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字が読める子

クロワッサンをビニール袋から取り出し、カウンターに置いた皿にのせる。所在なげに立っているノアに声をかけて皿を指さし、次にテーブルを指さすとうなずいて皿をテーブルに運んだ。賢い。


冷蔵庫を開けるとドアポケットには買った覚えのないリンゴジュースが入っていた。クロワッサンもそうだが、いろいろ食べ物が増えている。昨日、洗濯中にエドが買い出しに行ってくれたからその時のものだろう。性格は悪いが気の利く上司で助かる。なお俺とエドは仲が良い。本当だ。


そういえばノアに冷蔵庫の使い方教えないと。中に入ってる物は勝手に食っていいってどう教えればいいんだろ。うーん、難しい。何回かやらせてみるしかないか。


戻ってきたノアに声をかけ、食器棚から2つグラスを取り出してカウンターに置く。冷蔵庫のドアを指さし、取っ手を持って引く動作をすると、これでいいの?という顔をしてノアは真似して冷蔵庫のドアを引いて開けた。うなずいて見せてリンゴジュースのボトルを取り出し、ノアに渡す。


「いいかノア、ここを持ってこうねじる。と蓋があく。」


言葉が通じないのはわかっているが、ボトルを開けてみせて一度蓋を戻す。蓋を指さすとノアは蓋をねじって開けることができた。


ボトルを指さし、カウンターのグラスを指さす。わかったというようにノアはボトルからリンゴジュースを2つのグラスに注いだ。その後は何も言わなくてもボトルの蓋を閉め、冷蔵庫に戻した。


「おお!賢い!」


頭をなでるとノアはちょっと得意そうな顔をした。二人でそれぞれのグラスを持ってテーブルに行き、椅子に腰を下ろす。俺がクロワッサンを口に運ぶとノアも同じように口に入れた。やっぱりカフェの焼きたての方がうまいな。当たり前か。


朝食の片付けが終わったころにエドが来た。鞄から印刷した紙を出してテーブルに置く。紙には古代アラダの文字が並んでいた。何かの資料を撮影したものだろう。


「エド、言葉を教えるんじゃなかったのか?」

「わかってる。まずは文字が読めるか?だよ。」


ノアの前に紙を置くと目が左から右に動いた。いったん右端で止まり、また左から右に動く。感心したようにエドが言う。


「これは…読んでるね。」

「そう見えるが…音読できるかな。」

「いい考えだ。やらせてみよう。」

「どうやって?」


そう聞くとエドはスマホを取り出した。ノアの前に置いて電子書籍を開く。


「なにがいいかな…これにするか。」


エドが選んだのはブレイクの詩だった。文字を指さしながら朗読を始める。なかなかうまい。


一節を読み終わるとエドは古代アラダの文字を指さした。ノアは首をかしげたが、口を開くと音読を始めた。耳に心地よい、歌うような音が響く。


「ヴィンス…」


エドが囁き声を出したらぴたりとノアは音読をやめてしまった。何か間違ったのか?とでもいうように紙とエドの顔を交互に見る。


「大変なことだな…この子は字が読める。報告しないわけにはいかないが…知られたらまた閉じ込められるな…。」

「そうだな。閉じ込められない理屈なり方法なり考えないと。」

「理屈…な…。」


二人で悩んでいる間に、ノアはそろりとスマホに手を伸ばして画面を触った。指の動きに合わせて詩集がめくられる。動くのが面白いのか何度もページをめくる。それを見守っていたエドは気を取り直したように言った。


「まあそれはゆっくり考えよう。さて、文字が読めるとわかったら次はこれだ。」


エドは小さめのノートとボールペンを鞄から出した。ノートの表紙にノアの名前を書いて指をおいて言う。


「ノア」


ノアはボールペンを渡されるとその下に古代アラダ文字を書いて「のあ」とこたえた。


「アラダにもノアって名前あるのか?」

「さあ。同じ音かもしれないな。」


エドはページを開くとリンゴの絵を描き、横にスペルを書いた。


「リンゴ」


そう言うとノアはその下に古代アラダ文字を並べて2つ書き「りんご」と言った。


「なんで2つ?」

「どっちかがリンゴのスペルで、もう1つが発音の『りんご』じゃないか?」

「そうか…しかしこんなスピードで英語が話せるようになるのか?」

「日常生活で使うのは3000語くらいらしいよ。だけど1000語覚えれば簡単な会話はできるって。で、これな。」


エドが鞄の中から取り出したのは「こどもの英会話」という本だった。


「よくそんなもの見つけたな。」

「苦労した。大人用はいくらでもあるけど、子供向けに英語を教える本ってなかなかなくって。」


そう言うとエドは本を開き、リンゴのイラストがあるページにノアの真似をして古代アラダ語を書き込んだ。ノアは「なんてことをするんだ」みたいな顔をした。


「なんかノアさんびっくりしてるぞ。」

「僕たちだって本に書き込みは普通しないしね。書いていいって見せないとできないだろ?」


その日は簡単な単語を教えるだけで終わった。パン、ジュース、グラス、皿、フォーク、テーブル、歯ブラシ。まずは家の中にあるものだ。エドが本を指さし、読み上げてノアが書き取る。1時間も続けるとノアはちょっと疲れたようだった。


「疲れたかな。今日はここまでにするか。できるだけ話しかけて覚えさせてくれ」

「わかった…けど、どこまで教えたか俺覚えてない。」

「覚えてなくてもいいよ。話しかけるのが大事だ。」

「じゃあ試してみるか。ノア、リンゴジュース、グラス。」


そう言って指を3本立ててみせる。ノアは一瞬「ん?」という顔をしたが、うなずいて食器棚に行くとグラスを3つ持ってきてテーブルに置いた。次に冷蔵庫に行ってリンゴジュースのボトルを持ってきて、グラスに注ぐ。注ぎ終わるとボトルを冷蔵庫に戻した。


「よく出来ました」


そう言って拍手するとノアは自慢げな顔をした。それぞれグラスを手にして3人でリンゴジュースを飲む。朝もそうだったが、ノアはリンゴジュースをごくごく飲んでいた。オレンジジュースは手を付けなかったがリンゴは好きなのかな。今度アップルタイザー飲ませてみるか。子供はだいたい炭酸好きだし。


逆にエドは一口飲んだだけでグラスを置いてしまった。何か考えているようなエドに声をかける。


「エド、リンゴジュース嫌いか?」

「え?…ああごめん。好きだよ。ちょっと考え事してた。」

「何かまずいことでも?」

「まずいことじゃないけど…古代アラダの教育ってどうだったのかなって。いまみたいに義務教育でみんな読み書きできたのか、それとも上流階級だけだったのか。」

「どうなんだろうな。ノアが英語を話せるようになったら聞けばいいんじゃないか?」

「そうだな。古代アラダ文明の生きた証人だ。みんなアラダの技術にしか興味ないから、どういう文化だったか調査されてないけど。あれほど高度な文明を持つ民族が滅んだ理由は文化の調査も必要だと思うんだよね…あ、そうそう。持ち歩けるようこれも渡しておかないと。」


そう言うとエドはポシェットを出してきた。ノアの頭の上からかけると、ポシェットの中にさっきのノートと英会話の本、そしてボールペンを入れる。だがいったん入れたボールペンをもういちど手に取った。


「いけないいけない、使い方教えてない」


そう言うとエドは一度カチッとノックした。芯が出たところで書く真似をして、もういちどノックするとノアの手に握らせ、上を指さす。ノアはノックして芯が飛び出し、もう一度ノックすると芯が引っ込むのを不思議そうな顔で見た。カチカチと何度も繰り返しノックする。


「楽しそうだな」

「僕たちは普段使ってるから気にしてないけど、確かにどういう仕組みかわかってないし。面白いだろうな。」


芯がひっこんだところでエドはそろっとノアの手からボールペンを取り上げ、ポシェットにしまった。


  ***


今晩の風呂も俺とノアは一緒に入ることになった。たださすがにいつまでも一緒に入っているわけにもいかないんで、今日はノアにシャワーの使い方を教える。2人とも素っ裸になったところで空のバスタブを指さす。


「風呂、入る」

「ふろ、はいる」


そうは言ったがノアは空のバスタブを見てなんとなく物足りなそうな顔をした。お湯はそう毎日つかるもんじゃないんだよ。俺がシャワーを浴びているところをバスタブに座ってノアは見ていた。先にバスタブから出て、順番にシャンプー、スポンジ、ボディソープを渡すとさすが3日目だけあって自分で洗うことができた。よしよし賢い賢い。


シャワーをすませて浴室から出るとノアはテーブルについた。ポシェットの中からノートを取り出して置き、何か書きはじめる。風呂の絵が見えたからいま話したことを書いているんだろうか。


風呂上がりのコーラとリンゴジュースを取りにキッチンに行き、戻ってきてもノアはまだ何か書いていた。


「何書いてるんだ?」


のぞき込むとノートには古代アラダ文字が書いてあった。読めん。


「何だこれ。日記か?」


そう言うとノアはいたずらっぽく笑った。俺が読めないってわかってる顔だなこれ…。まあいいや、そのうち読めるようになるだろう。たぶん。リンゴジュースを渡すと、ノアは俺の手の中のグラスを気持ち悪い物を見るような目で見た。ノアにはコーラが何に見えるんだろうな。真っ黒い飲み物なんて自然界にはないから、そりゃ気持ち悪いか。


「ジュース飲んだら歯を磨いて寝るぞ。」


グラスを食洗機に突っ込み、ノアの手をひいて洗面台に行って白い歯ブラシを渡す。


「歯ブラシ、歯、磨く。」

「はぶらし、は、みがく」


復唱したノアの前で歯を磨くと、ノアも同じように歯を磨いた。寝室に行き、昨日と同じようにベッドに横になりマットレスを叩いてみせる。


「ベッド、寝る」

「べっど、ねる」


そう言うとポシェットからノートを取り出し、また何かを書き付ける。おいおい、これじゃいつまでたっても寝られないぞ。


「ノア、今日はもうおしまいだ。寝よう。寝る。」

「ねる」

「そのとおり、良い子だから寝よう。な。」


そう言うとノアはノートをしまってポシェットをベッド脇のテーブルに置いた。よかったやっと寝てくれるか。ノアはベッドに入って横になって言った。


「のあ、ねる」

「そうだ、ノア寝るだ。賢いな。」


褒められたのがわかったのか、嬉しそうにくっついてきたノアの背中に毛布をかける。しかしいくつなんだろう。一緒に風呂に入っているから全く子供ってわけでもないのはわかっているけれど、言葉がおぼつかないから子供にしか思えない。何よりこんなにくっつきたがるのは大人じゃないだろうし。


俺の胸にべったり顔をつけているので頭しか見えないが、エドと同じ黒髪でもウェーブのかかったエドと違うまっすぐな髪だ。目はもっと似てない。緑がかって切れ長のエドの目と違う、くりっとした黒い目。エドは猫っぽいと思ったがノアは犬っぽいんだな。子犬みたいなんだ。


しかしノアはこれからどうなるんだろう。アラダ語の読み書きができるとわかったら研究所が取り戻そうとするのは間違いない。それがなかったとしてもどうする?最初にエドが言ったとおりエドがひきとるのか。それともこのまま俺と暮らすのか。


今の俺は拾った子犬がなついてきて可愛いくらいの感覚だが、ノアは犬じゃない。人間だ。もし一緒に暮らすとなったらいろいろ大変なことも出てくる。大変だから手放すのか?手放せるのか?


自分に問いかけてみても「わからない」としか答えは出なかった。いまはまだわからない。だが、もしこのまま俺と暮らすと決まったらノアのベッドを買おう。それまでは一緒に寝るのも…悪くないな。

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