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そういう関係になってもルルの態度が変わらないおかげで全く使用人たちの噂に上ることもなかった。アギトにしてみたらヤルことをヤってしまった以上職場恋愛厳禁なわけでもないし他に付き合っている女がいるわけでもないので噂になろうがばれようが構わなかったのだが、いつの間にか男にとって何とも都合のいい関係になっていた。アギトの歴代の彼女は友人に紹介しろとかデートに連れて行けとか記念日にはプレゼントをとかいろいろ要求したものだが、ルルには全くそれがない。
「えーっと、今度休みの日とか街に出かけませんか?」
さすがに何となく自分の行いが鬼畜に見えてきたのである日肌を重ねた後そう言ってみたことがある。
「いえ、わたくしは結構です」
速攻断られた。もしかしたらルルこそが自分とこういう関係にあることを隠したいのかもしれない、とふと思った。こういった行為が初めてではないようだし秘密の恋人でもいるのかもしれない。
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いつものように早朝にシオンと鍛練をし終わった後、ルルから受け取ったタオルで汗を拭きながら、シオンが言った。
「今日街へ出ようと思う」
「分かりました。御一緒いたします」
丁寧に頭を下げるアギトにシオンはなぜか歯切れが悪く、
「いや、別に一緒に行かなくてもいい。ちょっと街に出るだけだし」
「いえ、そういうわけには」
アギトが傍らにいるルルに視線を向けると、ルルは毅然と言い放つ。
「街へ出られることには反対しませんが護衛をお付けにならないと言われるならお出しするわけにはいきません」
「あー、分かった分かった。ルルはもういいから下がれ」
タオルをつき返し、ルルが下がったのを確認して、
「アギト」
「なんでしょうか」
「お前、恋人はいるのか」
「はあ、まあ、過去には」
ここにルルがいなくて本当に良かったと思いながら答えると、
「恋人同士で街に行くときはどういった店に入ったりするんだ?」
「どういったお店と言われましても。わたくしの場合その彼女が興味のある店に連れまわされることが多かったものですから」
ちっと小さく舌打ちして。
「お前もルルも参考にならん」
「ルルにも聞かれたんですか」
「聞いた」
「で、ルルは何と言われたんですか」
「これまでそいった付き合いをしたことがないので分からないと言われた」
「あ、そうですか…」
なんとなくほっとしたようながっくりきたような不思議な気分。
そして何故シオンがそんな質問をいきなりしてきたのかその日の昼過ぎに分かった。
シオンの傍らに立つ空色のドレスを着た少女は確かこの屋敷につれてこられたときに見た覚えがある。そのときはみすぼらしい恰好をしていたが、こうやって見ると随分可愛らしい少女だ。チルリットです、と頭を下げる少女にアギトも笑みを返す。そういえば使用人の女の子たちがシオンに愛人が出来たとか何とか噂をしていたが、この子のことらしい。なるほど、シオンもじきに12だ。好きな女の子の一人や二人できてもおかしくないだろう。デートの邪魔をしたくはなかったが、万が一ということも考えてはやり二人きりで外に出すわけにもいかず、アギトは気配を消して付いて行くことにする。
しかし、わざとなのか何なのかシオンは全くチルリットのことを気にせずに歩みを進めている。チルリットと言えば人ごみを歩きなれていないせいかシオンとの距離は開くばかりだ。お節介だとは思ったが、シオンに手を引くことを提案する。照れ隠しのつもりなのか、「僕がか?」と言っていたが、アギトが自分でもいいと申し出るとさっと手を取って歩き出す。はたから見るとばればれなのに気付いていないところが何とも微笑ましいではないか。
その後着いた先が何故かよりにもよって孤児院で、アギトは行き先について気のきいたアドバイスをしてやれなかったことを悔やんだ。おまけに思わぬトラブルがあって散々なことになってしまった。今度気のきいたデートスポットをリサーチしておこう。
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シオンがしばらく屋敷を空けることになるということで、わざわざチルリットのことを頼みにきた。
「別に心配しているわけではないが僕がいない間あれのことを頼む」
あれとは何でしょう?と意地悪してからかいたくなるような態度ではあったがそこは大人なので頷いておく。
シオンが何事もなく出立しシオン付きの使用人たちは何となくだらけた状態のなか一人だけいつもと変わらずに仕事をこなすルルがいた。
アギトもシオンがいないので一日時間をもてあましてその日も朝食を食べた後ぼんやりと庭を眺めていると防寒服を着込んだルルが屋敷を出て行こうとしているのが見えたので急いで防寒着を引っ掛けて後を追う。
「何処へ行くんですか」
「街へ買い物に行きます」
「では一緒に」
「いえ、一人で大丈夫です。そんなに時間もかからないので」
「それならなおのこと一緒に行ってもかまわないでしょう。どうせ俺もシオン様がいらっしゃらなくて時間を持て余していたのです」
「…………」
それ以上問答するのも面倒だと思ったのかルルは無言で歩き出す。アギトも並んで歩くが、会話がない。いつも何をしゃべっていたのかと考えてみるが禄に会話もしていないことに気付く。
「別にわたくしに気を使ってくださらなくても結構ですよ」
「え?」
「違うのですか?休みの日に街へ誘ってくださったりこんな風に用事に付き合ってくださったりしてくださらなくてもあなたとのことを誰かに話すつもりはありません」
「俺は別にそういう関係だということを人に知られてもかまいませんが」
ルルは少し意外そうにアギトを見上げる。
「そうなんですか。ですが皆に知られると仕事もやり辛くなることもあるかもしれませんから公にする必要もないでしょう」
「理由はそれだけ?」
「ともうしますと?」
「いや、なんか他の人に知られたくない理由とかあるのかなと思って」
「理由ですか。わたしのように面白味のない女とそういう関係になっていることが知られてはあなたがいろいろ噂されるでしょう」
「ずいぶん自己評価が低いんですね」
「自分が周りからどう見られているかくらい理解しているつもりです」
「あの、ところでその言葉遣い二人のときには変えません?わたくし…俺もなんかごちゃごちゃになっちゃって」
「すみませんがわたくしはそんな器用なことは出来かねます。……あ、ここのお店です」
いつの間にか街の中心街に来ていてルルはその中の一つに入っていく。アギトもあとに続くが、ずいぶん狭い店だ。小瓶がずらりと並べられていてルルはてきぱきと商品を選んでいる。こんなときにでも迷いなく選ぶのが実に彼女らしいなと思いながら小瓶を眺める。説明を読むと風呂上りに使用する匂いの付いたオイルとある。かすかに漏れる様々な香りが店内に充満している。
ふと嗅いだ事のある香りが鼻につき、小瓶を一つ一つ手にとりながら目的のものを探す。
「わたくしの用事はすみました」
「じゃあ、いきますか。ところでこのためにわざわざ街へ?」
商人を呼びつければ済むことなのに。
「わたくしも時間をもてあまし気味でしたので、新しい商品が出たと聞いたので現物を見たくてきてみました」
「そうですか」
ふと周りを見渡しルルが足を止める。
「……こちら屋敷に向かうには遠まわりですが」
「次は俺の用事に付き合ってください」
「すみませんがわたくしは帰らせていただきます」
くるりと身をひるがえそうとするルルの手を慌てて掴む。
「待ってください。実は前にシオン様から頼まれていたのです。女の子が喜びそうな店を探しておくように。それらしい目星はつけてあるのですが、俺が一人で入るにはちょっと恥ずかしいので一緒に入ってください」
半分口から出まかせだったが、シオンの名を出したことによってルルは帰ることを思いとどまったようだ。本当に使用人の鏡だ。