⑥拒絶
月日が流れるのは早いもんだ。
おりんを鳴らし、手を合わす俺の後ろを、無言で春香が通り過ぎる。
「行くのか?」
そう聞く俺を無視して、春香は黙ったまま家を出て行く。
いつ頃だったかな、あいつが俺を汚いものを見るような目で見るようになったのは。
中学までは上手くいっていた気がする。
俺が作る弁当も残さずに食べて帰って来たし、多少の会話もあった。それが急に喋らなくなっちまったんだ。俺が何を聞いても答えてくれなくなり、部屋にこもるようになっちまったんだ。
しばらくして、その理由が分かった。
倫子の母親が躰を壊し、春香が手伝いに行かせた時があった。
きっと悪気はなかったと思う。倫子の父親は俺のことをまだ許していないのは知っていたし、責められても仕方がない。きっと、お前の父親だって相当苦しんだはずなんだ。今の俺なら分かる。大切に育ててきた娘を、訳の分からない男に連れて行かれちまったんだからな。ようやく帰ってきた娘の命に限りがあることを知らされ、それでも傍に置いておくことも出来ずに、歯がゆい思いさせちまったんだから。
歳を重ねる度に、春香は倫子に似て来ていた。酒が入っていたと、母親から聞かされたよ。
倫子が死んだのは、俺のせいだと聞いちまったんだ。
最初は聞き入れなかった春香も、涙ながら俺の悪態を聞かされ、信じ切っちまったんだろう。それを否定する気にはなれなかった。もし、倫子が俺じゃなく違う相手を選んでいたらって、俺さえ考えちまうんだからな。
そうなんだ。俺じゃなかったら良かったんだ。
だからあの日も聞いたんだ。何で俺なんかなんだって。
「ケンちゃん、凄く寂しそうにしてたから」
ケロッとした顔で言う倫子を、俺は、はぁと見た。
眉間に皺を寄せ、睨みつける様にしか人を見ていなかった俺をつかまえて、アホじゃねーのって、笑っちまったんだ。
「だって私には、そう見えたんだもん。なんかすごく悲しい目をしていた。ちゃんと俺を見ろって、喚いてたでしょあの頃」
安物のドレスを着て、化粧を厚塗りする倫子が鏡に映っていた。
本気で俺は呆れた。ケンカばかりしていたあの頃、誰も寄せ付けようとしていなかったのだから、そんなはずはない。
「もう信じていないでしょ」
パッと振り返った倫子が俺に飛びついて来る。
「止めろ。口紅がつく」
「浮気防止。私だけだよ。本当のケンちゃんを見つけられるのは」
暮らしだしてしばらくして、倫子は事務員の仕事だけでは生活が成り立たず、近くのバーで働いていた。酒なんて、一滴も飲めないのに無理して客に付き合って、その翌朝は、酷い二日酔いで飯も食えずにいた。そんな事さえ、あの頃の俺は、煩わしく思えて仕方がなかった。最低な俺のせいで、倫子は躰を壊しちまったんだ。
些細な事で、春香と口論になっていた。
「あんたが殺したんだ。あんたさえ、母さんを大事にしていれば、今頃母さんは」
高校生の春香の口からそれを言われ、俺は何も言い返せなかった。
男手ひとつで、女の子を育てるなんて無理だという、母親の言葉が胸に刺さった。
どうしていいのか分からくなってしまったある日、お前からの手紙が届けられた。
いつか必ず行き詰る日が来る。なんてお前はそう言ってこの手紙を母親に託したんだってな。やっぱり、お前には敵わない。
ケンちゃん、約束、ちゃんと守っている?
眉間に皺なんて寄せてないよね。
親の言うこと、聞かなくなったのは自立し始めた証拠。
あなたにも覚えがあるでしょ?
理由はどうあれ、それは反抗期ってものだから仕方がないことよ。逃げちゃだめだからねケンちゃん。伝えるべきことはちゃんと伝えなきゃ駄目だよ。
ドシッと構えて、それ、ケンちゃんの得意分野でしょ。
……またそれかよ。
春香の手紙には何が書かれていたのか、俺には分からない。だけど……。
手紙を読み終わった俺たちは、お互い気まずさを漂わせ、それでもなんとか大学卒業するまで春香は、この家にとどまった。いや、居てくれたんだなあれは。俺の傍に。
散々俺もしてきたことだけど、倫子、親って辛いな。
膝を叩き、俺は立ち上がる。
当たり前の今日が始まる。それがどんなに大切な事か、教えてくれたのも倫子、お前だった。




