9. 黒の襲撃者
ニビ一行と別れた後もプトラの休憩を挟みながら街道を進み、サラコナーテへの旅は順調に三日目の夜を迎えていた。
それは定番となった鍋と串焼きの夕食を終えた後のこと。
「ミロ君、持ち物の整理をしたいんだけど、手伝ってくれないかな」
「いいですよ?急にどうしたんですか?」
「<マジックボックス>に空きを作りたくてね」
ここ数日、ミロはルインの腰のポーチが大きな魔物をするりと飲み込む様子を何度も目にしていた。やはり<マジックボックス>だったか、と得心する。
「いやあ、採取の手伝いで少しは食用野草の見分けがつくようになったからね。僕もこれからは野営で料理をしようと思って」
「ふふ、いいですね。僕は何をお手伝いすればいいですか?」
「いる物といらない物を分けたいから、ミロ君には魔石や魔道具の鑑定をお願いしたいんだ」
「鑑定?僕、魔石や魔道具の知識全然ないですよ?」
「荷台に入れたら<荷物リスト>でわかるだろう?」
「あ、なるほど」
「で、それをミロ君が引く荷車の中でやれば【御者】のレベル上げにもなる」
ルインがニヤリと笑う。
「わ、いいんですか!?」
「交換条件ってやつだよ」
ミロは早速、荷車にルインを乗せて焚き火の周りを歩き始めた。
ルインはその中でポーチの収納物を一つずつ取り出し、「いる」木箱と「いらない」木箱に
仕分けしていく。
「今入れた魔石、何かわかるかい?」
「ポイズンラットの魔石、3等級です」
「あーこれ、大量発生の依頼で討伐したから結構あるんだ。この辺は全部そうかも」
「本当だ。ポイズンラットの魔石、3等級が42個です」
「これは?」
「ニトロパンサー、7等級です」
「すごい、7等級も余裕で鑑定できるね。じゃあこれは?」
「スピードリング、敏捷20ポイントアップです」
「エンチャント系はたまに必要になるんだよな。これは『いる』だな」
<荷物リスト>にも詳細を見る機能があり、魔石なら等級、魔道具なら装備した時の効果、野草や獲物は食用の可能・不可能まで知ることができる。
荷台の中と外で会話しながら、仕分けすることしばらく。
《運搬物の総数が400に達しました。職業レベルが6に上がりました》
《ユニット数が16から32に増加しました》
「あ、レベルが上がりました」
「やったね。僕の方もあらかた整理し終わったよ」
終わってみると結局、半分以上が「いらない」木箱行きとなってしまった。「せっかくの<マジックボックス>も、これじゃあ無駄遣いだね」とルインは恥ずかしそうに木箱をポーチに仕舞った。
「いらないものはどうするんですか?」
「サラコナーテに着いたら速攻ギルドで売り払うよ」
「明日の閉門に間に合いますかね」
ミロは広げた手のひらにスキル<地図>を展開した。石膏でできたような白板が瞬時に盛り上がり、川や森や街道、地形の起伏まで、現在地周辺をありのままに再現していく。
宙に浮く白板はサイズも見る角度も縮尺の変更も自由自在。ルインをしてここまで精密な地図は見たことがないとまで言わしめる地図である。
「プトラ君の足なら十分間に合うと思うけど、少し余裕を持って、明日は早めに出発しようか」
「入門審査の行列は避けたいですもんね」
「そういうこと」
今日の見張り当番の前半はルインが担当である。ミロは焚き火で少し温めた水と手製のボディーソープで体を清め、同じくプトラもブラシで洗ってやり、先に休む。
明日の今頃、ルインはもういない。そう思うと、ミロはなんとなく心細くなるのであった。プトラの体に身を寄せて端切れの掛け布団にくるまり、焚き火が小さく弾ける音を聞きながら眠りについた。
*
その夜、ミロは夢を見ていた。
村に帰ると、母親と父親、年の離れた兄が出迎えてくれた。ミロが生まれてすぐに魔物に襲われ命を落とした父親と兄は、顔がぼやけて表情はわからないが、三人寄り添いミロの帰りを喜んでいるように見える。幼い頃から寝たきりだったはずの母親も満面の笑みを浮かべ、とても元気そうだ。
「母さん、父さん、兄さん、ただいま」
家族に近づこうとすると、遠く後ろの方からグルル、と鳴き声が聞こえた。
「ごめんごめん。プトラも一緒に帰ってきたんだったね」
後ろを振り返るがプトラの姿はない。まだ転移魔法陣のあたりにいるのだろうか。
そのうち来るだろうと家族に向き直る。とにかく今は家族との再会を喜び合いたい。
「グルルァ」
またプトラの声が聞こえた。姿はまだ見えない。
放って置かれたのに腹を立てたのか、その声は怒りをはらんでいる。
「こっちだよプトラ、おいで」
「ギャッ!」
「こっちだよ、僕の家族を紹介するよ」
「グギャアアアアアァァァァァーーーー!!」
どさり、と何かが落ちる音で目が覚めた。
「馬鹿が。騎獣はまだ使えるから殺すなって言ったろう?」
「だってよ兄貴、このトカゲが吠えやがるから」
聞き覚えのない声がミロの頭上で言葉を交わしている。
ねっとりと濡れた手が気持ち悪い。濡れた手の方を見ると、そこには大きな塊。
「・・・プトラ?」
それは切り落とされたプトラの首だった。
「チッ、起きちまった。さっさとやれ」
「あいよ」
返事と同時にミロの首筋を刃が通り抜けた。
「プトラ!」
「な、なんだこいつ、今首切り落としただろうが!?」
襲撃者には目もくれず、ミロはまだ血の滴るプトラの首を抱き寄せる。
「プトラ!なんで?・・・プトラ!!」
「死に、やがれ!」
振り払われた大斧がミロの体を横薙ぎに吹き飛ばした。大木にしこたま体を打ち付け、その反動でぐしゃりと地に落ちてなお、ミロの体には傷一つつかない。
「な、なんなんだよ、お前」
起き上がり、これが現実だと悟ったミロはそこでようやく襲撃者の姿を見た。ミロを吹き飛ばしたのは大斧を持った大男、対して命令した方の男は細身で小さい。どちらも全身黒づくめで顔が見えない。
「その斧でプトラを・・・」
視界が赤く染まるようだった。胸に湧くどろりとした感情に吐き気すら覚える。
「この防御力、何のスキルだってんだ?」
「もういい、俺がやる」
大男を制して言うや否や小男は姿を消し、どこへと探す間もなくミロの目の前に現れる。ミロと同じような体格のどこにそんな力があるのか、むずと胸倉を掴みミロの体を軽々と持ち上げた。
「うぅっ!どうして!・・・何の目的で!」
<安全運搬>はミロに降りかかる全てのダメージを無効化する。痛みも苦しみも。起きていさえすれば、盾になってでもプトラを守れたかもしれない。その力が、自分にはあったのに。悔しくて涙が止まらない。
その時だった。
「ウインドカッター!」
木の間を縫って放たれた幾つもの風魔法が草木を巻き込み、切り刻み、大男に振り向く暇も与えず、その太い両腿を容赦なく切断した。
「ひっ、ぐわぁぁぁああ!あ、足、俺の足があああ!!」
「チッ、グズが」
小男は、地に伏して叫ぶ大男を一瞥し、手刀を構えた。
「<黒禍>」
小さく詠唱すると、その手刀に禍々しい紫色のオーラがほとばしる。
「何の防御スキルかは知らんが、死毒までは防げんだろう?」
「よくもプトラを!」
「お前も今、同じところへ逝く」
「ミロ君!」
ルインが駆けつけたのと小男の手刀がミロの胸に放たれるのは同時だった。が、
「な、まさかこれも防ぐというのか!?」
スキルに絶対的自信があったのか、小男が一瞬気を乱す。その一瞬で小男の手をするりと抜けたミロは、逃げるでもなく、がっしりと男の体にしがみついた。
「ルインさん!!」
「ああ!ミロ君ごめんよ!・・・<局所・サイクロン>!!」
ルインが短く詠唱すると小男の周りを魔法陣が走った。
魔法陣は湾曲しながら球をなし、しがみつくミロ諸共、男を飲み込む。そして、
「があぁぁぁあぁああああ!!」
小男の全身を無数の風の刃が吹き荒れた。
<ローゲル・サイクロン>は魔法陣の中に閉じ込めたものを、その原型がなくなるまで刻み続ける中級風魔法である。
男の肉を割き、血が舞い、それでも目の前のミロには一刃たりとも及ばない。
「貴様、一体・・・ぐうぅ!これまでか」
全身を刻まれ続ける小男は、どこからともなく石を取り出し、吹き荒れる風の中に放った。直後、石は光を放ち、魔法陣の中で連鎖的な爆発を巻き起こした。
「うわっ!」
「ミロ君!」
魔法障壁を張ったルインの横を、ミロが爆風に吹き飛ばされていく。生身であれば生きてはいられない速度で宙を転がり、接地の度に跳ね上がり、何かに激突してようやく停止する。
「・・・あぁ、・・・プトラぁ」
それはまだ温かい、プトラの体だった。
「ぅぁあああああああああああん!!」
*
「ごめん、ミロ君。取り逃がした」
プトラの頭を抱え、声も上げずに涙を流すミロの背中にルインは話しかける。
小男は血の一滴も残さず、夜の闇に姿をくらましてしまった。
「妙な気配にプトラ君が目を覚ましてね、気配を追って様子を見に行ったらすぐに戦闘になってしまって。ミロ君には<安全運搬>があるから大丈夫だと思ってプトラ君に場を任せた僕がいけなかったんだ」
本当に済まないことをした、と言うルインに、ミロは力なく首を横に振る。
「僕がいけなかったんです。ルインさんもプトラも、荷車の中で寝て貰えば良かったんだ。荷台の中なら絶対防御があるし、僕は何をされても痛くないから」
「そんな・・・」
近しい者の死は否応無しに一年前の母親の死を思い起こさせた。
幼い頃から十年間。狩りを覚え、料理を覚え、薬の調合を覚え、村の皆に教わりながら、母親の病気を治すため必死に看病をした。
母親の死を、村の皆が悲しみ、泣いてくれた。だから、ミロはやりきれない気持ちを誰にもぶつけることができなかった。
誰かを責めるより、無力な自分を責める方が簡単だった。
それは今もそうだった。プトラが死んだのは自分のせいだと思えば、ミロはようやく自分の存在をこの世にとどめていられる気がした。
空が白んで、夜がそろそろ終わるという頃、黙ってミロの背中をさすっていたルインがゆっくりと口を開いた。
「ミロ君。夜が明けたら魔物が動き出す。プトラ君が狙われる前に体を焼いて、骨を埋めてあげないか?」
ミロは弱々しく頷いた。
「それでね。プトラ君には、ラプトラルの体内には魔石があるんだ。魔石の用途はいろいろあるけど、売るにしろ、使うにしろ、今のミロ君にはきっと必要なものだよ」
ルインは慎重に言葉を選びながらミロに話しかける。
「辛いなら僕が取り出してもいいけど。どうする?」
「・・・僕がやります」
「うん。きっとその方がプトラ君も喜ぶよ」
ミロは「ごめんね」と言ってプトラの胸を切り、腕を入れ、また「ごめんね」と言って拳大の魔石を取り出した。
「プトラの目の色みたいに綺麗な色ですね」
「ラプトラルは美しい砂漠で生まれるから、その体と魔石は輝く砂漠の黄金に染まるそうだよ」
魔石の血を拭い、荷台袋に入れた時だった。
《陸上生物の魔石を10種類収納しました》
「・・・陸上、え?」