第4章(その2)
何が合格なのかさっぱり分からず、リュテカは困惑したが、とにかく婆さんの気には入られたようだ。リュテカはちょっとホッとした。
すると、婆さんの方から話しかけてきた。
「一体また何で、女だてらに軍人さんなんかになろうと思ったのかね」
「えっ」
リュテカは不意の問いに焦った。ちょっとためらったが、ありのままを話すことにした。
「一つには、父も、オスヴァルおじ様…いえ、養父のゴルディアク閣下も軍人だからです。もう一つは、私、リスビアのエルフリート大王陛下を崇拝しているんです。大王は軍事工学と築城学にたいへん造詣が深かったんです。リスビアには実際、大王自らが指揮して築かれた城や要塞が、幾つもあるんです。それらは大変美しくて、しかも頑丈に出来ているとのことです。私の夢は、一度リスビアに行って、それら大王ご自身が手がけられた城や要塞を、この目で見てみることなんです」
ソーナ婆さんはリュテカの話を聞いているのかいないのか、相槌を打つでもなく、再び編み物をしているのだった。しかし、リュテカの話が途切れると、またも編み物をする手を止めた。
「エルフリートねぇ…」婆さんは呟いて首を横に振る。「まあちょっと、買い被り過ぎだね」
リュテカは婆さんを思わずキッと睨み据えていた。たとえ相手が老婆でも、今の呟きは聞き捨てならない。
「買い被り過ぎって」リュテカはついつい声が荒ぶれる。「どういうことですか」
しかしソーナ婆さんは再び編み物を黙々と始めており、リュテカには答えない。リュテカはますますムッとする。
「聞こえているのはわかってるんです」リュテカは苛立ちを露わにして言う。「私が女だからって、馬鹿にしないで下さい」
婆さんは、編み物する手を止めた。
「そうじゃないさ」婆さんは溜息をつく。「ただ…」
「ただ…何です?」
「いいや」婆さんは首を横に振り、編み棒を動かし始める。「何でもないよ」
「気になります」リュテカはまた声を荒げる。「何かあるなら、言って下さい」
婆さんは溜息をついて、編み物を止めた。
「どうしても聞きたいって言うなら、話してもいいけど」婆さんはリュテカを見やって言う。「あんたの機嫌をますます損じることになりそうだ。…それでもいいのかい」
「どういう話なんですか?」リュテカは怪訝な顔で婆さんを見た。「…構わないから、話して下さい」
「そうかい」婆さんはまた一つ溜息をつくと、再び編み物を始めた。「じゃ、仕方ないねぇ」
ソーナ婆さんは話し始めた。
「あんたの知識を、少し是正しておいた方がいいと思ってね。あんた、築城学と軍事工学が専門なんだろう? だったら正しい知識を、頭に入れといた方がいい」婆さんは淡々とした口調で言うのだった。「エルフリートは確かに築城だの要塞造りだのが好きだったし、造詣も深かった。しかしそれは、悪く言やぁ下手の横好きって奴でね。実際あの人が手がけた城や要塞は見栄えの美しさはともかく、実用としてはてんで役立たずだった。壁の銃眼は小さ過ぎて、銃を突っ込むと向こうが充分に見えないし、砲台の立地は実用よりも見た目のバランスや構図を重視し過ぎで大砲を撃つにはまことに具合が悪い。城の中は敵を惑わす目的で実に複雑な構造になっているが、おかげで味方まで惑わせちまってね。そういうのは城の中じゃなく、城の外に施さないとね。そういう訳で、あの人の築城やら軍事工学ってのは、まったくの素人の趣味に過ぎなかったんだよ。ただあの人は国王だったから、趣味を実地に応用出来てしまったって訳さ」
リュテカは呆然と婆さんの横顔を見やっている。
「ほら、前をちゃんと見て」
婆さんに言われて、リュテカは慌てて手綱をさばいた。荷馬車を引く馬が、大きく道を外れて脇の畑に入ろうとしていた。
「でも」リュテカの声は少し震えている。「例えば大王の建てたシュンペスタ城は、エランドリアとの戦闘で無事持ちこたえ、反撃の足掛かりになりました」
「シュンペスタ」婆さんがごく小さく呟く。「あの時は苦労したよ」
「えっ?」リュテカは思わず大声を出す。「今何て…?」
「ああ、別に」婆さんはニッと笑う。「それは城のおかげじゃなくて、戦った兵士たちの士気が高かったからだよ。だから勝てた」
「士気って…」リュテカはまた声が荒ぶれてきた。「そりゃ確かに、士気の高さは大事でしょうけど、築城や、軍事工学だって大事なんです。そんな言い方されたら、まるでそんなもの、あっても無駄みたいな…」
そこでリュテカは絶句した。さっきからずっと高ぶりっぱなしの感情がついに極まって、両眼が真っ赤に潤んでしまったのだ。
「ああ、ごめんよ。ごめんね」婆さんは編み物を荷台へと放り投げると、懐からハンカチを差し出した。「トシを取ると、どうも余計なお節介を言っちまうねぇ」
リュテカは婆さんのハンカチを断って、自分のマントの裾で涙を拭った。
「でもね、まあお節介ついでに言っとくと」ソーナ婆さんはなおも続ける。「それでもエルフリート王は偉大だったよ。あの人は一生かけて大陸の中でずっと遅れていたリスビアを富ませ、野蛮なリスビアの国民性を向上させようと務め続けた。国王であるには、あまりにも理想主義者でかつ一本気過ぎたが、その点がブレたことは、生涯を通じて一度もなかった。世間ではエルフリート王のことを、若い頃は文化的な啓蒙主義者だったのに、後年は反動的な軍国主義者になったというが、それは違う。リスビアの発展のためにはどうするのが最善かを追求した結果、ああいう方向に行っただけだよ。歴史上、あれほど常に理想に向かって前進し続けた王はいない。今はシルヴァルドがそうであるかのように、世間では言っているが、エルフリート王に比べたら、シルヴァルドなんぞはるかに小粒な現世利益主義者に過ぎないね。…ただし築城学と軍事工学の才能は、残念ながらシルヴァルドの方が数等上だね」
リュテカは途中からはもう泣くのも忘れて、ただ呆然とソーナ婆さんの話を聞いていた。前に注意を向けつつも、ついつい婆さんの横顔に見入ってしまう。
「ほら、また、前、前」
婆さんに言われてリュテカはまた慌てて手綱を引く。馬が今度は路傍のリンゴを食べようと首をのばしていたのだ。
「あの…」リュテカは恐る恐る尋ねる。「ソーナさんは、一体どういう…?」
「なあに」ソーナ婆さんはあくびをした。「一介の田舎に隠居している魔法使いの婆あですよ。…つまらない老人の与太話を聞かせちまったね。忘れておくれ」
そう言うと婆さんは荷台から編みかけの編み物を取り戻し、また続きを始めるのだった。そしてまた思い出したように、「今日はこれからどこへ?」と聞いた。
「ドゥヴァルという町まで行きます」リュテカは上の空で答える。「そこで補給部隊と合流します」
「ふうん、そうかね」
婆さんはつまらなそうに答えて編み物を続ける。
リュテカは茫然としたまま前を見る。
忘れろって言われても、忘れられるはずがない。これは、どうやら本当に(多分、オスヴァルおじ様が思っていたのと違う意味で)たいへんな任務のようだ。一体、私はどうしたらいいんだろう…。
リュテカは茫然と手綱を操る。とりあえずは、このまま前へ進むしかない。
…旅はまだ始まったばかりなのだ。先はまだ長い。