社交界という名の魔窟(1)
「なんッですか! その阿呆みたいな笑みは!」
代々正妃と生活を共にしてきた豪奢な部屋に、女性の大喝が響きわたる。
その金切り声とも言い換えれるような耳に残る声は、部屋の隅に控えているメイドを縮み上がらせる程度には、怒りに燃えており、迫力があった。
そのまま女性はくるくると部屋を旋回し、小言をぶつぶつと唱え続ける。
「全く。陛下は何を考えていらっしゃるの。こんな基礎の一つもなっていない小娘を正妃に――しかも、3ヶ月後にお披露目……? 冗談にならないわ」
そこでピタリと足を止め、クロレナリアを見つめた。
「………?」
「アカルエはどうなのか知りませんが、シナリータの貴族界は魔窟です。笑顔という仮面を被り、相手に自身の意図を悟らせないようにするのです。いわば、笑顔は『武器』と言えるでしょう」
「……武器」
小さく復唱したクロレナリアに、言い聞かせるように女性は深く頷いた。
「生まれたときから笑顔の訓練をしている彼らにとって、今の貴女は赤子同然――このままお披露目などしようものならば、それこそ瞬く間に喰われてしまう。ですから、わたくしが来ました」
女性は、パッと深い緑の扇を広げた。
美しい羽で編まれたそれは、一度その女性の顔を隠し、それから彼女の胸元へと優雅に下ろされる。
ぴたり、とその手が止まったと思えば再び動き出し、今度は暗い赤で染められたドレスの裾へと伸ばされた。
そのまま女性は裾を整え、ふんわりと上品に持ち上げる。
腰を少し落としたそれは、初めて見るクロレナリアでも意図を理解できた……臣下の礼であろう。
「……申し遅れました、王妃殿下。わたくしは、ルーディング公爵が妻――アマ・ルーディングと申します。以後、お見知りおきを」
その容貌には、先程の苛立たしげな様子の女性はいない。
瞳ははっきりとした光を放ちながらも、小さく弧を描く。
唇の緩やかなカーブは、ドレスと同じ暗めの赤で色付いており、どこか食えない凄みを感じる。
頬も眉もぴくりとも動かず、なるほど、『仮面』という比喩を使った訳を、漠然と感じ取った気がした。
「わたくし、これでも社交界きっての女傑と呼ばれているのですわ」
さあ、存分にお役立てくださいませ。
そう読めない笑みを深くした女傑アマに、クロレナリアは驚きに目を瞬いた、が、
「取り敢えず笑みを十分程キープなさいませ」
突然始まったその特訓に、慌てて口元を釣り上げたのだった。
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