服はけっこうかさばる
翌日、ノアを連れて俺とエドが最初に行ったのはアンジーの美容院だった。髪が目立たないよう車から降りる前にノアに俺の帽子をかぶせ、3人で歩いて店に向かう。closedの札がかかった店のドアを開けると、開店準備をしていたアンジーはダスター片手に俺たちを迎えてくれた。
「いらっしゃい。早かったね。」
今日はジーンズにVネックのカットソーというなんでもない格好だが、ほっそりしたアンジーにはモデルのように似合っている。俺と同じブロンドにブルーアイ。エドに言わせると天使のような美しさだそうだ。認める。
エドはアンジーの元に歩み寄ると軽くキスをした。アンジーはダスターを持ったままエドを抱きしめ、耳元で何かささやく。相変わらずお熱いことで。さぞかしノアも呆れているだろう…と思いながらノアの帽子を取ると、この世の終わりでも見たような顔をしていた。
「ノア?」
声をかけると驚いたように顔を上げ、俺と2人を見比べた。明らかにうろたえている。
「おいエド。なんかおかしいぞ。」
「なにが?」
アンジーに抱かれたままエドが振り返る。その様子に、ノアは怖い物を見たような目をする。
「お前たちがいちゃつきすぎるから目の毒…とも違う顔だな。」
「なんだろ…あ、しまった。同性が駄目な文化か…?」
エドは顔をしかめるとアンジーの胸に手を当てて押しのけた。アンジーはよくわからないまま困った顔をして俺とノアを見る。
「うっかりしてたな…。ごめんノア、驚かすつもりはなかったんだけど。この人はアンジーだよ。」
「はじめまして、ノア。」
そう言うとアンジーはにっこりと笑った。うっとりするような笑顔で、俺もつい見とれそうになる。ノアと言えば顔が赤くなっていた。
アンジーはノアの手を引いて椅子に座らせた。その間もずっと話しかけている。さすが客商売だけあって子供の扱いもうまい。何を言われているかわからないようだが、ノアはアンジーの顔を見てにこにこしていた。確かに俺もあの顔がそばにあったら頬がゆるむ。男だとわかっているけど。
アンジーはノアにケープをかけ、後ろに少しだけ残っていた長い髪を手に取ると顔をしかめた。
「酷いことするな」
「アンジー。何で、いつごろ切ったかわかるか?」
俺が聞くとアンジーは首をかしげた。
「いつごろ…毛先が揃ってるからそんなに前じゃない。2,3日前かな。だけどこれ…何で切ったらこうなるんだ?ハサミでもレザーでもない。」
「たとえばレーザーカッターとか?」
「熱で切った切り口じゃないね。ウォーターカッターとか、そんなものでもないとこんなにすぱっと切れないよ。」
そう言いながらアンジーはスプレイヤーで髪に霧を吹いた。髪をとかしてカットを始めると、ノアはぎゅっと目をつぶった。嫌そうな顔をして座っている。逃げたくて仕方ないのを我慢している顔だ。
「ハサミが怖いのかな。」
「髪を切ったことがないのかも。可哀相だけど仕方ない。あの髪じゃ外を歩けないし。」
カットが終わるまで、俺とエドはアンジーのサロンで暇つぶしをすることにした。ただの待合室だが、店を閉める少し前から閉店後1時間くらい、客同士の交流の場所として使っているのでそう呼んでいる。
サロンの入会条件はアンジーに気に入られること。ただ来てコーヒーを飲んで帰るだけでもいいし、客同士で話したり、仕事が終わったアンジーと話したりしてもいい。まあ来る奴は9割方アンジー目当てなんだろうが。エドがアンジーと親しくなったのも、カットが終わった後でここに誘われたのが最初だと聞いている。
店の中だからアンジーがノアに何かを話しかけている声が聞こえる。しばらくするとアンジーは俺達を呼んだ。
「終わったよー」
呼ばれて行くと、アンジーはケープを外してノアの肩を払っていた。おそるおそる目を開けたノアは鏡の中の自分を見て一瞬泣きそうな顔をしたが、仕方ないと言わんばかりに肩を落とした。しょんぼりした様子を見てアンジーが慌てたように言う。
「あれ?!気に入らなかった…?」
「いや似合ってると思う。いい感じだよな。」
「そう思う。現代…じゃない、僕たちの感覚だと。」
俺はカットのことはよくわからないが、悪意を持って乱雑に切られた髪をここまで綺麗に整えるのは大変な技術だと思う。アシンメトリーに仕上げた髪形はノアによく似合っていた。
「似合ってるぞー。いいじゃん!」
オーバアクションぎみに言うと、ノアも褒めているとわかったようでちょっと笑い、アンジーに向かって何か言った。俺には聞き取れなかったが、アンジーはにっこり笑ってそれに答えた。
「どういたしまして」
「意味分かるのか?!」
驚いて言うとアンジーはすました顔で答えた。
「わからないけど、こういうときって普通『ありがとう』って言わない?」
そう言うとアンジーはノアに笑いかけ、つられたようにノアもアンジーにむかってにっこり笑った。なんだこの可愛い2人…。
***
美容院を出て1ブロック歩き、近くのカフェで朝食にする。クロワッサン2つと俺たちはカフェオレ、ノアにはリンゴジュース。ノアはクロワッサンを1つ食べ、ジュースを飲み干した。ノアの口の周りについたクロワッサンのくずを拭き取りながらエドが言う。
「まだあんまり食べられないかな」
「昨日よりは食いつき良いぞ。昼はもうちょっと食うかも。」
そう答えてノアが食べ残したクロワッサンを俺が片付ける。朝一のクロワッサンは焼きたてでうまい。パリパリでいくらでも食べられる。しかしエドは面倒見がいいな。お母さんみたいだ。
その後、服を買いにOLD NAVYに行った。店員のお姉さんを捕まえてノアのサイズを測ってもらう。「外国から着た甥っ子がロストバゲッジにあって着る物が何もない」という設定だ。誰の甥かは言わなかったが、エドと同じ黒髪だからお姉さんはエドの親族だと思っているだろう。
いつ荷物が届くかわからないし、こっちに住むならどうせ買うことになる。だから下着からアウターまで着る物を全部揃えたい。できるだけ長袖のものを、と言うとお姉さんははりきって揃えてくれた。レジでレシートの長さと金額を見て一瞬びびる。OLD NAVYでこれだけの金額になるのか…少しずつ買うから気づかないだけで、服代ってけっこうかかってるんだ。
そして服はけっこうかさばることもわかった。俺もエドも両手に紙袋を下げて歩くことになった。真冬じゃなくてよかった。ダウンジャケットなんてあったら背中にしょって歩いても足りないくらいだ。