第11章(その4)
橋のたもとに立てられた「ロマン・ピンクトーン橋」と刻まれた標識を、悦に入って眺めていたパルチザンの親分…いや、ロマン・ピンクトーンは、おもむろに部下たちの方へ向き直ると、厳しい口調で命じた。
「いいか。これからこの二人が橋を渡るが、絶対に手出ししちゃならねえ。これは約束だ。仁義だ。もし発砲なんかしやがったら、即刻崖から叩き落とす」
両岸に篝火が焚かれ、闇の中に橋だけがボウッと浮かび上がっている。
「おい」ロマン・ピンクトーンが言った。「向こうの篝火、少なくねえか」
確かに、対岸の篝火は、こちらよりグッと少なかった。
「人のいない所に、あまりたくさん火を焚くのは危険だわ」リュテカは答えた。「私たちは大丈夫。あれだけの火が焚いてあれば、充分目印になるから。…私たちを撃つ時の目印にもなるわ」
「そんなことはしねえ」ロマン・ピンクトーンはムッとして言った。「俺は約束は守る男だ」
リュテカはヴァン・ドランの身体をしっかりと抱きかかえて立ち上がった。ヴァン・ドランの身体は細かく震えていた。リュテカはその額に手をやった。汗でぐっしょり濡れたその額は熱かった。いくらタフなヴァン・ドランでも、これ以上放置していては危なそうだった。しかし、ここでもリュテカは心を鬼にする。
「いい」リュテカはわざと冷厳に言った。「ここは死ぬ気で頑張って。でも、対岸に着くまで絶対死んじゃ駄目。いいわね」
ヴァン・ドランは荒い息を吐きながら、ようやくよろよろとうなずいた。それがやっとであるらしい。ヴァン・ドランの身体を抱きすくめるリュテカの全身にグッと力がこもる。たいまつが差し出されたが、リュテカは断った。片手では、ヴァン・ドランの身体を支えきれないからだ。
「見ろ。崇高じゃねえか」ロマン・ピンクトーンはうっとりと橋の上の二人を見やる。「まるで天に昇って行くように見えるぜ」
実際、それは冗談ではない。一歩足を踏み間違えば、真っ逆さまに100メートル下の、岩のように硬くなった川面へと叩きつけられるのだ。篝火の火が足元まで照らすのは、せいぜい橋のたもとから5メートル位までであって、橋の真ん中から向こうは、今宵も夜空に輝く満月しか、頼るものがない。対岸の篝火は、本当に目印としてしか役に立たない。
リュテカは慎重に、一歩一歩、歩みを進める。自分の足元より、ヴァン・ドランの身体と足元の方が、ずっと危なっかしい。リュテカは自分たちの足元と、先方の篝火とを、交互に見ながら、ゆっくり、ゆっくり、歩いて行く。
橋のたもとでこの道行を見つめる連中の視界から、橋の上の二人の姿はやがておぼろげになり、そして、完全に闇の中に溶け込んだ。まったくの静寂がしばらく続く。 ソーナ婆さんも、エルコも、ビリーアも、そしてロマン・ピンクトーンも、篝火の揺らめく対岸を凝視する。
十分近く、経ったろうか。
やがて…。
「大丈夫。無事着いたわ」
リュテカの声が彼方よりかすかに聞こえた。
「よし、全員、橋の上に一列に並べ」
ロマン・ピンクトーンの部下たちは、たいまつを持って一人一人、橋を渡って行く。部下は三十人ほどいるから、1メートルごとに一人ずつ橋の上に立てば、充分に銃のリレーは可能であった。その予行演習ではないが、途中からたいまつが次々と前へ行くものに手渡されてゆく。そして対岸に、たいまつが集められ、盛大な篝火とされた。両岸から篝火に照らし出されて、橋は幻想的に峡谷に浮かび上がる。
さて、リュテカであるが、先程ヴァン・ドランを抱えて対岸に着くとさりげなく、橋のたもとのとある位置に立った。そして、これまたごくさりげなく、橋のたもとにわずかに突き出た木材の端を、両腕で抱えた。それは、さも何気なく橋の傍らに寄りかかっている、という風に見えねばならない。
だが実はリュテカは、慎重に、しかし満身の力を込めて、両腕で抱えた木材を引っ張っていた。橋の崩れぬギリギリのところまで、それを引っ張っておくことが、重要なのだった。ヴァン・ドランを近くに座らせたリュテカは、一人でその難しい作業に取り掛かった。
しかし、もうすでにパルチザンの連中が橋の上に並び始めており、その重さが加わって、木材は思ったようには引っ張れなかった。同時に、あまり大きな音を立てぬことと、引っ張り過ぎないことにも、気を付けねばならなかった。木材を引き抜き切ってしまうと、橋は一挙に崩壊する。しかし愚図愚図していると、人の重みで引き抜けなくなる。
ふと背後に気配がした。ヴァン・ドランが、リュテカの背に覆いかぶさるように、その後ろに立っていた。リュテカは言った。
「ここは大丈夫。そこで休んでいて。傷がますます悪くなる」
しかし、ヴァン・ドランは荒い息をリュテカのうなじに吹きかけるばかりで返事をしないし、そこから退こうともしない。ヴァン・ドランの熱が自分にも伝染るように感じながら、リュテカは言った。
「わかったわ。じゃ、お互い身体が大変だけど、頑張ろうね」
パルチザンたちは、橋の上に横一列に並び終えた。
ゲレルたちは、この中に加えられていない。工事が終わると、またひと括りにされていた。エルコとビリーアも一つ縄に縛り上げられている。婆さんだけは相変わらず解放されている。
橋を渡る順序は、リュテカとロマン・ピンクトーンの間で、こう決めていた。まずはリュテカとヴァン・ドランが丸腰で渡り、ついで、一列になったパルチザンたちが100挺の銃を手渡しリレーで対岸に渡す。それから、ゲレルと六人の兵、エルコとビリーアの順に渡り、最後にソーナ婆さんとロマン・ピンクトーンが渡る。
だがリュテカの真の計画は違う。100挺の銃が対岸に渡り終えた所で、橋を落とすのだ。
「私たちがこちらで残った連中を防ぎますから」ゲレルが言った。「その間に橋を落として下さい。連中の大部分が橋の上にいるわずかな時間のうちに、やらなきゃなりません」
「でも、あなたたちは…」
リュテカが言いかけると、ゲレルはフッと笑って言った。
「我々は我々で何とかします。ご心配なく」
「縄なんて切るのは簡単だからね」傍らのソーナ婆さんが言った。「あたしたち魔法使い連中のことも心配しなくていいよ。もっけの幸い、エルコがホウキを持って来たからね」
三人は、工事のどさくさの間に、一瞬顔を合わせて、この打ち合わせしたのだった。もちろんこの時、婆さんが例の結界を三人の周囲に張ったのは、言うまでもない。だからこの様子は、周囲でせわしなく働き続ける他の連中には、まったく見えていない。
「大勢、人が死ぬ…」
リュテカが、暗い表情で呟いた。
「仕方がありません」ゲレルが言った。「こいつらは盗賊です。今までもっと大勢の人を殺して来たんだ。同情することはありません」
ソーナ婆さんが、ポン! とリュテカの背を叩いた。
いよいよ、銃が一挺ずつ、手渡しされて橋の上を渡り始める。その時だった。
「待て」突如、ロマン・ピンクトーンが手を上げて言った。「予定変更だ。まず俺が渡る。おまえら、橋の上から全員退いて、こっちに戻れ」
橋の上のパルチザンたちは、その命に従い、ゾロゾロと元の側へ戻り始める。




