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正義論集成

ディスク・ジョッキー物語

作者: DJ克明

 私はエッセイストとして、書いて行くことに決めた。

 なんで、小説を書くの、やめたの?って、あなたは言うけど、エッセイストだって十分カッコイイしさ、なぜ、あなたは小説がいいのかい?「エッセイ」の他にも「詩」だってあるし、「思想」だってあるんだぜ。小説が「王道」だから?


「オレ、ディスクジョッキーになる」と言い出したのは、小学校から一緒であるリョーヤだった。そんなの、やめといたほうがいいのに……。私とリョーヤは小学校から「真面目」で気の合った仲だ。私は20歳になったリョーヤがDJになりたいと言い出したことに、いささか不満を抱いていた。


 せっかく「真面目」であったリョーヤが、ディスコの世界に入って、本当にやって行けるのだろうか?という心配と、皿回しのような、私から見たらいかにも、「ふしだら」な職業(!)が、ただ単に嫌で嫌で仕方がなかったのだった。


 私が彼を止めても、彼の気は変わらなかった。でも、それは負けん気の強い、見るからにワルい奴らと結局は、闘う事になるんだ。リョーヤ。また、俺と「正義」の話をしよう。よく語り合ったじゃないか。


 正義と悪。悪の反対は善なので、正義と悪は厳密には反対語ではないんだけど、それでも僕らに取ったら、正義と悪は正反対の言葉の設定だった。「悪がいじめをするなら、正義はいじめをしない」。それぞれの反対の意味だ。正義と悪、つまり、善と悪は、対極する概念だから、逆の意味を考えると解りやすい。「悪は善(正義)を愛そうとはしないが、善は悪を理解して愛そうと努めなければならない」私達はそういう話を教室でよく話した。


 つまり、私は善の思想の持ち主である。悪ではない。何かおかしいことでもあるか? リョーヤもそうだった。私達は一緒に青春時代を謳歌した仲間であるが、文学のファンでもあって、友情の絆で結ばれていた。しかし、「文学」よりも「友情」よりも大切であるのは「正義」であるということだった。


 私は小説を書いているわけではなく、ただ、文章という形は取るが、「正義」論について書いているだけである。これは、小説ではなく、エッセイに過ぎない。「正義」は何の役にも立たないものだけど、私にはこれ以外、取り柄がないのだ。


 私はこの「正義」について、出来る限り「ぶっちゃけ」て話そうと決心している。私は度々、自分の言っていることが、あまりにも他人に理解されずに、誇張すると、孤立してはしまわないだろうかといささか、不安を覚える。しかし、私はそういう時こそ、一番、愉しい時だと開き直るのだ。


 そうなのだ。私達は「『真面目』を誇りとして生きている」数少ない種類の人間だったのだ。


 私はリョーヤを助けようと思う。私は走った。道路に出た。横から飛び出す車にも気付かずに。

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