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soft massage

本作品には、僅かながらホラー要素が含まれています。

苦手な方は、御注意下さい。

もうやっていられるか。

バイト先であるコンビニの店長にそう啖呵を切って、8月の蒸し暑い空へ飛び出した。そこまでは良かったのだが、特に行く当てが有る訳でも無い僕はどうしたものかと思案に暮れていた。

時刻は夜中の2時。自宅のアパートへ戻ったところで、冷蔵庫も財布の中身もすっからかんでは何もしようがない。

暑くて仕方ないが、かといって冷房の効かないボロ部屋にいても熱中症になるだけだ。今更あのコンビニへ戻るつもりもなく、しかしながら近くに他の店舗も無かった筈。

ああ畜生。あとちょっとで給料日だったってのに。


「でも僕は悪くないぞ。あんなに仕事ばっかり押しつけやがって、あのタヌキ野郎」


悪態を吐きながら、路傍の小石を蹴飛ばす。しかしうまく行かず、つまづいて足の人差し指を痛めた。

踏んだり蹴ったりである。苛立ち混じりで、僕は小石を睨み付けた。

田舎から出てきて、大学で留年を重ねてからというもの何もかもうまく行かない。たかが小石を蹴るのだってうまく行かない。どうしてこう、僕の人生はうまく行かないことの連続なのだろうか。

全く。腹は減るし、こき使われたバイトのせいで体中が凝りまくっている。


「っても、マッサージ屋なんて行けるわけ無いしなあ」


マッサージどころか次の食事すらままならないのである。

こうなったら生活保護でも受けてみようか。それとも実家の両親に泣きつくか。そのどちらも何となく抵抗が有った。

そんなこんなで当て所なく彷徨っていると、どこをどう通ったのやら、すっかり人気のない場所まで来てしまった。どうやら商店街のようだが、閉じたシャッターと『空き店舗』の張り紙ばかりが目立つ。

この近くに、こんな寂れた商店街あんてあっただろうか……?

来た道を引き返そうとも、月明かりすら霞んで見えない。こんなに暗くては帰り道すら分からないのだ。


「あーもーこのまま飢え死にすんのかなー」


そう呟きながら、ふらふらと商店街のアーケードを通る。何とか一晩を凌げる場所を探すのだ。

そうして暫く彷徨っていると、ぽつんとたった一つだけ、明かりのついている店舗が見つかった。そこだけ妙に小奇麗で、非常に場違いな雰囲気を醸し出している。真っ白い壁とブリキで作られたシンプルな『マッサージ承ります』の看板が、異様に目を引く。


「こんな時間にマッサージぃ……?」


怪しい。明らかに怪しい。

だが、行く当ても何も無い今の僕にとっては唯一の寝床候補だ。店員が普通の人だったら、事情を説明して一晩だけ泊めさせて貰おう。最初の印象通り怪しいお店であれば、即座に逃げ出そう。

そんな程度の気持ちで、お店の扉を開いた。




店内へと入ったとたん、程よく効いた空調の発生させるひんやりした空気が、火照った体の熱を解いてくれた。

お店の内装は、やはり白を基調としたクリニック風に仕立てられていた。穏やかなアンティーク調のBGMがかかっている。受付には女性店員が静かに佇んでいた。こちらの姿を認めると、薄く微笑む。


「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」


ふんわりと子猫のような声音に、僕は一発で心を奪われてしまった。

店の雰囲気も相俟って、段々気持ちが落ち着いてきた。


「ああいえ、そういう訳では無いんです。実は迷子になってしまいまして、朝になるまでここにいてもいいですか」

「そうでしたか。この辺りは開いているお店もまずありませんし、アーケードも入り組んでいますからね。致し方ない事です」


事情を説明すると、その店員さんは笑みを浮かべたまま応対してくれた。こちらの事情を察してくれたようだ。

店に入る前、怪しいだのなんだの言っていた自分が急に恥ずかしくなってきて、誤魔化すように頭を掻いた。


「ありがとうございます。営業の邪魔はしませんから、ちょっとだけ……」

「分かりました。それでしたらスタッフの休憩室をお使いください」


そう言って、受付の裏にある休憩室へと通される。人気のない廊下を通ると、4畳半の和室に辿り着いた。ここもエアコンが設置されており、迷うことなくスイッチをオンにする。

備え付けの布団の類は自由に使ってよいとの事で、遠慮なく布団を敷かせて貰った。

ああやっと楽になれる。体中の凝りに、あちこち彷徨い歩いたお陰で足が棒のようになっている。もはや丸一日は使い物になるまい。

横になりぼーっと天井を眺めていると、何だか人生どうにかなるもんだと気楽な事すら思えてくる。さっきまで人生うまく行かないなどと考えていたのに、我ながら調子のいいものである。失ったバイト先と財布の中身については、とりあえず考えないようにした。

そうこうしているうちに、先程の女性店員が再び姿を現した。

何だろう。まさかやっぱり出て行って欲しいなどとは言われまいか。そうなれば、折角手に入れた避難所を手放す事になる。

それは惜しい。そうなったら土下座してでも居させて貰えるよう頼み込もうか。もしものときはこの店員を……などと、色々な妄想が頭に浮かぶ。


「あの」

「は、はいっ」


余計な事を考えていた所為で、思わず声が上ずってしまった。恥ずかしくて顔から火が出そうだが、必死に何でもない風を装う。


「偶然とはいえ、折角当店へお越しになられたのです。ひとつ、当店のマッサージの無料テスターをなさってみるのは如何でしょう」

「テスター……ですか」


突然の申し出。話が呑み込めず、首を傾げる。


「当店では新しいマッサージ器具や技法などを、余所よりも率先して取り入れているのです。その分、常に新しいテスターとなって下さる方が必要なのです」

「それを、僕に引き受けて欲しいと?」

「はい。何せ我々店員では、お客様方と違いし慣れてしまっています。新たな気持ちでマッサージを受けられないのでして」

「はあ」


何だか話がうますぎる気がする。テスターと称して、後で代金を請求されるのではあるまいか。或いは訳の分からない機械の実験台にでもされてしまうのではなかろうか。

いや、この店の雰囲気からして、そんな美人局のようなマネはしないのでは。

もはや最初に抱いていた怪しげな印象など綺麗さっぱり忘れて、僕はそんな風に考えていた。

それを後押しするように、体中の筋と腱が悲鳴を上げだした。ここをほぐせと、溜まった乳酸を押し流せと訴えかけてくる。

うんぬん悩んでいると、店員さんはちょっと困ったような顔をして、こちらの瞳へ流し目を送ってきた。


「料金は発生いたしませんが、突然の申し出ですから、無理にとは……」

「いえ、是非ともやらせて下さいっ」


僕は肉体の訴えに従った。

店員さんは、相変らず笑みを浮かべていた。




普段着から白いペイシェントガウンに着替えさせられると、僕は促されるまま店内を案内される。

最初はシャワールーム兼サウナへ入る。ここで体内の水分をしっかり入れ替える、いわゆるデトックスを行うとの事だった。

そう言えば、金欠になってから風呂はおろかまともにシャワーすら浴びていなかったのを思い出した。体も頭もむずむずとかゆい。のみならず、暑いなかを長時間歩いたせいで汗をかきまくっていた。さすがに汗は引いたものの、体中が汗臭くてかなわない。これ幸いと、しっかり全身隅から隅まで洗わせて貰った。溜まった汚れがかゆみと一緒に流れ落ちる。

続いてサウナ。ここでじっくり汗をかいては提供されたドリンクを飲む。アイスティーに似たそれはちょっと独特の臭いがするものの、爽やかな香草のフレーバーが効いていてどんどん飲める優れものだ。

蒸し暑さと冷えたドリンクとをじっくり堪能する。

すっかり全身の水分を入れ替えると、次に施術室へと案内された。

白い壁に、薬品棚が並んだ部屋である。そこの中心に置かれた施術台へとうつ伏せになる。

施術台の脇には小さなテーブルが配置され、お湯の入った洗面器とタオル、クリーム類が置かれていた。


「では最初に全身摩擦から始めさせて頂きます」


店員さんはタオルを持ち、もうもうと湯気を立てている洗面器の中身へと浸した。それをぎゅっと固く絞ると、それで僕の背中をごしごしと拭き始めた。

寒空を歩き回っているうちに全身の血液が停滞していたのが、タオルと摩擦の温かさで血流を促される。

あー温かい。

おまけに背中の垢が削ぎ落とされる気分。先程のシャワーでは落としきれなかった分だ。自分では届かない箇所まで綺麗にされて、それこそ生き返る気持ちになる。


こうしていると、子供の頃に本で読んだ怪談を思い出す。

とある屋敷に幽霊が出るという事で、勇んで乗り込んだ武士が逆に殺されてしまうという話だ。

その武士が屋敷の風呂に浸かっていると、風呂場に女の幽霊が現れて武士の背中を流すのだ。まさか幽霊が背中を流すまいと油断していた武士が、夢見心地でいるうちにそのまま背中の肉を丸ごと削ぎ取られてしまう……という。

あの話は子供心に恐怖心を植え付けて、暫く一人で風呂に入るのが怖かったものだ。

だが、この店ではまさか肉を削ぎ取られるような事にはならない。背中が終わると、タオルとお湯を新しい物へと交換し、次は手足もじっくりと摩擦。足の裏やかかとの角質も丁寧に削ぎ落とされた。


「お客様は血行が悪くなっています。それに老廃物が溜まっていますね」

「あ、やっぱり分かりますか」

「はい。お体の中にも疲労物質などが滞留しています。そのせいであちこち凝りが発生している状態です。しっかり流さないと、いろいろと不味い事になります」


さすがマッサージ屋さん。触れただけでこちらのコンディションが丸わかりだ。

全身の清拭が終わると、クリームを使ったマッサージだ。

ライムの匂いが混じった固めのクリームをたっぷり擦り込まれる。そのまま背中から腰に掛けて掌を使って押すようにさすられる。強張った背筋をぐりぐり押されて気持ちいい。

掌が段々と下がり、腰に移る。ここも円を描くように圧迫される。腰痛はさほどでもないと思っていたのだが、普段の姿勢が悪くて猫背なので予想外に効いた。

ここまでされると、だんだん眠くなってくる。

どんどん掌は下がり、両脚のマッサージに入る。


「ああ、ここは非常に凝っていますね。両方とも筋肉が固くなっています」

「良くなりますか?」

「それはもう、私に任せてください。後々の為にも、しっかりと柔らかくして差し上げます」


最初は痛みに配慮したのか、ゆっくりと下から上へさすられる。リンパに溜まったものを丁寧に流される感覚だ。両脚にものが詰まったような感覚が、僅かずつだが薄れる。

やがて脚が刺激に慣れてくると、徐々に力を入れて揉まれた。

痛い。痛くて涙が出そうになるが「後々の為」などと言われては精一杯我慢する。疲れて凝り固まった脚の筋肉がほぐされ、緩められ、柔らかい肉に変えられる。ここまで来ると天にも昇る心地よさに変わっていた。


「次はパウダーを使用したマッサージに移行させて頂きます」

「はあ。クリームを使ったのにですか」

「はい。今回使用するパウダーは、先程使用したクリームと併用する事で効果を高められるのです」


そう言われては断る理由もない。パウダーを使用して、再び背中から足先まで同じ行程の繰り返し。やけにざらついて、ちょっとヒリヒリするものの逆に丁度良い刺激になる。これはこれで効きそうな感じだ。

眠気はさらに深まって、瞼を持ち上げるのも億劫になっていた。

すっかり体中の凝りがほぐれたところで、頭上から声を掛けられる。


「相当お疲れのようですね」

「はい……」

「お察しします。では最後に、こちらで休んで頂きます」


促されるまま、ふらふらと店員さんについて行く。どうにも眠くてたまらない。きっとマッサージの所為だ。

施術室の隣室へ移ると、ちょっと暗い部屋に細長いカプセルのようなものが置かれていた。部屋が暗くて中身がよく見えない。


「こちらは最新型の酸素カプセルです。まだ一般販売はしていないのですが、効果は折り紙つきです」

「はあ。こういうの、初めてなんですけど」

「御心配なさらず。中に入って頂ければ、それで問題ありません」


相変らず、店員さんはこちらへ微笑みかけている。この人が問題ないというのなら、そうなのだろう。すっかり信用して、僕は覚束ない足取りのまま服を脱ぎ、カプセルの中へ入る。

中はどろりとした液体が入っている。そういえば、こういうのは羊水に似たものが使用されるのだとか何だとか。

横になると、体がぷかぷか浮いた。脱力してもそのままで、非常に気持ちいい。

と、カプセルの蓋がゆっくり閉められた。


「ごゆっくりなさって下さい。時間になりましたら、ふたを開けますので」


蓋が閉められると、完全な暗闇が訪れる。

ここまでの行程が無料で受けられるとは。道に迷った時はどうしたものかと思っていたが、なかなかいい場所に辿り着いたものだ。終わりよければ全てよし。

徐々に温かくなる水の心地よさを全身で堪能しながら、僕はゆっくり意識を手放した。










「当店をご利用頂きまして、誠にありがとうございました」











細長いカプセルのようなものが、台車に乗せられて運ばれる。

押しているのは、受付に居た女性店員だ。相変らず薄い笑みを浮かべるそれは、ある種の野生動物のような喜びと酷薄さを醸し出している。

その台車は施術室やシャワールームを通り過ぎ、建物の最奥へと届けられた。そこに設置されたエレベータに乗せられると、店員は地下へ移動するスイッチを押す。

エレベータは暫く動いたのち、地下室へと到達した。ドアが開くと、廊下のすぐ先に綺麗に磨かれた扉が取り付けられている。店員は台車のカプセルをそこまで押し、観音開きの扉を音もなく開いた。

扉の先にはとても大きな空間が広がっていた。体育館ほどでは無いものの、人の背丈の三倍ほども大きな空間である。そこは小さな電球がひとつのみ灯されていた。


「旦那様方。お食事の時間でございます」

『おお、ようやくメシにありつけるわい』

『久方ぶりだのう』


店員の声に答えるモノがふたつ。部屋の暗さに同化するかのように、黒い影が揺れている。部屋の天井まで届かんばかりの背丈に、痩せ細った体躯をしていた。


『おお、今日は蒸し焼きにしたのか』

「はい。旦那様方ももうお年を召しておられますので、ヘルシーなものが宜しいかと」

『儂らを年寄扱いするでないわ。まだまだ脂っこい物も喰えるぞ』

『これ、あまりうちの孫を苛めるでない。こやつが居なければ我らはとうに飢え死にしとるわい』

『わはは、違いない』


その黒い影は、ゆらゆらとしながらカプセルの蓋を開き、その中に有ったモノに貪りつく。


『ほう、ほう。ちと細めだがしっかり肉が柔らかくなっておる』

「はい。本日は肉を柔らかく揉んだ後、香草エキスとライム、塩コショウで下味をつけて蒸したものを餡かけ風に仕上げました。初めて作ってみたのですが、御口に合いましたか?」

『おお勿論じゃ。孫の調理は逸品だの、昔我らがしていたように、酢と塩でシメただけの単純な味付けなどとは天と地ほどの差じゃ』

「お褒め頂き、光栄でございます」


影が食事をしている間、店員はとてもとても幸せそうな笑みを浮かべて佇んでいた。

やがて食事を終えた二つの影は、ごろりと横になって満足そうに欠伸をひとつ。


『いや満足満足。これでしばらくは保ちそうだわい』

『いやまったくまったく』

「滅相もございません。全ては旦那様方のなされてきた実績があってこそです」

『いやしかし。昔儂らの手法が人間どもに暴露されてからというもの、碌にメシにありつけなくなっておっただ。それがこやつのお陰で大助かりじゃ』

『おう、あの男の所為で随分と苦しめられたものじゃが、孫のお陰で生き永らえておる』


影は楽しげに談話を始める。だが、やがて二つの影はゆっくりと体を丸めた。


『儂らはちと休む。後片付けは任せるぞ』

『また我らにうまいメシを届けてくれよ』

「畏まりました、旦那様方」


店員は深々とお辞儀をして、残ったカプセルを再び台車で運ぶ。

地上へ戻ると、いつものように道具をセッティングして、受付へと向かった。

また、次の客を迎え入れる為に。

お読み頂き、ありがとうございます。

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[一言] >>寒空を歩き回っているうちに全身の血液が停滞していたのが、タオルと摩擦の温かさで血流を促される。 夏のはずでは?・・・
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