1. 真っ赤で黄色のシャラララン
「人は職業を神様から授かるのよ」
病床の母親は言って、幼い息子の頬を撫でた。
「神様はね、ミロが生まれた時からずっとミロのことを見守っていて、十五歳になったらそれまでの行いにふさわしい職業を与えてくださるの」
「今も見てるの?」
「ええ、もちろんよ」
それなら、と幼いミロは思った。
それなら神様、お母さんの病気を治せる職業をください、と。
十年にも及ぶミロの献身的な介護の甲斐もなく、母親は息を引き取った。
ミロが成人を迎えるちょうど一年前のことだった。
「ミロが成人するまでは生きたかったけど、それは贅沢よね」
息を引き取る直前、母親はそう言ってミロの頬を撫でた。
細く冷たい手だった。
「ごめんね、ミロ」
最期の最期、唇が「許してね」と動いた気がした。
*
一年後。
緩やかな丘の頂上に異変が起こったのは、日が昇ってしばらくのこと。
空間に突然小さな亀裂が走り、はらり、と一枚剥がれた。
ウロコのようなそれは黄緑色の光となって宙を舞い、そして空気に溶けて消えていった。途端、二枚、三枚と次々に剥がれ始め、その全てが光となって消えていく。
無数の光が消えた頃、そこには一人の少年が立っていた。
転移魔法である。
「あれ?丘?」
草原に立ち尽くして、少年、ミロは首を傾げた。
今日、成人を迎えたミロは職授の儀式を受けるため、生まれて初めて村を出た。
村の転移魔法陣はナックの店に通じていて、転移先でナックが待っているから後のことはナックを頼るといい、と村長は言っていたのだが。
「大きな街がある」
ナックの姿を探して後ろを振り返ったミロは、初めて見る大規模な街に思わず声を漏らした。後で知ることになるこの街の名はルゼラ。大陸一の大国、ルッサンモーヲ王国の王都である。壁の白と屋根の暖色、散りばめるように植えられた木々の緑が豊かに街を彩り、その存在感たるや、周囲の丘や河川を押しのけて大国の威厳を示すかのように泰然と横たわっている。
「あれがナックおじさんの街かな。名前は確か、」
ナックを頼るといいという村長の言葉通りに、ミロは街の名前すらろくに覚えてはいなかった。しばらく考えてようやく出てきたのは『真っ赤で黄色のシャラララン』と言う謎のワードだけである。
「とりあえずあの街に行ってみるか」
幸い、最低限の戦闘手段はある。
短剣に回復薬。防具はないが、魔道具だという銀のトレイは盾に使えなくもない。どれもこれも、旅の餞別にと村の皆が持たせてくれたものだった。
道中魔物に襲われても戦うなり逃げるなりできるだろうと覚悟を決め、ミロは眼下の街を目指して歩き始めた。
丘を下って草原地帯を抜けると、街はすぐ目の前にあった。
防壁は見上げるほど高く、そこに口を開ける門もこれまた巨大。門前に列をなす人の数は、村の皆を集めても到底足りない。
小さな村で生まれ育ったミロにとっては何もかもスケールが違う、まるで別世界のようだった。
「すみません、ここに並ばないと街には入れないんですか?」
列の最後尾に問いかける。振り向いたローブの青年は一瞬不思議そうな顔をして、すぐににっこりと笑った。
「ああ、簡単な入門審査があるだけだよ。王都は初めてかい?」
ここに並ぶといいよ、と青年が手招きする。
動きやすそうな旅仕様のローブに、縁の大きい丸眼鏡。物腰の柔らかそうな声が笑顔によく似合う青年だった。
「はい、初めてです。大きい街ですね」
「もしかして、職授の儀式を受けに来たのかな?」
「え、なんでわかったんですか?」
「ふふ、まあ君くらいの歳の子が初めて王都に来る理由と言えばだいたいね」
「なるほど。というか、ここでも儀式受けられるんですか?」
「あれ?知らずに来たのかい?」
儀式を受けには来たが、知り合いのいる街に行く予定だった、とミロは答える。
村の転移魔法陣のことは秘密にするようにと村長に言われていたので、馬車で向かうつもりが馬車とはぐれてしまったということにした。
「それは災難だったね。ここでも儀式は受けられるから、知り合いを探す前に儀式を受けるといいよ。人や場所を探すのに有益なスキルを得られるかもしれないからね」
「スキル?儀式で授かるのは職業ではないんですか?」
「もちろん職業は授かるよ、スキルというのはね、」
職業にはレベルという概念が存在し、職業レベルを上げることでスキルというその職業特有の能力を習得したり、まれに職業の進化ーー転職という、が起こることもある、と青年は言う。
「職業を授かると同時に、初期スキルと<ステータスボード>という二つのスキルを習得するから、職業を得たらまず<ステータスボード>で現状を確認するといいよ」
初期スキルとは、各職業で習得するスキルの中から初級のものをランダムで一つ習得するというもの。<ステータスボード>は職業に関係なく皆が習得する共通スキルで、現在の自分のステータスや既得スキルを確認できるというもの。「ステータスボード」と念じると発動し、それは本人にしか見えないという。
「と話してるうちにほら、入門審査の順番がまわってきたよ」
入門審査は街に来た目的を告げて入門税を支払うだけという簡単なものだった。税は街に入る度に徴収され、出るときは取られない。
冒険者ギルドや商業ギルドなどのギルドカードがあれば入門税は免除されるから、職業を得たらどこかのギルドに所属するといい、とも青年は教えてくれた。
「それじゃあ、僕はこれで。大神殿はこの大通りをまっすぐだよ。大きな噴水があるからすぐにわかると思うよ」
「いろいろとありがとうございました。あの、僕ミロっていうんですけど、よかったら名前教えてもらえませんか?」
「僕はルイン。冒険者をしているから、冒険者ギルドに所属したらまた会うこともあるかもね」
「その時はよろしくお願いします、ルインさん」
またね、と手を振りながら去って行くルインを見送って、ミロは大神殿に向かった。
*
「ゆ、【勇者】だ!やったーーっ!!」
静かな大神殿に歓喜の声が響いた。
飛び上がって拳を天に突き上げるのは、短く刈り上げた金髪と鋭い目つきが印象的な少年。ほんの数分前、順番待ちをしている時にもうるさくして司教に注意されたばかりだった。
「すっげぇ、【勇者】かよ!う、羨ましい!」
「いいなぁ、私も上級職が欲しい」
「最、上級職だろ!その時代に数人出るか出ないかだぜ?」
「くそ、もう少し早く来ていれば、俺が【勇者】だったかもしれないのに!」
順番待ちの列からも次々に驚きや嫉妬の声が上がる。
「次の方、どうぞ」
司教に促されて、ミロは祭壇に登った。
祭壇は大きな円形で、くるぶしが浸からないくらいに浅く聖水が張ってある。
「靴を脱いで聖水の中へ。職神シェシュマ様に祈りを捧げなさい」
司教の言葉に従って聖水に足を浸す。「シェシュマ様の声は祈りを捧げた本人にしか聞こえないから聞き漏らしのないように」と司教が念を押す。
胸の前で手を組んで、目を閉じる。
――何を祈ればいいんだろう。
昔はお母さんの病気を治せる職業が欲しいって祈ったこともあったっけ。
もうお母さんは死んじゃったし。
そうだ。
村のみんなにはお母さんの看病のことで小さい頃からお世話になったから、みんなに恩返しができる職業がいいです。
狩りや採取、薬作りに料理が上手にできるような。
そんな都合のいい職業ないか、と思った時だった。
《よく来ました、ミロ》
どこかで聞いたことのあるような声だった。
同時に、聖水に波紋が広がり、祭壇に光が溢れる。光はみるみるうちに膨れ上がって、何かを形作っていく。
「・・・シェシュマ、様?」
それは見上げるほど大きな女性だった。
ミロの問いに否定も肯定もせず、シェシュマ神は小さく微笑んだ。
《よく運び、よく導きなさい。それがあなたの剣となり、盾となるでしょう》
シェシュマ神の声は周囲にも聞こえているようで、皆一様にあんぐりと口を開けてシェシュマ神を見上げている。
「これは、神託・・・!?し、司教の私にすらもう何年とないというのに」
「シンタク?司教様にもめったに無いことが、なんで僕に」
司教が顔を紅潮させてミロを見た。
ミロは思わず「どうか近いうちに司教様にシンタクしてあげてください」と祈る。神託の意味は知らないが。
《ミロ、あなたに【御者】の使命を与えます》
「【御者】ですか?」
《【御者】です》
「それが僕の職業?」
《そうです》
「【御者】って、馬車とかに乗るあの?」
《その【御者】です》
言ったきり、シェシュマ神を形作る光は霧散して、大神殿は静寂に包まれた。