表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/36

第6章(その1)

 夜、予定より少し遅れて、リュテカたちはドゥヴァルの町に着いた。

 ドゥヴァルは村というには大きすぎ、都市というには小さすぎる。その位の規模なので、門というものがなく、従って、通行証の提示も必要がない。

 補給部隊は、町の一角の広場に宿営しているはずだった。もし、部隊がいなくなっていたらどうしよう。夜の町に荷馬車を乗り入れながら、リュテカにはそれが不安だったが、狭い街だけに、やがてすぐ、部隊は見つかった。三台の荷馬車を三角に配置して、その真ん中に焚火の炎が上がっている。数頭の馬たちが広場の隅につながれて、干し草を食んでいる。

 リュテカは広場に荷馬車を乗り入れた。補給部隊の荷馬車の前には、幾人かの人影があった。兵士たちだった。が、どの兵士も軍服をだらしなくはだけ、あるいは上半身裸の者もいる。それだけならまだしも、どの兵士もみな、何だかガラの悪い者たちに見える。ニヤニヤと不敵で下品な笑みを浮かべつつ、目にはギラつくような敵意が感じられる。しかしそれも、初対面のこちらがいささか過剰に構えているからそう見えるだけだと、リュテカは自分に言い聞かせた。

 広場の隅に荷馬車を止めると、「ちょっと待ってて下さい」とソーナ婆さんに言い置いて、リュテカは御者台を下りた。そして補給部隊の荷馬車の脇でこちらを無遠慮にジロジロ見続けている、ガラの悪い兵士の方へ、恐る恐る歩んで行った。

 ガラが悪い、というのは気のせいではなかった。近づくと、彼らは腕や胸に刺青をしており、そこや顔に刀傷をつけている者もいた。兵士というより、どう見ても不良、ごろつきの類だった。

「あの」精一杯声を張り上げて、リュテカは言った。「ここで合流を命じられました、リュテカ・モン=ヘルベール中尉です。た、隊長のゲレル少尉はどこでしょうか」

 自分の格好が格好だから、先に名乗らないとわからないだろうと思い、リュテカはそう言ったのだったが、こちらの身分を明かしても、兵士たちはお互い顔を見合わせてニヤニヤ笑っているだけで、立って敬礼する様子なんてカケラもない。

 「ぶっ…」リュテカはたちまち顔を紅潮させていきり立つ。「無礼だぞ。立って敬礼しなさい。あなたたち、軍規違反…」

 マントの裾が引っ張られたので、リュテカは傍らを見た。ソーナ婆さんがいつの間にか来ていた。

「そうやってすぐカッカしちゃダメだよ」ソーナ婆さんはリュテカを見上げて言う。「…どうやら少しばかり勝手が違うようだから、ここは大人しく下手に出て、様子を見なさい」

 リュテカも何となくそう思ってはいるのだが、この場で婆さんの言うとおりにするのは、それはそれでちょっと違う気がする。

「ご忠告、ありがとうございます」リュテカは凛々しく言った。「でも私は軍人ですから、あなたの指図を受ける訳には参りません。危ないですから、荷馬車に戻って待ってて下さい」

「一人で大丈夫なのかい?」

 そう婆さんに言われて、リュテカは正直一瞬心がひるんだが、「大丈夫です。すぐ戻りますから」と言って無理にニッと笑う。婆さんはリュテカをじっと見上げていたが、「やれやれ」と言って肩をすくめて、荷馬車へと戻って行った。

 リュテカはもうその場の兵士にはそれ以上構わず、補給部隊の荷馬車の間を抜けて、その真ん中の焚火の方へ向かった。

 それまでいくぶん騒がしかったその場が、急にシンと静まった。ここの兵士たちも、先程の兵士たちに負けず劣らず、ガラが悪い。逆立てた髪をまだらに染めている者、どくろや棘のついたネックレスをしている者…。その誰もが、凶暴な敵意に満ちたまなざしを、無遠慮にリュテカにぶつけている。リュテカは一歩進むたびに身が縮むような気がした。焚火のはぜる音だけが、やけに大きく響く。

 いきなり下から、上半身裸で竜の刺青をした男が、「バァー」と言って両手を顔の脇でヒラヒラさせ、舌を出しながら現れたので、リュテカは思わず「キャアッ」と悲鳴を上げて立ちすくんでしまった。とたんに、兵士たちの野太く下卑た嘲笑が沸き起こる。その男はたちまち兵士たちの輪の中に転がり込んで、嘲笑の群れに加わる。

 リュテカはしばらくその場に立ち尽くして、カッと紅潮した顔の火照りと動悸が静まるのを待ったが、顔はますます火照り鼓動は早くなるばかりだった。リュテカは大きく二三度深呼吸して、それから焚火の輪の中へと、視線を移した。

 前をはだけながらも、比較的まともに軍服を着ている男が、焚火の前に陣取って座っていた。男は小枝を折っては、焚火の中に放り込んでいる。炎が男の四角い顔と薄くなりかけている頭、そしてやはり薄い眉の下の三白眼を赤く照らし出している。齢の頃は三十半ばか、ひょっとするともう四十ぐらいかも知れない。

 リュテカはその近くへと歩いて行く。男の傍らまで来て、今度も自分から名乗った。

「リュテカ…」声が上ずったので言い直す。「リュテカ・モン=ヘルベール…中尉です。…ゲレル少尉…ですか」

 しかし男はジロリとリュテカを見やったきり、また焚火に目をやって、立ち上がろうとしない。

 リュテカの困惑は極まった。本来はあり得ないのだが、上官であるリュテカの方から敬礼した。

 すると男は、小枝を投げ捨てるように炎の中に放り込み、ようやく立ち上がって敬礼した。

「マレク・ゲレル少尉です」

 それだけ言うとゲレルはさっさと敬礼を解いてまた座り、リュテカの方は見ずに小枝を火にくべ始めるのだった。

 リュテカは何も言えずに立ち尽くしている。

 固唾をのんでこの様子を見守っていた兵士たちが、一斉にゲラゲラ笑い出した。リュテカの顔はまたもたちまちカッと紅潮し、慌てて周囲を見回した。そこに味方はまったくいない。駄目だ、泣いちゃ駄目!リュテカは必死に自分に言い聞かせる。

「こ、今夜は到着が遅れて、も、申し訳ありません」リュテカは声を震わせながら、必死に言う。「あ、明日からよ、よろしくお願いします」

「本来ならここから50キロ先のタヴェルンの町まで行っている予定だった」ゲレルはリュテカの方は見ぬまま言った。「あなたたちを待つように指令を受けたから仕方なくここで宿営した。我々は普段一日100キロ以上を移動する。そんなチンタラした移動っぷりでは我々にはついて来れない。駄目なら容赦なく置いてゆくつもりです。そのつもりでお願いします」

「あ、はい、すみません…」リュテカはしどろもどろだ。「し、しかし…」

 ゲレルがギロリと睨んだ。リュテカは棒を呑んだように立ちすくんでしまったが、言うべきことは言わねばならない。

「ご、ご存知かどうか知りませんが」上下の顎がくっついて思うように喋れないが、それでも必死にリュテカは言葉を絞り出す。「私はろ、老人を連れています。ろ、老人をダコスタ要塞に連れて行くのが任務なのです。ろ、老人って、お婆さんなんですが、あまり速いスピードの馬車は苦手と言ってまして、その…」

 ゲレルが急に立ち上がったのでリュテカはたじろいだ。ゲレルは苛立ちを隠す風もなく、リュテカの眼前で小枝をパン! と折り、焚火へと放り込んだ。

「それはあなたの任務であって我々の任務ではない」ゲレルは声にも苛立ちを隠さない。「我々が命じられたのはあんたたちと合流しろということだけだ。そっちがついて来れようと来れまいと、それはこっちの知ったことじゃない。…です、中尉殿」

 ゲレルは三白眼を細めて、さらに続ける。

「それともう一つ、階級が下である私にいちいちかしこまった物言いをしなくていいです。うっとうしいので、中尉殿」

 そう言うとゲレルは、パン! と踵をそろえて直立不動で敬礼する。兵士たちの忍び笑いが聞こえる。

 リュテカは、震えながら敬礼を返したが、それが限界だった。くるりと踵を返すと、駈け出していた。兵士たちの間からたちまち笑い、口笛、「ヨッ、中尉殿!」という掛け声が飛ぶ。

「静かにしろ!」

 雷鳴のようなゲレルの一喝に、兵士たちはたちまちシン…と静まり返った。ゲレルは仁王立ちのまま、鬼のような形相で兵士たちを睨み据えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ