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第7章(その1)

 北東へ向かう街道を、補給部隊の三台の馬車が行く。

 そのしんがりを、リュテカの荷馬車がついて行く。

 昨夜はわからなかったが、部隊は一台の馬車につき、御者を含め四人の兵士が付いている。隊長のゲレル以下三人が騎馬兵、計十六名の部隊であった。騎馬兵のうちの一人は、昨夜食事を運んでくれたヴィガスであった。

 隊の進行速度は、昨夜のゲレルの言葉と異なり、遅かった。これまでのリュテカの荷馬車の速度でも、充分ついて行ける速度であった。ゲレルがリュテカの言い分を聞いてくれたものなのか、それとも他に理由があるのか。それをゲレルに直接聞く度胸は、もちろんリュテカにはない。

「ごらん」ソーナ婆さんが編み物しながら目線で指し示す。「北東から避難して来る人だよ」

 多くの荷物を荷馬車や馬にくくり付けて、とぼとぼと向こうから来る一団があった。みな疲れた顔をしている。昨日も、街道でこういう一団と時々すれ違った。

「あんな風に逃げ出して来ても、大きな都市の中には住めないのに、何で逃げて来るのかな」リュテカは顔を曇らせて言った。「結局、都市の城壁の外側に勝手に住みついて、スラム化するんです。治安上も、都市防衛上も、極めて厄介なんですよね、そういうの」

「そりゃあんた、シルヴァルドが攻めて来るかも知れないからだよ」

「我が軍が防衛してるじゃないですか」

「こんな婆あに頼らなきゃならないんだよ? 不安にならない方が不思議さね」

 リュテカは黙った。

「補給部隊の荷物って、そんなに重いのかね」婆さんが不意に言った。「ずいぶん轍が深いねえ」

 確かに、補給部隊の三台の荷馬車はどれも、土の道の上にくっきりと深い轍を残していた。乾燥して硬くなった道だから、相当重たくないとこんな跡は付けられない。

「三台の荷馬車はどれも食料、日用雑貨、そして燃料油を積んでいます」リュテカは説明する。「三台がそれぞれその三つを積んでいるのは、もし一台に一種類の、たとえば食料だけを積んでしまうと、万が一の事故が起きた時に食料がまったく補給出来なくなってしまうからです。だから、三台にそれぞれ同じ内容の荷物を分けて積んでいるんです。だから、荷馬車があれぐらい重くても当然なんです。私たちの荷馬車は、私とソーナさんしか乗ってませんから、何の跡も残りませんけど」

 リュテカのしたり顔の説明に婆さんは「ふうん、そうかね」とだけ答え、それ以上何も言わなかった。

 遠目に見えていた山々が、次第に目前に迫って来た。

 これらの山々はまだせいぜい2~300メートル程度の可愛らしいものだが、これがだんだんと標高が上がってゆき、ついには5000メートル級の峰々が連なるコルデス山脈に至るのだ。

 その最初の山のふもと辺りで部隊は小休止した。そこで街道が二股に分かれている。右はまっすぐに山中へと分け入ってゆく道であり、左は山を大きく迂回してゆくルートになっている。リュテカも馬車を止め、懐中より地図を取り出した。

「ふうん」リュテカは何気なく言った。「右へ行った先、アバネの森って言うんだ…」

「あんた」婆さんが怪訝そうに聞いた。「もしかして、アバネの森を知らないのかい」

「え、ええ…」リュテカは顔を赤らめた。「私、地理はちょっと疎くて…」

「アバネの森」婆さんは声をひそめて言う。「別名、ヒルの森、だよ」

 そう言われてもリュテカはきょとんとしている。リュテカは本当に知らないのだった。婆さんは溜息をついた。

「あのねえ、この森はムラサキビルっていう吸血ビルの生息地なんだよ。夜行性で、昼間は木や土の中で眠っているが、夕方になると活動を始める」

「そ、そうなんですか」リュテカはますます恥じ入ってしまう。「私、生物学はかなり疎くて…」

「だから、よっぽどの物好きかバカでない限りは、この森を迂回して、その左の方の道を行くんだ。森を抜けるには半日ほどかかるけど、左を行くとさらに一日半かかる。それでもたいがいの人は、左の道を行くんだ。それほど、ムラサキビルってのは恐れられているのさ」

「へえ…」そう言われてもリュテカには実感が湧かない。「でも、たかがヒルなんでしょ」

「それが何万、何十万って数で木の上や土の中から襲って来るんだよ」

 リュテカの顔が引きつった。

 そこに、前の方から馬に乗ってヴィガス上等兵がやって来た。今日はきっちり軍服を着ているが、どうも彼の場合は軍服姿でもやっぱり田舎の農夫に見えるし、人の良さも滲み出てしまうようだ。同様に、他の兵士も今日は軍服をきっちり着ているのに、やさぐれ感、ごろつき感が消えない。…少なくともリュテカにはそう見える。

 ヴィガスはリュテカの前まで来ると馬を下り、きちんと敬礼した。だが敬礼は立派でもニコニコ笑っているのは軍規違反だが、リュテカはいちいち目くじら立てず、自分もニッコリ笑って敬礼を返す。

「ゲレルの奴…いや、隊長殿が呼んでるんで、ちょっと来てもらえますかね」

 ヴィガスは言い、リュテカは御者台を下りて歩いて隊の前方へ行った。

 ゲレルもまた、馬に乗っていた。またこのまま馬の上から応対されるのかとリュテカは思ったが、今日のゲレルはリュテカの姿を見ると馬を下り、直立不動で敬礼した。リュテカも慌てて敬礼を返す。ゲレルは挨拶も前置きもなく、単刀直入に言った。

「中尉殿。タヴェルンの町まで急がねばならないので、街道をまっすぐに行こうと思います」

「まっすぐって」リュテカは右の道を指さした。「こっちの道を行くってことですか」

「そうです」

「…この先の森は吸血ビルの生息地で、旅人は恐れて左へ迂回すると聞きましたが」

 たった今聞いたばかりの情報を、リュテカは口にする。

「それは夜の話です」ゲレルはにべもない。「今の時間なら、夕方までに充分森を抜けられます。それに、たかがヒル如きを恐れていては、任務を遂行できません。それと、この時間のムダは昨夜あなた方を待ったためと、今日あなた方に合わせて進行速度を遅めているために生じているのです。だから、ご協力願いたい。以上です」

 リュテカは何も反論出来ない。

「…わかりました。お任せします」

 こう答えるより他なかった。リュテカはソーナ婆さんのもとに戻って、ただ今の決定を告げた。

「そうかい。なら仕方ないねえ」婆さんは溜息交じりに言った。「あんた、何か火を点けられるものを持ってるかい?」

「火?」リュテカは怪訝そうに聞く。「どうするんです?」

「このムラサキビルって奴はね、火に弱いんだよ」

「でも私…」リュテカは申し訳なさそうに言う。「何も持ってないわ」

「拳銃も持ってないのかい?」

「あ」

 リュテカはマントの下の腰のホルダーに触れた。自分が拳銃を持っていることなど、すっかり忘れていた。

「でも私…」またリュテカは申し訳なさそうに言う。「拳銃なんて、ほとんど撃ったことがない。士官学校以来だわ。しかも射撃の成績は最低だったし」

「あんた、それでよく士官学校卒業出来たねぇ…」婆さんは呆れ顔で言った。「まあ、それはいいよ。必要なのはあんたの射撃の腕じゃなくて、弾に詰まってる火薬さ」

「…魔法じゃないのね」リュテカは不安を露わに言う。「ソーナさん、魔法で何とかならないの?」

「生き物に対する魔法ってのはねぇ」婆さんはまた溜息をつく。「相手に少しは脳ミソがないと、通用しないんだよ。あんた、ヒルに脳ミソがあると思うかい? ああ、あんた、生物学に疎いんだっけね…」 

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