5. 転移失踪
「ミロは来たか?」
とある商会の大倉庫。
その奥にある、従業員の中でも一握りの者しか知らない隠し部屋に入るなり、ナックは副会頭のラクマカンに詰め寄った。
「落ち着いてください、会頭。ミロ君はまだですよ」
そう言ってすらりと背の高い白髪の老人は、しかし矍鑠とした所作で立ち上がり、落ち着いた様子で紅茶を淹れなおす。
対してナックは、狭い部屋をぐるぐる歩きまわり落ち着かない。五十余年もの歳月をかけて育てに育てあげた大腹を抱くようにして擦るのは、冷静になろうとする時、無意識に出る彼の癖である。
大陸全土に支店を構える商会の会頭と副会頭が、すべての仕事を後に回してまで待っていたのは、たった一人、小さな村の少年だった。
「朝のうちにこちらへ寄越すと村長は言っておられたが、ちと遅くはないか?」
「魔法陣への魔力の充填や村の方々の見送りに時間がかかっておられるのでしょう。今しばらくは待つより他ありませんな」
「ミロのことだ、僕、興味ないから職業いらないです、などと言って村を出て来ん可能性だってある」
「まさか。万一そうなったとして村長様や村の方々が放ってはおかないでしょうし、さすがのミロ君も職業の重要さはご存じのことでしょう」
「いいや、アレならあり得る。無関心な物事に対する認知度の低さが凄まじく異常だからのぉ」
「凄まじい上に、異常ですか」
それでも我々に出来るのは待つことだけです、とラクマカンは淹れたての紅茶をナックに差し出した。
「ほう。さすがツィーレの茶は美味いのぉ。て和んどる場合か!」
ナックが叫ぶその後ろで、床に設置された転移魔法陣に黄色の光が灯った。
「会頭、魔法陣に反応が」
「おぉ、ようやく来たか!」
空間がウロコのように剥がれ、無数の光となって吹き荒れる。
ナックが目を瞬かせて見守る中、徐々に収まりゆく光の中から現れたのは、いくつかの木箱と袋だけだった。
「ん?ミロ?」
まさかと思い、木箱や袋を開けてみるが、もちろん中にミロの姿はない。
ナックとラクマカンは顔を合わせ、同時に眉をひそめた。
「荷物だけ先に転移させた、ということか?」
「村長様の魔力では、日に何度も転移魔法陣を使用するとは考えられません。これは村側で何かあったと考えるべきでしょう」
「何かあった?・・・ラクマカン!」
「はい、私は魔法陣に魔力を充填します。その間に、会頭はこちらへ帰る用の魔石の準備を」
魔石とは一部の魔物が体内に有する魔力結晶である。返事も等閑に隠し部屋を飛び出したナックは、倉庫に貯蔵してある魔石を大きいものから五つほど選別する。
「これだけあれば足りるだろうて」
片手には収まらない特大サイズの魔石を、その半分の大きさでも入らないであろうカバンがするり、と飲み込む。五つ全て収納してなお、カバンは膨らむことすらなく元の大きさを保っている。
ナックの職業【商人】が持つスキル<マジックボックス>の効果である。
「ラクマカン、魔法陣の準備は!?」
隠し部屋に戻ったナックは「いつでもどうぞ」と頷くラクマカンを横目に、その身一つで魔法陣に飛び乗った。
「今日中には帰る。店は頼んだぞ!」
「かしこまりました。いってらっしゃいませ」
ナックの姿は、光のウロコに埋もれるように跡形もなく消えていった。
*
辺境の地にある森の奥深く。その小さな村は、深い森に隠れるようにひっそりと佇んでいた。
どの国にも属することなく、隣接する村もなければ訪れる者もない。年に二度、ナックが行商に使う転移魔法陣だけを唯一外界との繋がりとし、村民同士が互いに手を取り合って、こじんまりとではあるが、悠々とした暮らしを営んでいた。
四十人にも満たない村人全員が一堂に集まり、転移魔法陣でミロを送り出したのはつい先程のこと。村の面々は誰ともなくその場を後にし、それぞれの日常へと戻っていった。
定食屋のマーサはランチに向けて仕込みを始め、狩人のシュサクは森に入る。道具屋のガントは、ミロに贈る魔道具作りで滞っていた農具の整備に追われ、薬師のリコットは畑仕事をする者達の腰痛に効く薬を調合する。
人口の少ないこの村では、誰もが欠かせない仕事を担っている。
いつもの風景、いつものように流れる時間。
その日常に異変が生じたのは、年に二度しか起動しない転移魔法陣が、その日二度目の光を放った時だった。
「はっ、はっ、村長!・・・村長っ!」
転移を終えたナックは村長の家へと転がるように坂を駆ける。
道中、聞き知ったナックの声の、慌てふためくようなその声色に物々しさを感じた者達が、一人また一人と集まってきた。
「どうしたんだいナックさん。そんなに慌てて」
「ま、マーサ!はっ、はっ、村長を!村長を呼んでくれ!」
叫ぶナックのもとにタイミングよく、シュサクが村長を連れてやってきた。
「魔法陣の魔力を感じた。ナック、お前だったか」
シュサクは言葉少なく、鮮やかな両の翠眼でナックを見捉える。
狩場である森から急ぎ戻り、村長を連れて来たにもかかわらず、シュサクは息一つ切らしていない。
「ナックよ、どうしたんじゃ。ミロの職授の儀式はもう済んだのか?」
村長の言葉にナックは愕然とした。
「ということは村長、ミロはもう村を出たということですな!?」
「どういうことじゃ?」
「来ておらんのです!ワシのところに届いたのは荷物だけ、ミロは転移してきませんでした!!」
集まった村人達が一斉にどよめき立つ。
「まさか!さっきみんなで見送ったところだよ!?」
「ああ、確かに転移して行ったぞ?」
「転移魔法が失敗したということか!?」
「そんなことありえんじゃろ!?」
「じゃあミロはいったいどこに・・・」
転移魔法陣は二つで一対。一方に魔力を込めることで、もう一方に対象物を瞬間移動させる魔法である。本来、別の場所に転移するということはあり得ない。
「とにかく、ワシは戻ってミロを探します」
「そうは言うがナックよ。どこにおるとも知れんのに、よもや大陸中を探してまわる気か?」
「そのつもりです。定期的に連絡を入れたいので、ガントさんには連絡用の魔道具を作っていただきたいのだが」
「承知した」
二つ返事で了承したのは、ずんぐりとした茶髭の男。後のことは任せた、とガントはすぐさま工房へと戻っていった。
「ナック、俺も探しに行く」
シュサクが名乗り出たのをきっかけに、村の者達も次々に「自分の行く」と声を上げ始める。村長は固く目を閉じ、しばらく思案を巡らせ、
「『使命』というやつが始まっておるのやもしれん」
重々しく放った一言が村人達を沈黙させた。
「よかろう。ミロの捜索はナックとシュサク、お前達に任せる」
「承知しました」
「わかった」
村長の指示にナックとシュサクが目を合わせ頷き合う。
「それじゃあ、あたしとガントは捜索資金の工面だねぇ」
「リコット、頼むぞ。じゃんじゃん作ってナックのところに卸すんじゃ」
「あいよ、任せときな」
冥土の置き土産にひとつ、本気でも出してみるかねぇ、と微笑むのは薬師の老婦。
「他の者達も村で待機じゃ。シュサクがおらん分、狩りや採取は持ち回りで頼む」
魔物狩りなんて何年ぶりだろうね、と意気込んでいるのは定食屋のマーサだ。
「ミロのことはシェシュマ様が見守りくださっておることじゃろうて。我々は、我々の役割を全うし、事に備えるのじゃ。よいな皆の者?」
「「おぉう!」」
皆が大声で応える。
村長はひとり天を仰ぎ、どこにいるとも知れない神に小さく祈りを捧げた。
「願わくは、ミロの旅路にシェシュマ様の御加護があらんことを」
雲ひとつない快晴の空が、吸い込まれそうなほどに青かった。