ある不幸な青年の物語
むかしむかし、あるところに、ティクバという名の青年がおりました。
ティクバはそれはそれは不幸な青年で、
生まれたときから父はなく、母も病気で亡くしています。
それでもティクバはめげずに暮らしていましたが、
ある日、村が戦争に巻きこまれ、家も畑もみんな焼かれてしまいました。
ティクバは命からがら逃げおおせたものの、お金はなく、
着るものも食べるものもありません。
おなかがへったティクバは町へゆき、
道ゆく人に食べものをめぐんでくれるようお願いしてみましたが、
だれも相手にしてくれませんでした。
神殿にいっても、中は戦争でけがをした人たちでいっぱいで、
ティクバは仲間に入れてもらえません。
すっかりゆくあてのなくなったティクバは、
途方に暮れてとぼとぼと森へ向かいました。
今となっては、ティクバに残されたものはこの命ひとつしかありません。
けれどもティクバはあまりにひもじくて、
もう生きてはおれないと思いました。
だからティクバは森へゆき、高い高いガケの上から
飛び下りようとかんがえたのです。
ティクバは心を決めて、ガケの上に立ちました。
ガケはとっても高く、ティクバのいる場所からは底も見えません。
ああ、ぼくはこれからこの谷へ落ちて死ぬのだな、とティクバは思いました。
ところがそのときです。
今にもガケから飛び下りようとしたティクバの前を、
一匹の大きなネズミがよこぎりました。
「あっ。あのネズミは、なんて大きいんだろう。
つかまえれば、食べられるかもしれないぞ」
そう思ったティクバはガケから飛び下りるのをやめて、
さっそくネズミを追いかけました。
ネズミはそんなティクバの前をするすると走って、茂みの中へ逃げこみます。
ティクバは必死にそれを追いかけました。
するとどうしたことでしょう。
なんとネズミが逃げた茂みの向こうには、
たくさんの果物が実った木がはえているではありませんか。
ティクバはとびあがって喜びました。
さっそく果物を手に取って、むしゃむしゃとかぶりつきます。
果物はとっても甘く、ティクバは二つ、三つと、
おなかがいっぱいになるまで食べました。
なんだか元気がわいてきて、
今ならどんな遠くの町へでも歩いてゆけそうです。
「ようし。こんなぼくでも大きな町へゆけば、
あたらしくすむ家を見つけられるかもしれないぞ。
ずうっと北の方にある、王さまのいる町へいってみよう」
ティクバはそう心を決めて出発しました。
王さまのいる町は遠く、雨の日も風の日もありましたが、
ティクバはめげずに歩きます。
やがてティクバは、王さまのお城がたっている大きな町にたどりつきました。
町にはびっくりするくらいたくさんの人がいて、
ティクバは目をまわしてしまいそうです。
「すごいなぁ。
こんなにたくさん人がいるなんて、今日はおまつりでもあるのかな?」
ティクバがそんなことをかんがえていると、
とおりすがりのおじさんがおしえてくれました。
「今日はこの国ができてから百年めのお祝いだよ。
町のまんなかにある大きな道を、王さまのパレードが歩いてゆくのさ」
「へえ、だからこんなに人がいるのかぁ。みんな王さまが見たいんですね」
「そりゃあこの目で王さまを見られるなんて、めったにないことだからね。
君も王さまを見てみたいかい?」
「そうだなぁ。
せっかく王さまのいる町まできたのだから、ひとめ王さまを見てみたいなぁ」
「よし。それならとっておきの場所をおしえてあげよう」
親切なおじさんはそう言うと、
ティクバを高い建物の上につれていってくれました。
そこからは、王さまのパレードが通るという大きな道がよく見えます。
「さあ、もうすぐパレードがやってくるぞ。
わたしはなにか飲みものを買ってくるから、
君はこの場所がだれにも取られないように見張っていてくれるかな」
「わかりました」
ティクバがうなずくと、親切なおじさんはにっこりと笑って、
飲みものを買いにゆきました。
それからすぐに、町では王さまのパレードがはじまります。
ずっと向こうにある王さまのお城から次々と馬や兵隊があらわれて、
ティクバの前を胸を張って歩いていきました。
町には鼓笛隊の鳴らす笛や太鼓の音が鳴りひびき、
ティクバはなんだか楽しくなってきます。
「ああ、なんてきれいなんだろう。
もうすぐ王さまを乗せた馬車がやってくるぞ。
でも、さっきのおじさんは、まだもどってこないな。
どこへいってしまったんだろう?」
ティクバはおじさんのすがたを探して、
きょろきょろとまわりを見渡しました。
すると、ちょっとはなれたところになにかが落ちています。
近づいて拾いあげてみると、それはりっぱな弓矢でした。
「どうしてこんなところに弓矢が落ちているんだろう?」
ティクバは首をかしげます。
ところがそのとき、王さまのパレードがわっと乱れました。
ティクバがおどろいて身を乗り出すと、なんと王さまが乗っている馬車に
するどい矢がささっているではありませんか。
「なんてことだ。この人ごみの中に、王さまの命を狙っているやつがいるぞ」
「あっ。見ろ、あの高い建物の上に、弓を持ったやつがいる。
あいつが犯人だ、つかまえろ!」
ティクバはびっくりぎょうてんしました。
なぜなら王さまの兵隊たちがティクバを犯人だと思いこんで
押し寄せてきたからです。
ティクバはあわてて逃げようとしましたが、すぐにつかまってしまいました。
自分は犯人ではないと話しても、だれも信じてくれません。
ティクバは牢屋に閉じこめられてしまいました。
しかも王さまを狙った罪で、明日には首をはねられてしまいます。
ティクバは途方に暮れました。
牢屋の中をうろうろして、逃げられそうなところを探してみましたが、
そう簡単に逃げられるはずもありません。
探し疲れたティクバは冷たい床に座りこみ、とうとうあきらめてしまいました。
「ああ、ぼくはもうだめだ。このまま首をはねられて死んでしまうんだ。
いったい、どうしてこんなことになったんだろう。
ぼくはなにも悪いことなどしていないのに」
ティクバはだれにも信じてもらえないことが悲しくて、
ぽろぽろと涙をこぼしました。
ところがそんなティクバの前を、黒い影がよぎります。
びっくりして顔を上げると、そこには一匹の黒猫がいました。
どうしてこんなところに猫がいるのだろう、と思って見ていると、
猫は牢屋の奥へ向かって、すたすたと歩いていきます。
「待っておくれ。黒猫、おまえはどこから入ってきたんだい?」
ティクバは黒猫のあとを追いかけました。
すると猫は牢屋の奥にある小さな穴にもぐりこんでしまいます。
黒猫が入った穴はとても小さくて、人が通れる大きさではありませんでした。
ティクバはそれを知ってがっかりしましたが、
黒猫が中に入ったまま出てこないところを見ると、
この穴はきっと外へつづいているにちがいありません。
「なんとかこの穴を大きくすることはできないだろうか」
そうかんがえたティクバは、穴の中へ手を入れてみました。
すると穴の奥の方になにかぶら下がっています。
いったいなんだろうと思いながら、ティクバはそれをひっぱりました。
じゃらじゃらじゃら。
聞こえてきたのはくさりの音。
ティクバがそれに耳をすましていると、突然石の壁が持ち上がり、
ティクバの前に道が開けました。
なんとティクバがひっぱったのは、
隠された道のとびらを開けるしかけだったのです。
ティクバはその隠された道から逃げ出しました。
それからティクバは遠く、遠くへ逃げつづけました。
雨の日も風の日もありましたが、ティクバはめげずに走ります。
やがてたどりついたのは、となりの国の大きな町でした。
ここまでくれば、兵隊もティクバを追ってこないにちがいありません。
「ああ、よかった。これでぼくは首をはねられなくてすむぞ」
ティクバはほっと胸をなでおろしました。
けれどもそこで困ったことに気づきます。
ティクバはあいかわらず無一物で、食べものを買うお金もありませんでした。
おまけに着ているものもボロボロで、
町の人はあからさまにティクバをさけています。
ティクバはまたまた途方に暮れて、町の中を歩き回りました。
しかしゆくあてはなく、おなかもぺこぺこです。
疲れはてたティクバはついに座りこんで、うごけなくなってしまいました。
おなかはぐうぐう鳴りっぱなし。
こうなると、もう立ち上がることもできません。
あまりのひもじさに、ティクバは涙をこぼしました。
するとそのとき、ティクバの目の前でりっぱな馬車がとまります。
やがて馬車から下りてきたのは、
ティクバが見たこともないほどうつくしいむすめでした。
むすめは泣いているティクバのそばまでやってきて、心配そうにこう言います。
「そんなところにうずくまって、どうしたのです。
もしかして具合が悪いのですか?」
「いいえ、そうではありません。
ぼくは今とってもおなかがすいていて、うごけないのです」
「まあ、それはたいへん。それならこれをお食べなさい。
とってもおいしいから、あなたもきっと気に入りますよ」
そう言って、むすめは焼きたてのパンをさしだしました。
パンはまだあたたかく、ふわふわしてとってもおいしそうです。
ティクバはむすめにお礼を言って、うけとったパンをたべました。
こんなにおいしいパンをたべたのは生まれてはじめて。
おかげでティクバはみるみる元気をとりもどします。
「むすめさん、ほんとうにどうもありがとう。
だけどぼくにはお金がなくて、なにもお礼ができません」
「お礼なんていりません。
困っている人を見たら助けなさいというのが、神さまの教えですから」
「でも、こんなにおいしいパンをたべたのははじめてなんです。
だから、どうかお礼をさせてください。
ぼくにできることならなんでもします」
「それではお金はいりませんから、なにか歌をきかせてください。
わたしはむかしから歌をきくのが好きなのです」
ティクバはなるほど、とうなずきました。
たしかに歌をうたうくらいなら、お金のないティクバにもできます。
人前でうたうのはちょっとはずかしいけれど、お礼の気持ちをこめて、
ティクバはせいいっぱいうたいました。
するとむすめは大よろこび。
うたいおわったティクバにパチパチと拍手を送ります。
「とてもよい歌でした。今の歌はなんという歌なのですか?」
「この歌に名前はありません。でも、ぼくのふるさとで、
みんなが畑をたがやすときにうたっていた歌なんです」
「わたしは、あなたの歌がもっとききたくなりました。
明日もここで歌をきかせてもらってもいいですか?」
「もちろん。あなたのためなら、ぼくはいくらでもうたいます」
こうして次の日も、そのまた次の日も、
ティクバはむすめのためにうたいました。
その歌のお礼に、むすめがパンやあたらしい服を持ってきてくれるので、
ティクバは少しずつゆたかになっていきます。
やがてティクバが知っている歌をみんなうたいおえるころ、
ふたりはすっかり恋におちていました。
むすめのなまえはホザンナといい、
どうやら町一番のお金持ちの家にすんでいるようです。
ティクバはホザンナに頼まれて、
ホザンナのお父さんに会いにいくことになりました。
ところがふたりが愛し合っていることを知ったホザンナのお父さんは、
かんかんに怒ってしまいます。
「うちは町一番の大金持ちなのに、
どうしてむすめをこんな物乞いと結婚させねばならんのだ。
そんな結婚は、ぜったいにみとめないぞ。
うすぎたない物乞いは、この町から出ていけ!」
ティクバはホザンナと引きはなされ、お屋敷から叩き出されてしまいました。
それでもなんとか話をきいてもらおうとしましたが、
ホザンナのお父さんは兵隊を呼んで、ティクバをつかまえるよう命令します。
これにはティクバもおどろいて、いちもくさんに逃げました。
けれどもあまりにたくさんの兵隊がいるので、
ティクバはもう町に戻ることができません。
「ああ、そんな。ぼくは本当にホザンナを愛しているのに、
もうホザンナと会うことはできないのか」
逃げこんだ森の中で、ティクバは声を上げて泣きました。
もうホザンナに会えないことが悲しくて悲しくて、
悲しみのあまり、ティクバは病気になってしまいます。
けれども町に戻れないティクバは医者にかかることもできず、
森の中でたおれてうごけなくなってしまいました。
ティクバはホザンナのことを思いながら、なおも涙をながします。
「ああ、ホザンナ。死ぬ前に、ひとめ君に会いたかった」
ティクバはもう本当に、ホザンナに会うことはできないのだと思いました。
するとそのとき、森の奥からだれかやってきます。
その人の顔を見て、ティクバはとてもびっくりしました。
なんとティクバの前にあらわれたのは、
むかし死んだはずのお母さんだったのです。
「ティクバよ。あなたが本当にホザンナを愛しているのなら、
ここであきらめてはいけません。わたしについてきなさい」
お母さんはそう言って、ティクバをとある洞くつへつれていきました。
洞くつの中には、見たこともない花が咲いています。
これはなんという花だろう、とティクバが思っていると、
お母さんはこう言いました。
「この花の蜜には、どんな病気もたちどころになおす力があります。
うそだと思うなら飲んでごらんなさい」
ティクバは言われたとおり、花の蜜を飲みました。
するとどうしたことでしょう。
ティクバの病気はたちまちなおり、体には元気がみなぎってきます。
ティクバはお母さんに言いました。
「お母さん。あなたはぼくが小さいころに亡くなっているはずです。
けれどあるときはネズミのすがたで、またあるときは猫のすがたで、
ぼくを助けてくれました。そうではありませんか?」
それを聞いたお母さんはにっこり笑い、やがて光に包まれました。
そのすがたは光の中で、どんどんちがうものに変わっていきます。
ティクバはとってもおどろきました。
なぜならお母さんの正体は、オールという名前の希望の神さまだったのです。
「ティクバよ。わたしはおまえを助けたことは一度もない。
ただどんなときも希望を捨てなかったから、おまえは助かったのです」
オールはそう言うと、足もとに咲いていた花をつんで、
それをティクバにわたしました。
花の中にはまだたっぷりと蜜が残っています。
「おまえがまだホザンナを愛しているのなら、
その花を持ってもう一度町へゆきなさい。
いいですか。最後まで希望を捨ててはいけませんよ」
ティクバはうなずいて町へと戻りました。
すると、なんだか町の様子が変です。
ホザンナのお屋敷の前では、たくさんの人が困った顔をしていました。
どうしたのかきいてみると、なんとホザンナのお父さんが、
重い病気にたおれて苦しんでいるというではありませんか。
「それならこの花の蜜があればだいじょうぶ。
どんな病気もあっという間によくなりますよ」
ティクバはそう言って、医者のひとりに洞くつの花を渡しました。
はじめはだれもティクバの話を信じませんでしたが、
ためしに花の蜜を飲ませてみると、お父さんはたちまち元気になり、
重い病気もどこかへとんでいってしまいます。
「ティクバよ。このあいだは怒ったりしてすまなかった。
きみは命の恩人だ。お礼にホザンナとの結婚をみとめよう」
ティクバとホザンナは抱き合ってよろこびました。
これでもうふたりのあいだを引き裂くものはなにもありません。
こうしてティクバとホザンナは、ぶじに結ばれることができました。
ふたりはみんなから祝福され、
いつまでもいつまでもしあわせに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。