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 店の名前はサウスローズ。

 若い女の子ばかりで席が埋め尽くされている。どうにか二人向かい合う席を確保し、適当な飲み物を注文する。恋人同士で訪れるのにいいお店を紹介してもらったはずなのにアギトの浮きっぷりはどういうことだ。店を紹介してくれた使用人が十代半ばの女の子だったのが悪かったのかいやに可愛らしいお店だ。


「付き合ってくれてありがとうございます。ちょっとここは一人ではとても無理でした」

「そうですね」


 飲み物が運ばれてきてそれを見たルルがほほ笑む。

 飲み物の上にクリームでハートの絵が描かれている。何から何まで少女趣味で女の子に人気があるのもうなずける。


「ところでこれ」


 先程こっそり購入したものをテーブルに乗せる。急いで購入したので綺麗に包んでもらうことは断念した。


「なんですか?」

「先程のお店でルルがつけていたものと同じ匂いのものがあったので買いました」

「どうして……」

「これでも結構鼻はいいほうなんで、枕に付いた残り香を覚えていたんです」


 途端にルルの顔が朱に染まる。


「そ、そうですか」


 ひどく狼狽し飲み物をかき混ぜようと持ちあげたスプーンを何度も落とす。

 えー?

 ベッドの上でのしどけない姿を何度も見ているのにこうあからさまに赤くなられるとこっちが恥ずかしくなる。いつも無表情だからか首筋までほんのり染めるルルの表情はかなりクるものがある。


「本当にいただいてよろしいのですか?」

「はい。もらってくれないと処置に困るんで」

「……ありがとうございます」


 馬鹿丁寧に頭を下げるルル。オイル一つでこんなに喜んでもらえると新鮮な感じだ。


「チルリットさまはシオン様がいない間どうしてますか」

「お部屋で本などを読まれて過ごされていますよ」

「シオン様が出立される際にチルリットさまの身辺の護衛を頼まれたのですがなんだか微笑ましい二人ですね」

「……チルリット様は思っていることがすぐ表情に出られてとても可愛らしい方ですよね。ああいう方がシオン様のそばにいてくださると安心します」


 ルルがそんな風に屋敷の人間に対して言うのを初めて聞いたので、思わずみつめるとルルははっと気付き、


「言葉が過ぎました。今のは忘れてください」

「ええと、別にいいんじゃないですか?悪口言っているわけじゃないですし。人間なんだから例え雇われ主でも何か思うところはあるでしょう」


 ヴィングラー家は労働条件も労働環境も他の所に比べるとかなりいいと思われるが、それでも使用人たちで呑みに行くとそれなりに愚痴も出る。


「いえ。わたくしはヴィングラーのお屋敷に雇われて、シオン様のお世話が出来ることに感謝しかありません」

「それは俺もそうですけど。あそこはいい職場だとは思います。でもたまに主人の機嫌が悪い時に八つ当たりをされたとか横暴にふるまわれたとか子供のくせにいい暮らししやがってとかそういう本音の部分て誰にでもあるでしょう?別に吹聴しろとは言いませんが俺にだけでも本音の部分を見せてもらえたらな…って…ええと何言ってんだろう」


 はははと取り繕うように乾いた笑いを浮かべる。一体全体何を血迷ってこんなことを口走ってしまったのか。ただ、肌を重ねるだけの関係だったはずだ。ルルにとって。しかし自分にとっては……。


「無理です」


 ルルは一言のもとに切り捨てると財布を取り出しテーブルの上にお金を置くと立ち上がる。


「わたくしは先に屋敷に戻らせていただきますのでごゆっくり」


 そう告げるとさっさと店を出ていく。

 慌ててテーブルの上のお金を掴んで会計を済ませて店を出るが、すでに通りにルルは見当たらない。屋敷へ向かう道で一番近道に当たりをつけてそちらへ足を向ける。その道は娼館がずらりと軒を連ねる裏通りでこの時間は閑散としたものだったがどことなくうらぶれた雰囲気が漂い、こんなところを果たしてルルが一人で通るのかと思ったが、遠くにピンと背筋の伸びた女の影を見つけて足を速める。

 ところどころに酔っ払いや目つきの怪しい親父がうずくまっていてルルに何か言葉を投げているが、それに全く頓着せずにまっすぐ前を見て突き進んでいくのがルルらしい。

 アギトの手には先程ルルが置いて行った小銭。そのままルルに返そうと握ったままだが、もしかして自分は振られたのか?先程の無理発言はあんたに本音なんか見せるわけないでしょうという意味なのか?ならば追いかけるのは逆効果?つらつら考えていると、前を行くルルが娼館から出てきた男とぶつかりそうになる。


 ……知り合いか?

 相手の男と言葉を交わしているのが見えて、アギトは小走りになった。


 相手の男はこんな時間に娼館から出てくるのもうなずける分かりやすいチンピラだった。歳はアギトと同じくらいだろうか。へらへらしまりなく笑いながらルルの手を掴んでいる。不健康そうな黒ずんだ顔は酒の呑みすぎか何かか。ルルのほうはというと無言のまま無表情というよりは能面のような顔で一点を見つめている。


「ルル、知り合い?」

「何この男。まさかお前の男?へええええ」


 男はアギトが声をかけると心底驚いたようにいやな目つきでアギトを見る。そしてこちらを挑発するようにルルの髪に触れる。


 血が逆流するかと思うくらいに腹が立ったが、大人だからと自分に暗示をかけ手を出すことはぐっとこらえ、ひきつりまくった顔でルルにもう一度、


「知り合い?」

「…………」


 こちらに視線を合わせようともせずに小さく頷くルル。そうか、知り合いか。このひどくなれなれしい態度から行くと肉親レベルの知り合い、お兄さんだな。道理でべたべたルルの身体を触るわけだ。うんうん。久しぶりの肉親の再会ならそうなるのも無理はない。無茶な脳内変換でどうにか自分の中の沸騰しそうになる衝動を抑えるアギト。


「そうそう、知り合い。なあ、久しぶりだし積もる話もあるしちょっと休んでいこうぜ」


 そのまま肩を抱き先程出てきた娼館にルルを連れ込もうとする。

 娼館は女も買えるが連れ込むこともできる。勿論やることは一つで積もる話などするわけがない。


 はあ?

 チョットチョットオニイチャン?


 思わず本気モードの体さばきで男の行く手をさえぎるアギト。

 その動きに少しだけ驚きを見せたが、すぐに男はニヤニヤ笑いを浮かべる。


「なに?」

「いや、なにって、今仕事中なんですよ」


 先程までサウスローズでお茶をしていたことはすでに忘却の彼方だ。


「仕事?そういえばお前どっかのお屋敷で働いてるって聞いたな。ふうん。今度休みいつ?」


 ルルは答えない。かすかに身体を震わせているのを見てアギトはルルの身体を自分のほうへ引き寄せる。


「……あんた何?」


 なにって、なんだろう。身体だけの関係の男?これから関係を深めていこうと思っている男?恋人候補だと自分で思っている男?アギトが答えないでいると、男はさほど興味がなかったのか、


「まあいいや。とりあえずルル金持ってる?」

「…………」


 ルルは無言のまま財布を取り出す。

 口を出そうとしたアギトをルルがおさえ、財布ごと押しつけるようにチンピラに渡すと、チンピラは中からお金だけ抜き取りルルに返す。


「じゃー、ま、今度休みの日にでも」


 いやらしい笑いを浮かべ男は去っていく。


「申し訳ございません。見苦しいところをお見せしました」


 幾分青ざめた顔でアギトに頭を下げる。


「……大丈夫?」


 アギトの手が置かれているルルの華奢な肩が震えていて、思わずその身体を抱きしめる。何度も抱きしめたが着衣のまま抱きしめたのは初めてだ。自分も大概鬼畜なことをしているなと思いながら先程の男が触ったとおぼしきところの髪をなで黴菌を振り払う。ルルは微かに身体をこわばらせたが拒絶することなくアギトの胸のなかで小さく深呼吸を繰り返す。


「もう屋敷に戻らなければいけません」


 呟くような言葉にルルの身体を開放する。


「今夜部屋に伺ってもいいですか」


 これまではいつもアギトの部屋で会っていた。それはルルの部屋がシオンの部屋にほど近いところにあるからだが今はシオンはいない。


「いえ。後日わたくしのほうからお伺いします」


 きっぱりと言われてしまってはそれ以上アギトは強く言えない。

 無言のまま連れだって歩き出す。

 屋敷の敷地内に入るとルルはいつものルルに戻っていて、ピンと背筋を伸ばした状態で軽く頭を下げ屋敷の中に入っていく。その背中を見送り手に握ったままの小銭に気づく。返し忘れたお茶代。


 面倒くさい女。

 そういう面倒くさい女に何故関わろうとするのだろう。身体を合わせて一時の快楽におぼれるだけにどうして満足しないのだろう。何故いつも視界のどこかにその面倒くさい女の影を探すのだろう。

 結局一番面倒くさいのは自分か。


  あまりに強く握りしめていたので手が強張ってしまっている。その小銭に目をおとし言いようのないもやもやを振り払うかのように勢いをつけてアギトも屋敷に戻った。




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