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季節はいつの間にか巡りくすんでいた景色は新緑に彩られ、うららかな春の日差しが降り注ぐ中、アギトも心穏やかな日が続いていた。
「明日お休みを取られるそうですね。予定はもう決まっているんですか」
ベッドの中でルルの髪に触れながら。
「はい。午前中の内に養父母に会ってこようと思っています」
「養父母?」
「前にお話しした後見をしてくださった先生です。わたくしにはもう身寄りがないので養子として迎えてもらいました」
「そうなんですか。お姉さんは?」
「姉は数年前に感染症を患いなくなりました。養父母と言っても形だけですから一緒に暮らすこともないのでしょうが、大変お世話になっていますのでお休みを頂けたときは挨拶に行っています。午前中に済ませて午後からはこちらに戻ろうと。シオン様が心配ですし」
「そうですか……」
黙り込むアギトにルルは顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「いえ、実は俺も明日偶然にも休みを取ったんですが」
「そうなんですか?わたくしは把握しておりませんが」
シオン付きの使用人が休みを取る場合大抵ルルに許可をとる。しかし今回ルルの休みを他の使用人から聞きつけたアギトは休みを合わせるためにシオンに直接申し出ていた。ルルに休みを申し出ると二人一緒に休むことに難色を示すことが分かっていたので。
「母が少し体調を崩しましてシオン様に直接許可をいただきました。……あのう……こういうことを頼むのは気が引けるのですが母に会ってもらえませんか」
「わたくしが、ですか?」
驚いたように身をおこすと何も身につけていないルルの肢体がちらりと布団の隙間からのぞきアギトの欲望を刺激し二回戦に持ち込みたくなるが今は我慢だ。
「俺たちの関係がそういうものではないのは分かっていますが、俺もいい年ですしうちは父がすでに亡くなっていて母も年々身体が弱くなって少し気力も落ちてきていて。いつも早く子供の顔を見せろとうるさいんです。付き合っている子がいるなら顔くらい見せてくれと懇願されて。良かったら少しの時間形だけでも恋人のふりをしていただけませんか」
「でもそれは結局お母様をだますことになるじゃありませんか」
「それはそうですが医者の話では母の不調は気力かららしいのです。あくまでも恋人のふりですから他の使用人に頼んでもいいのでしょうが、やはりこんなことを頼めるのは…」
そこで少し声を詰まらせるアギトの肩にそっと手を置くルル。
「…………分かりました。明日限りということでしたら。あとで必ず誤解を解いてくださいね」
「ありがとうございます!」
ギュッとルルの手を握り、その唇にキスをしてそのまま押し倒す。
それにしてもこんなベッタベタな話に引っ掛かるなんてこの人大丈夫だろうか?やはり自分が傍で見張っていなくてはなどと内心心配になりながら。
翌日。
朝一番にアギトは実家に戻り、母親に今日の段取りをつけた後、急いで屋敷に戻りちょうど屋敷から出てきたルルの後をこっそりとつける。ルルは一旦街に出た後、何件か店により、手土産らしきものを購入して大通りから少し外れた学校に傍にあるという養父母の家に向かう。通りを歩くときにたまに少し不安そうにあたりを見回すのはディードに会わないか確認しているのか。
勿論ディードが街を出て行ったのは確認済みだが、ルルはそんなことは全く知らないのだ。いたずらに不安を抱かせてしまった。街を出る前にディードに詫び状でも書かせるべきだったか。まあいい。そんな不安はこれから時間を掛けて自分が払拭していけばいいのだ。
養父母の家は古いが結構大きな家で、ルルが訪ねていくと子供たちが飛び出してくる。ルルの他にも何人か養子を迎えたのか、いかにも教育者といった風体の老夫婦が笑みを浮かべながらルルを迎え入れているのを見てアギトは安心した。
通りの向こうから背筋を伸ばして歩いてくるルルを見つけてアギトは手を振る。
「おまたせしてしまいましたか」
「大丈夫です。食事はすみましたか?何か食べてから行きます?」
「え、でもお母様の具合が悪いのでは…?早く伺ったほうが…」
「あ、そうですね。では」
そういえばそういう設定だった。陽の下で仕事を離れたルルと並んで歩くことに少年のように微妙に浮かれているのかもしれない。
アギトの家は中央通りの隅にある。もともと代々武器屋をやっていたのだが、父が死んで店は閉めて、今は母は近所の食堂で働いて生活している。もう一人アギトには歳の離れた妹がいるのだが、寮に入っていて一緒に生活していないしあまり話題にしたくない肉親なのでルルにも話していない。
「ただいまー、母さん?」
ルルを伴って店の裏口から家に入ると家の中はひっそりと人気がない。
「あれ?いないの?母さん」
家中見て回るが母の姿はどこにもない。
あんのばばあ。朝ちゃんとベッドで待機しておけって言っておいたのにどこ行った。
「……おられないのですか?」
「そうですねー。薬でも買いに行ってるのかな」
どことなくルルのアギトを見る目が冷たく感じられて、アギトはあわててルルを食卓のテーブルに座らせる。
「まあ、あの体調ではそんなに遠くに行けないと思いますしすぐに帰ってきますから座っていてください。今お茶を入れます」
台所に立ちお茶を探しているとルルがきて、
「よろしければわたくしが」
「いえそんな」
「言いにくいのですがアギトの淹れるお茶は美味しくありません。ですからわたくしが」
確かにお茶の入れ方なんて色がつけばいいや、程度で美味しく淹れようなんて思ったこともない。大人しく座って待っていると、ほどなくしていい香りが漂ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ルルの淹れたお茶を一口飲むとその美味しさにびっくりした。
「これ家にあったお茶ですか?」
「はい。使いさしの物がありましたので勝手に使わせていただきました」
「それはいいんですけど、美味しいです。驚きました」
アギトの大袈裟な言葉に少しだけ照れくさそうに口元を緩めるルル。
そんなルルを見てアギトも微笑む。
ルルとこうやって家庭を持ち狭いながらも居心地の良い家で彼女の淹れてくれたお茶を飲む。じんわりと心が温かくなりささくれ立った心も凪いでいく。やはりもうこれは決めるしかないな。アギトは10年先までの家族計画を頭の中で組みながらルルの手にそっと触れる。
「あの……」
口を開こうとしたそのとき、元店の入り口からにぎやかな明るい声が聞こえてきて、アギトは自分の計画がすでに躓きをみせたことを悟った。