愛を読む話
深く考えず楽しんでいただければ幸いです。
【あなたの婚約者となりました、オレリアです。これからよろしくお願いします。つきましては、一緒に贈りました指輪を私だと思って片時も離さず付けていて下さい。私の目の色の石を入れています。外した場合、あなたの無事が保障されません。
……と、お父様が言っていました。お願いなので付けていて下さい。早々に未亡人になりたくありません。】
「……婚約者だから、未亡人にはならないと思うんだが……」
手紙を読みながら、思わずベンジャミンは呟いた。
手紙と一緒に届いたのは、ベンジャミンの小指にぴったりなサイズの指輪二個。……小指の指輪は通常、男性から婚約者へ贈るものである。女性側から贈るのは相当の執着があるか、はたまた男を信用していないかのどちらかだ。
しかも「無事が保障されない」とは怖い脅し文句だ。彼女の父親であるフローライト侯爵は最初、この婚約に反対していたという。……つまり脅しでは無いのか。外したら嬉々として襲撃の手配をされるのだろうか。ラピスラズリやウィンストンほどの名声はないが、侯爵も槍捌きが上手いと聞いたことがある。
ため息をつきながら、ベンジャミンは両手の小指にそれぞれひとつずつ填める。――淡い緑のフローライトがキラリと光る。
「誰か、宝石商を呼んでくれ。私の目の色の石をいくつか持って来るようにと。あと装飾師に指輪の追加発注だ」
こちらも指輪の準備はしていたが、慣例通りの一個しか用意していない。相手が両手分寄越して来たならベンジャミンもそうするべきだろう。急いでもうひとつ作らせないといけない。
ベンジャミン・トラヴィス・アシュベリー=クリスタは、この国の第二王子として生を受けた。
すでに三歳上の兄ヴァージルがいて、ベンジャミンの出番はないはずだった。隣国に留学出来るくらいには、身軽な立場。そのまま留まって母国との懸け橋になるのも悪くないと思っていた。
しかし、十五歳になる年に、帰還命令がきた。
何事かと国に戻ったベンジャミンを待っていたのは、沈んだ顔をした父と、笑顔が引きつっている母。――兄は、王太子から降ろされ幽閉されていた。
「ベンジャミン。お前の立太子式を、今年中に行うことになった」
「……はい……」
拒否することは勿論出来なかった。当然である、ベンジャミンの他は体の弱い妹しかいない。
「ごめんなさい、ベンジャミン。突然のことで驚いたでしょう。留学は終了してもらわないといけなくなったわ。お前の負担になることは百も承知だけれど……」
「母上が謝ることでは……」
そう、母が謝ることではない。
これも王族に生まれたベンジャミンの仕事である。
そして立太子式をした翌年、ベンジャミンに婚約者が出来た。
オレリア・アラン・フローライト。
フローライト侯爵令嬢である。
【我が婚約者、オレリア。
手紙と指輪をありがとう。早速両手につけているよ。万が一サイズが合わなくなったら鎖を通して首から下げようと思う。この件で君を一人にすることは無いと約束しよう。
それから、指輪を贈るのを君に先を越された愚かな婚約者を許して欲しい。まだ見ぬ君に似合うものは、と考えてまだ出来上がってすらいないんだ。私の瞳の色の石を入れて贈るから、待っていてほしい。婚約式には必ず間に合わせるよ。】
****
【ベンジャミン様。
先日は婚約式、お疲れ様でした。初めて会ったあなたはとっても立派なお姿でした。
頂いた指輪の石は本当にあなたの瞳と同じ色でしたね。驚きました。帰ってから指輪を見ると、あなたに見つめられているみたいでドキドキしてしまいました。
あと父が申し訳ございません。ベンジャミン様がどうということではなく、ただ私が心配なのだと思います。早く一人前のレディになって父を安心させますので、どうか気にしないで下さいね。】
「……まあ、十二歳の娘を持つ父親なら当然といえば当然だからな……」
婚約式の時のフローライト侯爵の様子を思い出しながら、ベンジャミンは呟いた。
初めて会ったオレリアは、緑色の瞳を持つとても可憐な少女であった。緊張のため少しぎこちない動きも愛らしい、年相応の姿。
普段ならしっかりと彼女のフォローに回っただろうが、その後ろの侯爵の威圧が凄くてベンジャミンは下手に動けなかった。
王家の担当者が神殿契約をするかと提案したが、侯爵は鼻で嗤った。
『神殿契約も王家にとってはただの紙切れでしょう。そんなものに金を使う必要はありませんな』
気持ちは分かる。何しろベンジャミンの兄という酷い前例がある。兄の婚約は法務局も神殿も巻き込んで、ガチガチに固めたものだった。国家と神の名において制作された、ふたつの誓約書。
にもかかわらず、婚約は解消された。兄の婚約者だったガーネット侯爵令嬢は、もう王家に嫁ぐことはない。
王族の主な仕事は外交である。
しかしその前に、心が離れかけた自国の貴族たちとの話し合いが必要だろう。
「オレリアだけでなく、侯爵にも手紙を送るべきだな……後は……法務大臣がフローライト一族だったからそっちにも繋ぎを……」
【我が婚約者、オレリア。
君に会えてとても嬉しかった。まだまだ私も学ぶことが多いが、君の姿を思い返して励みにするよ。指輪を見て私を思い出してくれるなら、これほど喜ばしいことはない。
父君のことは、気にしていない。安心して君を任せてもらえる男になろうと気持ちを新たにしているところだ。
元々、私は王にならない人間だった。皆が王家に不安を持っていることもわかっている。これから周囲の信頼を得られるよう、行動で示していくよ。
君を王城に迎える日を、心待ちにしている。】
****
【ベンジャミン様。
今日はちょっと、相談に乗ってほしいのです。私には妹がいて、妹はある方と結婚したいと思っているのですが、年齢差からか全く気付いてもらえませんの。
殿方からすると、九歳年下の娘からどうアプローチされれば意識してくださいますか?】
「まさかの恋愛相談」
婚約してから数年。
大体月に一回のペースで手紙を送りあっていたベンジャミンとオレリアは、段々と気軽な話も出来るようになった。
フローライト本家の子がミドルネームに異性の名前を付けるのは、まじないの一環だとか。
城の中で隠し部屋を見つけてしまったとか。
大叔父のアンチエイジングの秘訣を知りたいだとか。
王が王妃の尻に完全に敷かれただとか。
手紙で書いていいのか? と首を傾げもしたが、まあそのくらい親密な仲にはなれた。彼女はフローライトの屋敷で教育を受けており、特別なパーティでしか実際に会うことが出来ず会話も最小限だ。手紙が二人の貴重なコミュニケーションなのだ。
さて今日はどんなことが書いてあるのか、と思ったら彼女の妹の恋愛についてである。
ベンジャミンはフローライト家の関係を思い返してみる。
確か、オレリアがベンジャミンと婚約したことで、妹が爵位継承者になっていた。
今年学園に入学したはずなので、恐らく多方面から様々なアプローチをされているだろう。なるほど、早めに婚約者を決めておきたかったが、肝心の意中の相手が全く気付いてくれない、と。
おそらく相手は法務大臣の養子だろう。侯爵たちが数年前から彼の見合いを潰しているという話がある。
――本来、結婚相手として予定していたのが、オレリアだったという話も。
……何やらモヤモヤしてきたので、ベンジャミンは考えるのをやめた。
【愛しいオレリア。
何やら君の妹は大変な恋をしているようだね。成就するよう心から願っている。
多分、「妹のように可愛がっている少女を結婚相手として見れるか」という話だね? 真面目な男ほどそれは難しいかもしれない。その点、私は初めから婚約者としてオレリアと出会えて幸いだった。神に感謝しよう。
アプローチとしては、どうだろうか。まず「妹」から「ひとりの女性」として見てもらう必要があるのだろうか。行動では大人のように振舞う愛らしさが際立ってしまうだろうから、言葉にしてみるしかないのではないかな? 残念ながら、私にはオレリアしかいないから想像でしかないのだけれど。】
****
【ベンジャミン様。
先日、エミリア様にお会いしました。とても素敵な方で、王妃教育についてとても親切に教えてくださいましたの。あんなに素晴らしい淑女を手放した殿方はもったいないことをしたと思いましたわ。
もしかしたら、この方がベンジャミン様の婚約者になったかもしれないと考えると少し複雑でしたけど……いけませんね、このようなことを考えたら。
そういえばベンジャミン様はお体を鍛えているとか。指輪のサイズは大丈夫でしょうか。サイズ交換が必要でしたらすぐに手配しますので仰ってください。】
「なるほど、最近フローライト侯爵に手を見られているのはサイズ確認だったか」
てっきり襲撃の口実を探されているのかと思っていた。季節の挨拶の品をちょっと豪華にしよう。
幸いにも指輪のサイズは変わっていない。オレリアはもうすぐ十八歳、彼女の指輪を新調したのでこちらのことも気になったのだろう。
「しかし、エミリア殿か。彼女の手ほどきを受けられるのなら、もういい加減王城に上がっても大丈夫じゃないか……?」
エミリア・ディー・ジルコン。
ガーネット侯爵の娘であり、もうすぐジルコン侯爵を名乗る女性。……そして、兄の元婚約者。
国に戻って来たばかりのベンジャミンが聞いたのは、耳を疑うような事件だった。
兄は、王になるために生まれ、育てられたはずだった。父王も、そのために教師を揃え、兄の婚約者を決めた。お互いを尊重し、研鑽を積み、支えあう国王と王妃になってもらうために。
ところが、蓋を開けてみれば。
兄は予想以上に、凡愚だった。いや、「ありふれている」などと言ったら各方面に失礼かもしれない。
誰しも始めから完璧に出来るなんてことは無い。しかし兄は、出来ないままの事が多すぎた。
友好国の言語を習得できないことが致命的だった。王族の、国王の仕事は、主に外交だというのに。
教師たちは頭を抱え――しかし教えることが仕事の彼らが「出来ない」と言うにはプライドが邪魔をし――報告の改竄、という悪手に出た。
ヴァージル王子が出来ない分は、婚約者のガーネット侯爵令嬢エミリアに補ってもらえば良い、と安直に考えて。
年々婚約者の負担が増えている様子に王妃が違和感も覚えるも、王が調査を命じることはなかった。……まさか王の膝元で、次代の教育で、そんなことが起きているなど思わなかったのである。王は、人の善性と法の戒めを信用しすぎていた。
教育が王立の学園に引き継がれた頃には、兄は出来ないことが当然になっていた。出来ないことに、何も違和感を持たなくなっていた。
それでも、そのまま進めば平穏に終わったかもしれない。エミリアが優秀で、王城での教育に何の不満も漏らさず学んでいたから。
歴代一の凡人王、外交の下手な王。その名称だけで済んだかもしれない。
しかし残念ながら、兄は一般人であった。
王太子でありながら、感性が只の人であった。庶民とは言わずとも、必要最低限の貴族の知識しか持ち合わせていなかった。
ずっと会えない婚約者より、学園で親しくなった女生徒を愛するのは、その人とずっと一緒にいたいと思うのは、ある意味当然だった。
そして更に残念なことに、兄は自分が特別であることを知っていた。
特別な自分が望めば、ある程度は許されると知っていた。
だから兄は、唯一婚約者と会える卒業式の日に、彼女を罵倒し、否定し、捨てようとした。
許される「ある程度」を見誤って。
――エミリアは事件の二年後、別の男と結婚した。今はジルコンを名乗り、今年中には叙爵されるだろう。
確かに彼女は最初、ベンジャミンの妃第一候補だっただろう。しかしガーネット侯爵は断固として拒絶した。今までの扱いを見れば当然の為、王もそれはすんなり認めた。その状況で下手に会えば糾弾されかねないため、ベンジャミンは彼女と話すような機会をあえて持たなかった。
オレリアが心配するようなことは、何もないのだ。
【私のオレリア。
次期ジルコン侯爵の手ほどきを受けられるとは、オレリアも「一人前のレディ」だね。彼女は王妃教育だけでなく、王の外交術も習っていたと聞いている。私が霞まないか心配だ。君が王城に来た時には二人で習ったことのすり合わせをしようか。
嗚呼、早く君に会いたい。】
****
【私のオレリア。
やっと君の父君に認められたよ。本当に長かった。
未だ、王族に対する不信感を拭いきれている訳じゃない。私の力不足のために、王太子妃となる君にも辛い思いをさせるかもしれない。それでも君と共に生きるこれからの日々が楽しみで仕方がない。
まずは、君に私の愛が伝わるように、精一杯努力しよう。君が安心して私の隣にいてくれるように。】
――という手紙を出したのはつい先日だったはずだ。そしてオレリアが城にやって来るのは今日のはず。
なのでフローライト侯爵家の使用人が持ってきた手紙を見てベンジャミンは首を傾げた。
何かあっただろうか。もしや延期なのだろうか。恐る恐る手紙を開いて、内容を読む。
……傍に控えていた執事は、ベンジャミンの耳が赤くなっていくのをしっかりと見ていた。
「殿下。フローライト侯爵令嬢がお着きになりましたが――うわっ!? で、殿下! お部屋にはまだです! 殿下、お待ちを!!」
【私のベンジャミン様。
今日には会えるというのに手紙を出すのはどうかと思ったのですが、先日の手紙の内容で、あなたが何か大きな勘違いをしているのでは、と思いペンを取った次第です。私より先に届いていると良いのですけど。
私とあなたはほとんど会うことはありませんでした。パーティでは話す時間もなく、賓客のもてなしに従事いたしましたわね。ヴァージル殿下のこともありましたし、会話のない私たちに皆さま不安もあったでしょう。
けれどベンジャミン様、あなたはずっと私を愛して下さいました。
初めての手紙の返事、無礼ともとれる私の拙い言葉に一つずつ返して下さいました。この七年、あなたは約束を違えることなく指輪を付け続けています。
どの手紙でも必ず私を気遣って、私を大切に思っているということを書き連ねて下さったでしょう?
キャシーの相談をしていたはずなのに、私への惚気で終わっていた時は顔から火が出るかと思いましたわ。あの頃、父が先に手紙の確認をしていたのですが、以降呆れて未開封のまま私に渡すようになりましたのよ。
ベンジャミン様。これ以上どう伝えようと?
あなたの愛はもう充分、嫌というほど知っております。
あなたの隣に立つ覚悟はとっくに決めておりますし、あなたの心を疑うつもりも全くありません。
ちゃんと知っておりますから、何も心配はいらないのです。
とりあえず、直にお会いしましたらそこからお話をしましょうね。】
キャサリン「この愛溢れる手紙を七年送り続けてたのに【愛が伝わるよう努力する】? 意味がわかりませんわ姉さま」
オレリア「あの方、どういう訳かご自分のことは過小評価する癖があるのよね……」
キャサリン「王太子殿下も、ある種の鈍感ですわね」
オレリア「ジュリアン兄様には負けますから安心なさい」
キャサリン「安心できませんわよ!?」