第11章(その5)
リュテカは唖然として、この様子を見つめていた。
部下どもがすべていなくなった橋の上を、髭面に満面の笑みを浮かべて、意気揚々と、ロマン・ピンクトーンが一人で闊歩して来る。
リュテカは、慌てて頭の中で計画の再検討を始めていた。この突発事態は、計画を水泡に帰すものか、それとも大きな問題ではないのか、とっさに判断がつかない。だが、どうあれロマン・ピンクトーンがこちら側に到達するまでに、何らかの結論を出さねばならない。
突然、対岸が騒がしくなった。怒号が聞こえ、すぐに銃声が聞こえた。橋が、急激に揺れ始めた。ロマン・ピンクトーンが驚いて振り返った。悪鬼のごとき形相のゲレルが、拳銃を手にして橋の上を突進して来る。ロマン・ピンクトーンが拳銃を構えるより一瞬早く、ゲレルが走りながら、拳銃を立て続けに三発撃った。ロマン・ピンクトーンは銃を取り落し、もんどりうって、橋から転落していった。
ゲレルはそのまま、リュテカの方まで突進して来る。リュテカは呆気にとられたまま、身体が硬直してしまっていた。そのリュテカの前に来てゲレルは立ち止り、銃を向けた。
その後ろから、銃を手にしたパルチザンたちが、わらわらと橋の上に殺到していた。橋が、ミシミシと音を立てる。銃声が立て続けに響く。
「愚図愚図するな!」ゲレルが怒鳴った。「さっさとやれ!」
リュテカは我に返った。同時に、ヴァン・ドランがリュテカの尻をポン! と叩いた。
ゲレルは振り返り、向かって来るパルチザンたちに発砲する。しかし、リュテカはなおもためらった。 ゲレルは再びリュテカの方を向き、その手元に一発撃ち込む。ヴァン・ドランが木材を引き始め、リュテカもそれにつられて、一緒に引き始める。橋のきしみはすでにミシミシからバリバリという音に変わって来ている。
ゲレルは自分の倒したパルチザンの銃を取り上げ、向かって来る連中に撃ち返していた。
リュテカの引く木材は、急激に重量が掛かって、それまでに増して引き抜きづらくなっている。その間にも橋は大きくきしみ、たわんでいる。このままでは、逆に中途半端に橋が壊れて、リュテカの思ったように橋が崩壊しない。
対岸から、フワリと何かが天高く舞い上がるのが見えた。ソーナ婆さん、エルコ、ビリーアの三人が跨ったホウキであった。ホウキは一旦天高く舞い上がったのだが、急にガクリと下に沈む。
「ホラ、しっかりおし」婆さんが怒鳴る。「おまえたちがしっかりしないと、みんなオダブツだよ! ビリーア、あんたちょっと重いんじゃないのかい?」
「そんなこと言ったって」ビリーアは悲鳴を上げる。「あたし、ホウキ乗るの初めてなのよ」
「ホウキぐらい乗れなきゃ」婆さんはさらに怒鳴る。「ウチの嫁は務まんないよ」
「なら、頑張るぅ」
ビリーアがそう言うと、急にまたホウキはふわっと天高く舞い上がった。
橋の上では、ゲレルがやって来るパルチザンの連中を、次々撃ち倒していた。対岸からも銃声が響くが、それがパルチザンたちによるものか、ゲレルの部下たちによるものか、判然としない。
そして、リュテカとヴァン・ドランの引く木材は、ようやく引き抜けるところまで来た。
「ゲレル少尉!」リュテカは叫んだ。「早く逃げて!」
ゲレルが振り向いた。ゲレルは微笑んでいた。そしてゲレルは直立不動になって、リュテカに向かって敬礼した。
その直後、ゲレルは背中から撃ち抜かれた。
同時に、リュテカたちの引く木材が、完全に引き抜かれた。
次の瞬間、凄まじい轟音と、土埃とを巻き上げながら、橋は一挙に崩壊した。
ヴァン・ドランがリュテカを抱きかかえ、大きく横に飛ばなかったら、二人ともその中に巻き込まれていた。夜の闇の中に、凄まじい轟音が響き渡った。恐ろしい音を立てて、川に水柱が次々と立ち上がった。そしてそれは魔神の雄叫びの如き谺を残して、やがて消えた。
消えると、あとには嘘のような静寂が訪れた。
脱力感だけが残った。
リュテカは、川の下を覗き込む気もせず、尻もちをついて、荒い呼吸を続けていた。
ヴァン・ドランが傍らに倒れていたが、すぐにそれに構う気もしなかった。リュテカは対岸を見た。対岸も静まり返っていた。目がかすんで様子がよく見えない。みんな、死んだのか?
フワリと空から下りて来たのは、ソーナ婆さんとエルコとビリーアの乗ったホウキであった。
「やれやれ、二人とも無事かい」
婆さんに言われても、リュテカはうなずくのがやっとだ。そしてようやくリュテカは、ヴァン・ドランの方ににじり寄って、その安否を確かめた。大丈夫、ぜえぜえ荒い息をしているが、意識はある。
エルコもビリーアも、表情がこわばっていた。あまりのカタストロフっぷりに、そしてそれがあまりにあっけなく終わったことに、すっかり気を呑まれてしまっている。
リュテカだって、自分で企んでおきながら何だが、まさかここまで凄まじいとは、思っていなかった。言葉が出ない。思いつかない。ただ、自分がとりあえずどうにか生きている、ということだけが、やけにハッキリと、重々しく、実感される。アバネの森を抜けきった時、あるいはタヴェルンの駐屯地での時のような、安堵感というものはなかった。まったくなかった。
「対岸の連中も、おまえたちと同じだよ」ソーナ婆さんが手をかざして向こうを見ている。「何人かは生き残っているが、みんな茫然自失ってところだね。…おや?」
ソーナ婆さんは、振り返った。そして、上の方を見た。
そこからは、またうんざりするようなつづら折れが続いているのだが、その上の方に、何やらチラチラと灯りが見え隠れするのだった。やがてそれは、灯りの列となって、つづら折れを下りて来る。リュテカもソーナ婆さんも、エルコとビリーアも、ヴァン・ドランも、その光の行列を、黙って、息を呑んで、見守っている。
やがて、その先頭が現れた。そこにいたのは、モンティバルの軍服を着ている、馬上の男であった。男が右手を上げると、まだ坂を下り切っていない行列が、ピタッと動きを止めた。
「ダコスタ峠の要塞からお迎えにあがりました」男は馬を下りながら大声で言った。「要塞の副官のスタルツ大尉であります。…中佐殿はいらっしゃいますか」
リュテカはよろよろと立ち上がり、直立不動になって敬礼した。
「リュテカ・モン=ヘルベール中尉です。…ここには中佐はいません。ヴァン・ドラン少佐はこちらです。負傷しているので、横になっていますが」
スタルツという大尉は、細い目、小さい口が、それぞれ丸い輪郭の思いっきり隅っこに配置されているような顔をしていた。小さな鼻は中心から、ずれているように見える。まるで失敗した福笑いであった。近付いてきたスタルツはリュテカに簡単な敬礼をすると、ビリーアの方へ行った。
「では、あなたですね。失礼しました」スタルツは直立不動で敬礼した。「ビリーア・デル・スール中佐殿、任務ご苦労様でした。要塞より、お迎えにあがりました」
そしてスタルツは敬礼を解くと、他の四人に向かって言った。
「ダコスタ要塞の最高司令官、チャドラン中将閣下の命により、おまえたち全員逮捕する」
その言葉と同時に、ジャッ! という音が一斉に響いた。つづら折れにズラリと並んでいるであろう、スタルツの部下の兵たちが、一斉に銃を構えたのに違いない。スタルツが手を上げた。リュテカは思わず目をつむり、身をすくめた。一斉に銃声が響き、谺が幾重にも轟いて、やがて遠くの闇へと呑まれていった。
リュテカは恐る恐る目を開き、そして愕然とした。
対岸に生き残っていたはずの連中が、みな倒れていた。リュテカは恐怖と批難で引きつったまなざしを、スタルツに向けた。
「司令官閣下のご命令だ。無用の者は始末しろ、とのね」スタルツは無表情に言う。「おまえたちには全員用がある。だからこれから要塞へと連行する。無用な抵抗をすれば、もちろん直ちに射殺する」
言いながらスタルツは拳銃を抜いていた。




