4-2:天族と召喚師
【4-2:天族と召喚師】
ひとしきり笑い合った後の、気まずい沈黙。初対面の、会おうと思って会った訳でもない相手と、これ以上何を話せと言うのか。
リゼルは桃色の髪を無意識に撫でつけながら、上手いことエドウィンと別れる言葉を探していた。
「じゃ、じゃあ私は修行に戻るから、お先に――」
「あっ、そうだ!」
失礼するわ、というようやく見つけた台詞は、エドウィンの何かを思い出したような声に遮られた。少し驚いて空色の目を丸くすれば、彼はお構いなしに言葉を続けた。
「最近この平原にシュターゲルが来るって噂を聞いたんだけど、どこなら見られるか知ってるかい?」
「シュターゲル? 岩場に住む鳥がこんな平地に降りて来るわけないでしょ。そんな話聞いたことないわよ」
エドウィンの目的を知り、リゼルは呆れる。彼の言っているシュターゲルは、彼らが今居るような平原ではなく、山奥の断崖絶壁や草木も生えない岩場に巣を作る、変わった鳥だ。疲れても地面になかなか降り立とうとしないことは有名な話なので、このような噂をする者は無知としか言い様が無かった。
「そっか……。さすがにそこまで行く時間は無いし、諦めるしかないかな」
しゅんとしょげた彼は、内側の友人にも可能性を否定され、ますます無念を募らせた。
『やはり眉唾ものだったようだな。そもそもシュターゲルは土を好まない。わざわざ平野に降りるなど、酔狂な個体だけだと言ったであろう』
『残念だなぁ……』
今日一番の楽しみだっただけに、落胆を隠しきれない。噂になるのだから、その酔狂なものが居てもおかしくないと期待していただけに、リゼルへ零す愚痴も殊更どんよりとしていた。
「僕、王都からあまり離れたことが無くて。せっかく外に出たなら、本でしか知らないものを見てみたいんだ。それで今はシュターゲルと、あとフェーンも探してるんだけど、なかなか難しいね」
フェーンの方は翼の生えた猫のような愛らしい外見から、貴族を中心にペットとしている者が多い。野生も多く、王都以外の街では野良フェーンが路地裏で寛いでいる姿を見かけることが出来る。
しかし王都どころか、城からもなかなか出られないエドウィンにとっては、そのような光景は未知のもの。親友に頼めば一瞬で叶う夢を、彼は頑なに自分で追い続けていた。今回も平原に来るまでは手伝ってもらったが、そこから先は自分の足で探す予定だった。だが、そもそも居ないのならどうしようもない。
そんな彼に、運は味方した。
「……そんなに見たいなら、方法はあるわよ」
「えっ」
「シュターゲルもフェーンも天族だもの。契約してるから、呼び出してあげても良いわ」
天界と呼ばれる、人間の住むこの世界とは異なる「どこか」に住まう種族。シュターゲルとフェーンは、天族でありながら人界にも生息する変わり種だ。
そして召喚師は、その天族と契約を交わす者。少ない労力で会うことの出来る使役対象を見逃すはずもない。召喚師たるもの、フェーンやシュターゲルの一匹二匹、最初に契約しておくのが常識なのである。
「本当かい!? ありがとう、リゼル!」
「べ、別にあなたのためじゃなくて、修行のついでなんだから!」
先ほどまでの落ち込み様はどこへやら、一転して目を輝かせたエドウィンの笑顔が眩しすぎて、リゼルは思わず赤面した。ツインテールが顔に当たる勢いでそっぽを向き、照れ隠しに言い訳する。幸か不幸か、エドウィンはそれを字義通りに受け止め、運が良いとますます嬉しそうにしていた。サタンはあえて訂正せず笑って傍観を決め込んでいたが、リゼルがそれを知る術はない。彼女の尊厳を守る意味では、幸いなことだろう。
リゼルは一つ咳払いして気を取り直すと、おあつらえ向きに鎮座していた岩へ近寄る。シュターゲルを召喚する際は、樹や岩など地面以外の降り立つ場所を用意してやるのが鉄則だ。変な所で相手の機嫌を損ねると、次回以降に響きかねない。
風の聖霊と違って、召喚は一言で済む。その名を呼び、魔法陣で場所を示してやれば、リゼルと契約を交わしたものが即座に現れた。
真っ白な羽毛を震わせ、大の大人ほどもある大きな鳥が岩へと降り立つ。二、三度翼を広げて召喚主に挨拶すると、マイペースに羽繕いを始めた。その姿にエドウィンは子供の様にはしゃいでいる。リゼルが得意になって同様にフェーンを呼び出せば、もう大騒ぎだ。さながら商店を物色する女性の如く、可愛い可愛いと連呼している。
「うわぁ、撫でても大丈夫かい? ……ずっと憧れてたんだ。天族は召喚師じゃないと縁の無い存在だって聞いてたから、初めて本物に会えて嬉しいよ」
エドウィンは恐々と不慣れな様子でシュターゲルの背やフェーンの頭を撫でて言う。フェーンが気持ちよさそうにキューと鳴けば、更に顔を綻ばせた。長年の夢を叶えてご満悦な彼は、己の発言がおかしいことに気づいていない。
エドウィンには既に、契約相手がいる。彼が「召喚師」であるなら、その相手は天族に他ならない。
「何言ってるのよ。あなた一人契約してるんでしょ? なら初めてじゃ――きゃっ!?」
矛盾を指摘したリゼルの言葉は、しかし、突如として起こった大地の揺れに遮られた。
バランスを崩したリゼルを支え、一転して険しい表情になったエドウィンは辺りを見回す。
「地震……?」
『エドウィン、北から何か来ているようだ』
サタンの声に北へ視線を向けてみるが、低木や丘の起伏で辛うじて土煙が確認できるだけ。
『丘の上まで走れ。ここは見通しが悪い』
『分かった』
冷静な指示に、リゼルの手を引いて丘を駆け上がる。彼女にとっては突然の行動だったため、転びそうになって文句を言おうとするも、真剣な横顔に口を噤む。シュターゲルとフェーンを一旦還し、不穏な空気に自然と足を速めた。
――――――――――
丘の頂上から見下ろせば、土煙の中に見え隠れする影をはっきりと捉えることが出来た。猛然とエドウィンたちに迫る、身の丈が彼らの二倍はある巨人。土と石で形成されているそれは、ゴーレムと呼ばれる魔物だ。
「ゴーレム!? 何でこんな所にいるのよ!」
この平原は王都のすぐ傍に広がっているだけあって、危険度の高い魔物は軍が退治しているはずだった。狩りきれないほど数の多い種ならばともかく、一般人が襲われればひとたまりもないゴーレムなど、そうそう居てはたまらない。
「僕が前に出るよ。出来れば援護してくれ」
狙い澄ましたように向かって来る魔物へ、エドウィンは剣を抜くと果敢に斬り込み始めた。後ろに下がりながら、リゼルはどう援護すれば良いのかと思案する。
(相性はエリアルが一番だけど、また失敗したら……!)
見た目通り地属性であるゴーレムに対抗するなら、風を司るエリアルを召喚するのが一番だ。しかし、失敗して余計な時間を取られるのではと躊躇ってしまう。反抗的な自身の使役を恨みながら、属性の相性は諦め、確実に呼び出せる戦力を選んだ。
「〈青き一閃は流水の太刀。来たれ、水の聖霊のリューレン〉!」
青い光で描かれた魔法陣がリゼルの目の前に現れる。そこから勢いよく水柱が噴き出し、龍のようにうねりながら球を形作っていく。やがて水球が花開き、その中心に一人の剣士が立っていた。
一見すると若い男でありながら、その容姿は明らかにリゼルたちとは異なる種族だ。白の長着に藍色の袴と独特の衣装もさることながら、何より目を惹くのはその長い髪である。無造作に背の中ほどまで伸ばされた直毛は、根本の黒色が徐々に明るい青色へ移り、毛先に至っては組成すらも「水」へと変化していた。
リゼルが契約している天族のうち、リューレンはエリアルに次いで二番目に高い実力を誇る。この状況を確実に打開してくれるはずだと、リゼルは自信たっぷりにリューレンを出迎えた。
「リゼル殿、招聘に従い参上致した」
「あなたは必ず来るから助かるわ。さあ、ちゃちゃっと片付けちゃって」
「承知。して――拙者の敵はあの土人形『だけ』でござるか?」
リューレンは即座に主の要求を理解し、太刀の柄に手を掛けて敵を見遣った。その視界にはゴーレムだけでなく、その攻撃を盾で受け止めていたエドウィンも映っている。視線に籠められた殺気を感じ取った彼が、驚いてリゼルたちの方を振り返ったので、彼女もさすがに意図する所を読み取り溜息と共に答えた。
「当たり前でしょ。馬鹿なこと言ってないで、エドに加勢して」
「拙者は至って真面目でござるが……分かり申した。いざ、参る!」
彼女の答えにリューレンは釈然としない面持ちだが、ひとまずエドウィンは敵ではないと認識したようだ。
リューレンは軽やかにゴーレムの横を駆け抜ける。すれ違い様、目にも留まらぬ速さで太刀を抜き放った。背後に回った所で立ち止まった彼が、鞘に刃を収めると同時に、ゴーレムの胴と足は別れを告げた。
後に残った土塊を前に、エドウィンが感嘆の溜息を漏らす。
「一撃……。リゼル、やっぱり君は凄いね。こんなに強い天族と契約しているなんて」
「ほ、褒めたって何も出ないわよ。私はあなたと違ってちゃんと修行したんだから、これぐらい出来て当然なの!」
尊敬の眼差しがくすぐったく、リゼルは憎まれ口を叩いた。実はリューレンもエリアルも、契約に至ったのは彼女の実力とは異なる要因が大きいのだが、そこを正直に話すのは彼女の自尊心が許さない。
事情を知らずに尚も賞賛しようとしたエドウィンは、新たな違和感に再び表情を引き締める。同時にリューレンがリゼルに警告を発した。
「リゼル殿、油断してはならんでござる。新手が来ているでござる!」
次なる敵襲は、すぐ傍で始まった。最初よりも大きな揺れにリゼルとエドウィンが膝を着く。ゴーレムの残骸の転がる地面が盛り上がり、先ほどのゴーレムよりも一回り大きな個体が生成された。
『二体、いや三体だ。さてどうする?』
『呼ぶまでは待ってくれ。君は力を温存しないと』
サタンの囁きにエドウィンは待ったを掛ける。更に強力な魔物が複数襲ってきたとしても、サタンの力を借りればすぐに片付くが、彼を消耗させてしまうことになる。そしてそれはエドウィンの本意ではない。ゴーレムが歩く度に発生する震動を必死に耐え、彼はギリギリまで自分の力で対処すると告げて、剣を構えた。
新たなゴーレムは耐久力も上昇しているのか、リューレンの太刀ですら一刀両断とはいかなかった。それどころか、斬り落とした腕は再生し、破壊した脚は地面から再び生えて身体を支え直す始末。長期戦になると、不利なのはエドウィンたちの方だった。
リューレンを召喚し続け、更に自身も魔法で援護していたリゼルは、魔力の限界が近いと焦る。攻撃を防ぐために張った結界を解くか、リューレンを下げるかと考え、彼女は前者を選んだ。だが当然、魔力消費の少ないものを張り直そうと詠唱し始めた隙を、ゴーレムは見逃さなかった。
「――っ! リゼル!」
前で戦っていたエドウィンとリューレンを突破し、一体がリゼルへその石柱のような腕を伸ばす。強靭な拳は脆弱な結界を容易く破り、新しいものを作らせる暇すら与えない。
エドウィンは自らが競り合っていたゴーレムを放り出し、リゼルを守ろうと駆け出した。間一髪で彼女の前へ立ち、攻撃の直線上から連れて逃げようとする。しかしながら、既に拳は目前まで迫っていた。
(間に合わない……! 当たる!)
恐怖に思わず目を閉じたリゼルは、なかなか来ない衝撃に疑問を抱く。そっと瞼を上げて確かめれば、目の前にあったのはエドウィンの背中。掲げられた右手に剣は無く、代わりに黒い靄を纏って、ゴーレムの拳をしっかりと受け止めていた。
「――まったく無茶をする。そなたにならば、いくらでも力を貸すと言うのに」
彼はまるで羽虫でも払うように、掴んだ岩塊をぞんざいに投げ出しながら、呆れ気味に呟いた。ゴーレムはいとも簡単に地面へ引き倒され、半壊しながら尚も立ち上がろうともがく。それへ留めを刺す前に、彼は呆然としているリゼルの方へ振り向いた。その表情に、つい先ほどのシュターゲルに喜んでいた青年の面影は無い。
その深紅の瞳は見る者を畏怖させる、闇に住まう者の証。身を竦ませた人間の少女へ「エドウィン」はニィと嗤った。
【Die fantastische Geschichte 4-2 Ende】