18. 碧眼の野獣、眠れる穴ぐらの少女
北から吹く冷たい風が雪を含むようになった頃。
「しかし馬車でも一ヶ月はかかる北方街道を、たった七日たらずで渡りきってしまうとはな」
「それじゃあ、もうここはワロワーデンってことですか?」
問うミロにヴォルフが頷く。その顔には少なからず安堵の色が浮かんでいる。
「向こうに大きな山があるだろう?」
ヴォルフの指差す先に雲を突く大山があった。
ワロワデル山というその山の麓に、大陸最北の小国ワロワーデンはあるという。
「ここからだと街は見えませんね」
ヴォルフのアジトへと急ぐミロ達は、ワロワーデンの領土を避けるようにして森の中を走っていた。
<地図>を頼りに、一面雪に覆われた森を抜け、やはり白一色の雪山を駆け登る。
「プトラ、ベルベリ。あの大岩に向かってくれ」
「承知いたしました、ヴォルフ様」
「主人の客人として扱ってくれるのはありがたいが、お前達は恩人だ。様はよしてくれ」
「・・・わかりました、ヴォルフ」
「ほいデ?あそこがお前達のアジトなのカ?」
「ああ、認識阻害の魔道具で入り口を隠してある」
「わあ!なんだか秘密基地みたいですね!」
「そんなシャレたもんじゃないさね。あまり期待してるとがっかりするだけだよ?」
目を輝かせるミロに、ロトーが釘をさす。
何かいる、と言ってプトラが立ち止まったのはその時だった。
「どうしたの?プトラ」
鼻をひくつかせるプトラ。ミロも辺りを見回す。
すると突然、目の前の雪がドパン、と大きな音を立てて爆ぜた。
「シュラララララァッ!!」
枯れ木を擦り合わせるような不快な鳴き声。雪煙が舞い立ち、視界が白一色に染まる。
「みんな荷台から出るなヨ!?」
「プトラ、上!」
見上げた空から迫ってきたのは大きな牙と暗闇。それはあらん限りに口を開けた大蛇だった。
「雪蛇だ!」
ヴォルフが叫ぶのと同時に、プトラはその場から飛び退いた。その目の前、プトラを捕らえられず足元の雪をごっそり丸呑みにした雪蛇の瞳孔がくん、と細くなる。
「ミロ、俺とジジが出る。プトラは――」
「大丈夫カ?そんなことしテ」
「危険ですよ!ヴォルフさん!」
「ああ大丈夫だ。頼む」
太い胴体で器用に軌道を変えて雪蛇が迫る。
ヴォルフは大きく開かれた雪蛇の口から目を離すことなく御者台から後方に飛び、それをプトラが尾先で受け止めた。
「<威借融合>・・・」
静かな詠唱とともに、ジジの姿が光の玉となってヴォルフの体に吸い込まれた。
直後、ヴォルフの体はひとまわり大きく膨れ上がり、その半身が黒毛に覆われていく。
メキメキと音を立てながら牙が生え、赤褐色の短髪はみるみるうちに伸びて黒く染まる。冬の晴天を映したようなスカイブルーの片目は、ジジの持つそれである。
「行っくぞぉおおオ!!」
ジジを宿し、半身が獣と化したヴォルフを、プトラが渾身の力で投げ飛ばした。その方向は雪蛇の大口、真正面。
ヴォルフの大剣と雪蛇の牙がかち合い、ガギン、と鈍い衝撃音が響き渡る。
「ジュララァッ!!」
「・・・・・・ッ!!」
ぐん、と盛り上がった筋肉が、大剣を牙にめり込ませた。
「ュガッ・・・!」
押し負けた牙が砕け散る。ヴォルフの大剣はそのまま横一直線に雪蛇の口を割き、顔を割き、胴体の中頃まで切り割いたところでようやく止まった。
「すげぇナ!やるじゃんヴォルフ!!」
「本調子なら割ききったんだがな」
そう言って振り向くヴォルフは、もう元の姿に戻っていた。隣にはジジもいる。
「ヴォルフさん!ジジ!怪我はありませんか?」
心配するミロに、ヴォルフは笑みを浮かべてみせる。
「大丈夫だ。それよりミロ、荷台に余裕があればその雪蛇を入れてくれないか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「今日の飯にしよう」
これでなかなかうまいんだ、とヴォルフは言う。
ミロ達を囲むように横たわる雪蛇の体はまだ痙攣してかすかに動いている。体長はざっと見ても二十メートルは下らない。
ミロはようやく動きを止めた雪蛇を収納し、大岩に向けてプトラを走らせた。
*
大岩に施された認識阻害は、その後ろにある大穴を隠すものだった。
穴の中はドーム状の空洞になっていて、その一面が湖沼である。アジトにするときに作ったという岩と砂の小島の上に、テントや絨毯を置いて居住空間としているようだった。
「ヤコ、今帰った」
「おかえりなさいませ、ヴォルフ様」
一行を迎えたのは、歳の頃ヴォルフと同じくらいの隻腕の女性だった。
続々と入ってくるミロ達に目を瞬かせている。
「こ、こちらの方々は?」
「客だ」
「こんにちは。お邪魔します」
丁寧に頭を下げるミロに、しかしヤコは反応できず固まったままである。この穴ぐらでノエリアの世話を始めて以来、ヴォルフが客を連れてきたことなど一度たりともなかったからだ。
「すまない、ヤコ。説明は後でする」
短く言ってヴォルフはミロを奥へと案内する。
ここだ、と連れて行かれたのは、大きなテントの中に置かれたベッドの前だった。
「姉のノエリアだ」
そこには、ヴォルフが姉と呼ぶにはあまりに幼い少女が横たわっていた。クリーム色の髪は隻腕の使用人が手入れしているのだろうか、寝たきりだというのに艶やかで美しい。
ただただ眠っているようにも見えるが、その表情は決して穏やかではない。
胸に抱える大きなペンダントの効果でようやく繋ぎとめている命だった。
「ミロ、頼む」
「わかりました。ノエリアさん、失礼しますね」
ペンダントを抱く手に触れ、<収納>を発動する。
ノエリアの体は、頭の形に沈んだ枕を残して<倉庫>へと消えていった。
「一瞬、だったな」
「これでとりあえず、ノエリアさんの容体は心配いらなくなりますね」
「ヴォルフ、こちらを」
ベルベリが<荷物リスト>を展開する。
<倉庫>に収納中のものだけを抽出したリストの中にノエリアの名前があった。
「ああ、確かに。ミロ、本当に感謝する」
「いえいえ」
「ヴォルフ様、ノエリア様はどこへ・・・」
狼狽えるヤコに、ヴォルフはこれまでの経緯を語って聞かせた。
サラコナーテのダンジョンで瀕死のけがを負ったこと、ミロと出会いここまで運んでもらったこと、そしてミロの<倉庫>が持つ状態固定のこと。
全てを聞き終わったヤコの目には、大粒の涙が浮かんでいた。
「遅延ではなく、固定・・・」
「そうだ。あとは呪いを解く方法を見つけるだけだ。少なくとも姉様の余命を心配する必要はなくなった」
「ああ、ノエリア様。ヴォルフ様、ようございましたね」
「ヤコ、お前にも苦労をかけた」
とんでもございません、とヤコは首を横に振り、
「ミロ様、本当に感謝申し上げます」
ミロに向き直り、硬い地面にひれ伏す。
「や、ヤコさん、やめてください」
支え起こしたヤコの体は見た目より随分軽い。
片腕で寝たきりの少女の世話をし、このアジトでたった独り留守を守るのに、どれほどの苦労があったことだろうか。
「僕、知り合いを探していろんな国に行くので、ノエリアさんの呪いを解く方法がないか探してみます」
「いや、ミロ。お前にそこまで頼るわけには」
「いいえ、ヴォルフさん。乗り掛かった船ですから。<蝕命の呪い>は僕がきっと解いてみせます!」
「「・・・ッ!?」」
声高らかに宣言したミロに、四つの視線が集まった。
「ミロ、<蝕命の呪い>とはなんだ?」
「え、ノエリアさんにかかってる呪いですよね?」
「いえ、何人もの治療術士に診せたのですが、ノエリア様の呪いが何かは未だ不明でして・・・」
「あれ、そうなんですか?でも<荷物リスト>のノエリアさんの詳細、状態が<蝕命の呪い>ってなってますよ?」
ほらね、と見せる<荷物リスト>には呪いの名前がはっきりと表示されている。
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ノエリア(26才) ヒト族・女
職業/― Lv.―
状態/蝕命の呪い、状態遅延、状態固定
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「・・・確かに、<蝕命の呪い>とあるな」
「ホントあんたって子は」
<荷物リスト>を覗き込んだジジとロトーが呆れた様子でため息をつく。
「しかし、高位の術士でもわからない呪いを、専門職でもないスキルに鑑定できるものでしょうか?」
「いや、他のスキルの箍の外れ具合を見ると、これもおそらく真実だろう」
疑うヤコに、ヴォルフが言う。
ヴォルフ達は喜ぶことも忘れ、呆れ顔でミロを見た。
「えっと。よくわかりませんけど、多分僕が悪いんですよね?・・・すみません」
「いいやミロ、あんたには本当に感謝しかないよ。ただね」
とんでもないやつに、とんでもないスキルが備わったもんだと思っただけだよ、とロトーがため息と一緒に吐き出した。