社交界という名の魔窟(3)
「――アカルエの人質は、ここか?」
その姿を目にした途端、アナは音を立てず優雅に、しかし迅速にドレスの裾を広げ、腰を低く下げて最高位の礼をとった。
その礼を見て、ようやく脳がかろうじて理解する。
この国ではとても珍しい、大きな体躯。乱暴に掻き上げながらも美しい黒の艶髪。
何より 呑み込まれそうな錯覚に陥らせられる、常夜の瞳が彼の存在を物語っていた。
ディラン・ラ・シナリータ。
この国の国王にして――クロレナリアの夫となる人。
そこまで考えると、不意にこほん、と小さな音が横から聞こえた。
ちらと横目でその方向を見ると、アナがパチパチと目配せをしてくる。
「……? ぁ…………!」
そこでようやく我に返ったクロレナリアは、アナに威圧的な視線を浴びせられながら、礼をとろうと裾を広げた。
「いい。楽にしろ、アナ。お前もだ、人質」
「……は、ですが陛下」
「良いと言っている」
「……御意に」
アナは微かに逡巡した様子を見せたものの、ディランの言うがまま、礼を崩して一歩後ろに下がる。
丁度クロレナリアの後ろに控えているような体勢となった。
「付いてこい」
ディランはクロレナリアの目を見ぬまま、扉をくぐる。
騎士が後ろに警戒するように付いてくるのが、どうにも気になるが、ディランは何も感じていないようだった。
「……」
かれこれ20分くらいは歩いてる気がする。
……いや、もしかしたらそこまででは無いのかもしれないが、ひたすら無言で歩き続けるのは、そう感じるくらいには、精神的にクるものがあった。
「着いた」
なるべく目立たないようにと足元を見つめていると、不意に前の進行が止まった。
思わずぶつかりそうになるが、気合で踏ん張る。
こんなところで不敬罪となって死んでは堪らない。
最近アナとの特訓に明け暮れすぎて――しかもここは故郷よりだいぶ待遇が良かったので――平和ボケしていたが、ここは敵地。
どう難癖つけられて始末されても文句のつけられないのだ。
何処に着いたのだろうと恐る恐る顔を上げる。
黒い背広に前にある建物が見えなくて、更に上を見上げた。
「ここは……」
シナリータは、アカルエと何百年来の戦争を仲である。
勿論多少移民はいたとしても、それは本当に極少数だろうし、少なくともこんなものを広めるような愚弄は侵さないだろう。
クロレナリアは目の前に聳え立つ、美しく荘厳な建物を見た。
何度目を擦っても感じる既視感。
それもその筈――頂点に歪なスペードを掲げたその紋章は、その前に立っている片手剣をを天へと掲げた武の神の像は…………。
クロレナリアが幼いときから幾度となく目にしてきた、武神を敬い慕う聖域――アカルエの教会そのまんまだったのだから。
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