ゴブリンと狂気の国の正気の神
ミュリスの神殿都市に情報を集めにむかったエヴェトラは三日後の夕暮れ時に戻ってきた。
「お待たせしました。情報は首尾よく集まりましたよ! あ、それとこれはバザウさんへのお土産です。冷めちゃう前にどうぞ」
手渡されたのは大きな葉を巻いて作った袋。中に何か入っている。
バザウは瞠目した。
(……この匂いは……!)
袋の中にはソラ豆のコロッケと羊肉の串焼き、それから揚げソーセージらしきものがそろって良い匂いを放って空腹のゴブリンを歓迎している。
揚げソーセージ、モンバールはこの地方の料理の一つ。牛の腸の中に米を詰めて茹で揚げした変わり種のソーセージだ。
そわそわしながら一口かじって、バザウはソーセージの中身がいつもの肉ではないことに気づく。中にはつやつやふっくらした粒上のものがたくさん詰まっている。
かつて似たようなものを目にしたことがある。故郷で川から魚をとって食べる際に、時々魚の腹の中にこういう当たりが入っていることがあった。粒がこんな風に詰まっているのはアケビの種にも似ていなくもない。
(こっ、子持ちソーセージだと!? 種子が入った状態のソーセージを見るのはこれがはじめてだ。今まさに俺は、多くのゴブリンが切望した望みそのものを手にしているのではないか……?)
隣でレタスを茎からかじっているのは他でもない大地の豊穣神だ。呑気でアホだが食べ物や農耕の知識に関しては信用できる。
バザウはかつてないほど厳かな態度でエヴェトラに話しかけた。
「神よ。これを地に埋めれば作物は育ちますか?」
ソーセージを増やすことができるか、という意味でバザウは質問している。
「ああ~、残念ですがそれはもう加熱されちゃってるので植えても芽は出ません。しっかり実ったものを外側の茶色い皮をとらずに播種すれば、育てるのに手間がかかりますがきっと豊かな恵みがありますよ」
エヴェトラは米の作り方をきかれたのだと思ってそう答えた。
「おお……実りをもたらす大地の神。あなたの深い知恵にはじめて感謝いたします」
「えへへ~、それほどで……はじめて、っていうのは余計じゃないですかね!?」
お土産の堪能が済んだところでエヴェトラが持ち帰った情報を話す。
「肉屋の亭主と果物売りの老女と広場で遊んでいた子供たちとおしゃべり好きな主婦。それから宿にいた旅人に接触しました」
神殿都市の住人たちは口々に人は犬の最良の友であること、最高の幸せとはオースティンといっしょにいられること、服従できる主を持つことが一番大事なことだと語った。迷いのないキラキラとした瞳と、人懐っこい犬が見せるような愛嬌で。
「……不気味だな。オースティンとは何者なんだ……?」
宿の旅人は最初バザウの反応と同じように住人たちと異様に増加した犬を薄気味悪がっていた。神殿都市がおかしいと旅人は気づき警戒している。
だが、三日目に神殿都市での情報収取を一とおり終えたエヴェトラがチラリと様子を見にいったところ、旅人はすでに街の人々や犬々と人と犬の絆の尊さについて熱弁をかわすほどになっていた。
エヴェトラがぽつりとこぼす。
「……自分の心や記憶が勝手に塗り替えられるのは気持ちの良いことではありません」
「ん? 記録までもが変えられていたのですか?」
エヴェトラは違う違うと慌てて訂正する。
「あ、いえ~! 記憶の件はまた別の話です!」
(なんだ、まぎらわしい……。創世樹による思考の感染……。ネコの神ミュリスも創世樹の意志に染まっていたが……、三日間神殿都市にいたコイツは平気そうだな)
神殿都市の本来の支配者であるミュリスは三日よりもはるかに長期間街にいたはずで、エヴェトラはその辺の旅人よりは創世樹の影響に対して抵抗できるのだろう。
「人から聞けたのはそのあたりまでですね。ナツメヤシとイチジクの木、古い壁や牛にもあたってみましたが一番有力な手掛かりが得られたのは、犬たちからでした。犬だけの秘密の集まりが砂漠の岩場で開かれるそうです」
神は万物との会話が可能である。
この世界において心を持つのは人だけの特権ではない。動物と植物と無機物ではその心のありように多少の差はあれど、アリもバオバブも砂漠もそれぞれの精神世界を持つ。
「集会……。そこで犬が大好きなオースティンとやらが、犬の素晴らしさを広めている……と」
エヴェトラはむむーっと眉根を寄せて首を横に振る。
「私もそう思っていたんですけど、岩場の秘密集会にオースティンさんはいないっていうか、集会の目的は行方不明になったオースティンさんの捜索みたいなんですよね……」
そして神は姿を変える力がある。
人の姿を模していたエヴェトラの体が一瞬で黒土の粒になり地面に崩れ落ちた。そして大地から細身だが力強さを感じる黒い犬が現れる。三角の耳は長く大きい。尻尾はとても細くてムチのようだった。短毛の黒い毛並みは光を受けてチラチラと多色にゆらめく。前足と後ろ足には包帯が巻かれていた。
「これで潜入しちゃいましょう! 怪しい集会のナゾを即行で暴いて、サクッと創世樹を枯らして、バザウさんをイさんのところまでお連れしましょう! 楽勝です!」
「潜入……それはまずくないか?」
つい畏敬の欠片もない口ぶりになってしまい、バザウは苦々しい表情で口元を軽く押さえる。
「バザウさんが私にみじんも敬意を抱いてないことはわかりきってますので、無理に畏まった話し方なんてしなくてもよろしいですから~。私は全然気にしませんから~。潜入がまずいとはどういうことです? この変身はけっこう良い感じだと自負しているのですが」
「そういうことではありません。今回の創世樹は周りに及ぼしている影響から考えて……」
バザウは苦々しくため息をついた。
「俺がこれまで遭遇してきた中で最大の規模だ。もっと慎重に行動したい」
創世樹の宿主ということは、チリルが異世界から呼んだ人間のはずだ。心が反映される根源世界に引き込まれない限りは神であるエヴェトラは傷一つ負うことはないだろう。バザウが最も警戒しているのはネコ神のミュリスとエヴェトラが同じ結果を迎えることだ。
(……創世樹について調べるということはその分だけ創世樹に影響されやすくなるということでもあり……。だが、何もしなければチリルの計画は順調に進んでしまう……)
「聡明な頭の持ち主は時に頭の重さで動けなくなるのですね」
黒い犬の体からポトリと何かが落ちた。金首のミミズだ。エヴェトラは二体に分裂した。
「犬の方の私は集会にむかい、ミミズの方の私はバザウさんに同行します」
「……けっきょく問題は解決していないのでは? 泥人形ではなく心を持った分身であるなら、創世樹にのまれた時に危険なことには変わりないぞ」
犬とミミズは大きさも形も違えど、まったく同じタイミングでバザウにあきれてみせた。
「発想を変えてみてください。分身同士の精神が繋がっているからこそ、できる対策もあるじゃないですか! 私の心が創世樹に取り込まれないようにバザウさんが全力で私の正気を維持してください」
「……たかがゴブリンに無理難題を押し付けてくる。もし失敗したらニジュに八つ裂きにされる程度では済みそうにないな……」
バザウは苦い焦燥の笑みを浮かべて漆黒金首のミミズを手に這わせた。
「たった一人で狂気に立ち向かうのはあまりに過酷ですが、手を取り合える誰かといっしょにいられたなら案外なんとかしのげるものじゃないかと思うんです。経験上!」
◆◇◆◇◆
ニジュは暗澹とした気持ちで、地衣類のベッドで日がな一日うずくまってすごした。
このところ体調は安定している。
しかしニジュは、このささやかな小康状態はけして長くは続かないと思っていた。
妖精が完全掃討された時、ニジュがどうなってしまうのかわからない。希望的な未来よりも、悲惨な結末ばかりを予想してしまう。
それも仕方がないこと。この世界はムジョウである、というのがニジュの見解だ。
「ニジュさ~ん」
地面からボコッとエヴェトラが出てきた。
ご機嫌な声の調子からすると、どうやら良い報せがあるらしい。
「シア=ランソード=ジーノームさんがいらっしゃいましたよ~!」
(……我への別れの挨拶でもしにきたのだろうか……)
能天気にくねくねしているエヴェトラを横目に、ニジュはひそやかに自己憐憫の薄笑いを浮かべた。
たいしたことではない、大丈夫、自分の順番が回ってきただけだ、と言い聞かせる。
何かが生じて消えるのは特別な不幸ではなく自然の道理。
とにかく今はシアと共にいられる貴重な時間を大切にすごしたいと思う。
(我にはそれだけで充分だ)
「やあ、ニジュ!」
ニジュが想像していたよりもシアの態度はずっと明朗だった。
深刻な様子は少しもなく軽く挨拶に立ち寄ったという雰囲気。
シアとの会話の内容も当たり障りのないものばかりだった。
「……」
最初はシアに合わせていたが、次第にニジュの口数は減っていく。
ついには相槌を打つこともしなくなった。
聞き飽きた自慢話や当たり障りのない近況報告にはたいして興味もない。
ニジュは今一番しりたいことを問いかける。
「順調なのか?」
「うん?」
シアの方からは妖精狩りの話題を出すつもりはないようだ。
はっきりと口に出すべきか少し迷ってから、ニジュは覚悟を決めた。
「……妖精の掃討はいつ完了する見込みなのだ?」
「は?」
シアは疑問に満ちた声をあげた。
まるで、サトイモの干潮時刻を舞踏会する成層圏はイヌ科偶数まな板の上美術館と兄弟か? と尋ねられたみたいな反応だ。
「ああ、ごめんよ! 君が何を言っているのか僕には理解できていないみたいだ。だって妖精は……古くからこの地に根付いている生き物の一種だろう?」
ニジュは呆然とした。
シアの言っていることがよくわからない。
からかわれているのかと思ったが、それは考えづらい。
気に入らない者を殺すことにはまったく罪の意識のないシアではあるが、性質の悪いウソで友を苦しめる趣味はなかったはずだ。
仮にニジュのしらない間に友情が壊れるほどの恨みを買っていたとしても、シアが悪意の冗談を言っているとは考えづらい。
どんなウソをつけば相手が苦しむであろうか、と想像力を巡らせるにも最低限の共感性が必要とされる。シアは他者の心情を理解する気がほとんどない。
戸惑いながらもニジュは別の仮説を立てる。
他の神からの勧めでシアが見よう見まねの付け焼刃でニジュを気遣ってみた結果、奇妙な会話になってしまった、と。これはありえそうだ。
しかし話を続けるうちにその推論もはずれていると気づかされる。
悪質な冗談でもなく、不慣れな配慮でもなく、妖精に関するニジュとシアの理解がまったく喰い違っているということに。
「落ち着いてニジュ。僕は別に君を言い負かしたいわけじゃない。君に納得してもらいたいだけなんだ。誰もがしっている当たり前の事実をね」
妖精はもともとこの惑星に存在している生物の一種にすぎない。
神と妖精は敵対していない。
そもそも妖精の力は神よりも劣っており、脅威を与えてくる心配はない。
これらは全部、あれだけ妖精狩りを推進していたシア=ランソード=ジーノームから語られた言葉である。
状況が飲み込めずにうろたえる中でニジュはハッとひらめいた。
シアは妖精討伐に熱心に参加していた。妖精はこの世の理すら超えた不思議な力を使う。シアは妖精のまじないか何かで記憶をすり替えられてしまったのではないか。
そういうことならこのおかしい事態の説明がつく。
「ニジュ、君は一時的なパニックになっているだけなんだ。つまらないことは考えずに、ゆっくりとお休みよ」
妖精の真実を忘却しているシアだが、ニジュが療養中であることは記憶から抜け落ちてはいないようだ。
地衣類のベッドに追いやられ仕方がなくニジュはそこでじっとしていることにした。
シアが去った後ですぐにこのことを三獣神にしらせなくては。そう意気込んだ。
森の木々の間を縫って、少し離れた場所にいるシアの声がかすかに聞こえてきた。
「いつからあんなことを言うように?」
誰かと話している。
ニジュは横になった姿勢のまま息を殺し耳をそばだてた。
「え~と、わかりません!」
受け答えをしているのはエヴェトラだ。
「使えないね」
「ニジュさんがなぜ無害な妖精を敵視しているのか、その原因もわからない段階です」
何かが引っかかる。
違和感の正体に気づいてニジュは悪寒と吐き気に襲われた。
妖精狩りに関わっていないエヴェトラも、シアと同様のことを言っている。
ニジュが陥った「一時的なパニック」は何回月と太陽が昇っても消えたりはしなかった。
どの神も口々に妖精は脅威ではないと言う。
わざわざ殲滅するような存在ではないし、取るに足らない生き物だと思わされている。
禍星封じの儀式と妖精の発生を関連づけて考える神もいなかった。
(わけがわからない……。何が起こっている? 我はとうとう気がふれたのか……?)
もとより口数の多くないニジュは、ほとんどふさぎ込んですごすようになった。
正しい情報を集めようという試みはすぐに頓挫した。
妖精のことは誰も問題視していない。あの三獣神でさえもだ。
無力感がつのり、孤独感に押しつぶされる。
ニジュはもはや自分の思考を信頼できなくなっていた。
ニジュ=ゾール=ミアズマが狂気の門を開いたというウワサが森の神々の間に流れていくのを寝床の中で聞いていた。
反論する気力は起きない。声高に異議を唱えれば唱えるだけ、はたから見れば狂気の沙汰。言われるままにしておいた。
そんな無気力なニジュの様子がシアには理解できないようだ。
「体調は治ってきてるのに、どうしてそんな沈み込んでいるのさ?」
ちょくちょくやってきては長く居座る。
「気晴らしに僕と出かけようよ。海一面を覆いつくす盛大な水の華を見せてあげよう」
気が休まらない。
「ねえ。せっかく僕がこうしてやってきてるんだから、君も少しは喜んでよ」
一緒にいる時間を以前のように楽しめない。
「こんなところでじっとしているから、妄想にとりつかれてしまうのさ」
「……本当にすまない。体調がすぐれないから、今日のところは帰ってもらえないか」
「そっか。早く完全に治ると良いね」
「……」
シアはニジュを心配している。その思いにウソはない。
シアはニジュにとって友のはずだ。それは間違いない。
だが、シアが引き払ってニジュは心からホッとした。
こんな気持ちを抱いてはいけないのに、シアのことをひどく疎ましく思ってしまう。
客のもてなしとして出された巣蜜二つは、葉にくるまれたまま手をつけられることなく置かれている。
「……訪問を少し控えてもらうよう、シアさんにお願いしましょうか?」
エヴェトラがためらいがちに尋ねる。
「やめておけ」
シアが機嫌を損ねるとそれはそれで面倒だ。
八つ当たりで殺される者が続出してもおかしくはない。
「失礼しました。お節介がすぎましたね」
ニジュは巣蜜の欠片を口に放り込んだ。
トロリとした蜜が舌の上に広がった。濃厚な甘みも今は味気がない。
あくる日にやってきたのはシアではなく、アシ草の小島。憔悴したイ=リド=アアルだ。
ニジュではなくエヴェトラに用があるらしい。
「あれ? どうしたんです? 水の勢いにも葉っぱの色にもなんだか覇気がないようですが」
前に見た時よりもイは明らかにパッとしないありさまになっていた。
「……あなたは余計な質問はせず、イ=リド=アアルの重たい憂鬱を晴らす」
「ああ~。そういうことなら私はお役に立てますね! フォイゾンのご注文入りました~」
エヴェトラはイの望みを心得ているようだった。
こういう頼み事をされるのはよくあることらしい。
イの小島の上に移動して湿った土に体をこすりつけた。
密に生えたアシの根本の間に、細長いものがゆっくりと蛇行し分け入っていく。
人間の女の腕ほどの太さの黒い体には真珠に似たつやめきがある。
穴を掘りやすい場所を探し、伸ばした頭部で濡れた土をつつく。
大地を耕すことにおいてエヴェトラ=ネメス=フォイゾンは卓越していた。
細くとがらせた頭を突き立てたかと思うと、長い体はするすると大地に飲み込まれていく。
その一連の動きをニジュはぼんやりと観察していた。
イは心地良さそうにさわさわとアシ草を揺らしていた。安らいでいる。
穏やかな様子だったので、ニジュは閑談でもしようと軽い気持ちで声をかけてみた。
だがイ=リド=アアルの方は会話をはっきりと拒んだ。
ニジュから大きく距離を取り、水しぶきを派手に散らす。
「あなたは……、あなたはイ=リド=アアルの記録が間違っていると言うだろう!」
尋常ではないイの反応にニジュは既視感を覚えた。切羽詰まった精神状態。自分の状態とよく似ている。
とっさに口にした言葉の内容も気になった。
そしてどうしてイがここにやってきたのかを思い返す。重たい憂鬱があるせいだ。
イ=リド=アアルと話さなくては、とニジュは決意した。話すべき内容がある。そう感じ取った。
エヴェトラがぽこっと小島の土から頭を出した。
「何かありました? 記録がどうかしましたか?」
「記録、記録が……。記録が間違っていると誰しもが口にした! ……恐ろしいことに、この記録を綴ったイ=リド=アアルでさえも! 間違った記録が残されている。それはイ=リド=アアルにとって耐えがたい苦痛であった!!」
「誰しも……か。我はそう思わぬ」
ニジュは冷静に振る舞ってはいるがその心臓はドクドクと早まっていた。
「……我に記録を見せよ。困惑の霧を払えるやもしれぬ……」
暗澹とした世界でほんのかすかに見えた、希望と期待に。




