目覚め
時間通りに調査室に入るとステンレスの台の上には例の男が…いや子供が乗っていた。最初に見つかった状態のまま、右肩を下にして横を向いた状態で後ろ手に縛られている。誰も気にしないのか裸のままだ。足が曲がっているから肝心の部分は隠れて見えないが、たとえ死体だとしても少しは敬意を払うべきだろう。
俺がぱたぱたと布を振ると、エドが不思議そうに尋ねてきた。
「何持ってるんだ?」
「何って、シーツ。」
「シーツ?」
「だって可哀相じゃん。裸なんだぜ?」
「死体は恥ずかしいと思わないだろ。」
「俺が思う」
そう言ってふわっとシーツを体の上に広げる。これで一応全部隠れた。肩口までシーツをひきあげ、裸の肩に手を置くと不思議な感触があった。手袋越しなので正確にはわからないが、生身の人間のような人形のような。暖かいような冷たいような。
明るいところで見ると頬がほんのりと赤く、その上に黒い髪が散らばっている。顔立ちはモンゴロイドに近いだろうか。まだ幼さが残った可愛い顔をしている。俺の感覚だと14,5歳くらいに見えるが、もう少し上かもしれない。どう見ても眠っている人だがこの手触りは生きている人間ではないし、呼吸もしていない。
エドは時間魔法と言ったが、確かに生きている人間の時間を止めたらこんな感じだろう。縛られて棺に押し込まれて5000年か。そう思うとなんだか悲しそうな顔をしているようにも見える。こうなってしまえば物と同じだが、顔を見ているといまにも目を覚ましそうだ。そんなことはないとわかっていても、つい冗談を言いたくなって肩を軽くゆすってみた。
「おーい、起きろー。」
「やめろ、本当に起きたらどうする。」
そう言うエドに冗談に決まってるだろ?と言おうとしたが、口が動かなかった。いや、体が動かない。てのひらから何かが抜けていく感覚がする。なんだこれ…しまった、トラップか?!
古代アラダだ。何が起きるかわからないのにうかつだった。研究所だからって油断した。やばい、これマジでやばい。何か吸い取られているのか?俺死ぬのか?気づいてくれエド!
「…ヴィンス?」
いぶかしげにエドが声を掛けてきた。気づいてくれ頼む!
「ヴィンス!」
やっと異変に気づいたようで、エドは慌てて俺をひきはがそうとした。だが俺に触る直前で手を止めた。そうだ、俺に触ったらエドもやばいかもしれない。感電している奴に触ったらいけないのと同じ理屈だ。
エドもどうしていいかわからないようで、焦ったように動かない俺とジョン・ドゥを相互に見比べている。腹の底から吐き気がして冷や汗が出てきた。倒れれば楽になるだろうが動けない。全身が冷えているのか、肩に乗せた手が温かく感じる…いや違う、肩が温かくなっている。触感も柔らかくなってきた。まるで生きている人の肩に手を乗せているような…。
そして俺とエドは、息を止めていた人が我慢できなくなって息を吐いたような音を聞いた。ジョン・ドゥは息を吐き終わると今度はゆっくり息を吸って…そして呼吸を始めた。
とたんに俺は動けるようになった。慌てて肩から手を離すと貧血でも起こしたようにくらっときた。立っていられなくて、ステンレスの台に手をかけてしゃがみこむ。勢いよく座り込んだせいか、額から冷や汗が垂れてきた。
「おい…生き返ったぞ。」
そうエドは言った。わかってる。ステンレス台はちょうど俺の目の高さで、いままで死体だった物を真っ正面から見ることができた。
二人とも動くことができず、ただ見守っているとジョン・ドゥはゆっくりと目を開いた。そして…俺と目が合った。髪と同じ黒い目だった。
「ヴィンス、俺が連絡する!その間見張っててくれ!」
こういうときのエドの反応はすばやい。それだけ言うと急いで緊急連絡用の電話に手をかけた。すごい早口で喋っていて、へろへろの俺にはよく聞き取れない。しかも見張ってろと言われたって動けないし。ただ目覚めたジョン・ドゥと目を合わせているだけだった。
ジョン・ドゥは動こうともせず、うつろな目で俺を見ていた。目が覚めただけで意識がはっきりしていないのか。それとも脳に障害が起きているのか。なんだか居心地が悪くて、言わなくてもいいひとことをつい言ってしまった。
「おはよう…ございます。」
そう言われてジョン・ドゥは瞬きをしたが何も言わなかった。ジョークが通じなかった…わけじゃなくて、言葉がわからないんだろう。俺だって古代アラダ語なんて話せないもんな。古代アラダの文字や言葉は調査である程度までわかっているが解読はすすんでいない…ってかここに話せる奴がいる!これ、すごい調査が進むんじゃないか?
電話が終わったのか、エドはジョン・ドゥの後ろに回ると手を縛っていた縄をほどいた。自由になったジョン・ドゥはのろのろと体を起こそうとすると肩からシーツが落ちた。それに気づいたようで、シーツで体を隠そうと引き上げる。シーツ持って来た俺、超ファインプレーじゃないかこれ?
やっと貧血もどきが楽になって、ステンレスの台に置いた手に力を入れて立ち上がる。それと同時に他のスタッフが部屋になだれこんできた。
目覚めたらさすがにステンレス台が冷たいのか、ジョン・ドゥはシーツを体に巻き付けて体を起こした。その様子を全員が唖然とした様子で見守る。エドから聞いていたとは思うが、見ても信じられないだろう。俺も信じられない。
その間にも入ってくるスタッフが増えた。中には車椅子を運び込んだ奴までいる。だが大騒ぎの主人公のジョン・ドゥは相変わらず何も言わず、じっと俺を見ていた。ここまで反応がないのもちょっとおかしい。普通だったらここはどこか、何が起きたか気にならないか?
車椅子がステンレス台に横付けされると、エドはジョン・ドゥをシーツごと抱き上げて車椅子に落とした。
「おいエド、どうするんだ?」
「健康診断」
「は?」
「命に関わる危険がないか調べる。お前もあとから来い。」
そう言うとエドと車椅子を押しているスタッフは部屋を出ていってしまった。俺にも車椅子が用意されていた。歩けると言ったが、足を出すとふらっときた。予想以上にダメージが大きかったらしい。なんだったんだろう、あれ。
車椅子に乗せられて俺も医局に向かう。何が起きたか説明しなくていいのかな…と思ったが、全て録画しているからその映像を見ているだろう。古代アラダの魔法が溶ける…いや技術を目の当たりにするなんてのは本当にまれな経験だ。しかも命を失わずにすんだ。
***
医局で簡単な検査を受けると、血圧が低くなっている程度で特に問題がないそうだった。体調が戻るまで少し横になっていろと言われ、医局内のベッドに横になる。あの何かが抜けていった感覚は現代の医学では計測できないものらしい。
横になったらついうとうとしてしまって、目が覚めてスマホを見るともう1時間過ぎていた。慌てて起きてカーテンを開けると隣のベッドから声がかけられた。
「起きたか」
エドの声だった。隣のベッドにはエドとさっきのジョン・ドゥがいた。体にシーツを巻き付け、無表情のままおとなしく座っている。ジョン・ドゥを見守っていたエドが顔を上げる。
「具合はどうだ?」
「寝たら治った。そっちは?」
「簡易検査では異常なし。精密検査は明日。」
そう言うエドの表情は硬かった。
「どうした?異常なかったんだろ?」
「異常はないんだが…大人しすぎる。」
「大人しい?」
「全然抵抗しないんだ。検査で血を抜かれても、大人しく手を差し出す。話しかけても反応がないし、ここがどこかも気にならないようだし、逃げようともしない。」
「脳に損傷がある可能性は?」
「わからないな。それは明日の精密検査待ちだ。」
エドが言ったとおり、ジョン・ドゥは何も言わないし動きもしない。ただぼんやりと座っている。脳が損傷しているんだろうか。試しに俺は基本中の基本の会話を試してみることにした。どんな言語でも通じる会話だ。
ジョン・ドゥの横に腰を下ろし、自分を指さして言う。
「ヴィンス」
ジョン・ドゥはこっちに顔を向けて、ちょっと首をかしげた。声は聞こえているらしい。もう一度繰り返し、自分を指さして言う。
「ヴィンス」
「…びんす?」
ジョン・ドゥがしゃべった。内心ぶったまげたが、顔には出さずうなずく。今度は自分を指さし「ヴィンス」と言い、ジョン・ドゥを指さす。名前を名乗って名前を聞いている。世界中どこでも通じる会話だ。
だがジョン・ドゥはとまどったような表情を浮かべた。名前が聞かれているのはわからないわけはないし、自分の名前もわからないはずはない。いや、脳障害が起きているとしたら記憶障害があってもおかしくない。
「困ったな、名前覚えてないのか…エド、何かいい名前ないかな。」
俺がそう言うと、ずいっと前に出るとエドは自分を指さして言った。
「エド」
「えど」
さっきより簡単にジョン・ドゥはエドの名前を呼んだ。感動にうちふるえるエドの頭を一つ叩く。
「誰がお前の名前を教えろって言った。この子の名前を考えろって言ったんだ。」
「気安く叩くな、脳細胞が減る。名前…なぁ…。」
二人で腕を組んでしばらく考える。先にエドが口を開いた。
「ノア…はどうだ?」
「箱船の?」
「ノアは一人で生き残ったわけじゃないが…短い方が覚えやすいだろ。」
「ノアね…うん、いいんじゃないか?」
もういちど自分を指さして「ヴィンス」と名前を言う。エドを指さし「エド」と呼ぶ。最後にジョン・ドゥを指さし名前を呼んだ。
「ノア」
「のあ?」
「ノア」
ジョン・ドゥ…いや、ノアはわかったというようにうなずいた。仮にでも自分の名前があるとないとじゃ大違いだろう。
「さてこれからどうするかな。」
「どうもならない。もうじき引き取りに来る。」
「誰が?何を?」
そう言うと部屋のドアが開く音がした。エドがノアを抱えて車椅子に座らせる。数人のスタッフが入ってきて、車椅子に手をかけると黙ったままノアを連れ出そうとした。
「おい、ちょっと待てよ。どこに連れて行くんだ?」
「貴重な資料だからね。研究所の管理下におかれる。」
そう言うエドの声は刺々しかった。ドアが閉まる前、ノアはちょっと振り返ってただ見送るだけの俺たちを見た。ような気がした。