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誰を好きになっても

それから一年たち、ノアは日常会話なら話せるようになった。ジリアンが頑張って教えてくれたおかげでかなり正確な発音だが、少しだけアラダ語の訛りが残った。だがその訛りは耳に心地良く、むしろ魅力的な話し方になった。


2年後、エドとアンジーは結婚した。式にはエドとアンジーの家族、それから美容室のスタッフと俺とノアが出席した。2人ともタキシードを着ている結婚式など今は珍しくもない。そもそも同性婚自体、俺が生まれる前に法律で認められている。教会で永遠の愛を誓った二人をみんなが祝福し、幸せに生きていけるよう祈った。


そのころにはノアは少し難しいことも理解できるようになっていた。俺とエドはノアが俺の養子になっていることを教えた。それだけでなくノアがどこから来たのか、いま研究所でやっていることはどういうことなのか説明した。


ノアもうすうす気づいていたようで、教えられたことに納得したようだった。自分に関する記憶はないが古代アラダの知識は残っている。だから、かつていた場所と全く違うところにいることはわかっていたらしい。ただ俺の養子になっていることには驚いていた。


「僕、ヴィンスの子供なの?」


そうだと答えると嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、ノアが記憶を失ったのは可哀相じゃなくてむしろ幸いだったかも知れないと思った。


親も兄弟も、もしかしたら恋人もみんな5000年前に死んでしまった。そしてなぜあんな姿で閉じ込められていたのかもわからない。愛する者を失った痛みも辛い目にあった苦しみも、覚えていなければノアを傷つけることはない。このまま俺の子供として幸せに生きていけばいい。


3年後、英語・アラダ語辞書と翻訳装置が完成した。完成に伴い、いったんノアは辞書作りから解放された。改良のため週に1度は研究所に行くが、それ以外の日は学校に通うことになった。この3年で一生遊んで暮らせる収入源を確保したが、それと生きがいや人生の目標は別だ。学校という開かれた場所に通い、年が近い友達もできてノアの世界は広がっていった。


いろいろなことを自分の経験として見聞きするようになったこと、そしてエドが古代アラダ文化の聞き取り調査を始めたことが影響したのかもしれない。ノアはアラダでのことを話すようになった。とは言ってもたいした内容じゃない。アイスを食い過ぎて腹を壊した時、牛乳が体に合わないんじゃないかと言ったら「そういえばアラダには牛乳がなかった」なんてぽろっと言うくらいだ。


そういう風にノアの中にはアラダの知識や常識が生きていて、ときどきそれが顔を出した。一番それが現れるのは恋愛観だった。ノアは奥手も奥手で、ドラマのキスシーンすら恥ずかしがって見ない。ベットシーンなら俺と見るのも恥ずかしいかもしれないが、街中で見かけるレベルの代物でも見ない。


今日も2人でTVドラマを見ていて、キスシーンが出てくるとノアは目をそらした。いい加減慣れてもよさそうなものだが。


「お前…慣れないな。」

「…だって、ああいうのは人前ですることじゃないし。」


困ったような顔で答える様子が可愛くておかしいんだが、そこは笑ってはいけないとぐっと我慢した。ノアの常識…いやアラダの常識だ。どうやらアラダは性的なことに厳しい文化だったらしい。


「そうか。いつか好きな子ができたらノアもキスしたくなるさ。」

「好きな子…?」


そう言うとノアは俺の顔をちらりと見て目を伏せた。


「好きとか…駄目だよ。それに僕が結婚する相手はヴィンスが決めるんだし。」

「俺が?なんでだ?」

「結婚は親が決めた相手とするもの。好きとか嫌いとか関係ないよ。」

「おいおい。おまえ、エドとアンジーの結婚を親が決めたと思ってるのか?」


そう言われてノアは「あれっ?」という顔をした。確かにおかしいことに気づいたらしい。


「ここでは誰を好きになってもいいんだよ。結婚相手は自分の意志で決められる。エドとアンジーみたいに男だっていいんだ。ノアが選んだ相手なら俺は誰でも祝福するよ。」


そう言うとノアは不安げな顔をして問いかけてきた。


「誰を好きになっても…いいの?」

「もちろん。ああ、でもエドみたいに性格が悪い奴はやめておけよ。アンジーみたいにしっかりした優しい人にしろ。あんな美人は滅多にいないけどな。あとそうだな…」


この恥ずかしがり屋の坊主にお似合いの相手はどんな人だろう?腕組みして考えているとノアはちょっと笑って言った。


「大丈夫だよ、僕が好きなのは優しい人だから。」

「お、なんだ気になる子いるのか?」


聞いたがノアは笑顔のまま何も答えなかった。うーん残念、教えてもらないか。そうかそうか、好きな人ができたか。学校の友達かな?お父さんは嬉しいぞ。


  ***


そして4年目は来た。契約が終わる3ヶ月前、ノアの生活を保障できる資産が口座にあることを弁護士から告げられた。これがあれば俺との養子を継続するのも、破棄するのも自由に選択できる。


それから俺とエドは契約についてノアに説明した。アラダ語辞書の使用料がノアの口座に振り込まれていること、使い切れないほどの大金が入ってくること、そのために仮に俺と養子縁組をしたこと、そしてそれを継続するか解消するか決めること。


ノアは弁護士事務所に行ってサインしたことは覚えていた。金の話はいまいちピンとこないようだったが、養子縁組の確認については何となくうかない顔をした。


弁護士事務所に行く日が近づくにつれ、ノアの元気がなくなってきた。後見人のエドもどう決まったか気になるようで研究所のカフェテリアで話を聞かれた。


「どうなったんだ?養子の件。」

「どうもこうも。あいつ、あからさまにその話は避けてる。最近あんまメシ食ってないし。ストレスかかるとすぐ食えなくなるんだよな…。」

「そうなんだ。何が問題なんだろう。ノアが解消したがるとは思えないけど。」

「うん…まあ…ノアにはノアの考えがあるだろうし。解消したとしても、良ければ一緒に住まないか?って言ったんだけど反応悪くて。逆に出て行きたいんだけど、俺に言いづらくて悩んでるのかって気もしてさ。」

「それはないと思うけど…心配だな。僕が聞いてみようか?」

「そうだな。そうしてもらえると助かる。」


打ち合わせたとおり土曜の夕方にエドが家に来た。晩飯を買ってくると言い残して俺は家を出る。その間にエドがノアと話す、という筋書きだ。家に戻るとエドとノアはリビングで待っていた。二人は秘密を共有した人同士のように目配せして、何もなかったようにエドが言う。


「遅い。お腹すいちゃったよ。」

「すまん、混んでた。」


そう言って買ってきたハンバーガーをテーブルに並べる。ノアの大好きなバーガーキングだ。最近食べ残すことが多かったが今日はゆっくりとだがちゃんと片付けた。エドと話して解決したみたいだな。良かった。


ゴミを片付けている間にノアが風呂に行き、そのすきに訳知り顔のエドに話しかける。


「で、どうだった?」


エドはテーブルに肘をつき、黙ったまま俺に流し目をよこした。なんだよ、気になるだろうが。


「話…聞いたんだろ?」

「うん。いろいろとね。これからのこととか、ノアが悩んでることとか。でも君には言わない約束だから言わない。」

「なんだよ、意味ないだろそれじゃ。役に立たないな。」

「失礼だな。絶対に教えてやらない。」

「すみませんエドさん教えてください。」


そう言うとエドは俺に向き合って、真面目な顔で話し出した。


「ノアがいま悩んでいることは解決したかな。ただ先送りになっていることもある。君に言いたくなったら言うと思う。」

「…よくわからん。大丈夫だと思っていいのか?」

「あの子はあの子なりに悩んでるし、考えてるよ。僕はいつでもノアの話は聞く。いくらでも相談に乗るって言っておいた。」

「なんで俺じゃないんだ?」

「ノアにとっては僕はお兄さんみたいなものだから。パパには言えないこともあるよ。」


そう言うとエドはにやりと笑った。なんか腹立つな。だがまあ…確かに俺に言いにくいから悩んでいたんだろうし。相談できる相手がいてよかったと思おう。だがエドはなぜか遠いところを見るような目をしてぽつりと言った。


「ノアは…アラダでどんな生活をしてたんだろう。」

「気になるけど、自分のことは何も覚えてないって言ってたし。ただアラダの常識はあるから最初は大変だったな。長袖しか着ないとか。今はもう半袖も着るようになったし、やっぱ若いとそのあたりは柔軟だ。」

「常識ね…僕とアンジーが結婚したのは今なら常識だけど、100年前は考えられない。どころか許されないことだった。まあ…もう5000年前に終わったことだ。あの子が背負って生きることじゃない。どう生きたいか自分で考えて、自分で決めていけばいい。今はそういう時代だ。」


半分は自分に言い聞かせるような口調で言うとエドは目を伏せた。ノアがエドに何を言ったかわからないが、思ったより深刻な話だったのかもしれない。俺がちゃんと聞いてやらないといけないんだが…それが俺に言えないことなら、もどかしいがエドがいてくれて助かった。くやしいがお前にお兄さんポジションを譲ってやるよ。

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