⑦朧月
社会人になった春香は、一度もこの家には帰ってこない。
法事の時すら、直接寺に来て帰って行く。
自分が悪い、そんな事は充分すぎるくらい分っているんだ。
春香が家を出てから3年3か月。俺を訪ねて一人の青年がやって来た。
驚いちまった。
職場の同僚だという青年、水越敏明って言うらしい。
春香と一緒になりたいと言うんだ。
うちの事情を聞かされていなかった水越は、何故か父親に会わすのを拒まれ、心配になって春香に内緒で、いろいろ調べさせてもらったと、申し訳なさそうに話す。
結婚を反対できるような身分じゃない。人柄だって良さそうな青年に、俺は無条件で頭を下げていた。
言えることはただ一つ。
「娘を、大事にしてやってください」
それだけだった。
数日後、水越から説得された春香が電話を掛けて来た。挙式には参列しないでくれと言われ、俺は言葉を失う。
空に浮かぶ朧月がやけに目に染みた。
どうして俺じゃなくてお前だったんだと、つくづく思う。
そんな事を思いながら酒を飲んでいると、倫子の声が頭に蘇る。
「はいはいはい。ケンちゃんの良い所、これから言います」
酒に酔い潰れた倫子を迎えに行った帰りだった。
「一つ目、不愛想なのに本当はすっごく優しいです。二つ目、目が小っちゃくてリスみたいなところです。三つ目、背中があったかい所です。四つ目、友達の為に泣けるところです。私、知っているよ。ケンちゃん、いつもこの時期、酒を持ってあそこに行っては泣いているの。私、いっぱいケンちゃんのいいところ、知っているんだから」
背中が冷たくなるのを、俺は黙って感じていた。
バイク事故で、友達を一人失っていた。
中学から一緒で、親からぞんざいな扱いを受けていた俺等は、バカな事ばかり話しては、盛り上がった。どうして、そのことを倫子が知っているのか、不思議だった。
「だから前にも言ったでしょ。本当のケンちゃんを見つけられるのは私だけだって」
泣けて泣けて仕方がなかった。
だからいつも思っちまう。
何で俺なんかを見つけちまったんだよって。
春香の言葉を、素直に受け入れた俺は、空を見上げ、あの日のように声を殺して泣いた。




