロヘロになりながら移住作業をしたので、何もミラクルは起こっていなかったのかもしれない。エロ漫画の女騎士なみにアナルが弱いとか(あくまで慎の中で)設定しておけばよかったと少し思っていたことは秘密である。あとは慣れである。それ以上は言うまい。

 慣れたとは言っても、しばらくは異物感が残る。翌朝に少し名残があるくらいだ。生活に支障がないので、朝に残る余韻のようなものだ。生活に支障のない範囲であれば、悪い気分ではなかった。繰り返すが、あくまで生活に支障のない範囲であれば。それも不浄の一種なのだろうか。鬼羅がいなければ、支障が出る範囲で残るのだとわかった。

 広々としたベッドで目覚めた慎は、ずっしりと重力をよくよく感じる身体をうめきながら起こす。随分久しぶりのだるさだ。思いながら、のそのそと活動を始める。

 慎宅にはベッドが一台しかなかった。キラサマの嫁はできるかぎりキラサマを観測・認識しなければならない。寝るときも、触れ合い、熱を分け合うように。一九〇センチ近い体躯と標準的な成人男性の身体を収めるためには必要な大きさのベッドだ。

 いつもより残る下腹部の違和感のために動作が緩慢だ。それでも、まずは朝食である。おすそ分けでもらった高級食パンを、そのままがおいしいと言われたが、無視してトースターに放り込んだ。おばさま方のタッパウェアの中からせん切り人参のサラダを取り出し、トーストを皿代わりに乗せて食べる。パンくずが散らないようにシンクの前で。家を清潔に保ってくれていた存在は、たぶんもういない。

 身支度を整え、時間になったので外に出ると、今日の手伝い先である康史が軽トラで迎えに来てくれた。荷台でドナドナされるのは平気だった。

「おはよう。キラサマはどうしたんだい?」

「おはようございます。うーん、たぶん帰っちゃった」

「……慎くん、死ぬのかい?」

「死なないよ。不慮の事故でもないかぎり。天命は読めないって言ってたから、そういう理由じゃない。僕が死活問題って言ったせいかな。……ちょっと軽トラ乗せてもらっていい?」

「かまわんが、乗れなくなってたんじゃないのか?」

「たぶん今は大丈夫になってる」

 一旦エンジンを切ってもらい、運転席を借りる。一連の動作は流れるように行えた。ぶるると震えてエンジンがかかった。ほんの少しだけ動かして、止めた。

 あの事故の記憶は、一部だけ欠けているが、まだある。今度はピンポイントに持っていったらしい。それよりもずっと、ぽっかり空いてしまった穴はあるのだけど。

「うん、大丈夫。このまま行く?」

「……いや、今日は慎くん、有休取りなさい」

「有休って、僕はお手伝いだよ」

「アルバイトにも有休はある。はい、降りて降りて。今年もおいしいお米作るから、慎くんはゆっくり待ってな」

 康史は慎を残して行ってしまった。

 午前中の予定が空いてしまった。農作業の手伝いは運動不足解消を兼ねている。かわりに筋トレでもすべきなのだろうが、そんな気にもならず、だからといって仕事に取り掛かる気にもならず、ベッドに戻った。標準的な成人男性の慎一人には随分広いベッドに。



 社の掃除は当番制だったが、今は慎が引き受けていた。慎宅(鬼羅が帰ってからも住まわせてもらっている)が社に近く、鬼羅との縁もあって。

 酒を供え、頭を下げる。まだSSR演出は現れない。ゲームによるが、排出率は一%を切るように設定されていることが多い。簡単に出てくれるわけもないかと思っていたが、“それ”は今日だった。

「セカンドアニバーサリーでピックアップされてるだろ。出てこいよ」

 主に今まで関わった仕事の各種周年記念を登録したリマインダーにより、スマートウォッチが震えた。キラサマSSRを引いて丸二年。SSR演出はこなかった。そっちがその気なら、石をぶちこむまでである。

 キラサマはこの村にしか起こらない自然現象のようなものだ。いてもいなくても、“ある”。村人にとってはそれくらいのもの。だが、慎にとってはすっかり住み着いて、いなくてはならないものになっていたのだ。

 鬼羅は言っていた。クリエイター気質は向こう側をのぞきやすい。また、死の淵を見た者も、向こう側をのぞいてしまう。

 石をぶちこむ(死の淵をのぞく)

 キチキチとカッターナイフの刃を出す。手首に刃をあて──。

「あっ、本気なら首か」

 首に当て直し、刃をすべ「待て待て待てい!」

 カッターナイフは弾き飛ばされた。

「無茶をするな!」

 cv.安元洋貴である。

「一回目の引きは運! 二回目以降は財力! 無茶くらいする! SSR演出なく出てきやがって!」

「あれは初回演出だ」

 鬼羅もすっかり現代のソシャゲ文化を理解してしまっていた。

「一生死ぬまでって言ったから、ライフプランも考え直したんだぞ! 風呂敷広げておいてサ終しようとすんな、責任持て! 藁婚式(セカンドアニバーサリー)どころじゃなく、銀婚式金婚式まで!」

「このままだと村から出られんぞ」

「少しずつマシになってたんだ。数ヶ月で諦めんな。鬼羅がいないことの方がよっぽど堪える」

「……すまん」

 抱きしめられた。

 人の世ではどこか嘘のある変化のない身体だが、体温も鼓動も感じられる。それでよかった。

 あやすように頭をなでられ、少し離された。鬼羅の手は社に供えられたカップ酒に伸びていた。盃を交わす儀式があったことを思い出し、鬼羅が煽ったカップを受け取ろうとした。上向かされ、直接唇に流し込まれた。こく、と澄んだ味を飲み下す。

「略式だ」

「あまり略できてなくない?」

「無理やり出てきたから、一秒でも惜しい」

 ころころと足元にカップが転がった。空いた手は再び慎を抱きしめる。唇が塞がれ、手が裾から差し込まれる。慎の肌に直接触れた指は──。

「ちょっと待って待って、ここ外! そういう趣味ない! うちそこなんだから、せめてそこまで!」

「一秒でも惜しい。人が来れば我が気づく。それに、」

「ん?」

 日が陰った。と、いっても社は広がった木の枝に覆われており、木漏れ日が陰ったという方が正しい。

「雨で人も寄りつきにくいだろう」

 パタパタと雨音に包まれる。木陰に守られ、雨粒はほとんど落ちてこないが。

「龍神となかよしだったねそういえば!」

「無理やり出てきたから、社が近い方がいい。たぶん」

「たぶんって言ったな! 取ってつけたな! 取ってつけたな! あーっ!!」




 とある地方のイオンモールでガシャを引くと雲英が出やすい。ある学校の小さなコミュニティの中でまことしやかに囁かれている。レアリティが低くても単発で引けたときが狙い目。SSRの排出率は一%以下だが、その確認単発と十連一回でだいたい出る。


「去年のロイズ地獄を忘れたか!」

「新しい別のフレーバーだ! 一箱ならいけるであろう!」


「え、待って、単発でイベ限きた」

「十連で二枚引き大勝利!」

「いつも通り」

「うん、いつも通り」

「「絵アドが高い」」

「シン先生、ぜったい雲英様贔屓だよね」

「推しでよかったー」


 ある学校の小さなコミュニティで語られているその噂の真相は──。



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