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第12章(その1)

 陰気な、湿った、石造りの部屋に、先程から激しくムチ打つ音が鳴り響いている。

 細長い口髭を、左右にピンと固めて尖らせたスキンヘッドの男が、その顔にも、裸の上半身にもねっとりと汗をかいて、口髭同様に左右に細い目をいっそう針金のように細めて、ムチをふるっている。そのムチをふるう先にいるのは、パンツ一枚にされて、両腕を広げて鎖で天井から吊るされた、ヴァン・ドランであった。そして、ムチをふるっている男が、ここダコスタ峠の要塞の司令官、ロヴァル・エル・チャドラン中将なのであった。

 チャドランが顔を紅潮させてムチをふるうたびに、ヴァン・ドランの胸板に次々と赤いミミズ腫れが出来てゆく。正面を鞭打つのに飽きると、チャドランは今度は背中に回ってムチをふるう。そしてチャドランは、ついには感極まって、喜悦の叫びを上げるのだった。

「爽快だ! 爽快だぞ! ギル・ヴァン・ドラン! 貴様をこのような目に遭わせることが出来るだけで、ワシはこれまで生きて来た甲斐があるというものだ」

 そしてまた、いっそう激しくムチをふるう。チャドランの細長い目は狂気のギラつきを見せている。その場に控えている兵たちも思わず目をそらすような陰惨な空気が、部屋に充満している。

「俺を拷問したって」息も絶え絶えの下から、ヴァン・ドランが言う。「ゲロすることなんて何もないぞ…」

「拷問?」チャドランはせせら笑った。「ワシはただ貴様が嫌いなだけだ。貴様の面を見ると虫唾が走る。反吐が出る。ただそれだけだ」

 そう言ってまた、ヴァン・ドランの肉体にムチを振り下ろす。

 部屋の扉が開いて、入って来たのは黒と赤のコントラストが鮮やかなシルヴァルド軍の軍服を着た軍人であったが、それは、ビリーアであった。部屋に入ってその光景を見たとたん、ビリーアは顔をしかめて首を横に振り、溜息をついて腕組みした。

「その男は怪我人です」ビリーアはチャドランに言った。「過剰な拷問は、死に至ります」

 チャドランがムチ打つのを止めて振り向くと、ビリーアは敬礼した。

「これはモンティバルの国内問題だ。干渉するな」チャドランは兵からタオルを受け取って顔や手を拭きつつ言った。「それにどうせ、この男は早晩処刑されるのだ。今のうち、いたぶれるだけいたぶっておかないとな」

 すると、ヴァン・ドランが顔を上げて、「売国奴め!」と言った。

「何だと」

 チャドランは青筋を立ててわめくと、再び猛烈な勢いで、ヴァン・ドランに向かってムチをふるい始めた。やがてヴァン・ドランは失神したが、チャドランは兵にバケツに汲んだ水を持って来させ、ヴァン・ドランにぶっ掛けた。そしてまた、ムチ打ち始める。

 ビリーアは深い溜息とともに肩をすくめ、部屋を出た。



 そこからいくつか階段を上ったり下りたりして、ビリーアはとある部屋にたどり着いた。部屋と言っても、その扉の窓には、鉄格子がはまっている。捕虜となった高級将校用の独房なのであった。しかし、扉の傍らには見張りの兵はいない。その窓から、ビリーアは中を覗く。

 部屋には、リュテカがいた。

 部屋には、外に向けた窓がある。窓と言っても、そこにも扉の窓同様、鉄格子がはまっている。リュテカはその窓から、外をボンヤリ見ている。

 その窓からは、白銀に輝くコルデス山脈の雄大な山容が間近に見える。その荘厳なパノラマは申し分ないのだが、もちろん今のリュテカは、まったくそんなことに感激するような心持ちではない。

 峰々から目を移すと、ダコスタ要塞の姿が見えて来る。

 ダコスタ峠の要塞は、このモンティバル側のそれと対峙して、隣国エランドリア側にもある。この二つは、深い峡谷をはさんで向かい合っている。モンティバル側の要塞も石造りの堅牢な建物だが、エランドリア側も、ほとんどまったく同じような建物なのだった。

 ただ一つ、この二つの要塞には違うところがある。それは、エランドリア側の要塞には、銃眼や砲台といった装備は、あくまでモンティバルへ向いた側面にしか付いていないのに対し、モンティバル側の要塞には、自国の側を向いた面にも、それらの装備が付いている、ということだ。と、言うより、モンティバル側の要塞の銃や大砲は、すべて自国の方を向いている。

 モンティバル側の要塞には、東西南北の四方に、見張りのための塔が立っている。そこに立つ物見の兵も、すべて自国の方を見張っている。リュテカの独房は、その北の塔と東の塔との間にある。

 リュテカは虚脱したまなざしで窓の下を見やる。

 モンティバルとエランドリアの双方の砦の間には、峡谷をまたいで、橋が架かっていた。しかも、簡易の橋などではなく、鉄骨で組まれた、恒久的な、本格的な橋だ。その橋の上を、白い軍服のモンティバル兵と黒と赤の軍服のシルヴァルド軍の兵が、自由に行き来している。要塞の真ん中は中庭になっているのだが、そこではモンティバル軍の兵とシルヴァルド軍の兵が、仲良く球蹴りやらボーリングやらトランプ遊びやらに興じていて、すっかり和気あいあいの、なごやかムードなのであった。

 ガチャリ。扉の鍵が開けられ、ビリーアが入って来たのを見て、リュテカは慌てて敬礼する。たとえ敵国であっても、階級が上位の将校にはこちらから敬礼するのが、万国の軍の鉄則だ。しかしリュテカは、形だけは敬礼したが、目は無遠慮にジロジロとビリーアの軍服姿を見つめる。ビリーアは仕草でリュテカに敬礼をやめるよう伝える。

「似合わないでしょ」ビリーアは簡易ベッドの上にどっかり腰をおろして言った。「あたし軍服って嫌いなのよ。ホラ、こういう身体でしょ? もうキツくてキツくて。それが嫌で海外で諜報活動なんかやってるのよ。あんた、軍服そんなにキツくないでしょ。いいわあ、うらやましいわあ」

 ビリーアの軽口に取り合わず、リュテカは静かに聞いた。

「私に対する訊問はないんですか」

 ビリーアは首の詰襟を外してパタパタ手であおぐ。ちょっと言いにくそうな様子だ。

「あんたに関しては」ビリーアは目を逸らして言う。「ゴルディアク陸軍最高司令長官から、前もって特別な要請が、ここのあのハゲチャビン司令官にあったそうよ。ここに着いたら、あんたを無事保護して欲しいって。…意味はわかるわよね」

 リュテカは愕然とした表情で、よろよろと窓の格子にもたれかかった。

「ついでに言っとくと、あのハゲチャビンが、そのことについて条件を出したらしいわ。一緒にヴァン・ドランがここに来るなら、その要請を受け入れるってね」ビリーアは肩をすくめた。「ハゲチャビンがかつて大隊長をやってた時に、中隊長だったヴァン・ドランに殴られたらしいわね。それをあのハゲ、ずっと根に持ってたんだわね。ヴァン・ドランも、長い国外活動で、国内の軍の人事には疎くなってたから、まさかそのネクラハゲがここの司令官になってるとは知らなかった。…ゴルディアクも、その点はわざとヴァン・ドランに伝えなかったんだわ。どうあれ、ヴァン・ドランはウカツだったわね。婆さんが言ったように、自信が裏目に出たってわけよ」

「おじ様が…」リュテカは呆然として大きく目を見開いている。「国を裏切っていた…」

「さらに言うと」ビリーアは言う。「あんたはあの婆さんっていうとてつもない兵器を、我々の手に譲り渡すためにえっちらおっちら、ここまで運んで来た、ってことになるわね。つまり知らぬとは言え、裏切りのお先棒を担がされた、って訳ね。…タバコ吸っても、いいかしら?」

 リュテカは陰鬱なまなざしでビリーアを見やって「どうぞ」と言い、

「今さら何の情報を送るっていうの?」

 と精一杯の嫌味を言ってみたが、ビリーアは涼しい顔で胸元から出したタバコをくわえ、火を点けた。一つ大きくタバコを吸って、プハーと煙を吐く。

「別に。これは純粋に吸ってるだけ」ビリーアはチラリとリュテカを見やる。「まあ、あんたにはショックでしょうけどね。でも悪いけど、シルヴァルドの勢いは止められないわ。ダコスタの要塞がこんな状態になってるんだもの、もはやモンティバルに勝ち目はない。戦ったって、国土が荒廃するだけよ。・・・ゴルディアク将軍やここのツルッパゲ司令官がそう考えているのかわからないけどね。まあ大方、今後の保身を考えて、早々とシルヴァルド側に寝返った方が得っていう、打算でしょうけど」

「おじ様はそんな人じゃない!」リュテカは叫んだ。「私をダマそうとしたって駄目よ!」

「あんたダマしてどうするのよ」ビリーアはまた肩をすくめる。「そんなことしたって一文の得にもなりゃしないわ。まあ、ショックなのはわかるけど。でも、こうしてあんたが訊問されもせず、見張りの兵も付けられず、こうして無事に保護されてるってのが、あたしの言ったことの証明になってると思うけど」

「でも私は…」リュテカは震える声を振り絞って言った。「私は、売国奴になるのは嫌だ」

「あんまり深刻に考えない方がいいわよ」ビリーアはまたフーッと煙を吐いた。「陛下がモンティバルを征服すれば、もう売国奴じゃないし」

「そういう問題じゃないわ!」リュテカはキッとなって叫ぶ。「あんたみたいなチャランポランな人にはわかんないでしょうけど」

「誰がチャランポランよ!」ビリーアも大声を出す。「任務の真っ最中に男とよろしくやってる方がよっぽどチャランポランじゃないのよッ!」

「あなたに言われたくないわ…」

「あたしはね」ビリーアはさらに続ける。「自分の任務のためにエルコに近付いたのよ。まあ、初めから目算があった訳じゃないし、私情も少々あったけどね。でもあんたは徹頭徹尾、私情だけじゃないの。しかもあんな男と…。あたしだったらあんなマッチョなだけの奴、絶対お断りよ。もう何というか、「俺は強い男」ってのが全開している感じ? ほんと、あんた男の趣味が悪いわよ…って、あれ?」

 リュテカがシクシク泣き出したのだった。

「ちょっと、泣かないでよ」ビリーアは困惑した。「昨夜はあんなにカッコ良く堂々としてたのに、これじゃもとの黙阿弥だわ。悪かったわ。悪かったわよ。言い過ぎたわよ。もうさあ、あたし男に泣かれるのは平気なんだけど、女に泣かれるのは苦手なのよね」

 ビリーアはタバコを深く吸って、吐いた。

「まあ、いいわ」ビリーアは言った。「泣きたけりゃ、我慢せずに泣いたらいいのよ。泣いてる間に、どさくさであたしのこと話すわね。どうせ聞きたくないでしょうから。あんた、さっき売国奴になるのは嫌だって言ったわね。あたしはね、正真正銘の、その売国奴って奴なのよ」

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