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バザウ、君は賢すぎる  作者: 下山 辰季
第七部

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ゴブリンと星がもたらした招かれざる者

 イ=リド=アアルの神域を目指す道中。バザウとエヴェトラは神殿都市を見下ろす丘の上にいた。夜明けが近い。海沿いに栄える神殿都市は、古くからネコの神ミュリス=ネドジェム=マトゥを祀っている。

 バザウが元いた大陸ではネコは月や夜の神秘と結び付けられていたが、ナイアラスのミュリスは太陽の守護者としての顔も持つ。ナイアラスの人々は生命力に満ちたネコの体に太陽の熱を感じ、夜に活動するネコを見て太陽が寝ている間に悪しき存在の見張り番をしているのだと解釈した。


「……といういわれがあるんですよ!」


「……」


 どや顔で神殿都市の成り立ちを話すエヴェトラにバザウは無言で手をさし出した。引っ張ってくれ、ということだ。というのも神は、十匹あまりの人懐っこい犬の群れにベロベロに顔を舐められて地面に倒れ込んでいたからだ。


「本当に犬にはとても懐かれるんですね」


 尻尾を振る犬たちに場所をあけてもらいながら、バザウは犬のヨダレまみれになったエヴェトラを引き起こす。

 故郷のハドリアルの森にいた頃は犬を連れた人間と敵対することもあった。たいていトラブルの原因を作ったのはゴブリン側だ。ソーセージを積んだ荷馬車を襲う。放牧されている家畜を盗んで食べる。……そんなことをしてもまったくなんの利益もないのに、森そばの道をとおる人間に泥団子を投げつけて挑発するバカもいた。

 その時の経験でバザウは多少犬というものの習性をしっている。プロンから直々に手ほどきを受けた森狼とのコミュニケーションほどの知識はないが。


(犬はエヴェトラの視線の動きや仕草にはさして注意をむけていない……。リーダーとして慕われているわけではなく、何かもっと……原始的で本能的な興味の対象として惹かれているようだ。犬が熱中する臭いでも出てるんだろうか……?)


 旅の食糧などはバザウが背負っているので、食べ物の臭いにつられたわけではなさそうだ。雨上がりの日に犬の散歩をした経験のある者ならピンとくるだろうが、犬はミミズの臭いに我を忘れる。


「ご無事ですか? 群がってきた時は驚きましたがコイツらは噛んだりはしないんですね」


 いつか天空の山岳で村人たちが飼っていた化け物じみた猛犬の群れに比べて、神殿都市の犬はずいぶんと幼く無邪気だ。

 天空の山岳の犬は村人と家畜の安全を守る実利的な目的で飼育された使役獣であり、あまり密接に可愛がられることはなかった。犬の方も攻撃的な気性を持っており村人にベタベタ甘えたりはしない。


「う~ん……。でも前にこちらの神殿都市を見物しにきた時は、こんなにたくさん犬はいなかったと思うんですよね~。こんな街の外にまで群れがいるなんて」


「あなたが封印されている間に都市の動物たちも増えたんでしょう」


 バザウは低く単調な声で犬たちをなだめた。まだ遊びたがって前足を伸ばして頭をぐっと下げた犬には素っ気なく無言で顔をそむける。

 ミミズの臭いで一時的に興奮状態になった犬たちだが、執拗にからんでくることはなかった。いっしょに遊ぶ気はないというバザウの意思を読み取って、犬の一団は神殿都市の方へと楽し気な駆け足で戻っていった。


「……万物と会話のできるあなたが直接語りかけるわけにはいかなかったのですか?」


「バザウさん。言葉が伝わることと要求がとおることは別問題なのですよ」


 何やらムダに慈悲深く神々しい顔でいっているが、ようするにエヴェトラには犬を追い払うだけの威厳がないということらしい。


(……ポンコツ……)


「数が増えただけでなく以前よりもお利口になってますね~。飼い主以外の人にもずいぶん慣れてて、人との距離感をつかんでいるというか……。あ、この場合はゴブリンですけど!」




 エヴェトラはバザウにネコまみれの楽園を見せたがっていたが一つの大きな問題がある。ミュリスの神殿都市は人間たちが作った街だ。ゴブリンの居場所はない。


「むむむ。手を指先まですっぽり外套の中に入れて頭の巻き布で顔をほとんど隠しちゃえば、いけるんじゃないですかね!?」


 バザウは首を横に振る。何か重大な用件があるならともかく観光のためにそんなリスクを冒すのは、いかにも娯楽に弱く後先を考えないゴブリンらしい愚行だ。


「どうぞ俺にはお構いなく。そこの岩陰で休んでますから。あなたはネコの神へご挨拶にいかれると良いでしょう」


 もうじき昇る太陽の熱を浴びるため、岩の上にはトカゲがスタンバイしていた。この岩は安定していて崩れてくる心配はなさそうだ。バザウが岩陰で寝転がるスペースも充分ある。


「じゃあ、そうします。サソリや毒蛇に気を付けてくださいね。こちらから刺激しなければいたって大人しい方々ですが」


 砂の上を十歩ほど進んだところでエヴェトラはくるりと振り向く。


「そうだ、大事なことを聞き忘れていました! お土産のリクエストはありますか?」


「……いいえ、特には。しいていうなら……水と旅糧だけは絶対に忘れないでくださいね……」


「心配には及びません。他の何を忘れたとしても、このエヴェトラ=ネメス=フォイゾンが食べ物のことを失念するなどありえませんから」


 眉を凛々しくキュッと上げてやたらと堂々とした顔だが、さして立派なことをいっているわけではない。


「……そうですか」


 バザウはエヴェトラを送り出した後、こっそりとため息をつく。砂漠の生き物にまじって岩陰の穴で涼んだ。ナイアラスを旅する間、太陽が照りつける昼は眠りと休息に当てている。




 神の帰還は騒々しかった。


「大変ですよ、バザウさん!」


「……何事ですか……」


 どうせたいしたことではないだろうな、と思いながらバザウは気だるげに岩陰から這い出す。

 そこには深刻な面持ちで一匹のネコを抱いたエヴェトラがいた。エヴェトラが抱いているのはただのネコではなさそうだ。すらりとした細身のネコ。長くしなやかな尻尾を持ち、その毛は朝日を受けて輝く砂漠の色をしている。偉大なるミュリス=ネドジェム=マトゥは美しい赤毛のネコの姿をしていた。

 大変だというが、一見してそれとわかる異変はない。エヴェトラはバザウに訴えかけるような目をむけてから、ミュリスにこう問いかけた。


「ミュリスさん。……犬についてどう思われます?」


「犬は人間の最良の友だよ。そして犬にとって一番の幸せとはオースティンと共にあることなんだ」


 オースティン。それは人名のようだ。

 エヴェトラが状況を説明する。


「神殿都市からネコの姿は消え失せて、代わりにたくさんの犬たちが暮らしていました。ミュリスさんは信者の祈りも途絶えたさびれた神殿の奥でただ一人……」


 エヴェトラの険しい表情はそこでどれだけむごい光景を見たのかを雄弁に語っていた。

 一呼吸置いた後、ミミズの神はネコの神に起きた異変を重々しく告げる。


「……お手とお座りの練習をしていました……」


「……なんてことだ」


 バザウにもネコの神殿都市で異常事態が起きていることがだんだんと飲み込めてきた。ネコの神のお膝元で住人すべてが熱烈な犬派への宗旨替え。


「いったい何が起きたというのでしょう……」


「……」


 バザウには心当たりがあった。多くの心をたった一つの真理で強引に染め上げてしまう力について。




 ◆◇◆◇◆




「わ~! ステキなところですね~!」


 エヴェトラは鬱蒼とした森の土の上を這いまわり歓喜する。

 その能天気なはしゃぎぶりを見ていたら、ニジュは自分も立てるような気がしてきた。ニジュは地衣類のクッションからゆっくり身を起こし、華奢な両足で立ち上がろうとした。

 安易な挑戦だった。ぐらりと体が傾く。

 ニジュがなすすべなく派手に転ぶ前に、骨ばった細い腕をきゅるっとエヴェトラが支えた。


「お世話役なのに、私だけ勝手に舞い上がっちゃいましたね~。ニジュさん、この場所のこと教えてください」


 そのまま腕を引かれてクッションまで誘導される。菌類の心地良い香りと地衣類の柔らかさに身を預ける。


「……そうだな。この森は……」


 仰向けに寝転がって林冠を見上げながらニジュはぽつぽつと森の成り立ちを語って聞かせた。そのつぶやきが規則的な寝息へと変わるのに、そう時間はかからなかった。

 エヴェトラは大きな葉っぱが落ちていないか探してきて、それをぽいっとニジュの上にかけた。一仕事を終えるとこの気立ての良い神は満足した様子で地面の奥に潜っていく。




 神々がおこなった儀式の代償により、自然からは言葉が失われていた。あらゆる者と会話ができる普遍の言語は神だけの特権となった。今は多少の混乱が見られるが、いずれ自然はこの状況に適応するのだろう。

 そして、かつてはコンゴウインコと風が軽口をたたき合っていたことも、アリたちのささやきと雄たけびも、滝が吟じた物語も、全て忘れ去られていく。


「なんだかさみしいですね」


 森の中をうろついてきたエヴェトラは、少ししょんぼりとした様子でつぶやいた。

 それから森で集めてきた品々をいそいそとニジュへと差し出す。朝露に濡れたコケ。カビに覆われた木の実。葉っぱの裏にびっちり産みつけられたチョウの卵。ニジュ=ゾール=ミアズマへの供物でありリッチな朝食でもある。


「こちらにも事情があったとはいえ、自然界のみんなから一方的に言葉を奪ってしまって良かったんでしょうか」


「そう気に病むことではあるまい。いたずらに命を奪う行為は慎むべきだが……、しょせんあれらは神ではない。我らの礎にすぎぬ」


 シアなどは特にその傲慢さを隠すことなく振る舞っているが、控えめなニジュであっても神とそれ以外が対等だとは思っていない。精霊は神と同様に自然の化身ではあるが、その能力は神よりも劣る。


「この惑星全域を一瞬で移動できて、例外はあるけれど基本不死! なのが私たちのすごいところですからね~」


 湿った土の上にいるエヴェトラはリラックスした様子で前進している。背伸びをするように体を伸ばして、それからぐぐっと体を縮める。それを繰り返して前に進む。

 まったりしているとただ単に色の珍しい大きなミミズにしか見えないが、これでも神の端くれ。その気になれば世界一寒い場所にも、世界一暑い場所にも、世界一高い高山にも、世界一低い深海にも、ひゅんっと遊びにいける。神の持つ不死性により、普通の鳥につつかれても、普通のモグラに噛みつかれても、釣り餌にされても絶対死なないスペシャルなミミズである。


「今回の件で、万物との会話……も神だけの特権となったな。不便なようだが、伝えるべきことがあれば種族神が託宣をするだろう」


「それもそうですね~。あんまり心配しなくてもなんとかなりそ……あ、あ~……」


 エヴェトラは何かを思い出して伸び縮みの前進運動をとめた。頭部をもたげてニジュから許可を得る。


「分身を別の場所に転移させたいのですが、よろしいですか? この分身に割く力はごくわずかで、こちらの活動に支をきたすほどではありません」


「好きにするが良い」


 ニジュの介添え役としてエヴェトラはここにいる。ここでの役目をしっかり果たしてくれるのなら、他で何をしていようと構わなかった。興味もなかった。




 ニジュの体調には波があった。

 調子の良い時なら会話や体の負担が少ない気晴らしをすることはできる。

 調子の悪い時となるとそれは悲惨なもので、苦しみながら真っ黒な粘液を吐き続ける。苦しみがいつ終わるかもわからないまま。


 エヴェトラは看病だけでなく、病んだニジュから生じた汚染物の無害化も任されている。

 自らの尾を飲み込み円環を形成。エヴェトラは循環と縁深い神だ。食物連鎖、摂食と排泄、生命の流転。その力で有害な物質を体内で無害なものに変えてから地に還す。

 栄養を取ることは体内で化学反応を起こすことだ。エヴェトラは思考をまとめるのが下手だ。その言動が知的な印象を与えることはまずない。だが腹の中で原子配列を入れ替えることにかけては三獣神よりもはるかに卓越している。

 

 しかしエヴェトラにできるのは汚染の無害化でありニジュの苦痛までは癒せない。どんな工夫をしてみても嘔吐をとめることはできず、いかなる姿勢でも安らぎはなかった。

 ついに内側から吐き出せるものが何もなくなると、焼ける痛みを伴いながらニジュの手足の末端や目蓋や口内といった粘膜部が黒く溶け落ちていく。


 快調期には溶けた体はゆっくりと再生していくのだが、ニジュは素直に喜べない。どうせ次の発作が起きれば無残に崩壊するのだから。

 発作が治まっても気力と体力は確実に消耗しており、それを癒すための休息が必要だ。制御不能の耐えがたい苦しみが突然戻ってくるのではないか。そんな不安にさいなまれながら心から休まるなんて無理な話だったが。


「せめて悪化する原因がわかれば、それを避けることもできるんじゃないかと思うんです」


「……我には心当たりさえない」


 発作の周期も不定で、気温や天候といった周囲の環境からの影響でもないようだ。

 エヴェトラはニジュへの供物の記録を書き留めており、何枚ものバナナの葉に記された『ニジュさんお食事メモ』を幾度も読み返している姿があった。




 終わりの見えない日々は、ある神の来訪で転機を迎える。

 アシに覆われた小島が浮かんでいた。島のサイズは、大人のワニが日向ぼっこできるぐらい。

 小島は泥水の柱で支えられている。螺旋を描いて水は静かに上へと流れる。オスのクジャクが尾羽を誇示するがごとく背の高いアシ草が立派に茂っている。

 風もないのにアシ草が揺れたかと思うとその神の言葉が聞こえた。


「突如あなたの前に楽園が広がった。それこそは大河の流れから生じ、時の流れを標す神。その者の名はイ=リド=アアル」


「わ~、いらっしゃ~い! 奇遇ですね~。イさんとこんな遠方で会うことになるなんて思いませんでした」


 エヴェトラはイと面識があるようだ。ニジュにこう紹介した。


「私のご近所さんなんです。栄養分が豊富で、水が苦手でさえなければ住みやすい神ですよ。それにすっごく物知りなんです!」


(地形神……)


 動物神は自分の興味であちこち遊びにいくし植物神もマイペースに旅を楽しむこともある。

 しかし地形から生じた神というのはその性質上、自分の領域を離れることをあまり好まない。イ=リド=アアルがここに姿を見せたということは、単なる気まぐれではなく意味があるのだろう、とニジュは考えた。


「あなたはいぶかしんだ」


 勝手に内心を見透かしたかことをいうイにニジュは不快感と警戒心を抱く。変質した肉体にはまだ慣れていないが、自然と眉をしかめるという動作をしていた。


「イさんはこういう話し方をするんです。最初はびっくりしちゃいますよね」


 エヴェトラは地面でぴょろぴょろしている。二柱の神の間に漂う険悪な雰囲気を和らげようとしているらしい。


「……ここには我の神域だ。なんの用があり訪れた」


「あなたの問いかけに恵みもたらす輝くアシ原は答えた。記録から判明した事実を伝えるために訪れたと、その神はいう」


 きっと良いニュースは期待できそうにない。


「妖星から生じた異常生物、これらは妖精と正式に称されることとなった。その妖精討伐の進行の記録と、ニジュ=ゾール=ミアズマの容体悪化の記録。この二つの記録に奇妙な相関が見つかった」


 イからもたらされた報告によれば妖精が大量に殺された時にニジュの体調は急激に悪化している。逆に討伐がとどこおっている間は小康状態といった調子だ。


「……我が命を絶てば忌まわしき妖精を根絶やしにできると勧めにきたのか」


「悲観的なあなたは自暴自棄になったがそれには及ばない。妖精の死がニジュ=ゾール=ミアズマに変調をもらたすことは判明したが、その逆が起こるのかはデータが不足しており断定できないためである」


 話を黙って聞いていたエヴェトラがちょっとだけホッとするのが見えた。

 イはよどみなく報告を続ける。


「もはや妖精討伐の完了は時間の問題であった。あなたはいずれ来たる時を悔いなく送れるよう準備に専念することをイ=リド=アアルから勧められた」

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