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これで私の当面の目標はアキトと仲良くなること、そしてモルディエネ先生に精霊学を習い魔術を使いこなせるようになることに決まったわけだがそれとは別に気になることはまだまだある。
部屋もドレスもリボンも靴もアクセサリーもピンクまみれなのだ。
これはお父様が女の子はピンクが似合うだとか言ってその色ばかり買ってくださるせいなのだが、正直乙女趣味すぎて少ししんどい。
もうちょっと、紺とか白とか、落ち着いた色が好きなのだ。
これはあくまで私の好みであってピンクのドレスはクロエにとてもよく似合ってはいるのだ。
それでもドレスと言うだけでただでさえ落ち着かない。
せめて色だけでももっと落ち着いたものを着て心を落ち着けたいという気持ちが日に日に強くなっていく。
「…お父様」
「なんだいクロエ」
お父様はやはり優しいお顔で此方に笑いかける。
「わたくし、お母様のように美しい淑女になりたいのです」
「それは素晴らしいね!僕は応援するよ」
このオネダリには、やはり少し勇気がいる。
私がいた世界で着ていた洋服とは違い、この世界ではドレスが主流なのだ。
上質な生地を多く使い、豪華な装飾にかわいらしいレースやリボンなどをあしらう手間のかかった衣服はやはり相当にお金がかかる。
一着でも良いからシックな色味のドレスが欲しいというのも、やはり相当にお金がかかってしまう。
「新しいドレスか。クロエも六歳になったらお茶会とかも始まるし、一度クローゼットを一新しようか」
金持ちは思い切りが違う。
ドレスが着られなくなったわけではないのにクローゼットを一新するというお父様は張り切って傍に控えていた秘書にデザイナーを呼ぶようにと声をかけている。
「お父様!わたくしお母様のように大人っぽい美しい女性になりたいのでドレスの色をピンクじゃなくてブルーやホワイトにしたいです!」
もう一度お母様のようになりたいので!と駄目押しをする。
お父様は感動したように笑顔を輝かせた。
上機嫌に他にほしいものはないかい、なんて聞かれるから部屋のカラーリングも落ち着いた色にしたい、といったらそれも了承してくれた。
数日後私の元に届いたドレスは白や紺などの落ち着いたものもあったがやはりピンクや水色などといった淡いかわいらしい色のものも多くあって、お父様はこういったドレスの方が好みなのだなということがとても分かりやすかった。
それからというもの、ラドハルク侯爵がクレスウェル家を訪れることは多かった。
アキトとはすっかりと普通に会話出来るようになった。
アキトは物覚えがいいようで、私がドレスを一新した後、新しいドレスに身を包んで会った時にはそれ新しいドレス?なんてことも聞いてきたし、リボンやネックレスなど新しいものを付けているとそれにも気付いてくれる。
しかもそれだけではなく、照れたように似合っている、と一言つけてくれる。
完全に推せる。
かわいさの暴力。
私はというと、自分の魔力について少しずつ勉強し、日常生活における魔力の有効活用についてを考えていたのだ。
土の魔力は微弱だが土に栄養を与えることが出来る。
温室に私のスペースを作ってもらい新しい花を育て始めた。
水の魔力は養分の高い水を厳選できる。
それを使って植物への水やりやお菓子作りなんかにも挑戦してみた。
生地を作る時には火の魔力を手に宿し、高い体温で発酵させつつこねられるしオーブンに入れれば、焼けたお菓子をお裾分けする約束をすれば火や時間の調整は精霊たちがやってくれる。
それは精霊たちの感覚により素人が作ったとは思えない程丁度いいタイミングで焼き上げてくれる。
「アキト様とのお茶会にお出しできますね!」
今日はアキトが来る約束をしている。
私たちは依然として初めて会った時と同じように温室でお茶会をしているが最近はそれぞれが家庭教師に教わったことや魔力で何か楽しいことが出来ないかと、いたずらっ子のように話し合っては美味しいお菓子に紅茶を楽しんでいる。
私が焼き上げたチョコレートパイを可愛らしいお皿に移しながら私付きのメイドであるカレンが楽しそうに言う。
五歳の召喚の義から急に態度の変わった私に最初こそ驚いて必要最低限な会話しかしてこなかったカレンと、今では随分と慣れ親しんだ。
姉のような存在に一緒にいるだけで安心感を覚える。
「おいしく出来たかしら…」
カレンの口元に焼きたてのチョコレートパイを一つ差し出すと、彼女はそれをぱくりと食べ、美味しいですよ!と可愛らしい笑顔を見せた。
「…今日のやつ、いつもと違う?」
いつも通りアキトが来て、温室に案内して、お茶をする。
好きだと言っていたチョコレートパイを最初に口にいれ、首をかしげている。
もしかして口に合わなかったかな、と冷や汗をかいていると、そんなこともなく彼は破顔しておいしい、と言ってくれた。
「良かった!それ、私が作ったものなの!口に合ってよかった…」
心底ほっとしていると彼は驚いた顔を見せた。
「これ、お前が作ったの?すごいな」
「前に言ってた魔力を生活に役立てられないかなって試してみたの」
イタズラが成功した子供のように、今私の気持ちははしゃいでいる。
目の前にいるかわいらしい少年はぱくぱくと私が作ったチョコレートパイをたいらげてくれた。
あまり表情豊かとはいえない少年だが、それでも美味しかったと表情で伝えてくれる。
「また付いてますよ」
「んむ、」
もぐもぐと咀嚼している彼の唇にはまた食べかす。
それをハンカチで拭ってやる。
またたまにで良いから作ってくれと言った彼に喜んで、と伝えると彼はやはり嬉しそうに目元を歪めた。
「そういえば私、アキトの魔法って見たことがないわ」
「そうだっけ?見る?」
人の魔法ってあまり見たことがない。
モルディエネ先生が授業中に見本として簡単な魔術を見せてくれることはあるけど、そう思ってわくわくしているとアキトが目の前で両手の人差し指を立て、その指先を合わせる。
そのポーズがもじもじしているようで可愛らしいのだが、すぐに指先から火花がばちばちっと音をたて、ぬるりと小さな火柱がうねり始める。
ただの火柱だったそれが次第に形を整え、小さな竜になった。
「簡単な魔法だけど…」
「すごい!すごいわアキト!こんなことができるのね…!」
かっこいい、すごい、とテンションが上がる私にアキトは小さく笑った。
だってこんなに凄いことが出来るなんて!小さな火の竜はまるで生きているようにうねうねと動き、私に近寄ってきた。
触ることは出来ないだろうけど、思わず手を伸ばしてみたくなる。
「火傷するぞ」
「触らないわよ!」
触りはしないけど、触ってみたい気持ちはある。
これ、私にも出来ないだろうか。
竜の形だけじゃなく、もっと可愛らしい犬とかウサギとか、そういう形に出来ないかな。
未だにすごいすごいと言い続ける私にアキトは、こんなのすごくないよと呟いた。
「クロエがやってたみたいに生活に役立つ魔法が使えた方が、すごい」
「…ふふ、なら私たち、お互いを尊敬しあっているのね」
私はアキトの使う魔法がすごいと褒め、アキトは私の使った魔法に関心した。
魔法は想像力、魔術式は知識力。
持っている魔力が例え巨大であっても想像力も知識も無ければ宝の持ち腐れなのだ。
「…お前はふしぎだな」
あまりに小さな声は聞き取れずもう一度、というようにじっとアキトを見て首を傾げるとなんでもない、とアキトは私の前髪をぐしゃりと乱した。
「もう!」
乱れた前髪をそっと直していると、目の前にいたアキトが柔らかく笑った。
その笑顔は本当に優しくて、これは実際にゲームの中にいたアキト・ラドハルクとクロエ・クレスウェルが共に過ごしたルートなのだろうか。
クロエはこんなに優しく笑いかけてくれるアキトを、どんな理由があったにせよ酷く傷つけた。
良心はなかったのか、そう考えても彼女は人に嫌われる為だけの存在。
そもそも良心なんていう概念はなく、シナリオライターにとって彼女はただヒロインを虐めるためだけに動かしていたのだ。優しさなんてものは必要なかった。
彼と過ごすのは楽しく感じる。
私は絶対に、彼を裏切りたくないのだ。
どの行動に起因するか分からない。
けれど今の私は何処か彼を、いや両親でさえ「ゲームの中に居たキャラクター達」としか見ていない部分があった。
そして私自身も、クロエ・クレスウェルと私は別の存在であり、彼女がどう生きたかを考えていた。
でもそうではない。
私がクロエ・クレスウェルとして生きなければならないのだ。
つまり私がクロエ・クレスウェルの未来をつくっていくことが出来る。
あの破滅の未来を知っているからこそ、気を付けなければならないことが多々ある。
けれど私は客観的にクロエの交友関係を操るのではなく、私自身で仲を深めていこう、とそう決意した。