④不敵
頭の中が真っ白だった。
予定日より早く生まれてきてしまった赤ん坊は小さく、皺くちゃ顔でかわいいとは、とても思えなかった。
それでも必死で生きていると、看護師に言われ、心がズキンと痛んだ。
翌朝、ガラス越しに倫子が目を覚まし、俺を見て微笑む。
「なに、死にそうな顔をしてんだよ」
そんな事しか言えない俺に、倫子は言ったんだ。ありがとうって。
言葉が詰まる。
そして満面の笑みで、ピースサインをしたんだ。
「ケンちゃん、赤ちゃんに名前、付けてね」
そう言って、倫子は笑う。
思わず、俺は目を伏せてしまった。
自分はここにいない方が良い。倫子の親が言うように、二人に任せて、どこか遠くへ。
「あの子のお父さんは、ケンちゃんだけだからね。ケンちゃんがいてくれたから、私、頑張れたんだから、逃げちゃだめだからね」
倫子には敵わないと思った。
目を上げる俺を、倫子はまっすぐと見詰めていた。
俺の中で、何かが弾ける。
それからは大変だった。
倫子の親に何度も頭を下げ、三人で暮らせるように頼んだ。
予断を許さない倫子を、毎日見舞いながら、俺は仕事を探した。
そして、待ちに待った三人での暮らし。
俺は、小さな工場に勤め出す。
何かあればすぐに舞い戻れる距離。ただそれだけで決めたんだ。何がしたいとか、何ができるとか問題じゃなかった。雇ってもらえるかもわからない相手に、俺は必死で頭を下げ頼んだ。
倫子の病気は良くなることはない。
残酷過ぎる現実。
わが子もまともに抱けないほどやせ細ってしまった倫子を、俺はどうやってやればいいのか分からないでいた。
そんな俺らを見かねて、倫子の両親が一緒に暮らすことを提案してきた。
それに頭を横に振ったのは、倫子の方だった。
出来るだけ親子水入らずでいたい。
俺には分かっていた。
それでは俺の居場所がなくなってしまうと、きっと倫子のことだから考えたんだろう。
「俺は」
言いかける俺を、少し怖い顔をした倫子が、真っ直ぐ見る。
「だってケンちゃん、すぐ甘えてずるするもん」
何だその理由。
「パパの自覚持って貰わなきゃ。いつ、私がいなくなるか分からないんだから」
何てこと、言い出すんだよ。
目を見張る俺から目を反らすことなく、倫子は続ける。
「現実はちゃんと受け入れなくちゃね。この子の為にも」
お前は強い。
心からそう思った。
本当は誰よりも泣きたいだろうに、弱音一つ吐かないでいる。躰はかなりきついはずなのに、いつだって笑っていた。
放っておけないと、母親が通いで毎日やって来ていたが、俺の食事だけは自分が作ると言って聞かなかった。
病状が進み、起き上がることすらままならぬなくなってしまった倫子を気遣い、カップ麺にお湯を注いでいると、いつの間にか起き上がって来た倫子が本気で怒りだす。
「ケンちゃん、またそんなの食べようとして、今、私が作るから待ってって」
出て来たのが、インスタントラーメンで、俺は笑ってしまった。
カップ麺もインスタントラーメンも変わらないだろうという俺に倫子は、目くじらを立てた。
「全然違うよ。こっちには私の愛情がこもっているもの」
大真面目に怒る倫子が、可愛いと思った。
それから間もなく、倫子は危篤状態で病院へと運ばれる。
残り少ない時間。
何が俺にしてやれるのか、頭が悪いなりに考えた。
そして疎遠だった自分の両親に、俺は頭を下げたんだ。
俺たち家族を心から祝って欲しくって。
医者に無理を言って貰った外出許可。
いつ何があってもいいようにと、あの怖い顔で俺を睨んだ医者が同行を買って出てくれた。
結婚式をしてやろうと思ったんだ。
いよいよというその日の明け方、倫子は静かに息を引き取った。
病室に吊るされたウェディングドレス。
間が抜けているのは俺の専売特許。どこまでも抜け作な俺は、してもらうばかりで何もしてやれずに、死なせてしまった。
「遺影に使って下さい」
後悔だけが募らせている俺に、母親が一枚の写真を指しだす。
弾けんばかりのドレスを着た倫子の笑顔に、俺の涙腺が決壊しだす。
このドレスを持って俺は倫子にプロポーズをしたんだ。
きちんと言ってなかったから、けじめとして、このドレスと指輪を渡して……。
やせっぽちの自分でも本当に着れるのか心配だと言って、袖を通したそうだ。折角だからと写真を撮ってと言う倫子に、母親は涙が止まらなくなってしまったと話す。
「母さん、親不孝ばかりしてごめんね。ケンちゃんと、春香のこと、頼んだね」
着替えを済ませた倫子は、淋しそうにそう言って、泣き崩れてしまったそうだ。
「もっと生きて、ケンちゃんと二人で春香の成長を見ていたかった」
俺の前では一度も泣いたことがなかったのに、倫子はそう言って母親の胸でいつまでも泣いた。




