11. 【閑話】エナの憂鬱
「エナと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
朝礼でエナが深々と頭を下げたのは、ミロが登録に来る一週間ほど前のことだった。
エナは元々、ゾトという獣人国家にある冒険者ギルドで働いていた。
つい半年前のこと。エナのギルドがある街を大型の魔物が襲撃。街は一夜にして壊滅した。
幸いエナは軽症で済んだのだが、壊滅したギルドの職員全員を引き受けられるほどの余裕がゾトの冒険者ギルドにはなく、まだ若いエナは他国の冒険者ギルドで働くことを強いられた。
ちょうどそこに名乗りを上げたのがルッサンモーヲ王国の冒険者ギルドだった。
その頃、ルッサンモーヲ王国の冒険者ギルドでは、各国の冒険者情報に造詣の深い人材が求められていた。
方々に伸びる街道のおかげで他国にアクセスしやすいルッサンモーヲ王国では、近年、各国を廻りダンジョンを攻略する冒険スタイルが主流になりつつあった。そのため、王都ギルドでは他国の情報を求められる場面もしばしば。各国から職員を一人ずつでも、王都ギルドに置くことはできなかとギルド総本部に打診していたところであった。
そんな折にゾトでの事件が起こり、ゾトの冒険者情報に詳しいエナはまさにうってつけの人材だった。
こうしてエナは生まれた国を離れ、ルッサンモーヲ王国の王都ギルドで働くこととなった。
――という設定であった。
冒険者ギルドの総本部には、秘密裏に抱える組織がある。「監査部」という。
主にギルド職員による問題を調査し対処することを目的とし、時には新人として、時には冒険者として監査対象を査定。誰に知られるでもなく、粛々とその処遇を決定する。
それが監査部の仕事である。
さて。監査部の一員であるエナが今回、ルッサンモーヲ王国の王都に来たのも密命あってのことだった。
ギルド職員ネルヴィーの監査である。
「ネルヴィーに暗殺ギルドの影あり、とのことでしたが、どうやら白のようですね」
今回の監査は、ネルヴィーに関わった冒険者の死亡率が異常に高いとの密告を受けてのものだった。そもそもようとして存在のつかめない暗殺ギルドではあるが、ネルヴィーと暗殺ギルドとは関係なし、とエナは結論付けた。
ネルヴィーはナンバーワンのカリスマ職員の座を保守するため、スキルで冒険者達を魅了し、身の丈に合わない依頼を強行させることで、職員としての貢献度を荒稼ぎしていた。
当然、無理が祟って命を落とす者や体を欠損してしまう者が多く出てくるのだが、ネルヴィーは容赦がない。欠損があっても高難易度の依頼をあてがい、ついに心が折れれば、魅了を解いて担当から外れる。それを繰り返してネルヴィーは今の地位に立っていた。
「全て冒険者の自己責任と言ってしまえばそれまでですが、彼女はやりすぎです。暗殺ギルドの件は白ですが、最悪奴隷落ち、よくてもワロワーデンギルドでの更生が必要となるでしょうね」
ネルヴィーの件におおよそ片がつき、もう一週間ほど何もなければこれで監査を終了としようと思っていた時だった。
それは初依頼から帰ってきたミロの一言から始まった。
「次の方どうぞ。おや、ミロさん、お疲れさまです」
「エナさん、お疲れさまです」
ミロは【御者】という新種の職業を持つ少年で、その調査を兼ねてギルマスが直々に担当している特例の冒険者である。
エナは他の職員にギルマスを呼ぶよう頼み、ミロと他愛ない会話をして間をつなぐ。
「初依頼はいかがでしたか?うまくいきました?」
「あ、はい、一応。魔物は怖かったですけど、野草の種類も豊富でいい森ですね」
森、というのが妙に気になった。
ここ王都で、初心者冒険者の初依頼といえば「始まりの草原」での薬草採取が定番だったからである。
始まりの草原は東門を出てすぐの所にある草原で、ミロが初めて王都に来た時にも、サラコナーテへ出発した時にも通り抜けた草原である。周囲に森はない。
森といえば西門から出た所にある西の森が有名だが、始まりの草原とは真反対である。
「森、とは「エナ、部屋に通せってさ」
尋ねる間もなく、ダガートからの伝言でミロはマスタールームへと姿を消した。
「初依頼の内容を変更するなど本来考えられませんね。ダガートは一体なんのためにそんなことを・・・」
エナが思案しているうちにギルド内は混雑のピークを迎る。冒険者への対応が一段落したのは、ミロが報告を済ませてギルドを去った後だった。
*
翌日。非番のエナはミロの動向を探っていた。
運び屋ギルドで騎獣をレンタルしたミロは、どうやらこれからサラコナーテへ向かうらしい。露天市場で何やら困っている様子のミロに偶然を装って接触し、協力する代わりに初依頼の話を聞かせてもらう約束をとりつける。
「初依頼がツノラビ五匹の討伐!?それで西の森に行ったのですか?」
「もう大変でした。二匹出た所までは、まだ何とかなるかもしれないと思ったんですけど、あっという間に五匹になって。さすがに死を覚悟しました」
「それで、五匹とも討伐なさったんですか」
だからこそミロは今こうして生きているのだが、エナは聞かずにはいられなかった。それほど、職業を得たばかりの冒険者にとってツノラビ五匹の討伐は荷が重い依頼である。
「いや、結局六匹でした。ツノラビじゃなくてシルバーフォーチューンっていう魔物でしたけど」
「し、シルバーフォーチューン!?」
エナの驚愕に、ミロも思わず声をあげて驚く。
「やっぱりそういう反応なんですね。そんなに美味しいんですか?」
「え?いえ、まあ味も一級品ですが、そこではありません」
シルバーフォーチューンはとても臆病な魔物で、人間の前に姿を現すことはまずない。ツノラビが人間に襲いかかるのを遠くから監視し、ツノラビが負ける相手ならその俊足と隠蔽スキルを駆使して逃げの一手。ツノラビが勝てるほど弱い相手なら戦闘に割って入って獲物を横取りするという、なんとも卑怯な手段の使い手である。
その習性ゆえ、未熟な冒険者は食い殺され、熟練の冒険者はそもそも遭遇することすら叶わない。それが幻獣とまで言われるシルバーフォーチューンのからくりである。
「あの、疑うようで申し訳ありませんが、ギルマスには報告されましたか?」
「はい、ギルマスもびっくりしてました。ツノラビの五倍の値段で買い取ってくれたんですよ!」
「五倍!?」
ありえない、とエナが思ったのは高額だったからではない。計算するまでもなく低すぎたからである。
シルバーフォーチューンが珍しいのはその習性によるだけではない。そのツノには良質な魔力が大量に含まれており、その毛皮は隠蔽スキルの効果を保持している。百年前の買取価格は三百万オロン。その後討伐例がないことを加味すればその数倍はくだらない。
まさに一攫千金の価値があるのだ。
「あの、昨日の買取額は覚えていますか?よければ今後の参考に教えていただきたいのですが」
「覚えてますよ。えっと、」
エナはミロがそらんじる素材と買取価格をメモしていく。書きながら、すべての買取額が安いこと、その価格に一定の法則があることに気がついた。
一通り話を終え、ミロとは露天市場で別れた。期待以上の収穫に、しかしエナは頭を抱える思いだった。
二つ目の指定依頼がサラコナーテダンジョンの攻略というのもかなりキナ臭いが、そちらは運び屋ギルドの調査をしている仲間に任せることにした。まずはダガートの身辺調査とシルバーフォーチューンの行方が先決である。
今後の目的を明確にし、エナは買取額をメモした紙を重要書類の束に差し込んだ。
「それにしてもゼロを書き足せる買取価格とは。古い手を使いますね」
相場の十分の一の金額で買取り、後でゼロを書き足し差額を懐に入れる。相場を知らない初心者相手にしか成り立たない横領の手口ではあるが、それだけにタチが悪い。さらにミロの場合はシルバーフォーチューンである。
「ミロさんからは15オロンで買い取ったようですが、一体いくつゼロを書き足すつもりだったのか」
シルバーフォーチューンの真価を含め、買取額については最後まで伏せたままだった。ミロには悪いと思ったが、中途半端な状態でことが明るみに出ればダガートに揉み消されてしまう可能性があるからだ。
「ギルマスの横領。いえ、この件にはそれ以上の何かがある。ネルヴィーが小物に見えるほど、厄介な案件になりそうですね」
エナのこの予想は当たることになる。そして、真実を明かすことなくミロをサラコナーテへと送り出したことで、人生最大の後悔をすることになるのであった。