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「アギトー、もう来てたのー?」
両手いっぱいに荷物を抱えて入ってきた恰幅の良い母親を見て、ルルが目を丸くしている。
「あらっ。やーだ。早かったのね。ちょっとさあ、家に何にもなかったから一応ほらお買い物しとかなくちゃってね。まあ!あなたがえーっと、ルチアナさん?凄い美人じゃないのー。もーホントにこの子ったら全然女の子家に連れてこないから心配してたんだけど安心したわあ。待っててね、今すぐご飯作るから食べてってー」
誰も口をはさむ隙を与えずに繰り出されるトークにアギトは頭を抱えたくなった。
ババア…。ルチアナは大分前に別れた彼女だから…。
「母さん、そんな無理しちゃだめだろう。ご飯なんかいいから寝てなくちゃ」
「なあに言ってんのー。あんたも好きでしょう、母さんのチキンパイ。朝も…」
そこではっと朝頼んでおいた自分の設定を思い出したのか激しくせき込みはじめる母。
いや、もーいーよ、というか母さんまた太ったよね。これで病弱な母設定っていささか無理があったよね……。
「……随分気力に溢れたお母様ですね。お母様、わたくしアギトさんと同じ職場で勤めておりますルルと申します。よろしければお食事の用意、わたくしもお手伝いさせてください」
「あ、は、はい、よろしくてよ」
丁寧な言葉遣いに驚いたのか変な言葉になっている。
「じゃあ俺も何か手伝い……」
「大丈夫です。アギトはどうぞ休んでいてください」
にっこりと笑うルルの目がまったく笑っていない。仕方なく食卓に座って冷めたお茶を口にしながら料理を始めた二人の後ろ姿を眺める。
「アギト、そんなとこで座ってるなら二階から椅子運んでよ。父さんが使っていたやつ。これじゃあ一つ足りないから」
「あ、うん、わか……て、なんで椅子三脚で足りないわけ?……母さんもしかしてニコに声掛けた?」
「当たり前じゃない。あんたがお嫁さん連れてくるって言うんだからさっき寮に行って声掛けたからもうそろそろ」
「ただいまー。おかーさんお兄ちゃんのお嫁さんもう来たあ?」
うあああああ。
入ってきたニコを見てアギトは今度こそ頭を抱えた。
歳は13歳。長い髪を頭の高い位置で結わえた色白で目の大きな可愛い妹ニコは、ルルを見て目を輝かせる。周りの友人にいつもお前の妹って可愛いよなーと羨ましがられていたが。
「えー!もしかしてこの人がおにーちゃんのお嫁さん?やっだー凄い綺麗な人ーきゃー!嬉しー!」
「え……」
ニコは頬を紅潮させてルルに突進すると思い切りルルに抱きつきその豊かな胸に頬をすりすりさせている。ルルは驚いて野菜を持ったまま硬直している。
「ニコ。ルルは料理中だから兄ちゃんと食卓の準備をしようなー」
べりっと音がするくらい密着していたニコの襟首を掴みルルからはがすとそのままニコを連れて二階へあがる。
「おにーちゃんにしてはやるじゃん。どうやってだまくらかして連れてきたの」
「何を言うか。ちゃんと付き合ってる。というかお前、余計なこと言うなよ。ルルにはお前の話一切してないし」
「えー、ひっどい。可愛い妹の話してないってどういうこと?ていうかヴィングラー家って使用人のレベル高いって話し本当なんだねー。わたしもコネで入れないかなー」
コネ?そんな話がもし来たら握りつぶして闇に葬り去ってやる。どんなことをしても。
そもそもこいつは女子寮に入りたいがためにここに実家があるのにいろいろ画策してわざわざ同じ町にある学校の寮に通っている。本来は他の町から通う生徒のためのものだがそもそも他の町からわざわざ学校に通う子供がそんなにいないのでお目こぼしをしてもらっているらしいが。そして何故そんなことをしているからというと人生一度は女の園で暮らしてみたいなどという実にくだらない理由。
そう、ニコは女に恋愛感情を抱くという性癖を持つ妹なのだ。ルルを必要以上に近づけないようにしなければ。
「それにしてもルルさんのあのおっぱいチョー気持ちよかった。やっぱり同い年の女の子にはない良さがあるよね。なんかいい匂いしたしー」
「あのおっぱい俺のもんだし。もう触んなよ」
なんで13歳の妹とこういう話をしなくちゃいけないんだと大きくため息をつく。
椅子を運んで4人座れるようにアギトが食卓を並べ替えている間にニコまで混ざって狭い台所で三人並んで調理をしだす。ニコは楽しそうにルルにまとわりついてさりげなく身体に触りまくっている。母親もいつものよどみない口調で延々とルルとニコに喋り続けている。多分聞いてようが聞いていまいが関係ないんだろうな。
そうこうしているうちにどんどん料理が出来上がり、あっという間に狭いテーブルがいっぱいになる。
「ちょっと作りすぎじゃない?」
「あらホントだわねー。ルルさんびっくりするくらい手際がいいからなんかついつい作りすぎちゃったわ。あんたいい人見つけたわねー」
「わたしルルさんと座るー」
「いや、お前は母さんとだろ」
「いーやー!ルルさんと座るのー」
13歳という年齢を盾に許されるぎりぎりのラインで我儘を言うニコにルルが分かりましたと頷くとまた不必要に抱きついている。
「コラコラ。もう十三歳なんだから甘えんなよ。ルルが困ってるだろ」
「だってー。ルルさんておにーちゃんのお嫁さんになるんでしょう?で、ニコのおねーさんになってくれるんでしょう?」
大きな目をキラキラさせながらルルを見上げるニコに、視線を泳がせるルル。
「え、ぅええ……」
「わあい。ニコのおねーちゃんだー」
何故だかいつの間にか母もニコもルルが嫁に来ると思い込んでいるがまあいい。言質もとったことだしこうやってどんどん外堀を埋めていこう。
「ところで新居はどこにするの?今のままあのお屋敷に住めるの?」
「いや、母さん、別にまだそういう正式な話じゃなくてさ」
「なんだったらここに住んでもいいんだけど。ルルさんさえよかったら。ここからならお屋敷だって通えるし」
いつもながら人の話を聞かない母親だ。気を悪くしていないかとルルのほうをそっと見ると、ニコと何やら楽しそうにおしゃべりをしながらアギトに笑みを向けてきたので安心する。
母とニコの絶え間ないおしゃべりに相槌を打ちながら食事をしていると、父が亡くなる前に戻ったようだ。寡黙な父だったが、いなくなると家の雰囲気が変わりなんとなくしっくりこなくなった。そうしている間にニコが寮に入り、俺が家を出た。母はこの家で一人きりだったのかと今さらながらに気がついた。
だからと言ってこんな姑と小姑のいる家で新生活を始めようとはこれっぽちも思わないが。
母さん、今まで育ててくれてありがとう。これからはルルと新しい家庭を持って幸せになります。
だらだらと喋りながら食事をしていると思いがけずに時間がたってしまった。
「じゃあそろそろ俺たち屋敷に戻らなくちゃいけないから」
「ええええー。もう帰っちゃうの?ルルさん、また来てね。お兄ちゃんと別れてもわたしに会いに来てね」
「分かりました。本日はありがとうございました」
不吉なことを言うニコを後ろから羽交い絞めにしてルルへの接近を阻止し、母に挨拶を済ませて家を出る。
いつまでも店の前で見送る母と妹に何度か振り返り手を振る。
「…………」
「…………」
無言のまま並んで歩く。沈黙が怖い。
しかしずっと黙っているわけにもいかず、屋敷が見えてきた人気のない通りでアギトは口を開く。
「あのう、怒ってます?」
「はい」
「ごめんなさい」
無表情のルルに頭を下げるアギト。
「でもお母様が本当に御病気でなくてよかったです」
ルルの言葉にはっとする。彼女の唯一の肉親ともいうべき姉は病気でなくなっていたのだ。
「性質の悪い嘘でした。すみません。本当はただ単に母親に会ってほしかっただけです。でもそう言ってもルルは来てくれなかったでしょう?俺たちの関係もそろそろ一区切りつけたいというか、つけてもいいんじゃないかということで……こうなったら聞きますが、俺と結婚を前提とした付き合いをしてもらえませんか」
「分かりました」
即答。
相変わらず切り捨てるのが早い。
……うん?
「……えっ!分かりました?ってことはいいですよってことですか」
「はい。わたくし自分は一生結婚などしないと思っておりましたがそれはしたくないということではなくできないと思っていたからです。今日、アギトの家へ招いていただいて、御家族と一緒に食卓を囲んだのは嘘だったとはいえとても楽しい時間でした。過去を知った上でわたくしを娶ってくれるというのならなにも異論はありません」
なんかその言い草では結婚を申し込んでくれるのなら誰でもいいような気がしないでもなかったが、まあこの際それは脇に置いといて。
「本当ですか!では……」
「ですがわたくしの結婚はシオン様が幸せになるのを見届けてからになりますが」
「え」
「わたくしの後任も今のところおりませんし」
「それってシオン様が結婚されるまでルルもしないってことですか」
「はい」
「シオン様っていくつでしたっけ」
「この前12になられました」
じゅうにさい?
「…………」
「…………」
シオンが成人するまであと三年。ということはどう少なく見積もっても結婚まで三年以上はかかるってことで。
「お待たせするのも悪いのでなんでしたら別の方を……」
「いえ、全然大丈夫ですよ?こう見えても気は長いほうなので。では結婚を前提にお付き合いをする恋人同士ということで」
少々ひきつりながらも余裕の笑みを浮かべ、ルルに手を差し出す。
少し傾き始めた陽の光のせいかルルの頬が微かに染まって見える。
ルルの手がそっとアギトの手に触れるか触れないところで。
「大変ですー!」
屋敷のほうから使用人のエリカが息を切らせて駆けてくる。
「どうしました?」
「それがシオン様がいなくなってしまわれて……」
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話によるとシオンはいつの間にやらチルリットとともにいなくなっていていまだ帰らないということらしい。
屋敷に戻り報告を受けたルルはすぐに制服に着替えて庭に出る。勿論アギトも一緒に付いて行く。向かった先は屋敷の裏手にある馬屋。
珍しくルカウドが浮かない顔で馬小屋に待機している。
「シオン様の馬はいるのですか?」
「いえ、それがいなくなってます」
「いなくなったのはいつですか?」
「はっきりとは分からないのです。昼前に来た時にはもういませんでした」
「あなたは馬の世話役ではないのですか」
ルルが冷たく言い放つとルカウドは首をすくめて低頭する。
「まあ、まだ日暮れには少しありますし、様子を……」
アギトが取りなそうとした時、庭師のテイトが怒りながら馬を引いてやってくる。
「ちょっとあんた!またこの馬がわしの庭を荒らしまわって…!ちゃんとつないどいておいてくれ!」
「あ!シオン様の馬……シオン様はどうしたんだよ、お前」
ルカウドがテイトから馬を引き取り首筋を撫で声を掛けている。
「どういうことですか?」
馬の身体を点検していたルカウドが、
「手綱が緩んでいるのでどこかにつないであったのがほどけたか何かで勝手に帰って来たんじゃないでしょうか。見たところ外傷とかないですしトラブルに巻き込まれたとかの可能性は低そうですね」
少しだけ安堵の表情を見せたルルに、アギトは肩をすくめる。
「そのうち裏口から帰ってくるでしょう」
「なぜ裏口と?」
「悪いことをした子供というのはそういうものです」
そういうわけでルルと連れだって裏口で少し待ってみることにする。
「日暮れまでに戻られなければ御館様にお知らせしなくてはなりません」
「そうですねえ」
のんびりしたものいいにルルが冷たい視線を投げる。
「ずいぶんと余裕ですね。もしシオン様の身に何かあれば……」
「余裕というか。シオン様の実力ならまあその辺のごろつきの類なら二、三人程度軽くひねるくらいの力はありますしそういうことを教えてきましたし。俺たちがいない間に二人で出掛けるなんて可愛いもんじゃないですか」
正直アギトは少しシオンを見直した。単なる箱入りお坊ちゃんではないということか?もしかしたらルルとの結婚は案外近いのかも。
「それにしても軽率すぎます」
「ルルは恋したことありますか?」
「なんですか、急に」
「恋をするといろいろ馬鹿なことをしてしまうものです」
犯罪者すれすれのことをしてしまったりいろいろ画策して失敗してみたり?あとから思いだすと死んでしまいたくなるほど恥ずかしいことを平然とやってのけてしまう恐ろしい呪いのようなものだ。
「…………そうかもしれませんね」
ルルの小さなつぶやきに、え?と、視線を投げかけるアギト。
「恋をしたことがあるんですか?」
身を乗り出すとルルは少し困ったような、途方に暮れたような、不思議な感情のこもった視線をアギトに向ける。
「、」
言葉を発しようとした時、裏口の取っ手がガチャガチャと音を立てた。
思わず顔を見合わせ、それからルルは背筋を伸ばしてまたいつもの無表情に戻る。
まあ、続きはまた、ベッドの中でということで。
戸が開き、二人の子供が姿を見せる。アギトとルル、二人揃って笑みを浮かべ出迎えた。
「お帰りなさいませ」
読んでくださってありがとうございました。




