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第7章(その3)

 兵たちも一斉に不安げに、周囲を見上げ始めた。

 気のせいではなかった。森の奥が、ボウッと紫に光りだした。そしてそれは瞬く間に、補給部隊を取り囲むように広がっていった。

 紫の閃光が、斜めにリュテカの視界を横切った。「ギャーッ」という凄まじい叫び声と、何かがドサリと落ちる音がした。

 ハッとしてリュテカがそちらを見ると、ヴィガスが馬から転げ落ち、その上に、紫にボウッと光るものが覆い被さっている。その紫の光の上をさらに赤い光の線が点滅しつつ横断する。

「で、デカい…」

 思わずリュテカは呟いた。それは体長1メートルはあろうかという、巨大な発光する物体であった。いや、それだけではない。その上にたちまち、同じ紫に光る物体が、二つ三つと次々に折り重なるように、覆い被さってゆくのであった。たちまち、ヴィガスの姿はその下に埋もれて見えなくなった。

「ヴィガスさん!」

 ハッと我に返ったリュテカはそう叫んで御者台から飛び降りようとした。その裾を、婆さんが引っ張る。婆さんは厳しく叱責する。

「バカ! 行くんじゃないよ」

「だって!」

 反論しかけるリュテカに、婆さんは「上をごらん!」と言う。上を見たリュテカはギョッとした。

 そこには無数の、おびただしい数の、紫の光がゆらゆらと揺らめき、もぞもぞと蠢いているのだった。そしてそれは、見える限りの森全体に広がっていて、まるで、紫の光のトンネルと化しているかのようであった。

 ガシャン! と音がして、またリュテカはハッとした。傍らで婆さんが、リュテカの脱いだマントの上に思い切りカンテラを叩きつけたのだった。たちまちカンテラの火は、リュテカのマントの端に燃え移った。それを婆さんは頭上でグルグルと振り回し始める。

「さあ、行くんだ」婆さんは怒鳴った。「全速力で馬車を走らせるんだ。急げ!」

 リュテカはピシリと手綱を打った。たちまち、荷馬車は走り出す。ヴィガスが倒れている右手ではなく、補給部隊の左手に荷馬車を突っ込んで、全速力で駆け抜ける。

 すでにその場は、大混乱に陥っていた。兵たちは闇雲に銃を撃ち始め、無数の紫の光が雨のように降り乱れ、あちこちで「ギャーッ」という悲鳴や怒号が起きていた。リュテカたちの目の前にも、そして荷台の上にも、ムラサキビルは容赦なく落ちて来る。荷台の上にヒルが落ちると、婆さんは振っていたマントをそちらに向かって叩きつける。火に触れたヒルは「キュッ」と音を立ててたちまち光を失って焼け縮むのだった。

 襲って来るのはヒルばかりではない。兵たちの撃つ銃弾もまた、容赦なく飛んで来る。一発の銃弾が、リュテカの頬をかすめた。血の流れるのを感じたが、リュテカは痛みは感じない。そんな余裕などない。

 リュテカたちの荷馬車は、補給部隊の先頭の荷馬車の脇を抜けた。

 と、その前に突如躍り出たものがあった。リュテカは慌てて手綱を引いて馬を止めた。

 馬に乗ったゲレルが行く手に立ち塞がり、リュテカに拳銃を向けていた。

「待て。どこへ行く」ゲレルは、リュテカを睨み据えて言う。「逃げる気か」

 リュテカは一瞬言葉に詰まったが、蛮勇をふるって叫ぶ。

「ゲレル少尉、それより早く部隊を動かして下さい」

 ゲレルは答える代りに、リュテカの馬を撃った。馬は倒れ、はずみで荷馬車も傾き、リュテカとソーナ婆さんは投げ出された。リュテカは反射的に婆さんをかばって抱きかかえた。婆さんの手にしていた火のついたリュテカのマントはゲレルの足元へ飛んでいった。リュテカは地に叩きつけられたが不思議と痛みはなく、ふわっと綿の上に落ちたかのような感触を覚えた。が、そんなことを不思議がっているヒマはなかった。ゲレルが馬を下りて、銃を向けたままリュテカの傍らまで来たからだ。

 リュテカは婆さんを抱きすくめたまま、ゲレルを見据えた。ゲレルは三白眼を細めて、銃の狙いをリュテカの額に定め、引き金に指を掛けた。

 リュテカの表情がたちまち恐怖のいろに染まった意味を、ゲレルが悟って振り返った時には、すでに大人の背丈ほどもある巨大な紫の光の塊が、樹上からゲレル目掛けて落下を開始していた。ゲレルの表情も、恐怖のいろに染まった。

 パーーン…!

 銃声が響く。ゲレルはタッチの差で地に向けて肩から前転し、そこに光を失った巨大なムラサキビルがドサッと落ちた。同時に、リュテカの耳に聞き覚えのある野太い大声が、聞こえて来た。

「馬鹿者ども、何をやっている。火だ、火を燃やせ! 補給用の油を燃やすのだ! 先頭と後ろの荷馬車を燃やし、それぞれ一名ずつがそれを操れ。それ以外の奴は全員真ん中の荷馬車に乗るのだ。早くしろ! そして全速力で森を駆け抜けるのだ。急げ!」

 ゲレルはその声の方を見て、地に伏せたまま唖然として呟いた。

「く、『黒い狼』…。なぜここに…」

 そのゲレルの前に、騎乗したまま銃を構えているヴァン・ドラン少佐がやって来た。

「隊長は貴様か。おまえの失態の詮議はあとだ。とりあえず、急げ」

 ヴァン・ドラン少佐の跨る黒い大きな馬の背には、少佐の他に男女一名ずつが乗っていた。エルコとビリーアであった。少佐はリュテカにもチラリと目をやる。

 リュテカの方はと言えば、突然の少佐の乱入にただもうビックリして、口あんぐりであった。この一瞬、リュテカは自分がたった今置かれている修羅場のことさえも完全に失念していた。

 しかし少佐は、そんなリュテカの様子に気を止める風もなく、怒鳴りつける。

「貴様も愚図愚図するな。とっととその婆さんと一緒に、真ん中の荷馬車に乗るんだ。早くしろ!」

 久しぶりにヴァン・ドランに怒鳴られたリュテカは、たちまち昔の感覚がよみがえり、ピョンと立ち上がると、ソーナ婆さんを立たせ、さらには婆さんをおんぶして、真ん中の荷馬車の方へと駈け出した。少佐の後ろのエルコが何か言いたげだったが、首を横に振って見送った。一方で、ソーナ婆さんの方もチラリと横目でエルコを見やり、これまた首を横に振って溜息をついた。

 兵たちはすでに先頭と後尾の荷馬車の燃料油をぶちまけ、火を放っていた。二台の荷馬車は勢いよく火柱を上げ始めた。すると、たちまちムラサキビルの落下がおさまった。リュテカはソーナ婆さんを真ん中の荷馬車の後部から中に押し上げ、自分もそこから荷馬車に乗り込んだ。

「リュテカ・モン=ヘルベール中尉、聞こえるか」ヴァン・ドランの声が響く。「貴様が真ん中の馬車を操るのだ。集合は森を抜けきった先のヨアシュ湖畔。そこまで一時も休まず全速力で行け! 急いで出発しろ!」

 リュテカは急いでその命に従い、真ん中の荷馬車の御者台に座ると、間髪入れずに手綱をピシリと打つ。すでに先頭の炎上する荷馬車は走り出しており、リュテカの操る荷馬車がたちまちそれに続く。さらには三台目の荷馬車が出発した。

「どうした、おまえも行け」

 少佐はまだ地に伏せたまま憎々しげなまなざしを向けているゲレルに言った。

 ゲレルが不意に拳銃を少佐に向け、放った。エルコもビリーアもビックリして思わず首をすくませる。と、少佐の馬の後ろに、光を失ったムラサキビルのデカいのが、ドサリと落ちた。ゲレルはたちまち立ち上がり、自分の馬にひらりと跨った。

「さっきのお礼ですよ」

 そう言うとゲレルは馬の腹を蹴って、見る間に荷馬車の去った方向へと駆け去ってゆく。

 残された少佐は、左肩を右手で押さえて、顔を歪ませている。

「くそったれ」少佐は悪態をついた。「俺は奴の肩越しに、奴からは狙いを外して撃ってやったのに、奴は俺の肩ごと、撃ちやがった…」

  

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