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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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98/115

ゴブリンと豊穣神殿のお客さま

 犬に化けたエヴェトラは砂漠の集会にまぎれこみ、バザウは金首のミミズを肩に乗せて岩陰に残った。

 二つの分身はリンクしている。犬の姿で見聞きした情報をミミズが伝え、ミミズ型はバザウと共にいることにより精神の変調が起きていないか逐一チェックされる。

 上手くいけばバザウは思考感染の直接的なリスクを避けつつ情報だけ得ることができる。

 神の力と過去の記憶を持つエヴェトラと、考える力と創世樹に関する経験が豊富なバザウは互いの不得手をおぎなう関係だ。




 ミミズの分身は犬型分身が知覚したすべてを報告してきた。

 見聞きしたものをあまさず伝えるようにバザウが頼んだからなのだが……。


「ああ~……、やはり他の犬たちにもみくちゃにされてます」


「……警戒はされていないようだな」


「犬たちは集まってきてますが、まだ集会がはじまる様子がありません。それよりも私は…………近くにいる病弱で薄幸そうなメス犬が気になります」


「怪しいのか……だが深入りは禁物だ」


 バザウは緊張で手を握りしめた。

 分身を介した伝達でエヴェトラが見聞きしたものを言葉で教えてもらうことはできる。

 だがバザウの側からは犬たちが集まる秘密集会の様子を見ることはできない。

 何か危険な企みが愚直なエヴェトラを陥れようとしていても、気づかないものは報告できない。


(別行動で本当に良かったのか……? 力はコイツの方がはるかに上だが、俺なら悪意の罠を見抜いてやれる……)


「個人的に惹かれるタイプです。お嬢さん、あちらの物陰でフォイゾンでもいかがですか? とお誘いしてみます!」


「バカッ! やめろっ! 心配して損したぞ!」


 肩の上のミミズをつかんで振り回す。節操のない豊穣伸をなんとか非道修正させる。

 エメリやシャルラードと組んで仕事をした時はとても楽だったとバザウはしみじみと貪欲の市場での出来事を振り返った。


(……アイツら二人は優秀だった。それに比べて……)


「岩場にはネコジャラシがいっぱい生えてますよ~。チラホラ生えるくらいならともかく、こんな麦畑みたいに一面に生えるのはなかなか珍しいことですね。野生種ではなさそうです。白くて意外と剛毛。これは神殿都市でも見かけました。最近流行っている園芸種ですかね」


 ミュリスの信徒たちは千年以上も前からネコジャラシの品種改良とその栽培を続けてきた。

 遊んでよし食べてよし見た目も愛らしいと美点がそろった、ネコのためにあるとも過言ではない植物だ。


(あの草には別の呼び方もあったような……、何といったかな……)


 エノコログサ。犬の尾、犬の子などを意味する素朴で身近な雑草だ。




 バザウの肩の上でエヴェトラがぴくりと動いた。


「集まっている犬たちに動きがありました。……いましたよ! あそこにいるのが創世樹の宿主? ですかね」


「どんなヤツだ?」


「小さくて白いです。ほがらかな笑顔で犬たちに真理を説いています。え~と、こーえつのふくじ? みたいなことを説いてます」


 報告を聞いてバザウは小柄な人物のシルエットを思い描いた。白髪や色白の肌の持ち主、あるいは白い服を着ているのかもしれない。

 想像には限界がある。小さくて白いとわかっただけでは不充分。もっと正確な人相をしっておきたい。


「……神は姿を自在に変えられるという話だが、変身してみるというわけにはいかないのか?」


「あ~!」


 感心した声を出しながらミミズはぴょいんとゴブリンの肩から飛び降りて土塊となった。大地に落ちた黒土はぐんぐん大きくなり、新たに生き物の形を作り上げていく。

 純白の毛に包まれた小さな体。黒々として愛らしい目鼻。ピンと立った三角形の耳。しゃかしゃか動く短めの手足。細くて短い尻尾。エヴェトラは一匹の白い小型犬へと姿を変えた。


「確認するぞ。……間違いでもうっかりでもカン違いでもなく、ソイツこそが本当に正真正銘この奇妙な集会の主催者なんだな?」


 白い犬に化けたエヴェトラははっきりと頷く。ネコの神殿都市に犬は人間の最良の友であるという価値観を広めた犯人……いや犯犬が見つかった。

 バザウは頭を抱える。巻いたターバンがくしゃりと歪む。


(宿主となり得るのは人間だけではなかったのか……!)


 何かをひたむきに信じる点において、犬より勝っている人間はごく少数だろう。人ほど理路整然とした思考をしないことも創世樹を枯らすのを一層困難にする。

 これまでバザウは宿主が抱く真理の矛盾や建前の裏に隠されて本音を暴くことで、創世樹を枯らしてきたのだが……。


(……急に現れたよそ者が何かしたところで、飼い主と深い絆で結ばれている犬の心を変えられるわけがない)


 手強い相手だ。今まで出会ってきたどの創世樹の宿主よりも。




 ◆◇◆◇◆




 頑として記録を見せようとしないイ=リド=アアルにニジュの方から一歩を踏み出す。

 他の神々に何度も主張しては一笑にふされた言葉を口にする。


「妖精は……儀式の事故後に突如現れた異常生物だ」


 イは驚きつつも警戒を解いた。


「……あなたの言葉はイ=リド=アアルの誤った記録内容と符合する」


 それ以外にも妖精にまつわるニジュの記憶とイの記録はことごとく一致した。

 エヴェトラも小島から顔を出したまま二柱の奇妙な答え合わせを聞いている。


「ふ~む。イさんの憂鬱の原因はこういうことだったんですね」


 イ=リド=アアルの意識の上では、妖精は古くからこの地に根づいた生き物の一種ということになっている。

 しかしイが保存していた記録によれば、妖精は新たに妖星から発生した神々と相容れぬ脅威だと記されていた。

 自身の記憶と記録の齟齬。イ=リド=アアルはひどく狼狽した。一時的にでも気分を晴らすためにエヴェトラを訪ねてきたのだという。


「共同で調べてみる価値があるとは思わぬか」


 これを奇妙な偶然で片づけるわけにはいかない。

 ニジュは本格的な調査を開始した。


 地形神のイ=リド=アアルと共同で調査をするにあたり、ニジュはまず居場所を移すことを考えた。

 ニジュ=ゾール=ミアズマが狂気に蝕まれた、というウワサはすでに森の若木の小枝に至るまで広まっている。

 かつてこの森ではニジュが主だった。しかし長引く不調と悪しき風評により今では大樹の神が森のまとめ役だ。


「イさんの神域と私の神域があるのは同じ大陸なんですよ~」


 新天地の案内役を引き受けたのはエヴェトラ。

 大陸を流れる大河。その河口に位置するアシの群生する洲がイの神域だ。エヴェトラの神域は同じ大河沿いにあるという。


「それじゃあ、いきましょうか」


 エヴェトラは柔らかい体でニジュの手に巻きついて導いた。




 目的地に着く。移動にかかった時間はハチドリが数回羽ばたく間にも満たない。

 ニジュは辺りをうかがった。足元には黒々とした湿った土。規則的に生えた茎レタスの列。各種の豆は思い思いにツルを伸ばし、オクラが花を咲かせている。

 太陽はニジュの神域と同じくらい強く輝いているが、ジャングルと違ってここの空気はカラカラに乾燥している。菌類には過酷な環境だ。


(……たしかこの者も日差しや乾燥は苦手なはずだったと記憶しているが……)


 日差しと乾燥から逃れるためこの地のミミズは、他の土地の種族に比べてより地下深くにまで潜行する能力を会得した。


「ようこそ! ここが私の神域ですよ」


「いらっしゃ~い! こちらは特に大きな災いもなく平和でした」


 ニジュの手を支えているエヴェトラとは別に、地面からもエヴェトラが出迎えた。

 どちらも外見や大きさは同じだが、神として持つ力には歴然の差がある。ニジュと共にいる方がブドウの木まるごと一本分の力を持っているとしたら、地中から顔を出した方はブドウの実一粒ほどの力しかない。

 二体のエヴェトラ=ネメス=フォイゾンが触れ合うと一つに融合した。


「私の分身にこの地域の人間の様子見をさせてたんです。え~と……人間の種族神はあんな状態なので……」


「……そうであったな」


 人間の神がシアによって無残な肉塊に変えられたことはニジュも後からしった。

 というのも、見舞いにきたシアが意気揚々と暴虐の結果を自慢したからだ。

 重要な千匹獣座の儀式の途中でとても不真面目な態度だった、というのが人間神の罪状だ。

 神々はあの儀式をおこなったこと自体は覚えていた。妖星の脅威も理解している。しかしニジュ以外の神は妖星と妖精を関連づけはしない。妖精は昔からいる、神よりも劣った、無害で無力な存在だと思い込まされている。

 妖精を拒む理由だけがこそぎ落とされていた。神々の記憶は作為的に改竄されている。


「……」


 ニジュはここしばらくよく行動を共にしているミミズの神をチラリと見た。

 愚直だが愛嬌のあるこの神もまた、不可解な力で勝手に記憶を変えられている。

 ニジュはそっと手を伸ばしてエヴェトラの体に触れてみた。

 ひんやりしていて、ぷにぷにしていて、そしてひょろりとした細長い見た目からは想像できない力強さを感じる。


「ニジュさん? どうしました?」


 ちょっと意外そうに名を呼ばれる。


「……どうもしない」


 明確な意味はない。そうしたかっただけだ。

 エヴェトラも特に追求することなく気ままに体を揺らしている。

 しばらくそうしていた後、道案内が再開された。


「どうも親近感がわいてしまって。ハエが腐肉に群れるよう、スカラベが糞に集うよう、人間は私たちが耕した大地を好むようです」


 ハエとスカラベと人間を同列に語ることにエヴェトラにまったく悪意はない。

 エヴェトラは黒く湿った土の上から白く固い石に乗り上げた。

 干からびてしまうのではないかとニジュは心配になったが、白い石の部分は日陰になっている。

 頭の上には空ではなく精緻に積み上げられた石の天井が広がっていた。


(石が浮かんでいる……触れても押してもびくともしない……。きっちり積んで粘る泥で固定するとこうなるのか……)


「人間って土が好きみたいです! でもどんな土でも良いわけじゃなくて、私たちがいっぱい住んでるような土がとにかく人気で、なんか土地をめぐって人間同士で命がけのケンカもしてます」


 話をぼんやり聞いていたニジュはぴたりと足をとめた。

 石造りの構造物内に漂う空気にかすかに煙の匂いが混ざっている。


「……何かが燃えている」


 エヴェトラは平然として答えた。


「あ~! 良い匂いでしょう? 日の出を告げる香を焚いてるんです」


「そんな貴重なもの……よく手に入ったな」


 ニジュのいう貴重なものとは、香り高い樹脂のことではなくそれを焚く火のことだ。

 エヴェトラは火にまつわる現象を司ってるわけでもないのに。


「……ここは真に汝の神域なのか? 何もかもが風変りだ……」


「ここは神殿と呼ばれている場所で人間の命が頑張ってこしらえた神の居場所です。私の神域に人間たちがこれを建てはじめた時はてっきり大地を荒らしにきたのかとビックリしちゃいましたよ~」


「人間……」


 人間が独創的な生き物であることはニジュもしっているつもりだ。

 顔や体に鮮やかな塗り化粧をしたり、死者をいたんで女が自ら指を切り落として首飾りを作ったり、成人した男はワニのウロコを模した立体的な傷の刺青を入れたりと、人間のすることには創意工夫があふれている。

 ニジュの元いた場所で暮らす人間は森の中で数十名ほどの部族単位で暮らしており、部族ごとに異なった文化と風習を持つ。

 これほどまでに巨大な建造物を完成させるには、部族が一丸となって取り組んだとしても絶望的に人手が足りない。

 というか森にはこんなに広くて平らなスペースというものがない。


「なんとも巨大な……さぞ労力のいることだろう」


 同じ生き物でも住む場所が違えば行動や性質も違ってくる。

 おそらくこの地に生きる人間は数十よりもはるかに多い集団で暮らしているのだろう。

 ニジュはそう自分の中で結論を出したが、砂漠の川辺という限られた地域だけで膨大な数の人間が生きていられることは本当に不思議だった。

 生き物はどこまでも好き勝手に増えていくわけではない。命を維持するにはそれだけの環境が不可欠だ。豊富な糧がなければならない。




 エヴェトラ=ネメス=フォイゾンの白い泥石造りの神殿は二つの丸が隣接した形状をしている。

 一方の円には屋根があり、人間たちが屋内作業をしたり物品を保管する場所だ。

 もう一方の円は日光が降り注ぐ箱庭になっている。茎レタスが茂る菜園の片隅には、腐れた食べ物を放り込む穴が点在する。


「ニジュさんの故郷の森とはだいぶ雰囲気が違いますけど、ここを新たな拠点とすることに抵抗はないですか? 気に入らなかったら遠慮なくいってくださいね!」


 どうせどこでも同じだという投げやりな思いでニジュは頷く。

 妖星に歪められたニジュの力は完全ではなくなっているし、他の神からは腫れもの扱いだ。


「では、人間の命たちにニジュさんがここに滞在することを伝えておきます」


 エヴェトラは薄暗い室内に姿を消した。

 ニジュはそれについていく気にもなれず、柱の影にまぎれて待つことにした。

 壁には素朴な絵が描かれていた。ニジュはどうにか神殿の壁画の内容を理解することに成功した。


 大地を耕す金首のミミズ。食料を生産する肥沃な畑。畑仕事にいそしむ人の図。良質でふんだんな食べ物。人間の男女と命の芽生え。

 これら五つのシーンが循環する円形に配置されて描かれていた。


「……」


 この地域の人間の発展を陰で後押ししたのは、他でもないエヴェトラ=ネメス=フォイゾンとその眷属たちであった。

 環境が充分でなければ命は増えず、増えた命を維持するには糧がいる。

 壁画には人間達の感謝と欲望が込められていた。




「ニジュさ~ん! 人間とのお話、終わりましたよ~」


「……我がここにいても良いのだろうか。ここは汝……」


 やや考え込み、敬意を含んだ呼び方に変える。


「其方のために用意された居場所なのであろう?」


「良いに決まってますよ~。私の大切なお客さんなのですから」


「……其方の親切さには助けられているが……いささか気が引ける。急の事態で浄化の役目を偶然割り振られたというだけで、我と其方の間には何も……」


「ニジュさんには話しておいた方が良いのかもしれませんね。他の神には隠していますが、じつは私は……」


 ニジュは身構えた。

 エヴェトラは打ち明ける。


「誰かを喜ばせることで自分も嬉しくなる、という一石二鳥で合理的な能力を秘めているのです。この能力に気づいたのは忘れもしないあの日……。私はしおれて溶けかけているレタスの葉を穴に引きずり込みながら、満足と幸せと喜びについての内省にとりかかっていました。というのもレタスは私の好物で、好きなものを食べること以上の喜びがあればレタスなしの日々にも一筋の希望を見出せるのではないかと思ったからです。あいにく天候が悪く、レタスの不作が長引くことは自明の理でありました。そこで私は……」


「……その話は長くなるのか?」


「え~と、そうですね~。私の体と同じくらい長いです!」


 ニジュは親指と人差し指の間をちょびっと開いて、ぷにぷにしたエヴェトラの体節に軽く押しあてた。


「これぐらい手短に頼む」


「幸せそうなニジュさんの姿を見られたら、それで私も幸せなんです~」


 臆面もなくいってのける。


「私はそれがとても嬉しいんです」


 なんの利益も理由もないのに誰かを痛めつけることを無上の楽しみとするシアという神をニジュはしっている。

 だから、なんの報酬も事情もないのに誰かを喜ばせることを楽しむエヴェトラという神がいても不思議なことではないだろう。


 エヴェトラの神殿にニジュはいっしょに宿ることにした。

 ここははじまりの場所。

 妖精の秘密を暴く集会の。

 ふかふかの美味しいパンの。 

 暴走する意思と感情の悲劇の。

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