龍と不良天使
天使、それは聖なる者。
天使、それは神の使い。
天使、それは慈悲なる意思。
天使、それは、愛の求道者。
「ケッ、なーにが天使だってんだ・・・」
彼女は本を乱暴に閉じた。あたりには煙が立ち込めている。煙草の残りはもうあとわずかしかない。
「どいつもこいつも、勝手なこと言いやがって・・・」
明らかにふてくされたような、苛立ちのこもった声。彼女はまた呟く。
「なにが、天使・・・なんだよ・・・くそっ」
彼女は最後の煙草に火をつける。ゆらゆら、ゆらゆらと灰色の煙が立ちのぼる。
彼女の背中には、今の彼女に似つかわしくない、純白の羽根が生えていた。
「はァ、不良・・・ですか」
「そーうなんだよー焔君。最近また悪さがヒートアップしてねー。先生方も困っているんだよ。風紀委員長として、どうにかできないかい?」
フグのような男、というより、そのままフグがスーツを着ていると言ったほうが正しい。この学校の教師だ。汗をかきながら、ふうふうと荒い息を吐く。
対峙する生徒、深く輝く藍色の瞳。その双眸からは威厳が放たれている。陣外高等学校三年、風紀委員長の焔 龍郎だ。
「そんな生徒、いたんですか」
「だいたいはサボって学校に来ないんだよ。来たと思ったら授業はサボるし。もう来ていないも同然なんだよー」
「なるほど、見かけんワケだ」
「どう?」
「最善は尽くします」
「新入生が入ってきて、彼らに危害が加えられたら大変だ。くれぐれもよろしく頼むよ。今日は来ているみたいだ。見かけた生徒がいたようでね。会いにいってみるといい」
「はい」
龍郎はフグ教師に礼をすると、職員室を後にした。どすん、どすんと重々しい音が廊下に木霊する。職員室から離れたのを確認すると、龍郎はにやりと不敵に笑う。廊下を歩いていた生徒はその形相を見た瞬間、恐怖に慄いた。
「そうか、そんなヤツがいたか・・・。くくッ、面白い。その性根を叩き割ってやる」
魔物の中でも数が少ない「古代龍」。その家系である龍郎は少年時代からその絶大なる力を存分に奮い、最強の名を欲しいままにしていた。実際彼がこの陣外高校を風紀委員の立場として仕切るようになってから、彼からの制裁を恐れたのか、不良たちは息を潜め、校内の治安は落ち着きを取り戻した。その事実があってなお、悪行を働く不良とやらに龍郎は強い好奇心を抱いていた。
「それにしても、あのフグからそいつの情報を聞き出すのを忘れたな」
昼休みも残り少ない。龍郎はその不良の所属するクラスに赴くことにした。
「ひっ、焔くん?!」
鹿型獣人の女子生徒がビクッと身体を震わせる。
「そう身構えるな。俺が用があるのは君ではない。このクラスにいる不良生徒を叩きのめしに来た。何か知らないか?」
女子生徒は胸を撫で下ろし、ホッと息を吐く。
「えーと、たぶん・・・屋上にいると思う」
「そうか。ありがとう」
龍郎はクラスを出ると、屋上へ向かった。
「え、叩きのめす・・・?」
女子生徒の呟きは龍郎には届いていなかった。
「・・・」
屋上へ上がった龍郎は一瞬言葉を失った。目の前には一人の生徒がいた。煙草の煙が漂っている昼休みの屋上。
「あぁ?」
鋭い声。明らかな敵意を屋上に立ち入った龍郎に向ける。
「女・・・だったか」
龍郎は天使を見るのは初めてだった。噂には聞いていたが、古代龍と同様、地球に存在する天使は少ない。魔界の他に天界が存在するというような話を母から聞いたのを龍郎は思い出した。
「てめぇ・・・なに勝手に入ってきてやがる」
噛み付くような口調の天使。龍郎はその見た目と言葉遣いの違いに面食らった。艶やかな長い金色の髪。整った顔立ちはまるで絵画から抜け出してきたようだ。スラリと伸びた手や足は雪のように白い。そして、達龍とは比べものにならないくらいの美しい羽根が風になびいていた。彼女の口に咥えられている煙草があまりにも不釣り合いである。
「屋上はきみの私有地ではない」
龍郎は落ち着いて返答する。一瞬見惚れてしまった不覚を振り消すかのように。
「んだよ、てめぇはあたしにケンカ売りにきたってわけ?」
「態度によっちゃあそうなるな。だが、俺も女を殴りたくはない。穏便にすませてくれると助かるがな。それと、校内は禁煙だ」
龍郎にとってはとんだ予定違いだった。自分が見ていながら悪さをする奴がどんな猛者かと思っていたら、この有様なのである。
「ちっ、ごちゃごちゃうるせートカゲだぜ」
「トカゲじゃない。竜だ」
「ンなもんどっちだっていいじゃねーか」
龍郎はこのやりとりである生徒を思い出した。
「トカゲ・・・か。春野くんは大丈夫だろうか」
入学式で出会った不思議な人間に思いを馳せてみる。
「なにブツブツ言ってんだよ気持ちわりぃ」
「ふん、きみも天使ならその乱暴な話し方をどうにかすべきだな」
すると、天使の顔色が変わる。
「ちっ、どいつもこいつもそういうこと言うんだな。もう、ウンザリなんだよ・・・」
龍郎は首を傾げる。
「そんなに気に障ることだったか」
「あぁ、てめぇにとってはその程度の言葉だろうな!あたしに指図しやがって・・・っ!」
普通の不良とは少し様子が違う、龍郎はそううっすらと感じた。
「出ていけよっ・・・!ここから出てけっ!」
天使は空になった煙草の空き箱を投げつけてくる。もちろん龍郎に毛ほどのダメージはない。
「ふん。そうか。では今日は帰ることしよう。だがな。きみを更生させるのが風紀委員長としての俺の仕事だ。名前はなんと言う?」
天使は吐き捨てるように言った。
「てめぇなんかに名乗る名前なんてねぇよ。ほら、わかったら出て行け」
しっしっ、と手を振って龍郎に屋上から退出するよう促す。
「・・・」
龍郎は屋上を後にした。
それからはというもの、龍郎は毎日のように屋上に通いつめ、天使に説得を試みた。しかし、彼女の反応は変わらず、いつも追い出される日々だった。
このやりとりが続いて数日。また龍郎は屋上に足を運んだ。ドアは開いている。
「ちっ、またてめぇか・・・性懲りも無く来やがって・・・。暇人か?」
「きみが更生してくれれば暇にはなるな」
「けっ、口の減らねぇやつ・・・」
「俺もそろそろ誰かのおかげで暇がなく、毎日忙しく過ごしている。そろそろ解放されたいものだ」
「あたしは来てくれなんて頼んでねぇだろ!」
天使は憤慨する。龍郎は冷ややかな顔で受け流した。
「そうだな。しかし、これは俺の仕事だ。きみを更生させる必要がある。だいたい・・・」
「・・・うっるせぇなっ!しつけーんだよ!」
龍郎の言葉を遮り、天使は煙草の空箱を投げつけた。ゆっくりと弧を描き、龍郎の顔に当たった。落ちた空箱の乾いた音が屋上に響く。
「・・・・・・」
龍郎はおもむろに空箱を拾い上げた。
「あ?やるってのか?」
天使がへらへらと笑う。龍郎は空箱を上へ放り投げた。
「てめぇ、なにして・・・」
瞬間、煙草の空箱は龍郎の吐いた炎によって一瞬にして跡形もなく消し飛んだ。そこには灰すら残らなかった。
「な・・・なん、なんだよ」
「頭にきたぞ。俺がいつまでも下手に出ると思っているのなら、それは間違いだ。貴様、名乗らないならばさっきの空箱と同じ運命を辿ることになるぞ・・・」
龍郎の周りの空気が歪んでいく。途轍もない熱量が屋上に集まる。
「な・・・てめぇ、女は殴らないんじゃないのか?!」
「貴様、何を言っている?俺は殴らないぞ」
「じゃ、じゃあなんで!その殺気はなんだよっ!」
龍郎は身も凍るような笑みを浮かべた。この暑さなのに天使の背筋が凍りついたように冷えていく。
「焼き払うからな」
「えっ・・・」
そう言った瞬間に灼熱に身を包んだ巨躯が天使の目の前に迫っていた。ズドンッ、と重苦しい音とともに龍郎は天使の目の前に着地した。二人の距離はほんのわずか。口には炎が渦巻いている。天使の血の気がさぁーっと引いていく。
「あ・・・あ・・・」
「さて、言う気になったか?それとも大人しく学生生活に戻る気にでもなったか?」
天使は自分がガクガクと震えていることにやっと気づいた。絞り出すように声をあげる。
「ふ・・・ふざけんじゃねぇ・・・」
「ほう、強情な奴だ。まだそんなことを言う元気があるとはな」
龍郎は相変わらず恐ろしい顔で笑っている。鋭い牙が剥き出しになり、天使に更なる恐怖を与える。
「へっ。どうだよ。その辺のヘタレどもと比べんじゃ・・・ねぇ・・・ぞ」
天使は息も絶え絶えに続ける。鼓動の音が速く、大きくなっていく。
「あぁそうだな。少しは骨のある奴のようだ」
龍郎の笑顔が少し和らぐ。
「ふん・・・ならその口をどかし・・・」
「手加減はしない。せいぜい耐えて見せろ」
「・・・えっ」
龍郎の口の炎が激しくなっていく。放たれるまであと何秒あるだろうか。
「え、え、ちょっ・・・」
「貴様は何秒持つ?!俺に示してみせろッ!!」
目の前に灼熱の火炎が迫る。放たれれば天使の身を骨まで焼き尽くしそうな熱量がゆっくりと天使を襲う。
「・・・いやぁーーーーっ!言う!言うからぁ!やめてぇーーーっっ!!」
天使は叫びながら、自分もこんなに大きな声が出るのかと、呑気なことを思いながら、そこで意識が暗転した。
「・・・」
「気づいたか」
「はっ!」
がばっと天使は起き上がる。ここはどこなのだろうか。天使はあたりを見渡す。天使の隣には龍郎が座っていた。
「ほ、保健室・・・」
「フン。今は放課後だ。まさか気絶するとは思ってもみなかったぞ」
「おまっ・・・あんなんされたら誰だって気絶するぞ!?」
「鍛え方が足りんな」
「そういう問題じゃねぇっ!」
天使は龍郎を殴ろうとして、すんでのところでやめた。またあんな思いはしたくない。
「で、名前をいう気になったか?」
「お前な・・・あたしが気絶している間に生徒の名簿を調べればいいじゃねーか」
龍郎はフンと鼻を鳴らした。
「貴様から聞かんと俺も気が済まなくてな。意地でも貴様から聞くぞ」
先程の邪悪な笑顔からは想像できない邪気のない瞳。子供のように意地を張っているようにも見えた。
「・・・んだよそれ」
天使は思わず吹き出してしまった。
「お前、それだと口説いてるみたいだぜ?」
「貴様のような美貌なら口説く奴も少なくはないだろう」
「なっ・・・!」
ぼっ、と天使の体温が上がる。
「てめっ、ふざけてんのか!?」
「いいや、ふざけてなどいない。俺も不覚にも会った瞬間は見惚れてしまったものだ。流石は天使といったところか」
龍郎の言葉に天使は顔を曇らせた。
「天使・・・か・・・」
「昼休みのときから気にはなっていたが、貴様、なにか悩みを抱えているだろう」
「・・・んなもんねーよ」
「幾多の不良生徒を更生させた俺の実績をナメてもらっては困る。素行が悪くなるのにはなにかしらのきっかけがあるだろう」
「あたしは・・・もとからこうだし・・・」
「嘘をつくな。貴様は無理をしてるんじゃないのか?」
天使の目が見開かれる。
「・・・違う」
「貴様が気にしているのは、天使という言葉か?」
天使は身を乗り出し龍郎に掴みかかった。
「違うっつってんだろ?!」
「そうやってムキになる。やはり何かあるな」
天使はハッと息を飲んだ。ゆっくりと龍郎の胸ぐらから手を離し、力無くベッドに倒れこんだ。そして、弱々しく呟いた。
「・・・お前は天使らしさってなんだと思う?」
「・・・なんのことだ?」
「天使って、他人から見たらどんなイメージなんだ?」
「少なくとも目の前にいる天使は口が悪く、生意気だな」
「うるせぇよ。・・・天使ってのはさ、聖なる者のイメージだ。清楚で汚れなく、愛に満ち溢れてる。天使はそうあらなきゃいけない」
龍郎は静かに彼女の吐露を受け止める。
「小さい頃から言われ続けた。『天使はこうあるべきだ』というような話をな。母さま・・・いや、お袋からは何回も何回も言われた。周りの奴もそうだ。『天使だから』『天使なのに』口々に言うんだ」
龍郎は今までの天使の態度にようやく納得がいった。
「ボロを出さないようにしているのだろうが、育ちの良さが隠し切れてないぞ」
かぁっと天使の顔が赤くなる。
「ちっ、耳の良いトカゲだな・・・」
「ドラゴンだ。間違えるな。・・・貴様は自分の種族に誇りを持ったことはあるか?」
「誇り・・・?」
「俺も貴様ら天使と同様この地球に数少ない『古代龍』の血族の一人だ」
「てめぇはなに言って・・・」
「しかし、俺はそんなことはどうだっていい。この力は種族故の強さだと、俺の周りの奴らもそう言っていた。だがな。俺のこの力は自分自身で勝ち取ったものだと自負している」
「自分・・・自身・・・」
「たゆまぬ努力によって勝ち得た力を種族のおかげだとぬかす奴を俺は許さない。俺は古代龍ではあるが、同時に焔 龍郎という個がある」
「貴様は、良い天使であろうとすることに我慢ができなくなった。しかし、周りの決めたイメージに囚われ、自分自身を見失っている。違うか?」
天使は龍郎から目を逸らし、うつむいた。
「・・・あーそうだよ。天使であろうと努力すれば、みんなにガッカリされる。天使でなくいようとすれば、みんなは天使であることを押し付けてくる。もうワケわかんねーんだ。あたしは、どうすりゃ、よかったんだ・・・」
先ほどまでの威勢は今はもうすでに無く、天使は縮こまるばかりだった。龍郎は椅子から立ち上がり、彼女の肩に手を置いた。
「そんなこと、決まっている。天使などやめてしまえ」
「そ、そんなことできるかよ!」
うろたえる天使に、龍郎は不敵な笑みを返し、続けた。
「いいや、できるさ。貴様はこれから周りの求めるイメージ通りの天使ではなく一人の個人・・・」
龍郎の口が止まる。天使は首を傾げた。
「な、なんだよ、どうしたんだ?」
龍郎は頭をかき、苦笑した。
「言ってみたはいいが、貴様の名がわからなったのだ。良いことを言うつもりだったのだがな」
天使はまた思わず吹き出してしまった。
「あはははっ!締まんねーな!」
「仕方ないだろう。貴様が名乗らないからだ」
龍郎も笑顔をこぼした。二人はしばし笑い合う。
「リエル」
「うん?なんだ?」
「リエルだよ。あたしの名前。リエル・エスター」
「そうか。やっと言ってくれたな」
龍郎はリエルに笑いかけた。
「ならばもう一度言おう。リエル。貴様は天使ではなく、一人の個人、リエル・エスターとして堂々と生きろ。貴様の道は貴様で決めるんだ。周りの奴らなど放っておけ。個性など、悪さなどしなくともいくらでも発揮できる。自分が本当にしたい事をしろ。自分を確立するのに天使であることが邪魔なら、天使などやめてしまえばいい」
「天使をやめる、か」
リエルは静かに笑うとベッドから足を下ろした。
「そんなこと言うのはお前が初めてだよ。でも、あたしはお前ほど強くない。ワザと周りに求められることと逆なことをするだけ。そうやって粋がるだけの不良品さ」
「不良品で何が悪いんだ?」
「え・・・?」
「周りから言われるまま生きているくらいだったら、俺は不良品であることを選ぶぞ。俺も昔、周りの竜たちに竜としての矜恃を説かれたこともあった。それに反発したおかげで貴様と同じように不良扱いされたこともあったが、今では良い思い出だ」
龍郎はフンと鼻を鳴らした。
「あたしと、同じ・・・」
「そうだ。貴様が己のことを不良品と呼ぶなら、俺もまた、その不良品とやらなのだろうな」
龍郎はニヤリと笑った。
「貴様ならできるさ。なにせ、この俺に対してあのような口を何日もきいたんだからな」
リエルは呆気に取られていたが、やがて呆れたように苦笑した。
「・・・変なヤツ」
「何か言ったか?」
「いいや?なにも言ってねーぜ?」
天使は朗らかに笑った。
「良い顔をするようになったじゃないか。そのほうが似合うぞ」
「あぁ、・・・そうかもな。なんだか肩がすっきりした気分だ」
なんか吹っ切れた、と弾むような声でリエルは言う。
「不思議だな。さっきまでお前に殺されかけてたのにな。今は励まされてるなんて」
「殺すつもりなどハナから無かったがな」
「嘘つけ」
また、二人は笑いあった。
「明日からは学校に真面目に通うよ」
帰り際、リエルは歩きながらそう言った。
「随分と改心が早いじゃないか。どうしたんだ気味が悪い」
「ンだよ。悪いか?」
「いいや?むしろありがたいくらいだ。屋上を占拠されて煙草をあんなに吸われてしまっては他の生徒が行きにくくなるだろう」
「ちっ、・・・悪かったよ」
「・・・妙に素直だな。本当に大丈夫か?」
本気で心配顔になる龍郎にリエルは軽く蹴りを入れた。
「うっせーな!もうああいうことは止めるって言ってんだよ!」
「そうか。ならば良いのだがな。数時間前まではああも強情だった貴様がな。俺の炎がそんなに怖かったか?」
「あぁ・・・そうかもな」
「あれだけ生意気だったのに、気絶してしまったものな」
リエルはまた龍郎に蹴りを入れる。
「痛くも痒くもないぞ」
「だろうよ。無敵のドラゴン様だもんな?」
「ふん、からかっているつもりか?」
「さぁな!」
リエルは小走りで少し龍郎より前に走った。そして振り返る。そして今日一番の笑顔で龍郎に向かって叫んだ。
「あたしは天使をやめるぞっ!あたしはあたし!リエル・エスターだ!」
「ふん。周りをしっかり見ないと転ぶぞ?」
龍郎は苦笑すると、リエルを追いかけた。
夕焼けに染まる街。二組の翼が風になびいていた。
この話は「ジンガイガクエン」のサイドストーリーです。本編もぜひ読んでいただけると嬉しいです。