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第11章(その1)

 そこからはエルコの言ったとおり、山道は急激に険しくなった。パルチザンたちが荷馬車を捨てた理由がよくわかった。もはや馬車が通れるような道ではなく、登山道とでも言うべきものになっていた。馬で行くのさえ、やっとだった。いや、途中からは馬で行くのも、諦めざるを得なかった。それほど険しい道が、延々と続いた。四人は黙々と、その山道を歩いた。

 ヴァン・ドランは顔面蒼白であり、すっかり歩行速度が鈍っていた。その後になり、先になりしながら、寄り添うようにリュテカが行く。時に背や尻を押し、手を引く。リュテカがヴァン・ドランに掛かりきりなので、その馬はエルコが引かざるを得ない。主人でない者が引くと、この大きな黒馬は急に駄々をこね、素直に前へ進もうとしない。

 もう一頭の老いた馬は、もちろんビリーアが引く。こちらの馬は人生…いや、馬生が長いせいか、大人しくビリーアの言うことを聞くし、意外とタフで山道にもへこたれる様子は見せない。

 そんなこんなで、エルコが一~二時間とみた行程に、一行はその倍以上の時間を費やすこととなった。そして、案の定だった。

「止まれ」

 前から来た、銃を持った二人の男に命じられた。

 先程示し合わせたとおり、一行は抵抗を見せず、素直に手を上げ、投降した。そして、二人の男にヴァン・ドランとリュテカの銃を渡した。これは、先程の打ち合わせでヴァン・ドランがかたくなに難色を示した点であったが、リュテカはキッパリ言った。

「あなた、その身体では拳銃があっても危ないわ。下手なことをすると、かえってややこしいから、つべこべ言わず大人しく私の言うとおりにして」

 そこでヴァン・ドランが、大いに不満げではありながらも、反論せずに黙りこんだのには、ビリーアもエルコも驚いた。が、それがリュテカの話した「計画」の故だとは、すぐに察せられた。怪我と熱のせいで反論する気力もなくなったためでもあったろうが。

 もっとも、同じくその「計画」を聞かされたビリーアもエルコも半信半疑…いや、まったくほとんど疑っていた。リュテカがやけに自信満々に話す「計画」とやらが上手くいくとはどうしても思えなかった。と言うより、どうもその具体的な姿がちっとも見えてこないのだった。ただもうリュテカだけが、一人で自分の考えに酔って意気揚々としているようにしか見えなかった。

 しかし一方で、熱に浮かされたように話すリュテカに、不思議な迫力、吸引力、訴求力があったのは確かだった。話の内容がいまいちよくわからないながらも、ついつい聞いてしまうものがあった。一番頼りになるはずのヴァン・ドランがあまり頼りにならない状況になった今は、とりあえず、リュテカの計画に掛けてみるしかないのでもあった。

 ビリーアのタバコの件は、ひとまず置かれていた。とにかく今は、ソーナ婆さんを一刻も早く取り戻すことが先決であった。すべてはその後の話だ。



 三十名ほどの男たちが、断崖絶壁の中の狭い場所に、ひしめいていた。遠くから見ると、今にも崖からこぼれ落ちそうに見える。

 パルチザンたちが足止めを食っているその場所こそが、マッカリア渓谷の入り口なのであった。

 道から少し下りればすぐにたどり着けた川面は、今はもう眼下のはるか下、目もくらむような切り立った高い崖の下にある。その高さは軽く100メートルはあるだろうか。ここから落ちたら、確実に死ぬ。岩に叩きつけられなくても、岩のように硬くなった水面に叩きつけられるだけで、充分に死ねる。そういう深い渓谷が、ここより10キロ以上も続くのだ。

 対岸には、さらに高い所へとつづら折れで登って行く山道が見える。そうしてさらに登って行った先にあるのが、ダコスタ峠なのであった。ダコスタ峠そのものは見えないが、コルデス山脈の白い雪をかぶった峰々の頂上は、はるか向こうに少しだけ見えて来ている。

 だがその対岸との間に、深い断絶があるのだった。リュテカがざっと目算した対岸との距離は、エルコの言ったのよりもう少し長い、約25メートルだった。落ちた橋の残骸はもはや跡形もなく、たもとの杭が残っているばかりだったが、リュテカにはそれで充分だった。その杭だけで、リュテカはこれが吊り橋で、どういう形状だったのかを思い描くことが出来た。

 しかし、パルチザンたちのもとに連行されてきて意外だったのは、ゲレルと六人の兵が再びふん縛られて、ひと括りにされていたことだった。その扱いは、ソーナ婆さんよりもぞんざいだった。婆さんはパルチザンの親分らしい、凶悪な髭面男の隣に座らされて編み物をしていた。つまり、ゲレルたちのように縛られてはいない。

「おやまあ、遅いねえ」連行されて来たリュテカたちを見て、ソーナ婆さんは開口一番言った。「どこで道草食ってたんだい」

「何でおまえ、ホウキ持ってるんだ?」

 髭面の親分がエルコに言った。

「そりゃあたしの孫だよ。魔法使いにホウキはつきものさ」婆さんはそう言うと、エルコを叱った。「おまえ、ちゃんとホウキを返しときなって、言ったじゃないか」

「あの」親分の前に一歩進み出たリュテカは、おずおずと切り出す。「ちょっとお話があるんですが」

「何だ。女の軍人か」親分は好色そうなまなざしを、無遠慮にリュテカの汚れた軍服姿の隅々に向けながら、薄ら笑いを浮かべる。「あれか。あたしだけ見逃してくれれば、お礼は身体で払うから、ってヤツか。女はみんなそういうもんだ。オペラにも確かそういうのがあったはずだ。フン、学があるだろ? でもな、俺はそういうのが大嫌いなんだ。そういう卑怯な女はみなブチ殺すことに決めている。まあ、そのお礼ってのは有り難く頂戴してからだがな。ヘッヘッヘ…」

「違います」リュテカはすっかり鼻白んで言った。「橋が落ちて困ってるんでしょう? だから、橋を架けてあげるって言ってるの。私、士官学校で軍事工学が専門だったんです。橋ぐらい簡単に造れます」

「橋を造るって」親分が言う。「おまえが一人で造るのか?」

「そんなバカな」呆れ顔でリュテカは答える。「もちろん、ここにいる人全員に手伝ってもらいます。人手がなきゃ、出来ないわ」

「…ダマそうってんじゃ、ないだろうな」

 親分が疑り深そうな目を向ける。

「バカバカしい」ますます呆れ顔でリュテカは言った。「そんなつもりなら、最初から手伝ってなんて言わないわ。ぜひ、あなたの部下の人たちにも、手伝って欲しいのよ」

 ここが重要だった。リュテカは少し語気を強くして、強調した。

 親分はなおも疑り深そうな目でジロジロとリュテカを見ている。リュテカはさらにダメ押しする。

「疑うなら」リュテカは両手を上げた。「完成模型を作って見せたいの。そうすれば、より安心でしょ?」

「模型だぁ?」

 親分は呆れ顔で言った。が、少し考えて、

「わかった。じゃ、手早くやれ」

 と言った。

「それじゃ、ちょっとみんなで協力して」リュテカはなぜかちょっとはつらつとしている。「木の小枝を集めてもらえるかしら」

 親分はうなずき、部下どもに顎をしゃくってエラそうに命じる。

 それから十五分ほど、どいつもこいつも屈強で凶悪な面構え(にリュテカには見えた)のパルチザンたちが、小枝集めに熱中する姿が見られた。それはどこか微笑ましく、滑稽な光景であった。

 しかしヴァン・ドラン、エルコ、ビリーアはふん縛られてゲレルたちと一緒にされていた。リュテカとソーナ婆さんだけが、自由だった。親分曰く。

「おまえは指示しなきゃならないからな」そして「俺は年寄りは大切に扱うんだ。紳士だからな」

 リュテカの前にさまざまな長さと太さの小枝が集められた。それをリュテカは均等な太さのものにより分けて、さらにいくつかの長さに折った。それから、それを慎重に、組み上げていった。その様子をいつしか親分はじめ、その場にいた全員が…ソーナ婆さんも、ヴァン・ドランも、エルコもビリーアも、ゲレルさえも…ジッと注視していた。

 三十分ほどで、見事に、かつ複雑に木で組まれた、30センチほどの直方体が完成していた。

「これは100分の1の大きさよ」リュテカは言った。「実際はこの100倍の大きさになるわ。そうすれば、この峡谷にも橋を架けられる」

 リュテカはその両端の下を持った。掌に乗っけて軽く揺すったが、直方体はビクともしなかった。

「ね、丈夫でしょう」リュテカは直方体を置くと、今度は上からグイグイ押したが、やはりビクともしない。「ね?」

 その場の連中の間から、思わず「おお」という感嘆の声が上がった。

「おまえ女のくせに、なかなかやるな」親分は満足げな薄笑いを浮かべていた。「よし、野郎ども、早速取り掛かれ」

 リュテカはソーナ婆さんの傍らへ行って、そっと耳打ちした。

「ごめんなさい。ちょっとの間だけ、私たちの周りに結界を作ってもらえないかしら」

 そしてリュテカは、婆さんにも例の「計画」を手短かに耳打ちした。

 婆さんは編み物をやめてエメラルドグリーンの瞳でじっとリュテカを見た。リュテカは思わず背筋に冷たいものを感じ、ゴクリと生唾を呑んだ。

「いいよ」婆さんは編み物を脇にやった。「だがそれなら、単なる結界じゃ足りないね。おまえさんたちが何をしてるのか分からないように、目くらましをしなきゃ。ただし、あまり長時間は無理だね。十五分…。いいかい?」

「充分だわ」

 リュテカは言い、模型を持って縛られているヴァン・ドランたちの方へ行った。しかしパルチザンの連中はそのリュテカの動きをまったく気に留める様子がない。すでに婆さんの魔法は、発動しているようだ。ヴァン・ドランたちの前に木の直方体を置いたリュテカは、ふと気が付いた。ゲレルたちと六人の兵も、じっとリュテカと木の直方体を、見ていたのだ。リュテカは婆さんの方を見た。

「彼らも仲間に入れてやりな」婆さんは言った。「結局のところ、彼らもダマされたのさ」

「そのとおりです」ゲレルが言った。「もはやこうなったら、軍法会議に掛けられるのは仕方ありませんが、我々はパルチザンのシンパ、いや、同志でした。それで、密かにライフル100挺をパルチザンのために輸送したのです。ところが急に、モン=ヘルベール中尉と連れのお婆さんと合流しろという命令がありました。それで私は…」

「ゲレル少尉」

 リュテカはキッパリした口調でそう言いながら、手を上げてゲレルを制した。その強い態度とまなざしに、ゲレルはたじろいだ。リュテカはやや苛立ち気味に、早口に続ける。

「時間がないの。アバネの森で私を殺そうとしたとか、ヴァン・ドラン少佐を撃ったとか、その辺はもういいから。それより、どうしてこうなってるの?」

「連中は、要するにパルチザンの皮をかぶった盗賊です」ゲレルは苦渋に満ちた表情を浮かべた。「村を襲うことしか頭にない連中です。我々が補給物資の三分の二を失ったと知った時から、そしてライフルを手に入れた時から、我々はもう用済みなのです。山道を来る間も武器を奪われ、こうしてずっと縛り上げられていました。どうせ連中はここで私たちを殺すつもりです。あなたが橋を架けると言い出したから、それが一時棚上げになっているだけです。…気を付けて下さい。橋が完成したら、我々と一緒に、あなた方も殺すつもりです」

 リュテカは大きく一つ溜息をついた。

「そんなこと、わかってるわ」リュテカは言った。「じゃあ、これから見せるものがあるから、あなた方も協力して頂戴。でないと、上手くいかないから」

 リュテカは木の直方体の端に、右手を掛けた。それから、周囲をぐるりと見回した。

 パルチザンの連中には、本当にこの様子が見えていないらしく、まったくリュテカたちのことを意に介する風もなく、わらわらと周囲を動き回っているのだった。

 ヴァン・ドランもエルコも、うさん臭げな表情を露骨に浮かべるビリーアも、ゲレルと六人の兵も、そしてソーナ婆さんも、リュテカの手元を見つめていた。

 リュテカの右手がわずかにスッと横に動いた。とたんに、木の直方体がバラッと崩れた。リュテカの右手は、一本の小枝をつまんでいる。

「ね?」

 そう言ってその小枝を振って、リュテカは呆気にとられて自分と小枝を見つめる人々を見た。そのリュテカの表情には、隠そうとしても隠しきれない、得意げないろが満ち溢れているのだった。

 

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